見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

命を生み出す工芸/驚異の超絶技巧!(三井記念美術館)

2017-10-30 22:41:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『驚異の超絶技巧!:明治工芸から現代アートへ』(2017年9月16日~12月3日)

 早い時期から「明治の工芸推し」を表明していた山下裕二先生の監修。同館は、2014年にも特別展『超絶技巧!明治工芸の粋』を開催しているが、本展は、明治工芸と現代作家のコラボレーションを実現した点が新しい。

 明治工芸のジャンルとして取り上げられているのは、七宝、金工、漆工、木彫・牙彫、自在、陶磁、刺繍絵画など。七宝は二人のナミカワ、並河靖之と涛川惣助の作品がたくさん来ていた。私は並河靖之の作品を知って、明治の七宝って素敵!と認識した過去を持つのだが、あらためて見ると涛川惣助の「無線七宝」の超絶技巧に舌を巻く。ぼんやり溶け合うような幻想的な色彩、これが七宝って信じられない。

 金工は正阿弥勝義の『古瓦鳩香炉』とか、漆工は柴田是真の『古墨形印籠』とか、デザインの美しさとは別に、何かに「似せる」ことに徹した超絶技巧は、それだけで魅力的である。極めつけが安藤緑山の木彫。キュウリ、トマト、茄子、パイナップルとバナナ、葡萄。どう見ても、切れば汁の滴る植物である。みずみずしい、しかし明日には萎れる植物にしか見えない。緑山の木彫は、緑山の個性を強く感じるのが、自在は、あまりにも対象に没入しすぎて、作者性をあまり感じない気がする。ほとんどロボットに近い。高瀬好山の『飛鶴吊香炉』は、翼をひろげた銀色の鶴が美しくて、欲しいと思った。

 美的には、旭玉山の木彫がどれも気に入った。白木の文箱や硯箱の蓋や中蓋に写実的な花鳥を浮き彫りにして、その部分にだけ彩色を施す。品があって愛らしい。これ、多少クオリティを落としても復刻してくれたら買うわ~と思った。気になって「旭玉山」の名前で自分のブログを検索したら、象牙製の小さな人体骨格(芸大所蔵)をつくった人だと分かった。面白いなあ。

 会場では、明治工芸と現代アートが入り混じって置かれており、解説プレートを見ると、区別できるようになっている。全く明治工芸にはない手法やコンセプトなので、一目見て現代アートと分かるものもあれば、すぐに判別できないものもある。前原冬樹の木彫『一刻:皿に秋刀魚』は呆れたというか、笑ったというか。こういうセンスは少し明治人っぽいと思った。1980年代生まれの若い芸術家が「自在」(金工だけでなく、黄楊など違った素材でも)をつくっているのも面白かった。

 とても気に入ったのは、佐野藍の『Python(パイソン)xxx』と『ピンクドラゴン』。どちらも白い代理石の表面に浮かぶ微かな模様を活かして、うずくまる爬虫類を彫り出している。中国の玉や石の工芸で使われる技法だ。本郷真也の『流刻』は金工で、雌雄の巨大なオオサンショウウオを表す。無生物と生物の境界があやふやに見えてくることが、この展覧会の魅力のひとつだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何でも描ける/狩野元信(サントリー美術館)

2017-10-29 23:02:17 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 六本木開館10周年記念展『天下を治めた絵師 狩野元信』(2017年9月16日~11月5日)

 狩野派の始祖・正信の息子、二代目・狩野元信(1477?-1559)は、卓越した画技を持ち、歴代の狩野派絵師の中で最も高く評価されてきた絵師。和漢の両分野で力を発揮し、大画面から小品まで、多様な注文に素早く対応することで多くのパトロンを獲得し、狩野派の礎を築いた元信の画業を紹介する。9月のうちに一度見に行ったのだが、感想を書かずにいたら、だいぶ印象が薄れてしまった。この週末、再訪した会場の様子を中心に、ときどき前回の記憶を挟みながら書いておく。

 会場に入ってすぐ『四季花鳥図』(旧大仙院方丈障壁画)4幅が目に入る。右端は、渺々たる水面の岸でくつろぐ小鳥、中央には華やかな紅白の牡丹に、姿の珍しい綬鶏(ジュケイ)。左端に視線を移すと、激しいしぶきをあげて落下する水流、それを覗き込む樹上の小鳥たち。たぶん元信のいちばん有名な作品で、本展のチラシやポスターにも使われている。「この場面の展示は10/18→11/5」とあるように、ようやく展示が始まったところだ。序盤は『四季花鳥図』の別の4幅が出ていた。やはり茫洋と広がる大河か湖の岸に松の枝や花鳥を描いた図。解説パネルを見て、序盤に出ていた4幅の右端が、現在の4幅の左端と90度の角度で連なっていたことを知る。流れ落ちる滝の描写が、カナメの位置に来るのか。頭の中で、室内の光景を再構成してみる。

 現在、京博で開催している『国宝』展の解説記事をいくつか読んだ中に「応仁の乱」(1467-1477)を美術史の画期と考える見方があった。「戦前派」は中国美術がお手本であるのに対し、「戦後派」(等伯など)は日本独特の美意識を作り出した、というもの。元信は生没年からみると「戦後派」だが、中国美術をがっちり学び、自家薬籠中のものにしている。ということで、本展には、日本各地に残る中国美術の名品が驚くほどたくさん出ていた。

 岡山県立美術館の『採芝図』とか、個人蔵の『猿猴図』(柳の枝にぶらさがる牧谿猿)とか、珍しい作品が見られて眼福だった。東博の伝・呂紀筆『四季花鳥図』も4幅並んだところを見た記憶がない。大和文華館『文姫帰還図巻』は巻替しながら通期の展示だった。

 また、会期の序盤には、父・正信の代表作をいくつか見ることができた。真珠庵の『竹石白鶴図屏風』(鶴の表情がお茶目)、個人蔵の『山水図』(近景には田舎の橋を渡る高士二人、農家、水郷、遠景に屹立する山)など。狩野正信は、あまり意識したことがなかったけど、これは元信より好きになるかもしれない、と思った。

 本展は正信の水墨画を「真」「行」「草」という分類で紹介する。どれも味わいがあってよい。「草」の大作、真珠庵の『草山水図襖』のふわふわした風景も好きだし、序盤に出ていた「真」の京博『真山水図』、現在展示中の栃木県博『山水図屏風』(雪の描写!)も好きだ。真体の淡彩墨画は、図録写真で見るとペン画のように見える。

 私は元信と聞くと、墨画の襖や屏風が思い浮かぶ(それしか浮かばない)のだが、元信には別の一面もあった。展覧会の後半では、極彩色の絵巻、扇面、さらに仏画を紹介。そうか、サントリー美術館の『酒伝(酒呑)童子絵巻』も正信の作品だったのか。現在、酒呑童子の「首が飛ぶ」迫力の名シーンを展示中。漏れ聞くところによれば、同館の学芸員の方が、そもそもこの絵巻を入手したとき、いつか「狩野元信」で展覧会を開くと心に誓った(※参考:インターネットミュージアム)とうのはいい話である。どう考えても京都にゆかりの深い元信の展覧会を、東京で開いてくれたことには感謝しかない。

 扇面絵も多く残る。扇は元信工房の主力商品で、京の名所、風俗、花鳥、動物、中国人物図など、多種多様な図様が伝わっている。面白かったのは仏画・信仰関係。大徳寺の曝涼で何度か見ている『釈迦三尊図』が来ていた。普賢菩薩がオヤジすぎるやつ。序盤に出ていたものに、園城寺の『鎮宅霊符神像』(道教系の神様)があったり、『富士曼荼羅図』があったりするのも自由でいいなあと思って眺めた。

※参考:狩野辻子(狩野元信邸址)を見に行ったときの記。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の研究成果から/雑誌・芸術新潮「オールアバウト運慶」

2017-10-28 22:35:04 | 読んだもの(書籍)
○雑誌『芸術新潮』2017年10月号「オールアバウト運慶」 新潮社 2017.10

 東京国立博物館の『運慶』展の連動企画。個人的に、『運慶』展には必ずしも高い評価をつけていないのだが、本誌の特集は非常によかった。金沢文庫主任学芸員の瀬谷貴之さんの解説がいいとか、写真がいい(やっぱり仏像はこのくらい明暗のあるライティングのほうがいい)とか、伊野孝行さんのマンガが分かりやすいとか、ポイントはいろいろあるけど、最大の理由は作品データの豊富さだと思う。

 まず「運慶全仕事マップ」があって、大方の研究者が運慶作品と認める現存作(約30点)と瀬谷貴之さんが運慶作と考える舞楽面2点を写真で掲げ、文献により運慶が作ったと知られる、または推定される消失作品を絵で示す。絵で示された消失作品が興味深い。鎌倉には、永福寺(廃寺)に薬師三尊、毘沙門天、十二神将、阿弥陀如来、釈迦如来。鶴岡八幡宮には五重塔があって、金剛界大日如来と胎蔵界大日如来と四智如来。さらに大倉御所に勝長寿院、等々、狭いエリアに「運慶仏」がひしめきあっていた、ありし日の鎌倉を思う。京都の神護寺もすごかったんだなあ。近衛基通念持仏の普賢菩薩なんてのも。奈良・東大寺大仏殿には、13メートル(南大門の仁王より大きい)の四天王像、9メートルの観音菩薩坐像と虚空菩薩坐像があったという。すごい。残念ながら、今の私たちに残されているのは「運慶ワールド」のごく一部でしかない。

 次に、個別の「運慶作品カルテ」がNo.17まで。阿弥陀如来坐像と両脇侍、八大童子像などは複数作品で1件のカルテにまとまっていて、写真のほか、所蔵、制作年、法量(大きさ)、材質、指定、運慶作の根拠、見どころが簡潔・的確に記述されていて、これは使える。「運慶作の根拠」は興味深く、体内から銘札が見つかっているものもあえば、伝来、文献、「作風」とか「像内納入品の形式」など、合わせ技で判断することもあるのは、裁判の証拠みたいだ。

 作者・運慶が生きたのは「貴族から武者の世へ」の大転換の時代だった。「主役のみなさん」に似顔絵つきで挙げられているのは、鳥羽院、後白河院、後鳥羽院、信西、清盛、頼朝、北条時政。ええと、一般にどのくらいなじみがあるだろうか。私は大好きな人々である。

 それから仏師の系譜も分かりやすく解説されていた。白河院、鳥羽院の時代に好まれた「円派」の明円。後白河院、清盛に使われた院派の院尊。そして、新興勢力の「奈良仏師」を率いていたのが康慶。奈良仏師は、奈良、特に興福寺を拠点とする仏師集団のことだが、京都でも仕事をしており、三十三間堂の造仏の主たる担い手でもあった。

 重衡による南都焼き討ちの後、興福寺を再建するにあたっては、院派・円派・慶派にバランスよく仕事が割り当てられた。最も格の高い金堂の造仏は円派、講堂は院派だったが現存しない。解説の瀬谷さんいわく「(興福寺は)院派・円派の作品はほぼ全滅したのに、慶派の作品はよく残っているなあ」。偶然とはいえ感慨深い。後世の慶派が完成させた食堂の千手観音像は昭和5年の失火で焼けたけど、しぶとく現存しているしなあ。「慶派推しの坊さんたち」も親しみやすいイラスト入りで紹介されている。文覚、明恵、貞慶…。重源なら「早いし巧いし慶派、使えるわ」ってほんとに言っていそう。

 また、『運慶願経』について、日本中世史の野村育世さんが書いているコラムも興味深い。『芸術新潮』の前回の運慶特集(2009年1月号)は、経の奥書に登場する「女大施主阿古丸」について「傀儡子の過去を持ち、のちに貴族の妻になった人物とも」と紹介していた。これは、さまざまな史料に登場する「阿古丸」を全て同一人物と推定した、かなり無理のある論文が根拠になっている。この説が「なぜか美樹史の世界では広く受け入れられてしまった」そうだ。2009年でも、一般の歴史と美術史にそんな認識の乖離があったこと、『芸術新潮』がいわば前回の訂正記事を掲載していることを感慨深く読んだ。

 鎌倉・永福寺跡の空撮写真にもびっくりした。ただの野っ原だと思っていたら、こんなに整備されて公開が始まっていたのか。この秋は、ぜひ久しぶりに行ってみることにしよう。最後に繰り返して強調しておくが、つくづく写真がいい。構図とか明暗とか、仏像好きを喜ばせる写真が満載である。

 ほかに『長沢芦雪展』、『国宝』展、『ウインザーチェア』と、この秋おすすめの展覧会の記事も楽しめた。巻末の「ちくちく美術館」は『地獄絵ワンダーランド』で、これは元ネタ(素朴絵系地獄図)の破壊力を知っているだけに衝撃度が弱い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二都生活の発見/ときどき、京都人(永江朗)

2017-10-26 21:51:58 | 読んだもの(書籍)
〇永江朗『ときどき、京都人:東京←→京都、二都の生活』 徳間書店 2017.9

 京都駅八条口の近鉄名店街に「ふたば書房」という本屋さんがある。文庫・新書だけでなく、読み応えのある本もおいているので、旅先で本が切れたときには重宝している。それと、さすが京都に関する本の品揃えがよくて、東京で見かけないような本が見つかる。先日は、永江さんの京都本が2冊出ていたので、まとめて買ってしまった。これはその1冊である。
 
 フリーライターの永江朗さんが、京都の古い町家を購入し、改装して住み始める顛末記『そうだ、京都に住もう。』(京阪神エルマガジン、2011)は抜群に面白かった。前著は、著者と奥さんが、東京・京都の二重生活を開始したところで終わる。それから6年、今でも著者は「ひと月のうち1週間から10日間ほどを京都で暮らす」ことを楽しんでいるそうだ。いいなあ。

 「まえがき」に紹介されている二都生活の概略を読むだけでわくわくする。朝ゆっくり新横浜を出て、新幹線で弁当を食べ、昼過ぎに京都着。「わが家」を点検して、1週間分の食材を買いに出かけ、レンタルビデオ店でDVDを借り、夕食は予約した店で食べる。もうこれだけで、ごろごろ転がりたくなるほどうらやましい。そんな面倒な生活のどこがいいのか、と思う人もいるだろうけど、私は、適度に「移動」と「変化」のある生活が好きなのだ。

 本書は「ときどき」生活だからこそ見えてくる京都人の姿、京都の四季、穴場、美味しいものなどがたくさん紹介されている。鴨川の葵橋の近くで野生のヌートリアを見た話、烏丸三条付近でアルパカを見た話には驚いた。市中に蛍の集まるスポットがあるというのは初耳。今度、ぜひ見てみたい。東京のセミは「ミーンミーン」と鳴くが、京都のクマゼミは「シュワシュワシュワー」と鳴くというのはそうそう、と思い当たるところがあった。

 美味しいものといえば、やっぱりパン。気になるパン屋の名前がたくさん挙がっているので、とりあえず書き抜いておこう。ナカガワ小麦店、ブランジュリーまっしゅ京都、ジェムルブルー、花かご、ル・プチメック、アネ、オレノパン、雨の日も風の日も。忘れてならない進々堂。

 それから、観光案内本には登場しない数々の場所。夷川発電所は私も好きだ。隠れた花見スポットでもあるという。京都芸術センター、京都会館あらため「ロームシアター京都」、平安京創生館は、行ったことのない公共施設。京都タワーについての著者の感想は暖かい。今江祥智さんのお通夜のあと、夜の五条大橋を渡りながら、京都タワーを見上げて、灯台のようだと思ったという。心に暖かい灯のともるような短章である。先日、知ったばかりの金閣寺の七重塔(相輪の破片が発掘された)の話や、悪縁切りの安井金毘羅宮の話もあった。
 
 極めつけは、やはり京都の祭りに関するもの。「葵祭」「祇園祭」「送り火(大文字)」「地蔵盆」「時代祭」…私が祭礼好きなので、どの文章にも懐かしさを感じた。毎年、繰り返される祭礼でありながら、今年の宵宵山はすさまじく暑かったとか、台風とぶつかり、大雨の中を巡行する山鉾は迫力があって神々しかったなど、その年だけの感慨が加わるのが面白いと思う。時代祭を、雅楽奏者だった亡き夫の遺骨とともに見物していた婦人の話もよかった。祭礼は、繰り返されることに意味があると、しみじみ感じた。

 紅葉は京都人の一大関心事で、晩秋になると「紅葉はどちらへ?」が挨拶代わりになるという。へええ、私は札幌で暮らしたとき、地元育ちの人から「つい最近まで秋は必ず紅葉狩りに行ったんですよ」と聞いて、そんな古い言葉が生きていたのかと感心したが、京都もそうらしい。「去年の紅葉はだめだった」「その前は見事だった」という記憶が継承されていたり、「どちらへ?」と聞かれて「植物園」と答え、「そりゃまた通ですな」とほめられた話も面白い。観光客が殺到する東福寺や清水寺と答えては馬鹿にされるのだろう、たぶん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謎のコレクター夢石庵を探して/末法(細見美術館)

2017-10-26 00:13:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
細見美術館 『末法/Apocalypse-失われた夢石庵コレクションを求めて-』(2017年10月17日~12月24日)

 釈迦の死後1500年(一説には2000年)を経て始まるといわれる「末法」の世。平安の貴族たちは、永承7年(1052)に末法の世に入るという予言を信じ、極楽浄土への往生を願って、数々の経典や仏像を伝え残してきた。本展は、そんな時代精神の中から生み出された美術作品を愛し、蒐集した、知られざるコレクター夢石庵の全貌を初めて紹介する。

 この謎めいた展覧会に行ってきた。展示室に入ると、細見美術館にしては、いつになく照明が暗い。中央に露出展示の十一面観音立像(平安時代、頭上面は失われている)。あどけないお顔が、比叡山・横川中堂の聖観音を思い出させる。興福寺の乾漆八部衆にもこんな顔の子がいたなと考える(たぶん沙羯羅である)。しかし、上からの強い照明のせいで顎の下に強い影ができ、顔の輪郭も逆三角形が強調されているが、明るいところで見たら印象が違うかもしれない。ちなみ四足の台(机)に載っていて、この台も由緒ありげだった。

 第1展示室は、絵画が4点と、彫刻(立体)が6点くらい。全て仏教美術である。絵画の『愛染明王像』は、暗いけれど、よく見ると豪華。上部には天蓋のような瓔珞、蓮華座から下へ宝物が散っている。立体の『迦陵頻像』は、もとは仏像の光背についていたものと思われる。大きく腰をひねり、踊るように片手片足を上げ、破顔一笑しているのだが、屈託のない笑顔が、なぜか禍々しくて怖い。暗闇のせいか、異形のものだからそう感じるのか。

 また、金色の小さな誕生釈迦仏立像(図録で見ると金色でないので驚いている)と『春日厨子』の展示もあった。誕生仏に比して厨子がかなり大きかったので、この展覧会のために(あるいは旧蔵者が)取り合わせたものだろうと思った。春日厨子は、4枚の扉の内側に絵が描かれている。3枚は僧形の人物なのに、1枚だけ釣り殿ふうの建物に王朝貴族ふうの男性が描かれてていた。その前に数名の女性がいるように見えたが、図録を見たらおかっぱの子供たちで、聖徳太子四歳の兄弟喧嘩の場面だという。なるほど。

 木造天部立像は左右の足の下に一匹ずつ邪鬼がいて、肩を寄せ合い、ささやき合っている様子なのが可愛かった。奥にいらした弥勒菩薩立像(鎌倉時代)は絶品。檀像ふうの強く波打つ衣の襞。大きな蓮華のつぼみの長い茎を両手で支えている。美しすぎる光背と宝冠。眼前にこんな美しいほとけがいては、現世を思い切れないではないかと戸惑うくらい美しい。

 第2展示室に入ると、すぐ目につくのが『印地打図屏風』(室町~桃山時代、前期のみ展示)。意外と大きい。二曲一双で、右半分はかなり傷んで金箔が剥がれている。印地打ちとは小石の投げ合いである。左側は、上下(遠景と近景)に二列の松林があり、右端の松の木は低く、左端は低く描くことで、画面に奥行きを与えている。赤や白の旗、あるいは棒切れや扇を持った人々が集団で争っている。だいたい着物は短く、上半身裸のものも少なくない。いま図録の拡大写真を見ると、全て子供のように思える。右側は黒ずんでいて見にくいが、海が湖がある。上部(遠景)には白く長い布を干して(張りめぐらせて)いる様子。結界なのか? 争いに加わらない見物人もいるようだ。類例を全く見たことのない屏風である。

 応挙の『驟雨江村図』は『七難図』の洪水を思わせるような不穏な雲と水辺の光景を描く。等伯の『四季柳図屏風』は金地と柳の緑しか使わずに四季を表現したオシャレな屏風。金地にエンボス(浮き出し)加工で柴垣を表現しているのも面白い。落款はなかったが、図録によれば「巧みな表現描写から長谷川等伯と認められる」とのこと。司馬江漢の『寒柳水禽図』は洋風画。小さな遠景の建物もしっかり西洋風である。

 「夢石庵」という謎のコレクターの正体が知りたくて、見覚えのある作品はないかと探していたら『普賢菩薩像』に目が留まった。これは知ってる!と思ったら、細見美術館の所蔵品だったので苦笑してしまった。この部屋の左側の展示ケースには、4枚の畳をしつらえ、それぞれ軸物と根来の盤や仏具などが取り合わせてあって、楽しかった。私も自宅にたたみ一畳でいいからこういう空間が持てるようになりたい。

 最後の第3展示室は古経の優品が多数。『紺紙金字法華経(平基親願経)』は、紺紙の扉に彩色あざやかに胡蝶を舞う二人の童子が描かれている。華やかだが、紺紙の空間が孤独感を掻き立てる。『紺紙金字弥勒上生経残闕(藤原道長願経)』は、道長が金峯山に埋めたものだ。たぶん原本の半分くらいの高さしか残っていない、そのちぎれ具合に無常を感じられて、たいへんよい。それにしても解説パネルに「弥勒下生を待つことなく濁世に召喚され、この展示室に集められた」とあったのは、ちょっと古経に(?)感情移入し過ぎで笑ってしまった。

 すごかったのは『金峯山経塚遺宝』で、図録には「安田善次郎、吉川霊華、森田清一、杉浦丘園旧蔵品を中心に、金峯山遺跡を想像復元してみた」とある。大きな平たいケースに、神像、鏡像、懸仏など主に金工品(の断片)が、ごちゃごちゃと積まれている(実は重なり過ぎないよう工夫されている)。よく見ると、開元通宝とおぼしき銅銭も混じっていた。最後に『金銀鍍透彫光背』(鎌倉時代)。風にそよぐような繊細な金銀細工に、赤や青や緑の色ガラス(?)が嵌め込まれている。不在の仏様が目に見えてくるような光背である。

 見に行ったのは金曜の昼下がりで、ほかの観客は数組しか見かけなかった。ときどき、展示室内に自分ひとりだけになる時間があって、自分がこの「夢石庵コレクション」の持ち主になったような気持ちで楽しめた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魅惑と破壊の「鉄の馬」/トラクターの世界史(藤原辰史)

2017-10-24 00:47:31 | 読んだもの(書籍)
〇藤原辰史『トラクターの世界史:人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中公新書) 中央公論新社 2017.9

 はあ?トラクター?と思いながら、おそるおそる読んでみたらとても面白かった。情報豊富で、歴史の新しい視点を手に入れたような気がする。私は完全な都会育ちなので、トラクターが実際に働いているところを見たことがほとんどない。「トラクト」とは「物を牽引する」ことだ。牛や馬に代わって、犂(すき)をはじめ、さまざまな農具を牽引するものとしてトラクターは開発された。

 19世紀半ばにはイギリスで蒸気機関を用いた自走式トラクターが発明されたが、安全性に問題があり、普及には至らなかった。19世紀末、アメリカで内燃機関で動くトラクターが生まれ、20世紀初頭に実用化され、いくつかの段階を踏んで、飛躍的に普及していく。トラクターの大量生産に成功したのは「自動車王」ヘンリー・フォードだったが、フォード社は農機具メーカーでないため、別メーカーの作業機を連結しなければならず、事故が多かった。これに対し、農機具メーカーであるIH社は機能性と安定性を高めて攻勢をかける。一方、フォード社は、作業機との連結部を安定させる「三点リンク」構造を開発し、盛り返す。こういう地味な技術革新が、企業間の競争と素朴にリンクしている時代の歴史は面白い。

 そしてトラクターは世界各地へ広がっていく。まずソ連。資本主義社会アメリカで誕生し、進化したトラクターは、社会主義ソ連において農業集団化のシンボルとなる。著者は、多くの映画や小説を参照して、人々にとって「トラクターとは何だったか」の解明を試みている。ロシアの農民たちが、農業の性急な集団化に戸惑いと反感を持ち、トラクターを「反キリストが乗って来る鉄の馬」と見なしていたというのは、非常に興味深い。さらにドイツ、イギリス。

 20世紀後半、アメリカではトラクター保有台数がピークに達し、その生産は停滞していく。一方、ソ連、ポーランド、東ドイツ、ヴェトナムなど東側諸国では浸透が進む。ソ連製のトラクターは、アジアやアフリカの社会主義国に輸出され、農業集団化と農業の社会主義化の先導役を務めていく。

 中国では、早くは清の末期に外国製トラクターを導入した記録があるが、新中国になって国産トラクターが登場する。ちなみに私は、1980年頃、大学生協主催の中国ツアーで洛陽のトラクター工場の見学に連れていかれたことがある。つまらない経験だと思っていたが、本書を読みながら、20世紀の歴史に触れる貴重な経験だったとしみじみ得心した。

 イタリア、ガーナ、イラン。最後に満を侍して、日本のトラクター史が語られる。日本は、20世紀前半はトラクター後進国であったが、20世紀後半にはトラクター先進国へと劇的な変貌を遂げる。最初期の導入事例は岩手の小岩井農場、北海道斜里町の三井農場、札幌の谷口農場などだ。なるほど、当時は先進的な私営の大規模農場が各地にあったのだな(今もあるのかもしれないがよく知らない)。国産トラクターの先鞭をつけたのは小松製作所である。トラクターは満州国へ人々をひきつけるプロパガンダとしても利用されたが、乗用型トラクターの普及は進まなかった。一方、岡山の藤井康弘、島根の米原清男は、農作業の経験を活かし、苦難の末に日本の農業に適した歩行型トラクターを開発した。

 戦後は国産乗用型トラクターの開発も進む。クボタ、ヤンマー、イセキ、三菱農機。本物のトラクターを知らない都会っ子の私も、テレビで「ヤン坊マー坊天気予報」「燃える男の赤いトラクター」になじんで育った世代である。

 ここには詳しいことは書かなかったが、トラクターは自動車と相似形と言ってもいいくらい、20世紀の人々の夢と憧れを掻き立てた。アメリカの著名な野球選手やロックスターがトラクターのコレクターであるというのも初めて知った。アメリカでもソ連・中国でも、トラクターが女性の社会進出を演出する道具であったことも興味深い。一方で、農業の機械化、特に慣れ親しんだ役畜を手放すことへの強い反発があったこと、けれども時にはトラクター自体が、家畜と同様の親愛の視線で見られていることなど、複雑で多層的な「トラクターの世界史」が描き出されている。

 ただ、解決されていない問題として、「トラクターと化学肥料のパッケージ」の普及による砂漠化(ダストボウル=砂塵の器化)が、アメリカはじめ各地で起きていることは記しておこう。土壌は繊細なバランスの上に保たれている生命空間であり、一見、単純素朴に見えるトラクターという機械も十分に反自然的なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍光院の曜変天目を見る/国宝(京都国立博物館). 第2期

2017-10-22 22:07:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 開館120周年記念 特別展覧会『国宝』(2017年10月3日~11月26日)(第2期:10月17日~10月29日)

 国宝展第1期に続き、第2期も行ってきた。当初は行くつもりがなかったのだが、京都・龍光院の曜変天目が出ると知って、無理やり予定を入れた。SNSを見ていると、平日も混雑しているようなので、なるべく夕方を待ち、15時過ぎに行った。正面ゲートは待たずに入れたが、建物に入ってから10分ほど並ばされた。3階から順序よく見ようと思ったが、2階に「曜変天目は1階です」というプレートを持って立っているお姉さんがいたりして心が乱れるので、やっぱり腰を据えて見るのは1階からにする。

【1階】

・陶磁:奥の展示室に向かう通路の左側に列ができており、「曜変天目を最前列でご覧になりたい方はお並びください。二列目以降でご覧になる方は右手をお進みください」と係員が誘導している。まずは最前列で見たいと思い、列に並ぶ。さほど混んでいなかったので、3~4分で先頭まで進んだ。目に入った曜変天目、内側に白い貝殻のような粒子が散りばめられている。いや釉薬の変化でできた斑点なのだが、あまりにも存在感があって、象嵌か螺鈿みたいだ。え?これなの?青くないの?と予想外の姿に戸惑いながら、ゆっくり展示ケースに沿って歩を進めると、ある角度で、突然、白い粒子の外縁に青い光がきらめき現れる。うお~と感嘆する間もなく、「間を空けずにお進みください」の声に促されて、鑑賞終了。

 二列目以降に下がってゆっくり眺めようとしたが、青い光は茶碗の底にだけあるので(この日の照明の角度による)、上からのぞき込まないと本当の魅力が分からない。もう一回、列の後ろに着き、4~5分で茶碗の前へ出る。これを4回くらい繰り返した。龍光院の曜変天目を見るチャンスは、もう一生ないかもしれないと思っている。なんて書いておくと、意外とすぐに二度目がまわってきたりするのだけど、どうだろうか。ネット上の情報によると、1990年と2000年に東京国立博物館で開催された日本国宝展には出品されたことがあるそうだ。その頃はまだ古美術への関心が薄かったし、今のように展示替え情報を気軽にゲットできる時代でもなかったしなあ。ちなみに今年の春の藤田美術館で、同館所蔵の曜変天目の解説をしながら、龍光院のものに触れて「秋の国宝展にもしかしたら出るかもしれませんね」と注意を促してくれた学芸員さんに感謝。

 曜変天目と『青磁鳳凰耳花入(銘:万声)』のほかは墨蹟。おや見慣れない作品が?と思ったら、竺仙梵僊筆『諸山疏』というもので、これも龍光院の所蔵だった。やや右肩上がりの、勢いがあっておおらかで気持ちの良い文字だ。もうひとつ、蘭渓道隆の端正な筆跡『金剛経』も龍光院のものだった。

・絵巻物:『華厳五十五所絵巻』がいっぱい開いていて嬉しかった。いつも下から尊者を仰ぎ見ている、小さな童子の表情が愛らしい。『信喜山縁起絵巻』は「尼公の巻」。

・染織:第1期と変化なし。

・金工:厳島神社の『紺糸威鎧』は平重盛奉納と伝える。重盛さま! 紺糸にところどころ紫糸が混じり、華やかさを加えているが、これは後世の補修とのこと。胴の弦走(つるばしり)(正面部分)には優美な獅子丸文の染革を張る。

・漆工:第1期と変化なし。

・彫刻:清凉寺の釈迦如来立像がおいでだった。まわりの仏像と比べて色の黒さが目立つ。マホガニーとか、南方系の木材を思い出させる。光背の細工が精緻ですごいが、これも広東やタイの木彫工芸を思わせる。

【3階】

・書跡:今期は空海と最澄の特集。空海は作品によってずいぶん雰囲気が変わるが、あまり意識したことのなかった『金剛般若経開題残巻』の、のびやかな独草体(連綿を用いない、一字ずつ独立した草書)が気に入った。京博所蔵だから、ぜったい以前に見ていると思うけれど。今期は仮名が全然ないというのは、ちょっと寂しい。

・考古:変化なし。

【2階】

・仏画:ほぼ変化なし。『吉祥天像』だけお帰りになっていた。

・六道と地獄:東博と京博の『餓鬼草紙』が並んで出ており、黒山の人だかり。この夏の『源信』展で京博本(餓鬼の救済物語を含む。目連尊者の母の説話など)は見たが、東博本(人知れず跋扈する餓鬼の姿を描く)は見逃したので、順番待ちをして、しっかり見て行く。聖衆来迎寺の『六道絵』は展示替え。『病草紙』は同じ。

・中世絵画:ほぼ変化なしだが、毛利博物館の『四季山水図巻(山水長巻)』が場面替えになっていたので、じっくり見る。墨画の中に投入された淡色が美しい。アニメーションにして動かしてみたくなる。

・近世絵画:『風俗図屏風(彦根屏風)』を久しぶりに見る。ほかは変化なしだが、前回、記憶に残らなかった等伯の『楓図壁貼付』(智積院)をあらためていいと思う。金地の中にちらりと見える池の青が美しい。赤、白、緑など自由な色彩は、江戸琳派につながっていくように思えた。

・中国絵画:個人的に、ここは第2期でいちばん注目どころだと思っている。まず、ふだん一緒に見られない因陀羅筆『禅機図断簡』が3点が集結(丹霞焼仏図、智常禅師図、寒山拾得図)。山梨・久遠寺の『夏景山水図』はたまに東博で見るもの。京都・金地院の『秋景・冬景山水図』2幅も何度か見ている。右隻の二羽の鳥、左隻のサルを見落とすところだった。京都・高桐院の李唐筆『山水図』2幅は、左:滝、右:巨木の並べ方。高桐院では逆なんだけど、京博の定番はこうなんだな。大和文華館の『帰牧図、附牽牛』の2幅も肩を寄せ合うように並んでいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017衆議院選挙前日

2017-10-21 23:45:27 | 日常生活
明日は投票日である。この選挙戦、ドラマか小説のように色々なことがあったけど、立憲民主党の立ち上げこそ私にとっては「希望」の光だった。枝野幸男さんの演説は、はじめ吉祥寺駅前で聞き、SNSを通じて何度も聞いた。だいたい同じことの繰り返しだったけど、聞けば聞くほど共感が深まった。

※10/14 吉祥寺駅前


※10/21 新宿南口バスタ前


今日は夕方から「東京大作戦FINAL」と名付けられた最後の街宣を聞きに行った(そのために京都旅行を「日帰り」にしたのである)。雨の中、多数の人が集まっていて、枝野さんの姿は全然見えなかった。それでも街宣が終わって、自分の選挙区である大宮へ向かう枝野さんが、新南口の改札を入っていくところが間近に見えたので嬉しかった。

今日はこの選挙戦で初めて聞いた福山哲郎氏の演説が心に沁みた。安保法案が強行採決で可決された日、「あの日も雨が降っていた」という言葉を聞いて、いろいろな光景がフラッシュバックした。私が福山さんの名前を覚えたのも、安保法案の審議過程でのことだった。

枝野さんの演説は、現政権への批判をあまり強く出さない。むしろ「政治のあるべき姿」「どんな社会をつくりたいか」というビジョンのほうが印象に残る。どこまで人柄で、どこまで意識的なのか分からないが、すごく新鮮なスタイルである(海江田万里氏とか、共産党の志位和夫氏のストレートな安倍政権批判が、急に古臭く感じられた)。枝野さんのスタイルは、「安倍はやめろ」的な強い言葉で現政権を批判することを好まない層を、かなり巧く捉えたのではないかと思う。

その一方で、やっぱり安保法制やその前の共謀罪に反対するために起こった「市民の政治参加」のムーブメントは、今日の立憲民主党の大街宣までつながっていると思う。私自身、選挙前に政治家の演説を聞きにいくなんて、考えてみるとこれまで一度もしたことがないのに、今日は疑問も持たずに出かけてしまった。

明日、この国が少しでも「まっとうな政治」の方に動いてくれることを期待している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平日の日帰り京都

2017-10-20 23:02:03 | なごみ写真帖
今年度初めての有休が取れることになったので、日帰りで京都へ!

本当はこの土日に1泊旅行を計画していたのだが、東京にほかの予定もあり、衆院選も気になるし、いろいろ困っていたら、昨日の午後、これは金曜に休めるのではないか?ということに気がつき、「できれば休む」宣言してみた。

京都旅行の目的は、細見美術館と国宝展の第2期である。夜間開館もあるので2箇所なら日帰りでも余裕。早めのお昼は百万遍の進々堂で久しぶりのカレーパンセット(店内は写真撮影禁止のため、看板だけ)。



平日でないと参拝できない後白河法皇陵にも、ちょっと寄ってみた。



展覧会のレポートはあらためて。

しかし、たまには他人の働いているときに休める日がないと消耗するなあ…。今日で少し回復。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝、そして末法/雑誌・BRUTUS「国宝」

2017-10-19 21:48:41 | 読んだもの(書籍)
〇雑誌『BRUTUS』2017年10/15号「国宝。」 マガジンハウス 2017.10

 京博の『国宝』展と全面タイアップという感じの誌面である。冒頭に「国宝の基礎知識。」を掲げ、見開きページで解説したあとは、写真いっぱいの国宝紹介。ざっと見たところ、『国宝』展に出陳されない国宝は、取り上げられていないようだ。全て展示期間(1~4期のいずれか、または複数)の注記があり、目立つようにマーカーまで入れてある周到さ。まあ表紙に「京都国立博物館『国宝』展パーフェクトガイド」と目立つように赤丸で表記しているくらいだから、目的が明確で、いいといえばいいのだが。

 国宝紹介の章立ては「盛って足して飾る美学」「古くて新しい縄文の美」「ニッポン女子の1万年」「空海・最澄の仏教革命」「美のタイムカプセル」「『世界』を納めた宝蔵」「美術史の中の応仁の乱」「筆で斬り合う戦国画壇」「帰ってきた雪舟」「天地をも動かす歌の力」である。この見出しを眺めながら、どんな国宝が紹介されているかを推理するのが楽しかった。

 ネタばれになるが、「ニッポン女子の1万年」に薬師寺の『吉祥天像』や『風俗図屏風(彦根屏風)』はともかく、『六道絵(人道不浄相図)』ってどうなの、と苦笑した。「『世界』を納めた宝蔵」が後白河法皇の「蓮華王院宝蔵」であるのは当然だが、「世界」というのはちょっと小さい。むしろ「宇宙(コスモス)」を納めた宝蔵と呼びたい。「応仁の乱」の章に中国美術がまとめて紹介されていたのは、予想できなかった。足利将軍家コレクションに由来するものが多いのだから、よく考えれば納得がいく。「歌の力」に光琳の『燕子花図屏風』が取り上げられているのも納得。業平の和歌の力がなければ、この屏風も生まれなかったかもしれない。

 最後に「中世に現れた、鮮烈な『人間』のイメージ」という章があって、国宝展に出陳される『神護寺三像』に加え、東博の運慶展に出陳される『重源上人坐像』と『無著・世親菩薩像』が紹介されている。美術史的には妥当な取り上げ方だと思うが、運慶展の宣伝(?)がしのびこんでいるのが、不思議な感じがした。

 また、さまざまな人が考える『私のNEXT国宝』も面白い企画。むしろこのテーマで雑誌を1冊つくってくれたら、売れないかもしれないけど、私は買う。山下裕二先生は、やっぱり『日月山水図屏風』ね。ひとり3点ずつ挙げるのだが、藤森照信先生も3番目がこの作品である。藤森先生の1推しは『千古の家(坪川家住宅)』。福井県内にある藁葺き屋根の古民家である。小谷元彦氏の『活人形谷汲観音像』(松本喜三郎作)もいいなあ。熊本市の浄国寺というお寺にあるのか。一度、本物を見てみたい。

 ほかにも『国宝』展を効率よく見るための全点チェックリスト(振り仮名つき)、展示室内の会期別の展示構成、京博から足を延ばせる国宝巡りガイド(お!11月の非公開文化財特別公開で法性寺の千手観音立像が開くのか!)など、ありがたいページが盛りだくさん。

 しかし、そんな中にひっそりと埋もれた「一人称の美術。」という記事。あれ?こんな作品、国宝展に出ていたかしら?とよく見直したら、細見美術館の『末法/Apocalypse-失われた夢石庵コレクションを求めて-』(2017年10月17日~12月24日)の特集だった。この数日、急にSNSなどで騒がれ出した展覧会である。記事はあまり読まずに、まず見てこようと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする