〇佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』(星海社新書) 星海社 2018.3
近年、中国大陸では、金文・竹簡・帛書などの文字資料(出土文献)が陸続と発見され、古代史の研究状況が劇的に進展している。にもかかわらず、日本の教科書などは、十分なアップデートができていないという。本当なら残念なことだ。本書が扱う年代は、前21世紀頃から前1世紀頃まで。「夏、殷」「西周」「春秋」「戦国、秦、前漢の武帝の頃まで」を各章で取り上げ、中国古代史研究の進展を総合的に概観するとともに、各時代特有の問題がよく分かる構成になっている。
第1章は、殷王朝の話題から始まる。私も高校時代に「甲骨文字は漢方薬から」というエピソードを聞いたくちだが、甲骨文の発見にはいくつか異説があるそうだ。王国維は伝世文献と出土文献を照らし合わせる手法によって、殷王の系譜研究に取り組んだ。ただし、伝世文献と出土文献の立場は対等ではなく、後者は前者を検証するための材料であったことに注意が必要である。この背景には、伝世文献に対する「疑古」の風潮への批判があった。確かに伝世文献への安直な信頼(信古)は問題だが、疑えばいいというものでもない。
殷墟の発掘の進展によって、殷王朝の実在は考古学的に認められた。私は、安陽の殷墟博物館には2005年に行ったことがある。「軍隊を率いた王妃」である婦好の墓と埋葬品を見たことは記憶していたが、彼女が「出土文献にしか名前が見られない人物」だというのが興味深いと思った。あと、甲骨文と殷墟に関して、日本の学者(特に東京帝大系)に懐疑論が強かったということも初めて知った。
殷の1つ前の王朝は夏である。中国では20世紀末に「夏商周断代工程」(断代=年代の確定)というプロジェクトが実施されて研究が進み、21世紀に入ると、日本の研究者も、二里頭遺跡(河南省偃師市)を拠点とする勢力が殷以前の王朝であると認めるようになった。ただし、伝世文献に見える夏の諸王の実在を証明する出土文献が見つかっているわけではない。「殷以前の王朝の実在」を「夏王朝の実在」と同一視してよいのかといえば、大いに問題がある。この論点はよく分かった。なお、四川省の三星堆遺跡についても、『華陽国志』『蜀王本紀』に見える「古蜀王国」との関係が指摘されている。「中国考古学の文献史学指向」は、研究者的には自戒ポイントらしいけれど、素人には魅力的に見える。
次に西周については、青銅器の銘文(金文)が重要である。しかし金文紀年による西周王年の復原には、さまざまな異説があり、「夏商周断代工程」の年表は、新発見があるたびに修正を迫られているという。また、青銅器には、非発掘器をどう扱うかという問題がある。出土の経緯が分からない骨董品の場合、偽器偽銘の疑いがつきまとうためである。これについては、もちろん注意は必要だが、むげに排除する必要はないのではないかと思う。近年、中国の博物館が、積極的に青銅器を購入しているという話も面白かった。
春秋史の研究は、他の時代とは異なり『春秋左氏伝』(左伝)の読解に尽きる状況だという。竹簡、盟書(玉製あるいは石製)、金文など、数少ない新史料が紹介されていて興味深いが、伝世文献の解釈に大きな影響を与えるような出土文献は出現していない。
最後に戦国秦漢期については、1970年代以降、貴重な考古学的発見が相次いだ。秦始皇帝陵の兵馬俑も、曾侯乙墓も、馬王堆漢墓も70年代の発見である。もし自分が百年前に生まれていたら、これらの存在を知ることもなかったのだなと思い、感慨を深くする。正直にいうと、私は出土文献より出土文物に興味があるので、陵墓の構造とか副葬品とか、そこに表された死生観の話は非常に面白かった。兵馬俑は秦の一般の軍隊ではなく、儀仗的な役割を持つ近衛兵をモデルにしていたのではないかとか、始皇帝陵では鎮墓獣が見つかっていないことから、兵馬俑は鎮墓獣の類に相当し、辟邪の役割を担うこと、しかも始皇帝が滅ぼした東方六国の人々の霊魂を恐れたので、東を向いている(曾布川寛氏の説)とか、後学のためここにメモしておく。また、この時代の出土文物からは「死者は地下の墓室で生前と同様の生活を営む」という発想と「死者の魂は天上世界へ昇天する」という発想が共存していたことが窺える。複数の死生観が混在するというのは、近世までの日本にも言えるので、そう珍しいことではないと思っていたけど、実は注意すべきことなのかもしれない。
戦国秦漢期の出土品で最も注目を集めているのは竹簡である。ということで、竹簡(および帛書)の発見の歴史を前近代からおさらいする。主たる内容は、むかし読んだ湯浅邦弘氏の『
諸子百家』を思い出すところが多かったので省略するが、終章では、2011年に発見された劉賀(前漢の第9代皇帝、廃帝)の墓とその出土文献(儒家の書が多い)など、最新の研究成果も紹介されている。中国古代史は、素人の抱く印象とは裏腹に、アクティブに変化し続けている研究領域であることを感じた。