○松宮秀治『ミュージアムの思想』 白水社 2009.3(新装版)
著者によれば、西欧語の「ミュージアム」は、日本語の美術館、博物館に対応するだけでなく、図書館、文書館、植物園、動物園、水族館、プラネタリウム、史跡、考古学遺跡までを包括する概念であるという。だとすれば、私は、ミュージアムなしには始まらない生活をしている。
けれども、ミュージアムとは、西欧近代が創り出した「思想」である。全世界を自己(西欧的価値)の裡に取り込もうという、危険性、暴力性を内包し、その行きつく先を誰も想定できないような動力学を秘めている、と著者はいう。こうした側面は、うすうす感じていたことでもあった。
本書は、ミュージアムの前史として、まず、ルネサンス以降の宮廷コレクション、古代遺物と古写本蒐集の流行、絶対主義王政期(16~17世紀)のクンストカンマー(人工物蒐集)、ヴンダーカンマー(驚異物蒐集)について述べる。このあたりは、私の西欧史に関する知識が不足していて、十分に理解できたと言い難い。ただ、「美術」中心のルネサンス観を改め、この時代の図書蒐集と学芸保護にもっと眼を注ぐべきだ、という指摘は興味深いと思った。「宮廷画家」は、理髪師などの職人と同様の使用人に過ぎず、美術作品と注文者の関係は私的領域に閉じ込められていたが、図書の蒐集は、より公的な事業だった。公共図書館の設立も、ミュージアムの公開性も、そのへんに淵源を持つらしいのである。これには、「戦う王」から「考える王(叡智の守護者)」という表象の変化も関わっているらしい。
クンストカンマー、ヴンダーカンマーの「祝祭空間」は、フランシス・ベーコン(1561-1626)流の合理的思考によって否定され、ミュージアムの思想が誕生する。この具体的な出現がブリティッシュ・ミュージアムである。けれども、絶対主義末期の諸宮廷は「芸術」という新たな祝祭性によって、自己のコレクションを再整備し始めた。その結果、科学主義、技術主義に基づくイギリス型自然誌ミュージアムと同時並行的に、芸術主義、文化主義、歴史主義に基づくフランス型ミュージアムが出発することになった。
ユネスコの国際ミュージアム評議会の規約によれば、今日のミュージアムの一般的定義は「公衆の啓蒙とレクリエーションのためにコレクションを展示し保管し管理する施設(機関)」である。この「啓蒙」と「レクリエーション」は、中世キリスト教の「聖遺物」がそうであったように、近代国家の「教義解説」と「祝祭」に対応しているのではないかと思われる。
以上、荒っぽくまとめてみたが、本書が難しく感じられるのは、「西欧近代」の多面性(互いに相反する観念が同時並行的に生まれ、絡み合いながら育つ)を丁寧に記述しているためだと思う。この「西欧近代」由来の思想に立ち向かう思想が、非西欧人であるわれわれの文化の側に果たしてあるのか。考えてみたい。
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けれども、ミュージアムとは、西欧近代が創り出した「思想」である。全世界を自己(西欧的価値)の裡に取り込もうという、危険性、暴力性を内包し、その行きつく先を誰も想定できないような動力学を秘めている、と著者はいう。こうした側面は、うすうす感じていたことでもあった。
本書は、ミュージアムの前史として、まず、ルネサンス以降の宮廷コレクション、古代遺物と古写本蒐集の流行、絶対主義王政期(16~17世紀)のクンストカンマー(人工物蒐集)、ヴンダーカンマー(驚異物蒐集)について述べる。このあたりは、私の西欧史に関する知識が不足していて、十分に理解できたと言い難い。ただ、「美術」中心のルネサンス観を改め、この時代の図書蒐集と学芸保護にもっと眼を注ぐべきだ、という指摘は興味深いと思った。「宮廷画家」は、理髪師などの職人と同様の使用人に過ぎず、美術作品と注文者の関係は私的領域に閉じ込められていたが、図書の蒐集は、より公的な事業だった。公共図書館の設立も、ミュージアムの公開性も、そのへんに淵源を持つらしいのである。これには、「戦う王」から「考える王(叡智の守護者)」という表象の変化も関わっているらしい。
クンストカンマー、ヴンダーカンマーの「祝祭空間」は、フランシス・ベーコン(1561-1626)流の合理的思考によって否定され、ミュージアムの思想が誕生する。この具体的な出現がブリティッシュ・ミュージアムである。けれども、絶対主義末期の諸宮廷は「芸術」という新たな祝祭性によって、自己のコレクションを再整備し始めた。その結果、科学主義、技術主義に基づくイギリス型自然誌ミュージアムと同時並行的に、芸術主義、文化主義、歴史主義に基づくフランス型ミュージアムが出発することになった。
ユネスコの国際ミュージアム評議会の規約によれば、今日のミュージアムの一般的定義は「公衆の啓蒙とレクリエーションのためにコレクションを展示し保管し管理する施設(機関)」である。この「啓蒙」と「レクリエーション」は、中世キリスト教の「聖遺物」がそうであったように、近代国家の「教義解説」と「祝祭」に対応しているのではないかと思われる。
以上、荒っぽくまとめてみたが、本書が難しく感じられるのは、「西欧近代」の多面性(互いに相反する観念が同時並行的に生まれ、絡み合いながら育つ)を丁寧に記述しているためだと思う。この「西欧近代」由来の思想に立ち向かう思想が、非西欧人であるわれわれの文化の側に果たしてあるのか。考えてみたい。