2日目は半日かけて上海から鎮江まで一気に移動。専用車(大型バス)の運転手の施さんは年配客に親切な若者だった。上海からスルーガイドの陸さん(男性)が同行。なお、江蘇省の鎮江、揚州、南京では、それぞれローカルガイドさんが加わった。鎮江までの中間地点、常州のサービスエリアでトイレ休憩。ここは近くに「中華恐竜園」というテーマパークがあるので、サービスエリアも全体にジュラシックパーク仕様。
鎮江では小雨のパラつく中、金山寺へ。小高い丘(金山)の上に立つ慈寿塔に向かって、黄色い壁に囲まれた巡路を登っていくと、前回来訪の記憶がよみがえる。私は2004年にも、今回とだいたい同じ江南の各都市を訪ねているのだ。なお2004年の江南旅行の記録は、最近まで別のサイトに公開していたが、今年4月にそのサイト(geocities)が終了になったので、このブログ内に取り込んである。
金山寺が「白蛇伝」の舞台であることは、鎮江のローカルガイドさんが何度も強調していた。むかしから物語の梗概は知っていたけど、2016年に見た京劇公演を思い出して、感慨深かった。それから、前回の記憶にない発見もいろいろあった。これは境内の堂宇内にあった読書室(読経室)。静かに書物を開いているおばあさんがいた。
昼食後は古西津渡街(宋街)を散策。長江に面した、むかしの港(渡し場)の跡で、平地から小高い丘の中腹に向かって石造りの街並みがきれいに整備されている。レストランやホテルが並ぶ平地一帯は、ガイドさんによれば「もとは工場の敷地でした」とのこと。当地の開発については「鎮江市西津渡街における観光開発に関する一考察」(張彗娟)という論文(日本語)をネット上で読むことができ、興味深い。左右の観光商店をのぞきながら石段をしばらく上がると、T字型に交差した細道が、丘の中腹に張り付くようにうねうねと続いている。突然、視界に入ったのは、石積みのアーチの上の白塔。「昭関」の文字が見える。
これ!2004年にも確実に見た白塔である。↓下は2004年の写真。あまり変わっていない。もっとも上の写真は、観光客のいない一瞬の隙をねらって撮ったもので、実際は、ひっきりなしに観光客の波に襲われていた。
さらに進むと、鎮江博物館の商店があり、鎮江名産の黒酢に加え、こじゃれたミュージアムグッズなどを置いていた。道の突き当りの右側には鎮江博物館の本体が。2004年には大々的な改修工事中だった建物である。懐かしい。
そして、2004年にはこの細道「小碼頭街」をずっと歩いたことを思い出した。来た方向に戻っていくと、うねうねと続いている。かつてはもっと生活感にあふれた通りだったと思うが、現在は観光客相手の商店が左右に軒を連ね、古い外観にもかかわらず、バッグや洋服など、現代的な高級品を置いている店もあった。
中にはこんな店も。「江南一絶 洪七公叫花鶏」。それは杭州名物だろ!なんて、かたいことは言わない。
さらに三国志ゆかりの北固山へ。孫権の妹・尚香と劉備の婚儀にちなむ古甘露寺がある。また孫権と劉備が刀で切ったとされる試剣石が入口にあったと記憶していたが、今回は立ち寄らず。山上の楼閣から焦山(今回は観光に含まれず)とその塔を遠望する。またいつか来られるといいなあ。
これで鎮江の観光を終え、揚子江を北岸へ渡って、今夜の宿泊地である揚州へ。夕食後、オプショナルツアーである「春江花月夜ショー」鑑賞に参加する。このツアーには揚州と杭州で2回のオプショナルツアーが用意されていて、どちらか1回は行ってみようと思っていたのだが、参加者の中に中国のエンターテイメント大好きなおじさんがいて「それは両方行くべきだ!」と強く勧められ、2つとも行くことにしてしまった。今夜のショーは痩西湖公園の野外劇場で行われる。専用車で劇場へ向かう途中、いくつか気になる建造物を車窓から眺めた。いずれも2004年の旅行で見た記憶のあるもの。
道路の中央分離帯にある石塔。確か唐代のもの。
文昌閣。これは別の日の写真。
たぶん四望亭。前回はオーダーメイドツアーだったが、今回は旅行社企画ツアーなので、ちょっと寄り道して!というような気楽な注文はできない。史跡の存在を車窓から確認できただけでも幸運とする。
さて「春江花月夜ショー」は、揚州の歴史や文学を題材にしたもので、まあまあ面白かったが、この日は小雨のパラつく肌寒い日で、野外劇場はお客も少なく寂しかった。苦笑したのは、大運河を開削した隋の煬帝がずいぶん晴れがましくカッコよく描かれていたこと。いいのかそれは。
あと「揚州十日」で清軍の非道ぶりを糾弾するのに、そのあと臆面もなく清代の揚州の繁栄を描くのも、歴史に忠実で面白かった。
(5/6記)