見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

怖くて愛らしい幽霊たち/福岡市博物館所蔵 幽霊・妖怪画大全集(そごう美術館)

2013-08-31 12:37:30 | 行ったもの(美術館・見仏)
そごう美術館 『福岡市博物館所蔵 幽霊・妖怪画大全集』(2013年7月27日~9月1日)

 福岡市博物館が所蔵する吉川観方コレクションを中心に、肉筆画や浮世絵版画の幽霊・妖怪画約160点を展示。「妖怪画」はバリエーション豊富だから展示になりやすいが、「幽霊画」をこれだけ集めた展覧会はめずらしいと思う。

 吉川観方(よしかわ かんぽう、1894-1979)の名前は、うっすら記憶にあった。調べたら、2011年の奈良県立美術館の館蔵品展『安土桃山~江戸時代に生きた人々』に、このひとの名前がある。京都出身の日本画家で、風俗研究家として絵画、染織、工芸など約12,000点にのぼる風俗関係資料を生涯にわたり収集した人物だという。どういう事情か、観方コレクションは、数か所に分散して引き継がれたようだ。

 この展覧会の楽しみは、ひねりを利かせたキャプション(作品名)とその解説。いま図録を眺めなおしても、にやにやしてしまう。谷文晁の幽霊図の「フフフ 余裕のまなざしである」に噴き出す。円山応震の妖怪図の「ふう…妖怪って疲れるんだぜ」もじわじわ来る。源頼光の蚊帳を引き剥がす土蜘蛛の錦絵(月岡芳年)の「掃除の邪魔よ! なんだとっ!」もツボに来て、もう土蜘蛛がメイドさんにしか見えない(→これ/国会図書館)。会場の主な作品には、さらに図中の人物に喋らせた楽しいキャプションが追加されていて(図録には未収録)いちいち熟読しながら悶絶した。歌川広重の『平清盛怪異を見る図』に「松ケンじゃねーぞ」とかね。橋本関雪の幽霊図は「わいは~でおま」と関西弁で独白していたけど、確かに横顔が明石家さんまに似ている(笑)。

 会場にガイジンさん(西洋人)の姿も見たけど、日本人の幽霊好き・妖怪好きは、彼らにはどう見えるのか、聞いてみたい。私が日本文化の誇るべき特徴をあげるとしたら、礼儀正しいとか清潔好きとかよりも、「異界との親近性」はかなり上位に来るのだが。

 日本画家であった吉川観方自身の作品はないのかな、と思っていたら、最後に『朝霧・夕霧』(昭和23年)二幅だけが出ていた。左にやぶれ団扇を手にしたお菊、右に鉄漿の化粧中のお岩が顔を寄せ合って、何やら小声で会話を交わしている風情。どちらも髪が抜け落ち、面相は恐ろしいが、白く透き通った肌の色は、美女の面影を残している。図録の冒頭で、福岡市美術館の中山喜一朗氏は、この絵を「怖い」「怖すぎる」と書いているけれど、そうかなあ。私は、時代に取り残された二人が静かに微笑みあっている姿が、抱きしめたいほど愛らしいと思うのに。忘れられていくものの悲惨と滑稽をやわらかなトーンで描いた作者の視線にも、共感と哀惜の念を感じる。

 なお図録には会場で見られなかった作品も多く収録。福岡市博物館→大阪歴史博物館と巡回してきた展示で、神奈川がいちばん小規模なんじゃないかと思う。そこは少し残念。

 横須賀美術館の『 日本の「妖怪」を追え! 北斎、国芳、芋銭、水木しげるから現代アートまで』(2013年7月13日~9月1日)も行きたかったんだけどなあ…。首都圏在住者でないので断念。

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異界に出会う夏/大妖怪展(三井記念美術館)

2013-08-30 21:41:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展〈美術の遊びとこころVI〉『大妖怪展-鬼と妖怪そしてゲゲゲ』(2013年7月6日~9月1日)

 大好きな、大好きな妖怪画と幽霊画の展覧会をハシゴ。それにしても、三井記念美術館で妖怪展とは意表を突かれた。いつもはお茶や書画骨董趣味のハイソなおばさま・おじさまの集う同美術館に、好奇心満々の子どもたちが詰めかけていて、なんだか楽しい。

 展示室1、2は、妖怪を描いた浮世絵。歌川国芳、月岡芳年の「外せない」名品が並ぶ。展示室3には「外道を調伏する安倍晴明」のフィギュア。『不動利益縁起絵巻(泣不動縁起絵)』を立体に起こしたものだ。国立歴史民俗博物館がこれを作ったのは、たぶん2001年の企画展示『異界万華鏡』で(※写真あり)、見たときは心の中で大拍手してしまった。そのあと、江戸博の『大(Oh!)水木しげる展』にも貸し出されていたような気がする。後世に残る仕事だと思う。

 面白かったのは、展示室4。三井記念美術館所蔵の能面の名品に、それが使われる謡曲のあらすじ、関連する絵巻物や絵画作品をあわせて展示。ふだん「古典」と思って敬遠しがちな能面も「鬼と妖怪」のフレームに置いてみると、子供たちも食い入るように眺めている。能面の「天神」「顰(しかみ)」とか、怖いよねえ。単なる暴力性でなくて、狂気に近いものが感じられて、怖いのだ。「大飛出」とか。逆に癋見(べしみ)は天狗の役に使うそうだが、素朴な力強さの中に愛嬌があって好きだ。あと男の鬼神には角がないのに、鬼女の「蛇」「般若」には角があるのは不思議。謡曲のあらすじも、読んでみると、奇談・怪談好きの私の琴線に触れるものが多いなあ。

 展示室5は、近世の百鬼夜行図や化物尽くしの諸本を並べていたが、愛知県の西尾市岩瀬文庫からの出品が多いことが目を引いた。色鮮やかな善本多し。所蔵品のデータベース化が一段落して、こういう有効活用ができるようになったんだな、と感慨深く感じた。

 最後の展示室は、水木しげる氏の描く妖怪画。私は、素直に妖怪を信じていた子ども時代も、生意気盛りの中高生時代も、長じてからも、ずっと水木しげるファン(かつ妖怪大好き!)なので嬉しかった。精密なペンタッチに繊細な色彩を施した「河童」の図は、中学生の頃、横長の『妖怪事典』シリーズで印刷図版を見て以来のお気に入り。半ば異界の住人となっているとも言われる水木先生だが、どうぞいま少し人間界にとどまっていてください。
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絵画と博物画の間/大野麥風展(東京ステーションギャラリー)

2013-08-29 22:42:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京ステーションギャラリー 『大野麥風展「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち』(2013年7月27日~9月23日)

 東京に出張することになり、羽田に到着してから仕事まで、少し余裕があった。どこか時間をつぶせるところがないかな?と探しているうち、この展覧会を見つけた。

 大野麦風(1888-1976)の名前には、もちろん覚えがある。画家というより、博物画家としてだと思う。ネットで検索してみたら、荒俣宏さんが、古本屋の店頭で15年間も眺め続けた『大日本魚類画集』を、『帝都物語』がベストセラーになって印税が転がり込んできたので、ついに入手できる!と意気込んでいたら、他人に売れてしまった、というエピソードが出てきた(ほぼ日刊イトイ新聞)。たぶん私が麦風の名前を覚えた最初は、80年代の荒俣さんの著書だろう。

 しかし、博物画のつもりで見に行ったら、いろいろびっくりした。まず、代表作の『大日本魚類画集』が、水彩でも油彩でもなく「木版画」であるというのが信じられなかった。う、うそだろ!! 嘘ではなくて、ちゃんと版木もあり、原画と摺り見本と完成品を並べたコーナーもあるのだが、とにかくその「技術力」がすごい。

 また、麦風は、純粋に「科学のため」に活動した博物画家とは違って、白馬会・太平洋画会・光風会などに出品し、第1回帝国美術院展覧会にも入選した作家(芸術家)でもある。だから、その作品は、魚を魅力的に、美しく見せる「仕掛け」に満ちている。自由に姿態を変えながら、あたかも三次元の水槽を泳ぎ回る魚たち。どこか人間くさい表情(魚なのに)。水草、砂地など、逆巻く波涛など、効果的に描き添えられた背景。いや面白かった。見ているほうも水の底で、魚の一員になってしまったような、この季節にふさわしい好企画。図録を買って帰ろうかと思ったが、現物が素晴らしすぎて、断念した。
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東京旅行・行ったもの(美術館)メモ

2013-08-25 17:51:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京出張のついでに見てきたものメモ(なかなかレポートが書けない…)

・東京ステーションギャラリー 『大野麥風展「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち』(2013年7月27日~9月23日)
・東京国立博物館 特別展『和様の書』(7月13日~2013年9月8日)→2回目
※特集陳列
『和様の書-近現代篇-』(2013年7月13日~9月8日)
『断簡-掛軸になった絵巻-』(2013年7月17日~8月25日)
『中国の絵画・書跡 市河米庵コレクション・中国書画文房展』(2013年8月6日~9月23日)
…など、もろもろ。
・サントリー美術館 『生誕250周年 谷文晁』展(2013年7月3日~8月25日)
・三井記念美術館 特別展〈美術の遊びとこころVI〉『大妖怪展-鬼と妖怪そしてゲゲゲ』(2013年7月6日~9月1日)
・そごう美術館 『福岡市博物館所蔵 幽霊・妖怪画大全集』(2013年7月27日~9月1日)

以上。
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2013道南旅行・食べたもの

2013-08-22 22:44:52 | 北海道生活
8/17(土)から8/21(水)まで、北海道民になって初めての「道内旅行」に出かけた。江差・上ノ国・松前・函館の史跡+古寺巡礼が目的。悪天候による交通トラブルに振り回されたが、なんとか綱渡り的に所期の目的は達成。

詳しくレポートしたいのだが、明日からの東京出張の用意をしなければいけないのに、眠い。

というわけで、とりあえず食べたもの。

初日の夕食、江差のそば屋でビールを注文して「何かつまみになるようなもの下さい」とたのんだら、メニューにないのに出してくれた鰤大根。美味かった。



二日目の松前は温泉旅館・矢野の「郷土料理プラン」。たまには、こういうのもいいねえ。ビジネスホテルの素泊まりプランばかりじゃなくて。



三日目、函館(湯の川温泉)はスタンダードな夕食プランだったので、食後にレストランでビールを飲みながら餃子をつまむ。



めずらしく年相応な大人の国内旅行でした。
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2013道南旅行・函館

2013-08-20 23:58:02 | 北海道生活
 8/20(火)函館。市電で「湯の川」から「谷地頭」に出る。今日は元町の洋館めぐりが中心だが、その前に高野寺(こうやじ)に寄る。本尊は高野山金剛峯寺大日堂から下付された藤原期の大日如来で、道内唯一の彫刻部門の重要文化財だという。北海道三十三観音霊場1番札所。



ここも本堂は閉まっていたが、御朱印と一緒に拝観をお願いしてみると「どうぞ、ご縁ですから」とご快諾。おお~うまく行き過ぎて、嘘みたい! 市立函館博物館のページ「函館市の文化財」に写真と解説があるので、リンクを貼っておこう。大日如来としては、めずらしいくらい優美な仏像だった。京都や奈良にあったら、絶対、仏像ファンが付いていただろうなあと思うと、人知れない今の状態は、幸運なのか不運なのか…。

お寺の方が在宅のときなら、いつでも拝観させていただけるそうだ(法事などで対応できない場合もあり)。こちらも、松前の阿吽寺さんも、御朱印のお代(志納)とともに拝観の御礼をお納めしようと思ったが、受け取ってくださらなかった。

・函館公園内の市立函館博物館へ。その前に、写真のかわいい洋館は「旧函館博物館一号」で「日本の地方博物館として最も古い歴史がある」建物だという。



本館では平成25年度企画展『新島襄と幕末の箱館』(2013年6月14日~9月1日)を開催中。あまり興味はなかったが、とりあえず見る。同展のポスターに使われている、どこか間の抜けた新島襄の写真が「アメリカ留学中、変装して日本を脱出した折の自分を再現コスプレしてみせたもの」だと分かって、なんとなく腑に落ちた。それから、いわゆる「箱館戦争」というのが、いまの函館市に限ったものでなく、江差や松前など、道南一帯を巻き込んだ広域戦争だったことを、あらためて認識する。自分の国の歴史さえ、こんなに分かっていないんだなあ。

博物館内にいる間に一雨通り過ぎた模様。再び市電で「函館どっく前」へ。これで函館の市電は全路線を制覇。太刀川家住宅、中華会館など、洋館めぐりのメインストリートに到着する前に、また雲行きがあやしくなる。慌てて、観光案内に載っていたカフェ「グリーンゲイブルズ」に飛び込み、昼食をとりながら、雨をやり過ごす。ファンシーすぎて、自分に不似合いで笑ってしまった。

・雨も上がったところで、時間が遅くならないうちに函館市北方民族資料館へ。と思ったら、実は4月~10月は午後7時まで開いている素敵な資料館で、心配無用だった。収蔵資料展『北の神々と霊魂の世界-祈る・占う・信じる-』(2013年7月27日~11月4日)開催中。複製や写真パネルが多いが、初めて見る資料も多く、興味深かった。同館のコレクションにかかわりの深い児玉作左衛門、馬場脩両氏のパネルが掲げてあった。児玉氏とアイヌ人骨問題については認識不十分なので、まだ意見は述べない。いずれ自分なりの見解を持てるようになりたいと思う。

・旧函館区公会堂。黄色の窓枠、青みかった灰色の壁板。友人は「めずらしい色合い」と言っていたけれど、私はなんとなく既視感を持った。どこで見たのだろう。日本か、それとも北米か。

↓ドレスを借りて写真を撮ることができるサービスがあって、案の定というか、このご一行は中国系だった。


↓敷地内にあった「旧開拓使函館支庁書庫」。函館は、明治40年(1907)年の大火で甚大な被害を蒙っているのだが「この建物はそのときの数少ない無被害の建物だったと想像される」のだそうだ。煉瓦倉庫も、土蔵に負けず、なかなかのものだ。


・函館ハリストス正教会。日本最古のロシア正教会の聖堂。ここも午後7時まで見学できるらしいと分かってのんんびり来てみたら、内部公開は5時で終わっていた。でも外観だけでも、十分に美しかった。



・最後に坂下の東本願寺別院に寄って、元町散歩を終わる。

翌日、友人はフェリーで本州に戻っていった。私は函館駅前の市場をぶらつき、復旧した鉄道で、札幌に帰着。縁のなかった北海道だが、少し歴史を知ると、その土地に愛着が湧いて来る。【8/28記】
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2013道南旅行・松前→木古内→函館

2013-08-19 21:33:49 | 北海道生活
 8/19(月)は北の城下町・松前を歴史散策。松前神社→龍雲院→光善寺→法源寺→法幢寺(松前家墓所)→松前城→阿吽寺→徳山大神宮→松前町郷土資料館。

・松前神社は、松前藩の始祖で若狭武田氏出身の武田信広公をお祀りする。武田菱の家紋にわくわくする。

・龍雲院の本堂は、現在松前にあるお寺の中で最も古い建築。山門に打ち付けてあった「曹洞宗 龍雲院」の額は金子鴎亭の筆。金子鴎亭(1906-2001)は松前出身の書家で、同行の友人の言うには、広開土王碑拓本の所持者としても有名なのだそうだ。松前は鴎亭のゆかりで「書の町」を標榜している。そのせいか、どのお寺の御朱印も格調が高くて、嬉しい。あと、龍雲院の山号「華遊山」が気に入って、いつか自分の号にしたい、とひそかに思う。

・光善寺は、京都百万遍の末寺。桜の名木血脈桜あり。本尊の阿弥陀如来立像は平安末期の乾漆像だという。源義経が寄進したとも言われ、境内に「義経山」の大字を刻んだ石碑(かなりボロボロ)も残る。

・法源寺の山門も北海道の寺社建築としては最古級。日露戦争で没した旧津軽藩将卒を弔う石碑があったが、明治大正の漢文の碑は格調があってよいなあ。『夷酋列像』を描き、「松前応挙」と呼ばれた画家にして、松前藩家老でもあった(←この旅行で知ったこと)蠣崎波響の墓所はこの寺にある。



・法幢寺の山門には、小さな極彩色の四天王が左右に二人ずつ、正面を向いておさまっていた(傘や琵琶は持っていない)。同寺は松前藩主松前家の菩提寺で、裏手に墓所がある。どれも小さめの五輪塔(最下段の地輪が縦に長い)で、小さな石の覆屋に収まっている。本堂左手の御霊屋の格天井には蠣崎波響が花鳥画を描いているが、残念ながら暗くてほとんど見えない。

↓墓所の入口


・松前城に戻る(武田菱に注目!)。暑いのと、少し空腹もあったので、入口脇の売店でソフトクリームを買って舐める。ここで不思議なものを売っていると思ったら、松前城公園の桜の木についている木札の要らなくなったものを1枚100円で売っていた。松前を代表する品種「南殿(なでん)」の札がいちばん多い。面白いので買って帰ることにした。



城内の展示で、松前には蠣崎波響以外にもさまざまな書家や画人がいたことを知る。

・阿吽寺。本尊の不動明王立像は平安後期の作(※文化財オンラインに画像あり)。突然訪ねても拝観はできないよね…と思いながら、御朱印をお願いするついでに「拝観できますか?」と聞いてみた。そうしたら「どうぞ、どうぞ」と快く招き入れてくださった。本堂の須弥壇のさらに奥(!)へ進んでいくので、おそるおそる着いていくと、奥に厨子というか土蔵のような収蔵庫があって、重たい扉を開けると、比較的表情の優しい(平安時代らしい)不動明王が立っておられた。截金模様がよく残っている。ダイナミックな火焔も美しい。箱館戦争で、松前の寺町は多くの堂宇を焼失したが、阿吽寺では土蔵だけが焼け残ったのだという。

↓その土蔵を側面から。


土蔵ってすごいなあ…。京都・冷泉家の御文庫が、応仁の乱のあとに焼け残った話を思い出した。なお、本当こは年に数回、お不動さんの縁日に開扉しているというお話だったと思う(拝観できたことに舞い上がって、忘れてしまった)。

・徳山大神宮。ロシア人ゴローウニン幽閉の地の石碑あり。隣りの松前町郷土資料館は小学校みたいな建物だった。

 松前を離れるバスの時間が近づいていたので、コンビニでおにぎりと飲み物を調達して、昼ご飯とする。昨日と同じ海岸線を木古内に向かう。昨日より海は明るかったが、さすがに本州は見えなかった。各駅停車でのんびり、夕方の函館(湯の川温泉)着。花火が上がっていた。

↓旅行から戻って、自宅に掲げてみた「南殿(なでん)」(桜の品種名)の木札。


【8/28記】

※参考:北海道松前藩観光奉行
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2013道南旅行・江差→上ノ国→木古内→松前

2013-08-18 19:18:05 | 北海道生活
 8/18早朝、江差で目覚める。窓の外は、雨が降ったり止んだり。江差駅発8:09の列車で隣りの上ノ国駅(8:17着)に移動。まだ観光施設が開かないので、何もない駅の待合室で、ぼんやり時間をつぶしていると、だんだん雨も風も強くなってきた。最悪のパターン…。



 ここの見どころは、松前氏の祖である武田信広が、15世紀後半に築いた山城「勝山館」の大規模な史跡なのだ。ガイダンス施設はあるものの、基本的には野外史跡である。相談の末、タクシーを呼ぶことにし、まず洲崎館跡の神社に連れていってもらう。しばらく散策し、続いて山上の勝山館跡ガイダンス施設へ。

 少し雨も風もおさまってきたので、タクシーを帰して「歩いて下りる?」「どうする?」とずいぶん悩んだのだが、結局、外には出なかった。勝山館史跡のふもとにある旧笹浪家住宅を見学して、観光を終わる。円空仏あり。

↓ガイダンス施設に展示されていた勝山館史跡の復元図。驚異的に規模が大きい!


↓これはガイダンス施設のテラスから見た風景。雨はおさまってきたが、まだ強風で木々が激しく揺れている。


 駅前で昼食後、上ノ国を出る列車の出発まで、まだ1時間ほどあった。勝山館に未練を残す友人は、すっかり雨も上がったので「もう一回タクシーを呼んで、上から下まで徒歩で下ってくる!」とチャレンジしてみたのだが(鉄道トラブルの影響を受けて)上ノ国のタクシーが出払っていて、万事休す。また駅の待合室でぐだぐだと時間をつぶす。

 友人任せにした今回の旅行スケジュールの中で、「上ノ国」という地名は全く知らなかったが、勝山館跡はいちばん面白かった。近世以前の北海道の歴史が、急にはっきり見えてきた。松前藩の始祖が、私のヒイキとする武田氏につながりのある氏族(家紋は甲斐武田氏と同じ武田菱)で、さらに大好きな「みほとけの里」若狭(福井県)の小浜とも関係があろうとは! 昨年は二度も小浜の秘仏めぐりに行っているのだが、どこかで武田氏の痕跡には出会っていたかしら…。友人は、龍谷ミュージアムの『若狭・多田寺の名宝』展で見たかもしれない、というのだが、記憶は不確か。さて、家に帰ったら、同展の図録を掘り出せるだろうか。

 午後、上ノ国→木古内へ移動(約1時間)。さらに長距離バスで木古内→松前(約1時間40分)。海岸線の景色が変化に富んでいて飽きなかった。松前では法華寺の境内を散策。本格的な観光は翌日の楽しみとして、夜は温泉旅館で郷土料理に舌鼓を打った。【8/25記、8/27写真など補遺】

※参考:上ノ国(かみのくに)町
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2013道南旅行・札幌→江差

2013-08-17 18:43:52 | 北海道生活
 今年は諸般の事情により、いつものような長い夏休みを取ることを諦めざるを得なくなった。そこで、いつもの中国旅行仲間が、東京から北海道まで来てくれるのに便乗して、私も一緒に道南を周遊することにした。

 出発(8/17)の前日から天気予報は波乱含み…。しかし、朝、起きてみると、雨は上がって、札幌の空は落ち着いている。よしよし、これなら…と思って、札幌駅に行ってみると、何やらゴッタ返している。電光掲示板に私が乗車予定だった7:30発特急北斗の表示がない。アナウンスを聞いてみると、大雨のため、午前中の函館方面行き特急は全て運休とのこと。

 一瞬、家に帰って昼まで寝なおそうかと思わないでもなかったが、午後から復旧するかどうかは分からない。それなら先に進むに如かずと思い、スマホで札幌(新千歳)→函館のフライトを探す。まだ些少だが空席があったので、思い切って予約。そして、行き先を切り替えて、新千歳空港に向かう。

 本州に住んでいたときは、航空会社のメンバーズカードを持っていなかったし、鉄道が運休したときの代替手段として飛行機を考えるって発想は絶対になかったので、自分の変化にちょっと感心する。

↓なんとプロペラ機!って、驚いてはいけないのかな。


 しかし、函館空港→JR函館駅の移動には、けっこう時間がかかり、予定していた江差行きには乗れなかった。何しろローカル線なので、次発を待つこと1時間以上。結局、東京を朝7時の新幹線で出てきて、新青森から急行に乗り継いできた友人と木古内駅で合流。江差に到着したのは16時近かった。

↓一両編成の江差線。来年5月の廃線が決まっているので、鉄道マニアらしき乗客が多い。あとは折り畳み自転車を抱えたツーリング客。


 それでもタクシーで、急ぎ旧市街に出て、旧中村家住宅と旧檜山爾志郡役所を慌しく観光。すぐ17時を過ぎてしまったが、まだ明るかったこともあり、法華寺は本堂に入れていただけたし、姥神大神宮でもご朱印をいただけた。ありがとうございます。

↓旧中村家住宅前から旧檜山爾志郡役所を望む。坂の多い狭い港町。


 前の週は姥神大神宮渡御祭という大きなお祭りで賑わったそうだが、この日の町は、観光客の目にはひっそりしていた。ただ、住民のみなさんは祭りの「後引き」の集まりを楽しんでいたらしい。

 旧中村家住宅と旧檜山爾志郡役所(郷土資料館を兼ねる)の展示で、いちばん印象的だったのは、鯡(ニシン)というのが、もともと豊漁・凶漁の差の大きい魚だったこと。江差では、明治45年(1912)と大正2年(1913)の豊漁を最後にニシンの回遊が見られなくなってしまった、という歴史的経緯。自然と生きるというのは厳しいなあ。後日、大正年間以降は、鯡の漁場がもっと北方に移動したとも聞いた。「鯡御殿」って、北海道の日本海側にたくさん点在しているんだな。興味深い。

 ともあれ道南の旅がスタートできたことを喜んで静かな祝杯を挙げ、明日の天候に不安を感じながら江差泊。【8/25記、8/27写真など補遺】

※参考:江差観光コンベンション協会
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2013札幌大通りビアガーデン

2013-08-16 23:27:26 | 北海道生活
8/14(水)小樽から来た友人と初めて行ってみました。ビール、うまかったです!



海外に出かけないで過ごす日本の夏は何年ぶりだろうか?

もっとゆっくりできてもよさそうなものだが、正月から使い始めたスマホが熱暴走して、画像データが飛んでしまったり、夜の涼しさをあなどって身体を冷やしすぎたり(膝痛が再発)、トラブル多発。

仕事も生活もまだペースをつかめないまま、短い夏が終わっていく…。

でも明日からはじめての本格的な「道内」旅行です。準備して、寝なきゃ。

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