○川口澄子:画と文『お茶のすすめ:お気楽「茶道」ガイド』 WAVE出版 2012.4
仏像や古美術(書画)好きが嵩じて、だんだん骨董・陶磁器に関心が広がり、必然的に「茶の湯」にたどりついてしまった。備前がいいとか楽茶碗が好きとか、茶道具の好みを語ったりもしているが、実践が伴わないので、本当のところ、お作法は何も分からない。やっぱり、敷居が高いのである。
知識や格式の問題ではなくて、私は、あるルールに従って自分の身体を動かすことがものすごく苦手なのだ。簡単には「不器用」という。お茶のお稽古に踏み出す勇気は、おそらく当分持てないだろう。だけど、茶道の世界をちょっと覗いてみたい。ほのぼの系のマンガと画文で構成された本書は、そんな私にぴったりのガイドブックだった。
著者の川口澄子さんは、1973年兵庫県生まれの「画工」さん。中学、高校と女子校で過ごし(女子校育ちだw)美術館や史跡・骨董市めぐりを好み、愛読雑誌は「サライ」「太陽」で、友人から「おぬしはその道を貫け」と言われていたことが、本書の中ほどに出てくる。絵を学んでいた学生時代、建築学科の友人の紹介で茶室を見学に行ったことが縁となり、お茶を習い始める。
この先生が偉い。作法も何も知らない(しかも普通の若者以上に発想も行動も自由な、芸術専攻の)学生を相手に、ルールを押しつけず、ゆっくりお茶の奥義と楽しみを教えていく。「忍耐と書いて先生と読む」とは、よくぞ言ったもの。
最初に著者が学んだのは、お茶室にはだしはNGであること。お茶室は、お稽古をする人にとって神聖な修行の場であるから、白い足袋、あるいは白い靴下で、礼を形にあらわす。お寺など、貴重な古建築の拝観でも、足の脂が床につくので、はだしは嫌われる。夏でも鞄に靴下をしのばせていくのがマナー(訪問先への心づかい)だという。私も実践しよう…。
茶会のお手伝いのあとの先生のお言葉、「メインの手伝いより、誰でもできる雑用をきっちりこなし、信用を得るのが先。声をかけられるまで、ジャマにならないところで待機するのも手伝いですよ」には、社会人として深くうなずいた。そして、23歳でこれを聞いて、39歳の現在まで覚えている著者も偉いと思う。
本書の話題は、着物の着かた、立ちかた・座りかた、抹茶の種類、茶室のしつらえなどにも及ぶ。茶菓子やお道具の紹介には、カラーイラストやカラ―写真が用いられていて楽しい。なるほど、マドラーやティースプーンを茶杓に見立てたり、つまようじ入れを茶入にしてもいいのね。さりげなく挿入されているエピソードで、著者がお稽古で茶杓を折ってしまったとき、先生が平然と「つくろいに出しますから」と言っていたのにも感じ入った。こういう先生だったら、不器用な私でも入門してみたい。
川口澄子さんは、九州国立博物館の『黄檗』展のイラストを書かれた方。少し絵の雰囲気を変えている(本書のほうが”ゆるい”)ので、はじめ思い当たらなかったが、読んでいるうちに気がついた。

知識や格式の問題ではなくて、私は、あるルールに従って自分の身体を動かすことがものすごく苦手なのだ。簡単には「不器用」という。お茶のお稽古に踏み出す勇気は、おそらく当分持てないだろう。だけど、茶道の世界をちょっと覗いてみたい。ほのぼの系のマンガと画文で構成された本書は、そんな私にぴったりのガイドブックだった。
著者の川口澄子さんは、1973年兵庫県生まれの「画工」さん。中学、高校と女子校で過ごし(女子校育ちだw)美術館や史跡・骨董市めぐりを好み、愛読雑誌は「サライ」「太陽」で、友人から「おぬしはその道を貫け」と言われていたことが、本書の中ほどに出てくる。絵を学んでいた学生時代、建築学科の友人の紹介で茶室を見学に行ったことが縁となり、お茶を習い始める。
この先生が偉い。作法も何も知らない(しかも普通の若者以上に発想も行動も自由な、芸術専攻の)学生を相手に、ルールを押しつけず、ゆっくりお茶の奥義と楽しみを教えていく。「忍耐と書いて先生と読む」とは、よくぞ言ったもの。
最初に著者が学んだのは、お茶室にはだしはNGであること。お茶室は、お稽古をする人にとって神聖な修行の場であるから、白い足袋、あるいは白い靴下で、礼を形にあらわす。お寺など、貴重な古建築の拝観でも、足の脂が床につくので、はだしは嫌われる。夏でも鞄に靴下をしのばせていくのがマナー(訪問先への心づかい)だという。私も実践しよう…。
茶会のお手伝いのあとの先生のお言葉、「メインの手伝いより、誰でもできる雑用をきっちりこなし、信用を得るのが先。声をかけられるまで、ジャマにならないところで待機するのも手伝いですよ」には、社会人として深くうなずいた。そして、23歳でこれを聞いて、39歳の現在まで覚えている著者も偉いと思う。
本書の話題は、着物の着かた、立ちかた・座りかた、抹茶の種類、茶室のしつらえなどにも及ぶ。茶菓子やお道具の紹介には、カラーイラストやカラ―写真が用いられていて楽しい。なるほど、マドラーやティースプーンを茶杓に見立てたり、つまようじ入れを茶入にしてもいいのね。さりげなく挿入されているエピソードで、著者がお稽古で茶杓を折ってしまったとき、先生が平然と「つくろいに出しますから」と言っていたのにも感じ入った。こういう先生だったら、不器用な私でも入門してみたい。
川口澄子さんは、九州国立博物館の『黄檗』展のイラストを書かれた方。少し絵の雰囲気を変えている(本書のほうが”ゆるい”)ので、はじめ思い当たらなかったが、読んでいるうちに気がついた。