○TBS開局60周年記念 日曜劇場 ドラマ『JIN-仁-』(完結編)最終回(2011年6月26日)
ドラマ『JIN』が完結した。ちょっと言葉を失うくらい、感動してしまった。さすがに3日経って、少し落ち着いたので、感想を書いておく。だいたい私はドラマ(物語)にハマりやすいので、読書記録でも小説はあまり取り上げないのである。物語は評論するものではない。ハマるものだ。そして、連続ドラマにハマる幸せ(何カ月も続く昂揚感)を、久しぶりに味わうことができた。
私は、2009年の第1部からの視聴者だが、第1部の最終回が不評の嵐だったので、第2部(完結編)は安全策を取って、途中で誉めておくことにした。そうしたら、予想に反して尻上りに調子を上げ、最終回は奇跡の「神回」だった(と私には感じられた)。
第9話。「坂本龍馬を助ける」ことを自らの使命と感じる仁先生は、暗殺の舞台・近江屋から、寺田屋へ龍馬を連れ出す。しかし、そこに幕府の刺客として現れたのは、咲の兄の橘恭太郎。絶体絶命の窮地で、龍馬の護衛役だった平蔵もとい、東修介が龍馬に斬りつける。これ、正直いって、咄嗟に意味が分からなかった。ネット上でもさまざまな解釈が入り乱れて、大紛糾していた感じがする。
第10話。西郷隆盛が大久保一蔵に解説する。幕府の刺客が龍馬を殺害していれば、大政奉還は烏有に帰すところだった、と。そこで初めて私は、東が龍馬の生命と引き換えに、龍馬の「大望」を救ったことを理解した。この着想(脚本)がすごい。そして、ちゃんとドラマを見ている視聴者なら、この着想についてくるはずだ、という制作者の確信にも敬服した。最近のドラマは、あまりにも分かりやすく作り過ぎていて、視聴者を馬鹿にしているとしか思えないことが多いので。東はひとり自決して果てる。
仁の治療によって、一度は意識を回復する龍馬。このとき、龍馬は一瞬だが未来を見てきた様子。呂律の覚束ない口調で(どうやら未来人と分かっている)「先生にはこの世界がどう見えたがじゃ。愚かなことも山ほどあったろう」と問いかける。ここで私は涙腺崩壊。たかだか100年や150年後に生まれた人間が、過去の世界を「愚か」と見下すことの傲慢さが、このドラマでは、つくづく胸に沁みた。
第11話(最終話)。龍馬の死に責任を感じる恭太郎は、死を覚悟して彰義隊に加わるが、仁や咲に引き止められて、生きる決意をする。このドラマは、東のように死にゆく者にも、恭太郎のように生き残る者にも、相応に暖かいまなざしを注いでいて、どちらか一方だけが「正義」であるような描き方をしないところが好きだ。
銃創が化膿して、重態に至る咲。脳腫瘍に苦しめられる仁。短く切ないラブシーン。世界の広さ、時の流れの滔々たる深さに比べて、二人が向き合っている部屋の、なんという小ささか、と思った。ふと、咲を救える薬を、タイムスリップの際に持ちこんでいるかもしれない、と思い出した仁は、慌ててその薬を探しに出て行く。そして、永遠の別離。
薬を探して、現代に立ち戻った仁は、もうひとりの自分を再び過去に送り込む。静かに閉じていく円環、わずかな歴史の動揺。事典の中に見出す仁友堂の面々(あれは嬉しかったなー)。そして、橘家のあたりを訪れた仁は「橘医院」の看板を見つけ、咲の子孫(実際は咲の養女となった、野風の娘・安寿の子孫)と出会って、咲の手紙を渡される。仁が送り届けた薬によって、咲は一命を取りとめたこと。しかし、誰もが南方仁の存在を忘れ、咲もまた、仁の顔や名前を思い出せなくなっていたこと。けれども、薄れゆくその人の面影に向けて、咲は確信をもって「お慕い申しておりました」と記す。
仁もまた、タイムスリップの体験を少しずつ忘れ始め、夢に現れた龍馬は「それでいい」と語りかける。「見えんでも、聞こえんでも、わしらはそばにおるぜよ」と。ここも涙腺崩壊ポイントだった。脚本家は、過去に生きた人たちの「見えんでも、聞こえんでもおるぜよ」という、微かな囁きを聞くことができる人なんだなと思った。未来をつくろうとした人たちは、この世界をずっとどこかで見ているんだろう。有名人だけではなくて、無名の人々もまた。幼い頃の自分をかわいがってくれた祖母とか、近所のおばさんとかも、ずっと私のそばにいるのかもしれない、などと妄想が広がっていった。でも、作り手の意図を超えて妄想するのって、元来、小説やドラマの正しい受け取り方だと思うので、冷笑されても気にしないことにしよう。
キャストでは、内野聖陽さんの龍馬の次に好きだったのが、小日向文世さんの勝海舟。小日向さんの海舟にも、ずっとこの世界を見守っていてほしい。いろいろ毒づきながら。思考様式がほぼ近代人の海舟と、古武士の風格ある新門辰五郎親分(中村敦夫さん)が同居していたのが、幕末という時代だったんだなあ、とも思った。衣装も美術も小道具もよかったし、屏風や襖絵にも、他のドラマにないリアリティがあった。細部を誉め始めれば切りがないが、とりあえず最終回に花束を。
実は、本日発売の『JIN-仁- 完全シナリオ&ドキュメントブック』を買ってきてしまったので、このドラマのことは、もう1回書くかも。
ドラマ『JIN』が完結した。ちょっと言葉を失うくらい、感動してしまった。さすがに3日経って、少し落ち着いたので、感想を書いておく。だいたい私はドラマ(物語)にハマりやすいので、読書記録でも小説はあまり取り上げないのである。物語は評論するものではない。ハマるものだ。そして、連続ドラマにハマる幸せ(何カ月も続く昂揚感)を、久しぶりに味わうことができた。
私は、2009年の第1部からの視聴者だが、第1部の最終回が不評の嵐だったので、第2部(完結編)は安全策を取って、途中で誉めておくことにした。そうしたら、予想に反して尻上りに調子を上げ、最終回は奇跡の「神回」だった(と私には感じられた)。
第9話。「坂本龍馬を助ける」ことを自らの使命と感じる仁先生は、暗殺の舞台・近江屋から、寺田屋へ龍馬を連れ出す。しかし、そこに幕府の刺客として現れたのは、咲の兄の橘恭太郎。絶体絶命の窮地で、龍馬の護衛役だった平蔵もとい、東修介が龍馬に斬りつける。これ、正直いって、咄嗟に意味が分からなかった。ネット上でもさまざまな解釈が入り乱れて、大紛糾していた感じがする。
第10話。西郷隆盛が大久保一蔵に解説する。幕府の刺客が龍馬を殺害していれば、大政奉還は烏有に帰すところだった、と。そこで初めて私は、東が龍馬の生命と引き換えに、龍馬の「大望」を救ったことを理解した。この着想(脚本)がすごい。そして、ちゃんとドラマを見ている視聴者なら、この着想についてくるはずだ、という制作者の確信にも敬服した。最近のドラマは、あまりにも分かりやすく作り過ぎていて、視聴者を馬鹿にしているとしか思えないことが多いので。東はひとり自決して果てる。
仁の治療によって、一度は意識を回復する龍馬。このとき、龍馬は一瞬だが未来を見てきた様子。呂律の覚束ない口調で(どうやら未来人と分かっている)「先生にはこの世界がどう見えたがじゃ。愚かなことも山ほどあったろう」と問いかける。ここで私は涙腺崩壊。たかだか100年や150年後に生まれた人間が、過去の世界を「愚か」と見下すことの傲慢さが、このドラマでは、つくづく胸に沁みた。
第11話(最終話)。龍馬の死に責任を感じる恭太郎は、死を覚悟して彰義隊に加わるが、仁や咲に引き止められて、生きる決意をする。このドラマは、東のように死にゆく者にも、恭太郎のように生き残る者にも、相応に暖かいまなざしを注いでいて、どちらか一方だけが「正義」であるような描き方をしないところが好きだ。
銃創が化膿して、重態に至る咲。脳腫瘍に苦しめられる仁。短く切ないラブシーン。世界の広さ、時の流れの滔々たる深さに比べて、二人が向き合っている部屋の、なんという小ささか、と思った。ふと、咲を救える薬を、タイムスリップの際に持ちこんでいるかもしれない、と思い出した仁は、慌ててその薬を探しに出て行く。そして、永遠の別離。
薬を探して、現代に立ち戻った仁は、もうひとりの自分を再び過去に送り込む。静かに閉じていく円環、わずかな歴史の動揺。事典の中に見出す仁友堂の面々(あれは嬉しかったなー)。そして、橘家のあたりを訪れた仁は「橘医院」の看板を見つけ、咲の子孫(実際は咲の養女となった、野風の娘・安寿の子孫)と出会って、咲の手紙を渡される。仁が送り届けた薬によって、咲は一命を取りとめたこと。しかし、誰もが南方仁の存在を忘れ、咲もまた、仁の顔や名前を思い出せなくなっていたこと。けれども、薄れゆくその人の面影に向けて、咲は確信をもって「お慕い申しておりました」と記す。
仁もまた、タイムスリップの体験を少しずつ忘れ始め、夢に現れた龍馬は「それでいい」と語りかける。「見えんでも、聞こえんでも、わしらはそばにおるぜよ」と。ここも涙腺崩壊ポイントだった。脚本家は、過去に生きた人たちの「見えんでも、聞こえんでもおるぜよ」という、微かな囁きを聞くことができる人なんだなと思った。未来をつくろうとした人たちは、この世界をずっとどこかで見ているんだろう。有名人だけではなくて、無名の人々もまた。幼い頃の自分をかわいがってくれた祖母とか、近所のおばさんとかも、ずっと私のそばにいるのかもしれない、などと妄想が広がっていった。でも、作り手の意図を超えて妄想するのって、元来、小説やドラマの正しい受け取り方だと思うので、冷笑されても気にしないことにしよう。
キャストでは、内野聖陽さんの龍馬の次に好きだったのが、小日向文世さんの勝海舟。小日向さんの海舟にも、ずっとこの世界を見守っていてほしい。いろいろ毒づきながら。思考様式がほぼ近代人の海舟と、古武士の風格ある新門辰五郎親分(中村敦夫さん)が同居していたのが、幕末という時代だったんだなあ、とも思った。衣装も美術も小道具もよかったし、屏風や襖絵にも、他のドラマにないリアリティがあった。細部を誉め始めれば切りがないが、とりあえず最終回に花束を。
実は、本日発売の『JIN-仁- 完全シナリオ&ドキュメントブック』を買ってきてしまったので、このドラマのことは、もう1回書くかも。