見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

楽しいキャラクターたち/物語る絵画(根津美術館)

2023-07-30 21:27:41 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『物語る絵画』(2023年7月15日~8月20日)

 源氏物語や平家物語など人気を博した物語は、成立後ほどなくして絵画化がはじまる。本展は、物語の範囲を仏教説話や能、幸若舞(こうわかまい)やお伽草子などにまで広げ、絵画化されたさまざまな物語を味わいながら、いにしえの人々が物語のどのような場面に心惹かれたのかということにも注目する。

 私の好みを直撃するような展覧会で楽しかった。物語を絵画化した絵巻や画帖は、ああ、このキャラクターのこの場面をこう描くか~というのが、絵の巧拙とか美術的価値とは別に、とても楽しいのだ。『十二因縁絵巻』は私の大好きな作品(最強の羅刹の無明!)。『絵過去現在因果経』は王子シッダールタが城を出る場面で、白馬に乗った王子の前後に二人の従者が付き添い、さらに四人の天女が馬の走りを助けている(みたい)。その後、王子との別れを惜しむ白馬と従者がかわいい。

 『融通念仏縁起絵巻』は初めて見る場面のように思った。地獄の釜でゆでられかけた女が、念仏の功徳で生き返らせてもらうのだが、残念そうな馬鬼と、人のよさそうな牛鬼の姿に笑ってしまった。『北野天神縁起絵巻』(室町時代)は、時平の両耳から蛇が現れたり、落雷による火災で藤原清貫(即死)や平希世(重傷)が炎に包まれていたり、描写がえぐい。慌てて出家する醍醐天皇も描かれているが、左右に分けた髪が散らからないように奉書紙か何かで巻いて、頭頂に剃刀を当てるのだな。

 屏風では、やはり『浮舟図屏風』が目を引く。私はこれ、見たことがあるはずなのに、こんな巨大な屏風だということを忘れていて(床の間の掛け軸くらいに思っていた)会場であっけにとられてしまった。つくづくヘンな構図を考えるものである(最大級に褒めている)。

 展示室2は「御伽草子と能・幸若舞の絵画」を特集。『酒呑童子絵巻』は、幼い頃の酒呑童子が「鬼踊り」を発案し、宮中に奉納する一段。華やかな衣裳に鬼の仮面を付けた童子たちが、都大路で踊る姿は、中国古装ドラマを思わせる。『妖怪退治図屏風』(個人蔵、伝・岩佐又兵衛筆)には「『田村』の鬼退治の場面であることが最近判明した」という解説が付いていた。2020年の府中市美術館での展示の際も、坂上田村麻呂の名前は出ていた。参考出品の『鈴鹿合戦蒔絵硯箱』も謡曲『田村』を主題にしたもので、千手観音の姿は描かないが、降りそそぐ矢の軌跡を金色で表すことで、偉大な存在の加護を表現している。『田村』の詞章によれば、千手観音は「千の御手ごとに」弓を持って矢を放つのだという。これは強い。私は子年で守り本尊が千手観音なのだが、こんなに武張った一面があるとは知らなかった。

 あと『舞の本絵巻 つきしま(築島)』が出ていて、日本民藝館の?!と思ったら、根津美術館本(室町時代)だった。『舞の本絵本断簡』(江戸時代)は初公開。42演目を含み、絵画化されることの少ない演目もある点で貴重だという。だが、私は能楽に詳しくないので、どの解説の梗概を読んでも、へえ~そんな物語なんだ、と感心していた。「張良」(劉邦の軍師)や「鎌田」(源義朝の家人・鎌田正清)、私の知ってる物語とずいぶん違った。

 展示室5は、能面と能衣装。展示室6は「盛夏の茶事」で、床の間には、岡寺切(順集断簡、定信筆)。濃い青の料紙が涼し気だった。

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官家(皇帝)のつとめ/中華ドラマ『清平楽』

2023-07-29 23:52:54 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『清平楽』全69集(湖南衛視、騰訊視頻、2019年)

 中国ドラマファンの評判がよいことを聞いていたので、いつか見ようと思いつつ、機会がないままになっていたら、5月からBSで『孤城閉~仁宗、その愛と大義~』のタイトルで日本語字幕版が始まった。しかし私はBSを見られる環境がないので、ネットで中文版の視聴を始め、気がついたらBS放送を追い越して視聴を終えてしまった。結果は、たいへん満足している。さすが正午陽光影業のクオリティだった。

 ドラマは北宋皇帝・仁宗(趙禎)の少年時代から始まる。仁宗は、父の真宗の崩御により幼くして即位したが、政治の実権は太后・劉氏が握っていた。仁宗は、宮廷から遠ざけられた生母の李氏に一目会うことを願うが、太后は許さず、李氏は身罷ってしまう。やがて太后も没し、青年・仁宗は自身の政治を開始するが、少年時代の経験は彼の生涯に大きな影響を与えていく。

 問題のあった最初の皇后が廃されたのち、廷臣たちが仁宗に奨めたのは、曹丹姝との婚姻。丹姝は兄たちに混じって武芸をたしなみ、男装して学者・范仲淹の講義を聴きに行くなど、聡明で自立した女性。新しい政治に意欲的な若き皇帝の噂を聴き、その大業を支えたいと強く思う。仁宗は皇后として完璧な丹姝に敬意と信頼を抱きつつ、太后の姿を思い出して、親しむことができない。

 一方、仁宗は、身分の低い舞姫の張妼晗が一途に自分を慕う姿に慰められ、後宮に入れて寵愛する。このへんは後宮ドラマの定石どおりで『延禧攻略』や『如懿伝』に描かれた女の戦いを思い出した。しかし本作は、「後宮」(女たちの世界)と「前朝」(廷臣たちの世界)の両方に目配りし、仁宗の政治や外交の事跡も丁寧に描いていく。多くの人材を登用したと言われるとおり、韓琦、晏殊、范仲淹、富弼、欧陽修、蘇舜欽など、多士済々。知っている名前も多かったし、知らない名前は調べた。悪役の夏竦も、めんどくさい司馬光も、人間的な魅力が感じられた。仁宗自身も、果断に白黒をつけるよりは、恨みが残らないよう、廷臣の話をよく聞き、バランスをとっていくのが官家(皇帝)の仕事だと思っているようだった。

 仁宗は子女には恵まれなかった。曹皇后は一度も懐妊することなく、貴妃の苗心禾が生んだ皇子・最興来は2歳で夭折した。張妼晗も何度も幼い皇女を失っている。仁宗は、ひとり寂しく亡くなった生母の李氏が、自分の子供たちを取り上げているという考えに囚われるようになる。そして、ただひとり成長した皇女の徽柔(母親は苗心禾)を李氏にゆかりの李瑋に嫁がせようと考える。

 徽柔は、尊敬する曹皇后を放置して張妼晗の勝手気ままを許している父親に厳しい眼を向けてきた。その徽柔が恋心を抱いたのは、皇后の甥でもある曹評。だが、仁宗は李瑋との結婚を強要する。絶望した徽柔の心の支えとなったのは、幼いときから影のように付き従ってきた内侍(宦官)の梁懐吉。しかし梁懐吉との親密さを疑われ、徽柔は宮城に戻され、廷臣から梁懐吉の死罪を求める声が上がる。ひたすら懐吉のために許しを請う徽柔。後宮の秩序を乱す張妼晗をあれほど嫌っていた徽柔が、人を恋うる情でいっぱいになって、何も見えなくなっているのが、哀れで美しかった。

 仁宗は懐吉に下すべき罰は下すが、その命は守り抜く。官家(皇帝)の仕事は「民生」「愛民」だが、その民はどこにいるか。朕のまわりにいる内侍や宮女たちも民である、と仁宗は説く。別の場面(曹皇后と二人きりの場面)では、自分は聖君ではないから全く私情を残さない行為はできない、とも語っていた。ひとり娘の徽柔に甘くなるのは当然の人情である。私情や私欲を肯定して、さらに民の利益を考える、ちょっと新しい皇帝の姿じゃないかと思う。仁宗、最晩年に皇后に向かって「生まれ変わったら、もう一度官家になりたい」と言うのだが、ええ、こんなに気苦労の多い仕事を?と驚いた。

 懐吉をはじめとする宦官の描き方も新鮮で印象的だった。少年時代から仁宗のそば近く仕えるのは張茂則。篤実な人柄で、曹皇后に秘めた思いを抱くような描写もあるが、つねに仁宗に忠義を尽くす。徽柔(福康公主)と梁懐吉の話は史実として記録に残っているのだな。知らなかった。懐吉が公主の嫁ぎ先の義母から「不男不女的怪物」と罵倒されたときは、聞くだけでこっちの胸が痛んだ。運命を受け止めて生きていく人々の気高さ。でも懐吉も茂則も、本当の胸の内は言葉にせず、表情だけで視聴者の読み解きに任せるところが、品のよいドラマである。

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2023年7月名古屋:幻の愛知県博物館(愛知県美術館)

2023-07-27 22:03:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

愛知県美術館 企画展『幻の愛知県美術館』(2023年6月30日~8月27日)

 博物館好きにはとても面白い企画展だった。企画趣旨に云う――現在愛知県には、県立の総合博物館がありません。けれども明治時代に遡ると、この地に「愛知県博物館」は確かに存在していました。1878(明治11)年に県が民間からの寄附金を集めて建てた博物館は、古く貴重な文物から味噌や醤油、酒、木材、織物、陶磁器、絵画、機械、動植物等々、国内外のあらゆる物産を集め、人々の知識を増やして技術の発展を促そうとしました(後略)。

 日本全体として見ると、1867(慶応3)年、幕府と薩摩藩、佐賀藩は第2回パリ万国博覧会に物産を出品し、その関係者が明治新政府で博物館行政を担うことになる。町田久成は歴史ある文化財を守るため、大英博物館を参考にした。佐野常民はロンドンのサウスケンジントン博物館のような殖産興業に役立つ技術博物館を理想とし、田中芳男はパリ植物園をモデルにした自然史博物館を夢想した。この三者の「理想」の違いがたいへん興味深い。我が国の博物館は、文科省→内務省→農商務省と所管を移し、次第に殖産興業の色を濃くするが、1886(明治19)年に宮内省に移ると、今度は美術博物館としての性格が鮮明になる。かつて関秀夫『博物館の誕生』でも読んだところだけれど、本当におもしろい。

 明治初年の博覧会の人気者といえば名古屋城の金鯱である。維新後、最後の尾張藩主・徳川慶勝は名古屋城の取りこわしと金鯱の宮内省献納を発議する。取り外された金鯱は、国内外の博覧会で展示された。そうだ、1873年のウィーン万博に出品された品々は、帰りの貨客船の沈没によって失われてしまったが、大きすぎて別便をあてがわれていた金鯱は無事だった。しかし、金鯱のこのような扱いを忍びないと考えた愛知財界の有力者たちが費用を工面し、金鯱は名古屋城の天守に戻されることになった。さらに1930年、名古屋城は城郭として初の国宝に指定され、名古屋市に下賜された。しかし1945年の名古屋大空襲によって名古屋城は焼失し、金鯱も灰燼に帰する。金のウロコの一部が残っているのはともかく、金の残骸からつくった純金の茶釜が保存されているというのは初めて知って、苦笑してしまった。

 博物館については、1878(明治11)年、愛知県は県費に民間からの寄附金を加え、大須・総見寺境内に博物館を設けた。しばらくの間は株式会社として運営されたが、1883(明治16)年に県営化し、愛知県博物館となる。古文化財から最新の産業品まで古今東西のさまざまな資料を収集し、植物園や動物園まで備えた一大総合博物館だったという。その後は、愛知県商品列品館となって商工業の指導役割を鮮明にし、戦後は中小企業の経営・創業支援と貸館事業に特化して、博物館としての体裁を失う。この現在の後継組織が、愛知県産業労働センター(ウインクあいち)だという。ええ~! 奇遇なことに、月曜の出張の用務先がウインクあいちだったので、びっくりした。

 また、大須・七ツ寺には私立の愛知教育博物館が存在し、その関連資料は、明倫博物館を経て、学習院大学が所蔵しているというのも興味深かった。2022年の龍谷ミュージアム『博覧』展でも思ったが、博物館や博覧会の歴史は、それ自体、とても面白いテーマである。これは展示図録を買って帰って、ゆっくり勉強しようと思ったら、図録はまだできていなくて、8月末の刊行予定だった。残念。

 しかし愛知県のように、歴史博物館や総合博物館がない都道府県はほかにもあるのかな、と思って調べてみたら、なぜか三重県のサイトに「全国都道府県県立博物館・美術館一覧表」(PDFファイル)が掲載されていた。静岡県には県立博物館がないが、静岡市歴史博物館(2023年1月オープン!)がある。同様に愛知も、大好きな名古屋市博物館があるので、決して歴史文化不毛の地ではないことは強調しておきたい。

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2023年7月名古屋:徳川家康(徳川美術館)

2023-07-26 22:04:59 | 行ったもの(美術館・見仏)

徳川美術館名古屋市蓬左文庫 夏季特別展『徳川家康-天下人への歩み-』(2023年7月23日~9月18日)

 日曜から名古屋に行くことになり、調べたら、この夏季特別展の初日に当たっていたので、さっそく見て来た。今年の大河ドラマ『どうする家康』でも注目の集まる、徳川家康の生涯を紐解く。展示構成としては、はじめの第1~第5展示室は、いつもより家康に注目しつつも、それ以外の品々もそろえた名品コレクション展示。

 第1室、『三団子形馬標』は、関ヶ原合戦の時、家康四男の松平忠吉が使用し、忠吉の遺領を継いだ義直に譲られ、尾張家に伝えられたもの。初めて見たので珍しかった。刀剣と太刀拵が多数出ていて、マニアの女性で賑わっていた。私はどちらかといえば、火縄銃や口薬入(火薬入)のほうが興味深い。銃身に太陽神アポロを刻んだ火縄銃は、以前にも見たことがあるのを思い出した。茶道具、書画を見て、「大名の雅び」の部屋に『津島社祭礼図屏風』が出ていたのも嬉しかった。

 蓬左文庫の展示エリアは特別展の主要部分で、史料を中心に家康の生涯をたどる。家康・信長・秀吉・信玄らの書状や朱印状、合戦図屏風、陣立図など。60件近い史料のほとんどが徳川美術館か蓬左文庫の所蔵である。その中に森村宜稲筆『石合戦図』(明治~昭和時代)という絵画があった。大人に背負われた幼い家康が、石合戦の勝負の帰趨を当てた場面を描いたもので、私は歴史マンガで読んだ思い出がある。この説話、調べたけど出典は分からないようだ。

 徳川美術館エリアに戻って大展示室は、尾張徳川家に贈られた駿府御分物(家康の遺産)を中心に、政治と学問・茶や香道といった芸能などに焦点を当てる。今年の大河ドラマですっかり有名になった『薄水色麻地蟹文浴衣』も出ていた。カニ柄の浴衣は知っていたが、むしろ辻ヶ花染の小袖や羽織はおしゃれで驚いてしまった。『薄浅葱麻地下帯』は8メートル以上もあって、腰巻や腹巻を兼ねると説明されていたけど、どういうことなんだろう? 鹿革製の白足袋もあった。

 『花色日の丸威胴丸具足』は、青の地色にオレンジ系の赤色の大きな円(日の丸)がよく目立つ。唐突に「イギリス国王に贈った甲冑と同一の特徴」という解説があり、気になって調べたら、徳川家康・秀忠がイギリス国王・ジョージ3世に贈った『色々威胴丸具足』(イギリス王立武具博物館)のことらしかった。江戸博の特別展『大江戸の華』に出陳されたときに見ている。あと絵画ではおなじみの『母衣(ほろ)』も現物は初めて見たように思う。高級パジャマみたいな白のシルク製だった。

 書籍は金沢文庫伝来の『続日本紀』(巻本)、河内本『源氏物語』、駿河版(活字本)『大蔵一覧集』など。結果論かもしれないけれど、信長、秀吉と比べたとき、最も伝統に忠実でバランスのとれた文化人だったように思う。定家の書を好んで、学んでいたというのも面白かった。最後に『駿府御分物道具帳』そのものも展示されており、元和2-4年作成の原本らしかったが、紙が真っ白できれいなのが印象的だった。

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2023大須観音の旧文庫

2023-07-25 22:10:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

 昨日(月曜)は朝から名古屋で仕事だったので、日曜から前乗りして、少しだけ遊んできた。徳川美術館と愛知県美術館を参観して、そのあと、初めて大須観音(真福寺宝生院)を訪ねた。2013年1月に名古屋市博の『古事記1300年 大須観音展』を見て以来の念願を、10年越しで実現したことになる。

 多少リサーチしてきたので、まわりが古着屋・メイド喫茶・昼呑み・名古屋めしなど、何でもありの商店街なのは驚かなかった。仁王門をくぐって、石段の上にあるのが、本尊・聖観音をお奉りする本堂で、南面している。

 本堂の裏手(東側)の1階に寺務所があるので、ご朱印をいただきに寄った。右(東)の瓦屋根の建物は、大須観音の「境内見取図」によれば、庫裏と客殿。そして庫裏の北側、東北の隅に「旧文庫」があるらしいのだが、ここからは見えない。ご朱印を書いていただいた女性の方に地図を見せて「この旧文庫は、外観だけでも見ることはできないでしょうか?」と聞いてみたが、急に厳しい表情になって「だめです。できません」と言われてしまった。

 表に戻ると、庫裏・事務所の入口には、ちゃんと案内板も立っているのだが…。

 あきらめ切れないので、境内のまわりをぐるりと歩いてみた。マンションや店舗がびっしり立ち並んでいるが、東側の通りには駐車場があって、ちらりと旧文庫らしい建物の屋根が見えるところがあった。

 北側にも駐車場が。繫茂する緑の植物越しに見えた白い壁は旧文庫だろうか(興奮し過ぎて、車止めにつまずいて転んでしまった…人通りがなかったのが幸い)。

 

 大須文庫、まれに展示会をすることもあるのだな。しかし見つけたのは、どちらも「1日限定」で、東京から駆けつけるのは相当難しいけれど。

「現存最古の古事記、里帰り 名古屋・大須観音で限定公開」(産経新聞 2023/3/5)

「大須文庫 貴重な蔵書公開」(朝日新聞 2018/3/28)

 このあと、久しぶりに熱田神宮にも参拝してきたが、せっかく大須観音に行ったのだから、七寺(ななつでら、長福寺)にも寄ればよかった。また次回!

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門前仲町グルメ散歩:2023夏・初かき氷

2023-07-22 20:32:12 | 食べたもの(銘菓・名産)

今年も初かき氷は門前仲町の伊勢屋で。盛りがよすぎて、アングルによっては器が見えない。ただの氷のカタマリのようだ。

最近は夜の営業をしなくなってしまったので、週末でないと店に行けない。週末も17時閉店なので、今日は16時過ぎに入ったら、もう「close」の札が出ていた。「食事でなければ、どうぞ」と通してくれて、ありがとうございます。かき氷を食べると、一気に体が冷えて、暑さ負けから回復する。

そういえば、昨年まで足付のうつわ(パフェグラス)だったのが、今日は平底のカップに変わっていた。

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2023年7月関西旅行:聖地南山城(奈良博)ほか

2023-07-21 22:47:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

法相宗大本山興福寺 国宝館

 朝から暑い1日。南円堂でご朱印をいただき、9:00開館の国宝館を久しぶりに見ていく。いつもの名品が揃っていたが、初見のように思ったのは絵画の『尋尊像』。目鼻の小さい丸顔で、気の弱そうな肖像だった。名前に記憶があったのは呉座勇一氏の『応仁の乱』に取り上げられていたためだと思う。

東大寺ミュージアム

 2020年7月から戒壇院の四天王像が展示されていたが、本年秋頃の戒壇堂拝観再開に向けて四天王像を移動するため、同館は8月28日から9月30日まで休館になるという。戒壇院で以前のように安置されるなら、拝観に支障はないので焦る必要はないのだが、今の状態をもう一度見ておこうと思って寄った。ちょうど四天王像の向かい側に、もと四月堂の千手観音の脇侍となった日光菩薩・月光菩薩がいらしたが、かつては三月堂の不空羂索観音の脇侍だった、なんていうのも、もはや老人の昔話かなあ、と思った。

奈良国立博物館 浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念・特別展『聖地 南山城-奈良と京都を結ぶ祈りの至宝-』(2023年7月8日~9月3日)

 南山城(京都府の最南部)とその周辺地域の寺社に伝わる仏像や神像を中心に、絵画や典籍・古文書、考古遺品などを一堂に展観し、この地に花開いた仏教文化の全貌に迫る。私は「南山城」と聞いて、浄瑠璃寺・笠置寺くらいしかイメージしていなかったのだが、西の精華町、京田辺市、北の城陽市、宇治田原町など、かなり広域にわたり、観光ガイドに載らないような小さな寺院・神社も丹念に取り上げていて、とても面白かった。奈良博の広報キャラクター「ざんまいず」が茶摘みの姉さんルックだったのは、このあたりがお茶の産地であるためらしい。知らなかった。

 わずかな回数だが行ったことがあり、なつかしかったのは、海住山寺、蟹満寺、寿宝寺など。むかしから知っているのに行けていないのは笠置寺。素朴絵ふうの『笠置寺縁起絵巻』(室町時代)かわいいなあ。初めて知ったのは、禅定寺(宇治田原町)。海坊主かオットセイみたいな獅子に乗った文殊菩薩騎獅坐像にまた会いたい。常念寺(木津川市)からは『仏涅槃図』(鎌倉時代)や釈迦如来および両脇侍像(普賢・文殊)が来ていた。前日、京博で十王像を見たお寺である。大智寺(木津川市)の『悉達太子捨身之図』は曾我蕭白『雪山童子像』の典拠ではないかと推定される作品。

 浄瑠璃寺からは「その1」と「その8」の2躯がいらっしゃっていた。お顔立ちの違いがよく分かるチョイスである。ぐるりと背後にも回れる配置で、光背は外して壁際に展示されていた。同一規格のもと複数の工房が請け負い、競い合って創作したのではないかという想定がおもしろかった。もと浄瑠璃寺に伝来し、今は静嘉堂文庫が所蔵する十二神将立像が揃って「里帰り」していたのも嬉しかったが、せっかくなら短期間でも浄瑠璃寺に戻してあげたかった。

大和文華館 特別企画展『追善の美術-亡き人を想ういとなみ-』(2023年7月7日~8月13日)

 人々がどのように身近な「死」と向き合ってきたのか、その結晶として生み出された多様な美術品を通して、亡くなった人々の供養をめぐるいとなみを紹介する。はじめに中国の俑・明器、日本の埴輪など、直接に死者に捧げられた美術品の数々。次に「死と向き合う」とまとめられた六道絵、十王図など。中国・元時代の絹本着色『六道図』は、マニ教絵画として知られるものである。最上段はマニ教の天国で、建物の中に男女二神の姿が見える。その下にやや大きく描かれているのがマニで、左右に赤衣と白衣の侍者を伴う。さらに下では平等王が亡者を裁いており、雲に乗った処女神ダエーナの姿がある。また『病草紙断簡』(鍼治療を受ける男性)や『平治物語絵巻断簡』(敗走する源義朝、隣りに金王丸、前方の若武者は頼朝?)も見ることができて嬉しかった。後者の解説に「馬に疲労の色が見える」とあって、遠目には分からなかったが、画像を探して見ると、そうかもしれない。

 『子守明神像』や『笠置曼荼羅図』、桃山時代の『婦人像』は、追善のために制作されたのではないかと推定されていた。『柿本宮曼荼羅図』も同様に追善供養の作だというが、全体にのんびりとやわらかい色合いで、絵本の「ちいさいおうち」のような宮の様子が微笑ましかった。滋賀・西教寺蔵の『前田菊姫像』は特別出陳。幼い子どもの追善はちょっと辛い。

中之島香雪美術館 企画展『唐(から)ものがたり 画(え)あり遠方より来たる』(2023年6月17日~7月30日)

 これまでまとまった形で展示されることがなかった、村山龍平コレクションの中国絵画を一挙に公開する。ただし見る価値があるのは、因陀羅筆『維摩居士図』くらいか。「伝〇〇筆」という立派な名前が冠せられた作品は多いが、だいたいは後代の作か、時には中国絵画ですらないこともある。伝徽宗筆『梔小禽図』とか、よくも言ってのけたと呆れてしまったが、今と違って写真も複製もない時代、人々が「唐もの」に抱いた憧れを笑うことはできない。

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2023年7月関西旅行:歌と物語の絵(泉屋博古館)+少女たち(京都文博)

2023-07-18 00:40:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館 企画展『歌と物語の絵-雅やかなやまと絵の世界』(2023年6月10日~7月17日)

 会期末の週末に駆け込み鑑賞。屏風や絵巻物などの物語絵と歌絵を紹介するコレクション展。実はちょっと意外な感じがしていた。泉屋博古館と「やまと絵」があまり結びつかなかったのだ。しかし展示の19件は、確かに全て同館の所蔵品だった。最も古い作品は伝・公任筆『中色紙』(古今355・つるかめもちとせののちはしらなくに)。巧いとは思わないが、たよりなげで雅やかな筆跡である。三十六歌仙を描いた書画帖(江戸時代)が2種類出ていた。松花堂昭乗を作者とするものは、書(和歌)と絵が交互に貼られている。近世らしく、人間味を感じさせる歌仙絵である。

 屏風は見覚えのない作品もあって面白かった。『柳橋柴舟図屏風』(六曲一双)は、ひろびろした川面を柴舟が三艘渡っていく。金地よりも若草のような緑色が目立って、のんびりした雰囲気。『秋草鶉図屏風』は、なんだかウズラがいっぱいいて、ちっとも寂しさを感じない。『扇面散・農村風俗図屏風』は右隻が扇面散らし。全く文字が書いていないのに、この扇面はこの和歌と説明されていて、どうして図柄だけで断定できるんだろう?と思ったら、光悦著『扇の草紙』という典拠があるのだった。左隻の農村風俗図には、田んぼを眺める父親と子供、それに夕顔の這いつたう質素な家の前で、腰巻ひとつの母親が幼子に乳を与えている。

 絵巻は『是害坊絵巻』が楽しい。唐の天狗・是害坊はちょっと図々しいが憎めない。狩野益信筆『玉取図』は縦長の画面に、船の上で見守る人々、命綱をつけて潜っていく海女、海底から躍り上がる龍神と、物語の要素を全て盛り込んでいて見事である。この日は久しぶりに青銅器館もひとまわりしてみた。

京都文化博物館 特別展『発掘された珠玉の名品 少女たち-夢と希望・そのはざまで 星野画廊コレクションより』(2023年7月15日~9月10日)

 京都・東山岡崎にある老舗の画廊、星野画廊のコレクションから「少女」を描いた日本画と洋画約120点を展示する。冒頭に、おそらく知らない画家の作品がほとんどでしょう、みたいな言葉が掲げられていた。確かに、例外的に北野恒富や島成園、岡本神草、甲斐荘楠音のような知っている名前もあり、2022年の府中市美術館の展示で覚えた笠木治郎吉の作品もあったけれど、それはほんの一部である。多くは初めて聞く名前、いや、そもそも「作者不詳」の作品も多い。でも、明治、大正、昭和と、ああ日本人はこういう絵を描いて、こういう絵を好んできたんだなあ、というのが、なんだか腑に落ちる感じがした。

 入口に「どの作品が一番好きかを考えながらご覧ください」というアドバイスもあり、最後に人気投票のパネルがある。私は笠木治郎吉の『下校の子供たち』(歴博で見たもの)と迷ったが、菊池素空『羅浮仙女』にシールを貼ってきた。会期の初日だったので、まだ貼られているシールは少なかったが、最終的にどういう結果になるのか、楽しみである。

 歴史好きなので総合展示の『足利将軍、戦国を駆ける!』(2023年6月10日~8月6日)と『足利将軍が見た山鉾巡行』(2023年6月17日~8月13日)も面白く見た。足利義政が祇園祭の行列を自宅(烏丸第)前に呼びつけたエピソードには笑ってしまった。この2つの展示 には「室町幕府滅亡後450年」(1573年滅亡)という共通キャプションが付いているのだが、滅亡をアニバーサリーにされるの、どうなんだろう。

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2023年7月関西旅行:名品ギャラリー(京都国立博物館)

2023-07-17 16:35:52 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 特集展示『茶の湯の道具 茶碗』(2023年6月20日~9月10日);『新収品展』(2023年6月13日~7月17日);名品ギャラリー『縄文土器と土偶』『15世紀の白描絵巻』『地蔵と閻魔』『古筆とかなの美』『袈裟と名物裂-舶載された染織-』『錺りの美-仏をかざる-』『豪商の蔵III-茶室を彩る漆-』

 各地の博物館・美術館で夏の企画展が始まっている。加えて、見に行きたい公演や祭礼もある一方、地元・東京の夏の行事も復活しており、仕事もあり、経費の制約もあり、いろいろ考えた結果、三連休の土日だけ関西で遊んできた。

 京博は2つの特集を含む常設展示。うぉ~久しぶりだ~!と思ったが、2022年1月にも、いちおう常設展期間に来ていた。しかし今年のように、夏場をまるっと常設展示にあてるのは、近年、珍しいのではないだろうか。かつて、いまの明治古都館が特別展会場で、平成知新館の前の常設展ギャラリーがあった頃は、私はけっこう常設展を目当てに京博に来ていた。お手軽な料金で特別展級の国宝・重文を見ることができ、新しいジャンルに出会うこともできて、とてもよかった。いまの京博は、施設的な制約で常設展示を「常設」できていないのだが、早くなんとかしてほしい。

 3階の「茶碗」は日中韓(唐物茶碗、高麗茶碗、和物茶碗)の名品が集合。絵高麗、井戸茶碗など高麗茶碗多めの印象を受けたのは、畠山記念館(休館中)のコレクションが出ていたためかもしれない。2階「15世紀の白描絵巻」は『中宮物語絵巻』『藤の衣物語絵巻』『源氏歌合絵巻』を展示。『中宮物語』面白いなあ。物語の筋は、ほぼラノベか少女マンガである。いや中国語の解説に「貴公子」「貴女」とあるのを読んでいると、宮廷恋愛ファンタジードラマみたいな気がしてくる。後半が失われているのが惜しい。「新収品」は、磁州窯(金~元時代)の『黒釉掻落牡丹文壺』や『伝後伏見天皇宸翰』(室町時代)が寄贈で入ってくるのがすごい。装飾が見事なオランダ製の『木彫交椅』(17世紀)など購入品も展示されていた。

 1階は彫刻展示の大ギャラリーに入って驚いた。巨大な甲冑姿の天王像が、周囲を睥睨するように立っていたのだ。よく見ると、間にほかの仏像を挟んで左右の端に1躯ずつ。近寄ってみるとキャプションに「東福寺展先行展示」の注が付いていた。東博でも見たものだが、照明や展示空間の効果か、京博のほうがカッコよく見えた。特に、向かって右の吽形がよい。ミケランジェロの彫刻(見たことないけど)みたいな気品と迫力。ふだんは「東福寺の収蔵庫に収められている」というのはもったいない。大きな仏像と向かい合うかたちで、ガラスケースに収まっていたのは、十王坐像(+倶生神+奪衣婆)。十王が揃うものとしては現存する最も古い作例だという。「京都・常念寺」とあっても、どこのお寺か分からなかったが、翌日、奈良博『聖地 南山城』展で同じ名前に出会うことになる(たぶん木津川市加茂町のお寺)。

 1階「古筆とかなの美」は14件のうち、国宝3件、重美5件。手鑑『藻塩草』を久しぶりに見た。『石山切』の貫之集断簡が4件、伊勢集断簡が3件。これはもう、京博にしかできない常設展示だろう。更紗や金襴もおもしろかったし、鍍金の透かし彫りの華籠や経箱も美しかった。京博が常設展示を復活してくれたら、私は1年くらい京都に住んで、通い倒すのであるが…。

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2023祇園祭・前祭宵々山

2023-07-16 21:23:05 | 行ったもの(美術館・見仏)

 三連休の土日を使って、弾丸ツアーで関西の展覧会を見て来た。土曜が祇園祭・前祭の宵々山に当たっていたので、本格的に人出が多くなる前に少し見てまわった。2021年は後祭だったので、前祭の山鉾を見るのは久しぶりである。

 八坂神社に近いあたりでは、四条通りのアーケードに、ご神紋をあしらった丈の短い幕が張り渡されていた。白と黒の色合いなのが、ピリッとした神事らしくてよい。

 四条通りの月鉾。むかしはけっこう気楽に鉾に上がらせてもらったのだが、今年はどこも順番待ちの長い列ができていたのであきらめた。ご神体や懸装品を公開する会所への入場も(コロナ対策の意味もあって)制限しているところが多かったように思う。

 私の大好きな蟷螂山。

 しかし、粽、Tシャツ、扇子、全て完売だった。Tシャツは、毎年、デザインが変わるらしいのだが、来年もこれを継続販売してくれないかなあ。欲しい。

 船鉾も好きだ。2014年に復活した大船鉾よりもひとまわり小さいが、京都の狭い路地に現れると全く左右に余裕がない。舳先の金色の鷁(げき)がカッコいい。

 船尾の舵は黒漆塗螺鈿の飛龍文。飛龍というより、龍の分類でいうと応龍かな。

 祇園祭のときは、町名が腑に落ちる。ここは船鉾町。

 ニュースによれば、宵々山の人出は28万人だったそうだ。う~ん、今年はコロナ明けで仕方ないが、もう少し加熱がおさまってくれることを望む。私は暗くなる前に離脱して、昨夜は奈良泊まりだった。

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