今年もいつもの花屋さんでリースを買ってきて、玄関に飾った。
緑のヒイラギの葉、松ぼっくりなど、自然素材をそのまま使っていて、欲しかったタイプが買えたのでうれしい。茶色いかたまりはフェルトを丸めたのかと思ったが、綿の実に色をつけたものかもしれない。
あっという間に年末である。楽しいことも悲しいこともあった。永いお別れもあった。気がつけば、自分の現役時代も終わりに近づいていることに感慨を感じる。
※昨年のリース。
今年もいつもの花屋さんでリースを買ってきて、玄関に飾った。
緑のヒイラギの葉、松ぼっくりなど、自然素材をそのまま使っていて、欲しかったタイプが買えたのでうれしい。茶色いかたまりはフェルトを丸めたのかと思ったが、綿の実に色をつけたものかもしれない。
あっという間に年末である。楽しいことも悲しいこともあった。永いお別れもあった。気がつけば、自分の現役時代も終わりに近づいていることに感慨を感じる。
※昨年のリース。
2019フィギュアスケートNHK杯を満喫した札幌ステイ3日間。できれば達成したかったミッションが3つあった。
・さっぽろペンギンコロニー2019(11月13日~26日、丸井今井札幌本店一条館7階)に行く
・ミュンヘンクリスマス市 in Sapporo(大通り公園)に行く
・サッポロファクトリーのクリスマスツリーを見る
ミッションその1は、23日(土)の午前中、真駒内アイスアリーナへ向かう前、丸井今井を10:30開店と同時に訪ねて達成。ちなみに「さっぽろペンギンコロニー」というのは、北海道でペンギンをテーマにした器や小物を作っている工藤ちえ奈さんを中心とした、ペンギンづくしのクラフト作品の展示販売イベントである。2018年に東京・高円寺で開催されたこともある。
滞在可能時間が30分くらいしかなかったので、即断即決でお買いもの。旅先なので、軽くて荷物にならないトートバッグにした。
黒と白の配色がペンギンらしい!と思ったら、まさに黒と白を来た工藤ちえ奈さんに話しかけてもらって、思わず「私、東京から来たんです!」と言って驚かれた。
いまTwitterを見たら「さっぽろペンギンコロニーin東京2020」(仮)の情報がUPされていた。2020年3月20日〜29日【23日(月)24日(火)お休み】 会場: 自由帳ギャラリー (高円寺)だそうだ。忘れないよう、ここにメモしておく。
ミッションその2は、24日(日)のNHK杯終了後、30分くらいだが立ち寄ることができた。
ミッションその3は、残念ながら達成できなかった。またいつか。
〇2019NHK杯国際フィギュアスケート大会(11月22-24日、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ)
・第3日(11/24)
最終日はエキシビション公演。朝、ネットをチェックすると出演選手と滑走順の情報が上がっていた。各種目の1-3位のほか、日本人選手や人気選手が入っている。さらに日本のノービスやジュニア選手の出演もあって、全部で25組。12:00-15:00の3時間(3部構成)で第1-2日の競技会に比べると短いが、おちゃめで楽しいプログラム、芸術性の高いプログラムなど、個性豊かな表演が続き、濃縮された贅沢な時間を過ごすことができた。
素晴らしかったのは、ゲストで登場した日本の若手選手たち。ノービスAランクの森本涼雅くん(12歳)、畑崎李果ちゃん(13歳)は、きれいなジャンプをぴょんぴょん飛んでいた。ジュニア・アイスダンスの吉田唄菜(15歳)と西山真瑚(しんご、17歳)組は、初々しいけどかなり大人の雰囲気。みんな頑張れ~。
第1部は韓国のウンス・イムがFSの不調から立ち直った演技でよかった。第2部はやっぱりケビン・エイモズ。曲はUKのロックバンドAmber Runの「I found」で、彼の滑らかで情感たっぷりのスケートにぴったりだった。腕の動きが美しい。ザギトワの「Hurry Up, We're Dreaming」は、この世に生を受けてから亡くなるまでを表現するプログラムなのだそうだ。氷の上に寝そべって、胎児のように丸くなったポーズから始まり、起き上がって、ゆっくり歩み始め、怒り苦しみ、堂々と舞い、やがて再び横たわって静かに目を閉じる。伸ばした片手の先には、白い花のつぼみ(造花)が握られている。会場の大型スクリーンに花のつぼみがUPで映ったときは(知っていたはずなのに)胸を打たれた。ザギちゃん、体形も大人っぽくなったが、表現力も大人になったなあ。
第3部は、ヴォロノフ、紀平梨花ちゃんなどの後、各種目の1位が相次いで登場。そして1位に限っては、1プログラムのあとに拍手で再登場を促し、SPやFSのクライマックスなど短いアンコールを滑ってもらった。スイハンもコストルナヤも素敵。パパシゼの「Power over me」はアイスショーでも滑っていなかったかな。衣装に見覚えがあった。私は女性がクールに滑る演目が好きなので、NHK杯のペアとアイスダンスはほんとに気持ちよかった。
大トリは羽生結弦くん。スケートカナダのエキシは「パリの散歩道」だったと聞いていたが、日本だし北海道だし「春よ、来い」だといいなと思っていたので、淡いピンクの天女のコスチュームで登場したときは嬉しかった。このプログラムは、悲壮でも哀れでもないのに、何度見ても泣ける。羽生くんは前日のインタビューで「(無事に優勝できたのは)みなさんがいろんなところで祈ってくれたおかげです」みたいなことを言っていたが、このプログラムこそ彼の「祈り」の表現のような気がする。氷にくちづけするような低い姿勢で回るハイドロブレーディングは、荒ぶる大地を鎮めて、いのちを育む存在に変えようとしているように見える。宗教的な儀礼や芸能に惹かれるのと同じような気持ちで、彼のスケートを見ていた。なお、アンコールは「Origin」のクライマックスを滑って会場を沸かせた。
第1部と第2部、第2部と第3部の間には、キスクラで荒川静香さんが選手たちに質問する「静香の部屋」のコーナーもあって飽きなかった。キスクラが見えない席だったけど、大型スクリーンがあったのでOK。羽生くん、このインタビューの受け答えも、これまで以上に大人の感じがした。まあ「某ポケットに入るモンスターが飼いたい」なんてかわいいことも言っていたけど。「羽生結弦はどこに向かうのか」を聞かれて「みんなの期待の結晶」と答えていた。これも一種の「祈り」のありかたと思う。
フィナーレも羽生くんはちょっと目立つポジションにいて、彼のショーみたいだった。着ぐるみのどーもくんチームと氷の上で打合せながら、息のあった演技を見せてくれた。全員での写真撮影、優勝者だけの写真撮影などがあり、最後の最後、退場前に羽生くんが何か叫んだ?と思ったら「来年は大阪」を発表したらしい。大阪かー。もちろん行ければ行きたいが。
こうして人生初のフィギュアスケート競技会観戦3日間が終わった。会場の雰囲気は意外と淡々としていて、かえってテレビ観戦より緊張しないかもしれない。あと、競技会であっても、どの選手に対しても観客が暖かいので、フィギュアスケートはいいなと思う。
余談。初日、オープニングセレモニーでNHK札幌放送局長の若泉久朗氏が挨拶に立った。実はこの方、2007年の大河ドラマ『風林火山』のチーフプロデューサーで、私は川中島古戦場のイベントでお見かけしている。不思議なご縁で懐かしかった。
〇2019NHK杯国際フィギュアスケート大会(11月22-24日、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ)
金土日の3日間、フィギュアスケートNHK杯を観戦してきた。私がフィギュアスケートって面白い!と思ったのは、2010年のバンクーバー冬季五輪で、同じ年の夏に初めてアイスショーというものを生観戦し、以後、年に数回、国内で開催されるアイスショーを見に行くことを楽しみとしてきた。しかし、真剣勝負の競技会はこれまで一度も観戦したことがなかった。なんとなくショーより敷居が高い気がして、相変わらずジャンプの種類も見分けられないような私が行っていいものかと気後れしていたのだ。
だが、ようやく分かってきたこととして、現役選手が競技会で滑るプログラムとショーで滑るプログラムは異なる。私は幸運にも羽生結弦選手の「SEIMEI」と「バラード1番」はショーで見たことがあるが、このままだと「秋によせて(Otonal)」「Origin」は見る機会がないまま終わってしまうかもしれない。それはあまりにも残念なので、NHK杯のチケットを申し込むことにした。
8月に販売された通し券(3日間)は外れ。9月に販売された単日券は、1日でも当たればラッキーと思って3日分申し込んでみたところ、全て当選の連絡が来た。幸運すぎて呆然とした。宝くじで1等が当たってもこれほど驚かないと思う。慌てて飛行機とホテルを抑え、あとは金曜に休暇が取れることをひたすら祈りながら当日を迎えた。
・初日(11/22)
羽田発の飛行機で札幌へ。荷物をロッカーに預け、手早くランチを済ませて真駒内へ向かう。会場に入ったのは14時半頃で、ペアの三浦璃来/木原龍一組は残念ながら見逃した。ペアの演技が続き、うわさのスイハン(ウェンジン・スイ/ツォン・ハン)組に目が覚めるような衝撃を食らう。小柄な身体を大きく見せる、大胆でスピード感にあふれた演技。身長差があまりないカップルでも、こんなに魅力的なペアスケーティングができるんだと驚く。
女子は9番滑走のアリョーナ・コストルナヤが圧倒的だった。会場中が息を呑んでいるのが分かった。結果は世界最高得点。10番のザギトワはミスが多く、覇気が感じられなかった。ロシア女子は世代交代が早くてつらいなあ。紀平梨花はほぼノーミスの演技だったが第2位。梨花ちゃんダイナミックでよいなあ。今季のプログラムはSPもFSも好き。
そして男子。期待していた島田高志郎くんと山本草太くんは成績が振るわず。でも失敗しても明るい高志郎くんとランビ先生が微笑ましかったので許す。ちなみに初日はキスクラの正面だったので、どうせ使わないだろうと思って双眼鏡を持ってこなかったことを後悔した。羽生くんは丁寧に滑って安定の第1位。いつもの闘争心を敢えて抑えている感じがした。
・第2日(11/23)
今日はフルコース観戦の心構えで12:15の競技開始前に会場入り。アイスダンスを8組も続けて見るなんて初めての体験だが楽しかった。しかし、アイスショーでもおなじみのパパシゼ(ガブリエラ・パパダキス/ギヨーム・シゼロン)組がやっぱり頭抜けていた。高い芸術性。あとで実況を聞いたら、詩のことばを表現するプログラムだったのだそうだ。しかし、このカップル、初日は70年代のエアロビ衣装で会場を沸かせたことを知って、初日のリズムダンスを見逃したことを悔やんだ。
ペアはやはりスイハン組。緩急自在で目が離せない。初めて見た三浦・木原組もよかった。まだまだ伸びしろがあると思うので頑張れ。そして、ペアとかアイスダンスとか、氷上に男女二人がいる競技は、シングルよりも変化も多くて面白いなあ、とつくづく思った。もっと日本の競技人口も増えるといいなあ。
女子はコストルナヤのジャンプの高さ、滑りの速さと滑らかさに圧倒される。梨花ちゃんもよく頑張って笑顔で終わった。この精神力の強さ、好きだ。ザギトワがSPの不振を挽回できたのも嬉しかった! あと今大会で印象的だったのは韓国のイム・ウンス。彼女は逆にSPはよかったのにFSはミスが目立って順位を下げてしまった。
男子。羽生結弦は10番目に登場。スタートポジションで低く屈み込み、両腕を水平に伸ばした姿勢を取ったとき、両腕が上下に揺れているのが分かって、なんだか奇異な感じがした。あとでSNSなどを読んでいたら、緊張で脚が震えて静止できなかったらしい(実は足元も少し流れていた)。あの羽生くんにして、そんなことがあるんだと驚いた。後半1本目のジャンプが2T単独になってしまったときは、私の隣りのお姉さんも「あっ」と小さく声を出していた。しかしその後の2本はきれいに成功。実は咄嗟に構成を組み替えて高得点をキープしたことをあとで知った。なんというか、大人の戦い方である。
3位のローマン・サドフスキーは手足が長くて演技の見栄えがよい。しかしフィギュアスケートで長身はあまり得にならない気がするので頑張ってほしい。2位に入ったケビン・エイモズは小柄だが情感豊かな演技で印象に残る。フランス杯で知った選手で人柄も好き。ボロノフは台乗りしてほしかったなあ。いつも明るいジェイソン・ブラウン、ベテランのビチェンコさんも頑張っていた。
ペアのあとに、ペアとアイスダンスの表彰式があり、中国の国歌「義勇軍行進曲」とフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を続けて聴くことができて楽しかった。また男子のあとに、男子シングルと女子シングルの順で表彰式。「君が代」と「祖国は我らのために」を聴いた。表彰者として、パンツスーツ姿の荒川静香さん(日本スケート連盟副会長)が紹介されたときは、会場がどよめいた。全て終わったのは22時近くで、めったにないことだが肩が凝って、腰が痛くなってしまった。でも楽しかった。
3日目(エキシビション)レポートに続く。
2019フィギュアスケートNHK杯を観戦するために3日間、札幌に行って来た。1日でも当たったらラッキーと思ってチケットを申し込んだら、3日とも当たったのである。10年分くらいの運を使い果たした感がある。
それで、金土日と札幌にいたわけだが、ずっと真駒内アイスアリーナに詰めていて(夢のような時間だった!)ほぼ観光の時間は無し。今日、最後に30分くらい大通り公園のミュンヘンクリスマス市を歩いてきた。札幌に住んでいたとき(2013-2014年)以来だから5年ぶり。
マトリョーシカのお店は2軒出ていた。なつかしい。
小樽にあるガラス小物のお店。
ヨーロッパの本場のクリスマス市を持ってきました!というより、かわいい、手に取りやすい小物のお店が増えた印象。
大好きなローストアーモンド! 味見させてもらったら我慢できなくなって5年ぶりに購入!!
イルミネーションも華やか。これ午後4時過ぎなのだが、北国の冬は夜が早い。
まだ雪がなかったのは残念。雪の札幌にまた来たい。
〇神奈川県立金沢文庫 聖徳太子1400年遠忌特別展『聖徳太子信仰-鎌倉仏教の基層と尾道浄土寺の名宝-』(2019年9月21日~11月17日)
先週末、最終日に駆け込みで行った展覧会。あまり期待しないで行ったら、展示室がぎっしり埋まっていて、しかも仏画や仏像など、バラエティに富んで華やかで驚いた。中世における聖徳太子信仰は、浄土系の各宗派によって宣揚されたことが知られているが、もう一つの見逃せない流れに真言律宗がある。中世東国では、聖徳太子信仰に関連する彫刻や絵画が、旧常陸国・下総国周辺に集中している。ここで注目されるのが、鎌倉時代後半にかけて常陸国や鎌倉に大きな力を持った真言律宗の存在である。
ということで茨城県のお寺の寺宝が並ぶ。水戸市・善重寺の聖徳太子立像は、鮮やかな彩色(立体表現もあり)の衣と袈裟をまとう孝養像。切れ長で吊り上がった目。赤い唇を強く結び、厳しい表情をしている。坂東市・妙安寺の太子像も孝養像。色彩は明らかでないが、唐風の沓のつまさきが華やかさを添える。弓なりの眉、瞳の大きい印象的な目。この妙安寺には4幅からなる『聖徳太子絵伝』も伝わっている。素朴なタッチでかわいい。
また那珂市・上宮寺には絵巻の『聖徳太子絵伝』が伝わる。ちょうど太子の生涯の最後の部分が開いていて、家の中で泣き伏しているのは刀自古郎女かと思ったが(日出処の天子マニア)、むしろ『天寿国曼荼羅繍帳』で知られる橘大郎女だろうか? と思って、図録の拡大写真をよく見たら、女性の隣りに太子らしき男性も横たわっている。Wikiを調べたら、妃の膳大郎女が没し、その後を追うように太子は亡くなったのだそうだ。そして、葬列、埋葬のあとに塔(五重塔)らしきものがあって、その先端部分から、色とりどりの衣をまとった小さな男の子が多数、昇天していく様子が描かれている。図録によれば「諸皇子、法隆寺五重塔より昇天す」という場面だそうだ。おもしろい。可愛いけど少し怖い。
神奈川県関係では、龍華寺の善光寺式阿弥陀三尊像。へえ、横浜・龍華寺にも善光寺式阿弥陀三尊像があったんだ。中尊は丸顔でやさしい表情。光背の唐草文、様式化された雲文がきれい。東茨木郡・小松寺の如意輪観音像は、四角い板に半浮彫された小品。どこか異国風。平重盛の念持仏という伝承があるそうだ。
ここから西国に飛んで、奈良・元興寺の聖徳太子立像(孝養像)が東国で見られるのは珍しいと思った。次に広島(尾道)・浄土寺の太子像(孝養像)。少し太め。みずらが小さいので単なるおかっぱ頭のようにも見える。超人的なところがあまりなくて、人間的。浄土寺には、もう1躯、みずら頭の太子像(摂政像)がある。これはさらにふっくらと身体が大きく貫禄がある。丸顔の中央に顔のパーツが集まっている感じ。衣と袈裟の、盛り上げ彩色の装飾が美しい。浄土寺には、上半身裸で赤い袴をつけ、合掌する二歳像もある。
このへんで私はようやく、展覧会のサブタイトルの後半に「尾道浄土寺の名宝」という語句が入っていることに気づいた。いやー聖徳太子像以外の仏像や、涅槃図や、弘法大師絵伝、足利氏関係の古文書など面白いものがたくさん出ていた。声が出そうになったのは、行儀よく落ち着いた雰囲気の肖像『足利尊氏像』。九博の『室町将軍』展で初めて見て、存在を知ったものである。尊氏の念持仏という伝承のある『厨子入阿弥陀如来立像』も出ていた。蒔絵のコンパクトな厨子で、携帯に便利そう。
尾道の浄土寺には、2016年のご開帳に訪ねていて、秘仏ご本尊・十一面観世音菩薩を拝観したことは覚えているが、宝物館にはあまり印象が残っていない。こんなにたくさんのお宝をお持ちだということを、あらためて認識した。東国に来てくれて感謝したい。
おまけ:図書閲覧室の案内が可愛かったので。左下は小さくて分かりにくいけど日出処の天子。
〇片倉佳史(文・写真)『台北・歴史建築探訪:日本が遺した建築遺産を歩く:1895-1945』 ウェッジ 2019.3
台北市内に残る歴史建築を大小200件ほど紹介する。オールカラーの写真が美しく、実に楽しい本。著者は、以前紹介した『東京人』2019年11月号「特集・台湾 ディープ散歩」にも寄稿している台湾在住の日本人作家である。
台北には日本統治時代(1895-1945)に設けられた多数の建築物が残っている。これらは、日本が台湾の領有権を放棄した後、中華民国の国民党に接収され、日本統治時代の歴史が隠されたり、撤去や改築を受けたりもした。1990年代から民主化が進展し、人々が言論の自由を得たことによって、日本統治時代の半世紀についても、冷静で客観的な視点で評価し、研究が続けられるようになった。この簡潔な紹介は、前掲の雑誌『東京人』に書かれていたことと大体通じている。
台湾に残る建築遺産を見ることは「日本」を知ることでもある。しかし、ノスタルジックに「日本」を懐かしむだけでなく、台湾の歴史を知り、台湾の今の姿、将来の姿を考える意味もある。本書はそうした視点で編集されているのが好ましい。
台北市の中心部、つまり「総統府周辺」「国立台湾博物館周辺」「西門町・萬華周辺」の建物は有名なものが多く、どこかで見た記憶のあるものが多かった。しかし外観はともかく、貴重なのは、めったに見られない内部の写真も掲載されていることだ。台北賓館(旧台湾総督官邸)の白壁に金の唐草模様を配したヨーロッパ風の内装、とても東アジアの建築とは思えない。中山堂(旧台北公会堂)の玄関ホールの湾曲した天井も素敵。国立台湾博物館(※表紙写真)は、むかし入ったことがあるはずだが、こんな優美なステンドグラスがあったかしら。
歴史建築のむかしと今を比べてみると、やっぱり博物館は博物館、学校は学校、郵便局は郵便局のように、用途が変わっていないものが多い。その一方、洋服店が酸梅湯の店になっていたり、女学校が立法院、小学校が内政部警政署など、思わぬ変遷をしていることもある。あと、カフェやレストラン、公設市場や展示空間にリノベーションされて、人々を引きつけている歴史建築も少なくないようだ。
工場や倉庫、変電所、旧台北鉄道の職員用大浴場、旧台北水源地ポンプ室、送水管、水源地と水管橋など、産業遺産的な歴史建築もかなり収録されている。寺廟、個人商店など、とにかく目配りが広い。そして台北では、これら多数の歴史建築が、わりと狭い地域に密集しているので、その気になれば、短時間でかなりの数を実見することができると思う。
今回、気づいたのは国立台湾大学や国立台湾師範大学のキャンパスに多数の歴史建築が残っていること。実はまだ行ったことがないので、次の機会には、ぜひ散歩してみたい。写真を見る限りでは、日本国内の旧帝国大学より、建築意匠がオシャレな感じがする。
〇安田峰俊『もっとさいはての中国』(小学館新書) 小学館 2019.10
未知なる中国を探し求めて世界を飛び回る突撃取材シリーズの第2弾。私は第1弾『さいはての中国』を読んでいないのだが、「こんなところに中国人!」というオビの文句が気に入ったので、最新刊から読んでみることにした。序章によれば、「さいはての中国」とは単に地理的な辺境を意味するのではなく、誰も気にとめず注意を払わない、現代中国の未知の素顔を意味している。「さいはて」は中国人の存在するところ、世界中のどこにでも散らばっている。そして「こうした中心から外れた場所にこそ、彼の国の本質を多角的に理解するうえで欠かせないピースの一片が埋もれている」。この考え方は共感できて、とても好き。
本書で著者が訪ねた「さいはて」は計7カ所。アフリカのルワンダに進出する中国企業、中国に憧れるルワンダ人たち。また、ケニアにも中国資本の鉄道が整備されている。中国がアフリカ外交を重視し、巨額の融資をおこなってきたことは知っていたが、現地がこんなふうになっているとは。もう少しすると、中国語ができればアフリカを旅行するにも困らなくなるかもしれない。
カナダのバンクーバーでは、チャイニーズ・フリーメーソンと自称する秘密結社「洪門」を訪ね、南京大虐殺など対日歴史問題をめぐる華人系議員の活動の背景を探る。しかして秘密結社の実態は、元来、移民や貧しい庶民の相互扶助が目的で、現在は老人たちの交流クラブとなっている。対日歴史問題を追及する議員たちの党派はさまざまで、要するに票になるから活動している側面が強い。海の向こうで断片的な情報だけを聞いていると、必要以上に禍々しく見えてしまうのかもしれない。
中国本国での取材2件はどちらも面白かった。「中国農村版マッドマックス」と題されたのは、広東掲陽市省郊外。2013年の春節に、隣り合う寮東村と劉畔村の間で数百人規模の武力衝突が発生した。伝統中国では、このような民間の集団的武力衝突を「械闘(かいとう)」という。へえ~現象としては分かるが、この言葉は知らなかった。械闘からは伝統的な中国社会の性質が数多く垣間見えると著者は書いている。これは同意だが、日本の農村にも類似の習慣はあるのではないか(水争いとか)。そして中国には、まだこの伝統社会のパワフルな習慣が残っていることが驚きで、面白かった。
もう1編は、恐竜オタク少年からホンモノの恐竜博士になってしまったシン・リダ(邢立達)博士に会いに行く。博士は琥珀の中に封じ込められた小型恐竜の尾を発見して、世界に衝撃を与えた(※参考:週プレNEWS 2018/11/17)。著者も恐竜少年だったそうで、たちまち意気投合してしまう様子が微笑ましい。オタク的情熱の共有は国境も国籍も軽々と超えるのである。
著者の『「暗黒・中国」からの脱出』に登場する民主活動家・顔伯鈞氏の亡命後の姿も紹介されている。記事の最後に著者は「あなたは……ではないですか?」と推理を語り、顔氏から肯定されている。謎を残した終わり方だ。最後は、アメリカ在住の華人投資家・郭文貴へのインタビュー。著者は郭を「奸雄」と評する。後漢や唐の終わりに生まれていたら、きっと地方をいくつか切り取って天下を狙っていただろうと。そう、さいはての中国には、こういう歴史を超越したパワーが潜んでいるのが好き。
〇鶴見良行『バナナと日本人:フィリピン農園と食卓のあいだ』(岩波新書) 岩波書店 1982.8
大衆食品として日本人に親しまれているバナナ。しかしその背後には、多国籍企業の暗躍、農園労働者の貧苦、さらに明治以来の日本と東南アジアの歪んだ関係が隠れていることを紹介する。1979-80年、国連のアジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)が実施したバナナ経済の研究調査に基づく報告である。岩波新書の名著の1冊で、いつか読もうと気に掛けながら読んでいなかった。たまたま旅先で読む本が切れて立ち寄った書店で本書が目についたので、読んでみることにした。
日本のバナナ輸入先は、台湾→エクアドル→フィリピンと変遷してきた。フィリピンでは、ミンダナオ島においてアメリカ資本の多国籍企業が日本市場を念頭に置いてキャペンディッシュ種のバナナを生産している。
戦前、ミンダナオのダバオには日本人が進出し、麻農園を開いた(麻は軍艦のロープのほか、和紙や真田紐の原料に使われた)。土地の所有をめぐって伝統的な諸種族との間に軋轢が起こり、日本人の増加する1910年代末からは邦人殺害事件が頻発した。一方、日本人労働者の勤勉さはよく知られていた。フィリピン人の麻農園の生産性が低かったことは、日本人の勤勉とフィリピン人の怠惰という紋切り型の文化観で説明されがちだが、そもそも雇用の形態が異なり、当時のフィリピン人労働者はいくら努力しても独立の希望がなかったことを著者は丁寧に指摘する。
太平洋戦争中、フィリピンは日本軍に占領される。日本は、ここを敵国アメリカから奪い取ることが重要だっただけで、特に必要な土地ではなかった。砂糖やタバコ、麻など日本に不要な農産物の畑は、ゲリラの活動を抑える目的もあって、数千ヘクタールも焼き払われた。こうして農民の生活手段を奪われたことが、戦後のフィリピンの出発にどれだけ打撃になったか、あらためて愕然とした。
1958年、フィリピン政府は日本市場の自由化に備えて輸出バナナの生産を決定する。そうかー。20世紀の農業は、風土に適した農産物が徐々に販路を広げていくなどという牧歌的なものではなくて、海の向こうに新たな巨大市場が発見されると、誰もつくったことも食べたこともない農作物の生産がいきなり立ち上がるのだ。ミンダナオのバナナ農園は「日本人の食欲を満たすための農園だった」というのが怖い。でも、現在もこうした第一次産業が、世界の各地で生まれているのだろう。
日本の市場に向かうミンダナオのバナナの出口を預かるのは4つの外国企業(チキータ、デルモンテ、ドールの3つのアメリカ企業と住友商事)。外国企業は地場農園、契約農家、労働者を序列化して巧妙に支配している。最底辺の労働者は経済的に囲い込まれており、彼らの世界には市場原理が働かない。出荷物は、生産性向上に努めれば努めるほど安い価格で買い上げられ、農園の親方が経営するサリサリ・ストア(雑貨店)にツケを溜めながら日々の暮らしを細々とつないでいく。こういう雇用者と被雇用者の非対称な関係は昔話ではなく、21世紀の現在でも、社会の各所にあると思う。
バナナが日本の消費者に向けて出ていく一方、フィリピンのどの村にも、外国製品であるコーラとインスタント・コーヒーとビールのサン・ミゲルが入り込んでいる。著者はこの状態を「買う自由、買わされることの残酷さ」と表現している。他国の自由だけが村に押し寄せてくる。他国の自由が彼らを不幸にし、彼らの不自由が私たちの自由を可能にしている。戦後、植民地というものがなくなった国際世界でも、「持てる国」と「持たざる国」の支配・被支配関係が連綿と続いていることは忘れないようにしたい。
最後に日本に到着したバナナが、むろ屋さんによって黄色く熟成されてから小売り業者に渡っていたことも初めて知った(※参考:2016年の記事/株式会社まつの)。本書のもとになった調査からすでに40年が経過し、バナナの生産状況も日本の輸入状況もずいぶん変わっているのではないかと思う(改善されていることを望む)。私は、あまり好んでバナナを食べないが、バナナに限らず、自分の食べているものが、どこでどのように作られているのか、ときどき関心を持つようにしたい。
〇広田照幸『教育改革のやめ方:考える教師、頼れる行政のための視点』 岩波書店 2019.9
本書が主題とする「教育改革」とは、日本の学校教育に関する最近の動同のことである。私は、大学改革については、かなり身近に感じてきたが、子どもがいないので、小中高の学校教育をめぐる動きについては知ることが少なかった。近年(最も長いスパンで言うと直近の30年間)、日本の学校教育がどのように変わってきたか、あらためて学ぶことができた。
はじめに「この30年間の日本の教育はおびただしい教育改革の嵐でした」というまとめがある。あるアメリカの教育史家は、公教育の社会的目的には「A. 民主的平等(有能な市民をつくる)」「B. 社会的効率(有能な労働力をつくる)」「C. 社会移動(個人の社会的地位向上)」の3つがあると考える。1980年代までの日本の教育は、Cの面が強く、Bの面でも一定の成功を収めた。しかしAの面は弱かった。90年代以降は、ABCそれぞれに争点が生まれ、複雑な対立が形成された。ところが、2000年代に入ると、官邸主導の名の下に性急で乱暴な改革が次々に実行されるようになった。
教育改革を推進する側には「日本の公教育はダメになっている」という思い込みがある。確かに国際比較では、日本の子どもたちの学習意欲は低く、勉強時間も短いが、それでも上位の成績を上げているのだから「日本の学校はよくやっている(教員の数も少なく予算もないのに)」というのが著者の評価である。日本の大学教育についても、同じように考えるべきではないだろうか。
著者は、ただでさえ余裕のない学校の現場を競争や評価で追いつめても、何もよくならないと考える。大事なのは、教員に余裕を与え、教員自身が「深い学び」を継続的に経験する機会を用意することだ。「常に刺激的な学習体験をしている人が、生徒にもそれを教えられるのだ」という提言は、理想的に過ぎるだろうか。でも私はこの理想を信じたい。
著者は、このことを政府の審議会や町村教育長の研修会などで、繰り返し訴えている。特に、本当は1984年に中曽根内閣が「個性重視」を打ち出したときに抜本的に教員数を増やす必要があったという点は、繰り言のようだけど何度でも言っておくべきだろう。同じ失敗を繰り返さないために。
教員の養成と資質向上について語った文章も面白かった。「教職コアカリ(コアカリキュラム)」の問題点も少し分かった。諸改革の根底にある「一つの望ましい教員象を描くことができる」という考え方に著者は疑問を呈する。現実には、それぞれに固有の長所を持つ多様なタイプの教員が協働することで、学校はうまく回っているのだ。この指摘は共鳴できるもので、教員以外の職業についても「望ましい〇〇像」を設定しがちなことを反省した。しかし、多様な集団と言いながら、実は似通ったタイプが偏在していて、必要なフィールドが埋められない場合はどうすべきか(人員の入れ替え?再教育?)、著者に聞いてみたい気もした。
公立の小中高の教員へのアンケートで「教員としての実践的指導力」や「生徒指導についての専門的力量」がいつ身についたかという設問に対し、最も多い回答が「10年以上たってから」なのは興味深かった。これは若い教員の励みになる調査じゃないかなあ。私は、かつて高校の教員をしていたことがあるが、10年我慢できずに辞めてしまった。このアンケート結果を見ていたら、もう少し教師業を続けていたかもしれない。
教員の育成に関して、アクティブ・ラーニングを自分のものにするには「AL早わかり本」ではなく、たとえばデューイなどの原理的な専門書をしっかり読むことが必要だという提言にも深く共感する。いまの教育改革は「実践型のカリキュラム」「現場の知」を推奨しすぎて、本来、大学教育が提供する「現場から距離をとった原理的なもの」がそぎ落されてしまっているという。
それから、あまり大きな論点ではないのに妙に心に残ったのは、教育関係者の「なすべきこと」として「教育法規を読みこなすこと」が重要だ、というアドバイス。そうなのだ。法規や規則を知ることで、自分がどこまで自由に振舞えるかを確認することができる。私は最近になって、もっと若いうちから自分の仕事に関係する国の法規や職場の規則を読み込んでおくべきだったと後悔しているので、著者のアドバイス、ぜひ若い人たちに届いてほしい。