1月17日(土)は、新千歳空港8:30発の便に乗り、10:50には関西空港に着いているはずだった。ところが、折からの猛吹雪。除雪が追いつかず、飛行機がターミナルビルに近寄れないので、バスで滑走路に移動し、タラップ(さすがに屋根付き)で乗り込んだ。天候の回復を待って、なんとか飛び立ったのは11:00過ぎ。関空到着は14:00近かった。特急「はるか」で京都に着いたのは15:30頃。とりあえず、見逃せない
京博に向かう。
■特別展示室 特別展観『山陰の古刹・島根鰐淵寺の名宝』(2015年1月2日~2月15日)
鰐淵寺(がくえんじ、島根県出雲市)は、推古天皇の勅願で建立されたと伝える古刹。全然知らなかったけど、
出雲観光ガイドのページを見ると、山陰屈指の紅葉の名所で、滝の裏の岩壁に蔵王堂が設けられていたり(三朝の投入堂みたい)、弁慶の伝説があったり、いろいろと興味深い。『梁塵秘抄』にも登場するのだそうだ。
その鰐淵寺が、平成27年に33年ぶりにおこなう本尊ご開帳を記念する特別展観。印象的だったのは、銅造不動明王像の「残欠」(平安時代、12世紀)。型抜きして造られるはずだったのだろう。へそから上の、前面しか残っておらず、周囲には余分な銅がついたまま。失礼ながら、「羽根つき鯛焼き」みたいな状態である。しかし造形は素晴らしく、胸には瓔珞、肩には草花を繋いだような飾りが見える。本来、不動明王の胴体でなかったのでは?と疑ってしまったが、平安時代の不動明王って、華麗・優美なんだな。
銅造観音菩薩立像は、台座に「壬辰年五月」云々と陰刻があり(壬辰は読みにくい)、解説に持統6年(692)のことという。あごが低く、つんと唇を突き出した顔立ちが、木訥とした田舎の少女のよう。同じ頃の別の銅造観音菩薩(奈良時代、8世紀)もあって、充実した肉付きと腰のひねりは、唐風というより、南アジア風を思わせる。たくさんあった男女の神像(平安~鎌倉時代)も興味深かった。それにしても、持統天皇の御代の島根県というと、柿本人麻呂の存在が浮かぶなあ。まあ石見だけど。
図録が制作されていなかったことは遺憾。簡単なものでも作ってほしかったが、展示室内の解説に「はっきりしない」「意味が不明」「研究の余地がある」などの文言が頻出していたことを思うと、時期尚早という判断があったのかもしれない。なお、特別展示室は、フロアマップのとおり、1階の彫刻展示室の隣りに設けられていた。
それから、1階と2階の常設展示を一回り。どの部屋も楽しかった!
■1階(彫刻)『密教彫刻/日本の彫刻』(2015年1月2日~3月1日)
「密教彫刻」には、宋風のキリッと美しい如意輪観音坐像。透玄寺は寺町四条下ル。浄教寺の隣の隣である。ううむ、あんな繁華街に。なぜか京博に福岡・観世音寺伝来の不動明王立像があることも知った。「日本の彫刻」には、岩倉の長源寺の薬師如来、八瀬の念仏堂の十一面観音、梅ケ畑の地蔵堂の地蔵菩薩と、洛北の仏様が並んでいた。宝生院の毘沙門天立像は、後白河法皇の念持仏だったと伝える。八頭身というが、十頭身くらいありそう。怒りの表出は控えめで、スマートで端正な毘沙門天。
■2階(近世絵画)『近世の障壁画(桃山~江戸時代)』(2015年1月2日~2月8日)
2階の絵画展示室は、近世も中世も中国絵画も、障壁画が多くて、展示数が少なめだったので、ちょっと残念な気がしたが、作品はよかった。特にこの部屋。伝雲谷等顔筆『梅に鴉図襖』は1枚が1間くらいある大きな襖が計6枚。大寺院の方丈の威厳を彷彿とさせる。天球院の『梅遊禽図襖』(狩野山雪・山楽筆)は、望んでもなかなか見ることのできないもので、嬉しかった。
■2階(中世絵画)『描かれた動物たち』(2015年1月2日~2月8日)
単庵智伝筆『龍虎図屏風』6曲1双(慈芳院)は、現存する龍虎図屏風としては最古の作例。室町時代の終わり頃だという。
■2階(中国絵画)『華麗なる中国の花鳥画』(2015年1月2日~2月8日)
来舶画家の張莘(ちょうしん、張秋穀)筆『四季花卉図屏風』6曲1双はぜひ欲しい。原画を押絵貼屏風に仕立て直したもの。こういうリアルで装飾的な明清の花鳥画があって、江戸の絵画が生まれたんだなあというのは強く感じる。