見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2021年10月@東京:展覧会拾遺

2021-10-29 20:47:46 | 行ったもの(美術館・見仏)

 緊急事態宣言がようやく解除されて、2年ぶりの本格的な展覧会シーズンが始まった感じである。忙しいけれど、うれしい。

■丸善・丸の内本店4階ギャラリー 第33回慶應義塾図書館貴重書展示会『蒐められた古(いにしえ)-江戸の日本学ー』(2021年10月6日~10月12日)

 国学者・橋本経亮(つねすけ、1759-1805)の「香果遺珍」(橋本が書写・蒐集した約1,200点にも及ぶ旧蔵資料群)を中心に、松平定信、本居宣長、上田秋成、藤貞幹、狩谷棭斎など、江戸時代の好古と蒐集の文化に関する資料80点を展示する。関連文献を読んだら、「香果遺珍」は、戦後まもなく寄贈されたにもかかわらず、未整理のままで研究者が利用できない状態だったそうだ。2013年度に予備的調査を開始し、2020年度末に整理を完了したという。こういう地道な資料整理の努力は、今も多数の図書館・文書館で行われているのだろうな。頭が下がる。

たばこと塩の博物館 特別展『杉浦非水 時代をひらくデザイン』(2021年9月11日~11月14日)

 日本におけるモダンデザインのパイオニアとして知られる杉浦非水(1876-1965)の足跡を、非水の故郷にある愛媛県美術館所蔵のコレクションを中心に、東京美術学校時代の作品から晩年のデザインまで約300点(展示替え有)の展示でたどる。非水の代表作(三越のポスターなど)は何度もいろいろなところで見ているが、図書の装幀、図案集、生涯にわたって描き続けた写実的な植物スケッチ画など、新しい面を知ることができて収穫だった。非水と妻の翠子(アララギ派の歌人)の写真や非水の遺愛の品など、アーカイブ資料が充実していたのも面白かった。

埼玉県立近代美術館 企画展『美男におわす』(2021年9月23日~11月3日)

 江戸時代から現代まで、日本の視覚文化のなかの美少年・美青年のイメージを、浮世絵・日本画・彫刻・挿絵・マンガ・写真といった幅広いジャンルから紹介し、人々が理想の男性像に何を求めてきたかを探る試み。ふだん敬遠しがちな現代美術も「美男」という切り口が示されていると、入りやすくて楽しめた。マンガは、よしながふみなど2000年代以降の作品はよく知らないのだが、竹宮恵子が表紙を飾った雑誌「JUNE」や魔夜峰央の「パタリロ!」は懐かしかった。安田靫彦や松岡映丘の描く若武者は確かに美少年ないし美男である。それから、高畠華宵の存在はしみじみ大きいと思う(美少年文化についても、美少女文化についても)。

 作品では、吉川観方の『入相告ぐる頃』を久しぶりに見ることができて嬉しかった。朱鞘の刀でカッコつける少年たちがかわいい。三宅凰白の『楽屋風呂から』は初見。芝居が跳ねて、一風呂浴びた役者二人(ひとりは女形)が見交わす視線の艶めかしさにどぎまぎする。しかし、全体を通してこの展覧会の「美男」の境界線(何が排除されるのか)はよく分からないところがあった。

神奈川県立歴史博物館 特別展・開基500年記念『早雲寺-戦国大名北条氏の遺産と系譜-』(2021年10月16日~12月5日)

 伊勢宗瑞(北条早雲)を開基とし、大永元年(1521)北条氏綱が建立したとされる早雲寺の開基500 周年を記念し、寺宝等を展示する。金湯山早雲寺は、箱根湯本にある大徳寺派の寺院で、北条五代の墓所があることでも知られる。一回くらい行ったことがありそうだが、記憶にない。展示の見どころは、北条五代の肖像画で、早雲寺に16世紀の古本が伝わるほか、何度も写され、北条氏ゆかりの地に伝えられている。以前、歴博の『日本の中世文書』展で、北条氏だけは東アジアのスタンダードに則り、日付全体または日付の上半分にかかるように家印を押したと知って以来、北条氏の文書を見るときは気にしているのだが、やっぱりそのような形式の文書が出ていた。

 というわけで、明日から関西行きである。11月は忙しくなりそう。

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天下和順への旅/小早川秋聲(東京ステーションギャラリー)

2021-10-28 20:51:42 | 読んだもの(書籍)

東京ステーションギャラリー 『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』(2021年10月9日~11月28日)

 小早川秋聲(1885-1974)の幅広い画業を見渡す、初めての大規模な回顧展。小早川秋聲の名前は知らなくても、彼の代表作『國之楯』、暗闇に横たわる兵士(将校)を描いた絵画のイメージを、どこかで見た記憶がある人は多いのではないか。私もそうだった。この印象的な絵画の作者の名前を知ったのは、2019年に東京・京橋の加島美術で開催された『小早川秋聲-無限のひろがりと寂けさと』展である。このときは、前後期で約40点が展示され、戦争画以外にも多様な作品を描いていること、旅を好み、平和な異国の風景を描いた作品が多数あることを知った。

 だから今回の回顧展が、伝統的な歴史画や中国趣味の絵画に始まり、中国、インド、エジプト、ヨーロッパ、アメリカなど、エキゾチックな風景と風俗を題材とした作品が並び、なかなか戦争画が登場しなくても驚かなかった。むしろこの明朗な色彩の世界にずっと浸っていたいと感じた。

 好きな作品はいろいろあるが、まず『長崎へ就く』は、華やかなオランダ更紗(?)のシャツやスカートをまとった女性たちの存在感ある後ろ姿と、対照的に、はかない幻のように海に浮かぶ帆船。この女性たちの肉体の充実感は、『愷陣』の巨大な馬の姿に重なるような気もする。作品の前に立つと、視界が一頭の馬の姿で遮られてしまう大きさだ。儀式用の美しい鞍を置かれ、旗と紅白の牡丹の花で飾り付けられているが、関節の太い逞しい脚と大きな蹄、極寒の戦地を耐え抜いてきたふさふさした毛並みから匂い立つ生命力に圧倒される。

 歴史上の著名人を描いた大作に『法華経を説く聖徳太子像』や『絶目盡吾郷(成吉思汗)』がある。ジンギスカンの背後には、大きな白馬が寄り添っている。『回顧』は、藁沓を履いて、薪の束の上に腰を下ろした無名の(たぶん)老人の肖像。いずれも寡黙で気品(むしろ気韻か)の感じられる肖像である。林和靖と鶴を描いた『薫風』は、加島美術のギャラリーではスペースの関係で前後期入れ替えだったが、今回は左隻と右隻を一緒に見ることができてよかった。

 代表作『國之楯』は、ひとつの通過点として静かに眺めて通り過ぎた。ただ、この作品の下絵が同時に展示されていたのは興味深かった。最終的に円光を消して黒一色の背景とし、横たわる兵士の身長(脚の長さ)を修正していることが分かる。

 小早川は、戦後も細々と創作を続けたが、解説によれば、大きな展覧会にはほとんど出品しなくなり、その画業は徐々に忘れられて行ったという。仏画や伝統芸能、中国の故事を描いた作品が多かったが、その中に『聖火は走る』という、1964年東京五輪の聖火ランナーを描いた小品があり、微笑ましかった。1956年の『天下和順』は、金色の満月の下、びっしりと描かれた小さな人々が、酒を飲み、肩を組んで踊っている、空想の祝祭風景。全て男性らしく思われるのは、男性ばかりの戦場の記憶を昇華させようとしたのではないかと思う。

 この展覧会、110点余(展示替え有)のうち、ざっと見て三分の二以上が「個人蔵」という異色の構成だった。ご遺族のご協力なのだろうか。開催に努力された関係者各位に感謝したい。

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2021スマホ買い替え&いただきもの

2021-10-27 22:21:35 | 日常生活

懸案だったスマホの機種変更をした。これが人生3台目のスマホである。

最初はHTCという台湾のメーカーの製品で4年くらい使った。

次に2018年1月から使っていたのがHuaweiの製品。使い始めた当初は、こんなに世界中で警戒される会社になるとは思っていなかったのだが…。とりあえず、特に不満なく使ってきたが、さすがに4年近く経って、バッテリーが膨らんで怪しくなってきたので機種変更することにした。また中華系のXiaomiにしてしまった。

古い機種は、返却するには修理が必要で、あまり得にならないということなので貰ってきた。たぶん廃棄してしまうと思うが、記念にその姿だけ残しておく。

前回は、全く期待していなかったのに、連絡先やら写真やら全てデータ移行してくれたのだが、今はしないのがデフォルトらしい。まあ必要なものは別のクラウドに保存してあるのでいいのだけれど。

* * *

先日、渋谷のビストロで食事会をした友人たちから、半年遅れの退職記念に贈ってもらったビールセット。三重県伊勢市の「伊勢角屋麦酒」のクラフトビールである。

これはもう少し寒くなったら、部屋を暖房で暖かくして飲みたい。特に「熊野古道麦酒」が楽しみ。

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北から来た人々/オホーツク文化(横浜ユーラシア文化館)

2021-10-25 20:40:03 | 行ったもの(美術館・見仏)

横浜ユーラシア文化館 特別展『オホーツク文化-あなたの知らない古代-』(2021年10月16日~12月26日)

 とても嬉しい展覧会が始まったので、さっそく見てきた。オホーツク文化とは、サハリン南部から北海道の東北部、千島列島にかけて、5世紀から9世紀頃に広がった古代文化で、アザラシなどの海獣狩猟と漁撈を生活の基盤とし、竪穴住居の奥にクマの頭を積み上げた祭壇を築くなど、独特の儀礼を行っていたことが分かっている。

 はじめに「本州の時代区分」と「北海道の時代区分」の比較年表が掲げてある。私は本州で育ったから、日本の古代といえば、縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良の順だと思ってきた。ところが、北海道では、縄文時代の後に弥生時代がなく、続縄文(紀元前3~紀元後7世紀)→擦文(7~13世紀)と続く。オホーツク文化は、続縄文時代後期から擦文時代にかけて「北海道の文化の本流とは別の、いわば『異民族』の文化が北方から南下し、北海道内で両者が併存していた時期」に、この「北から来た異系統の人々が営んでいた文化」である(引用は図録から)。そしてオホーツク文化は、道内のみで局所的に展開した地域文化ではなく、その背後にサハリン(樺太)や千島列島との広いつながりを持っている。

 私は、2013~2014年度の2年間、たまたま札幌に住む機会があって、こうした北海道独特の歴史を初めて知った。2014年の夏は、網走、湧別、紋別、枝幸、そして稚内までオホーツク海沿岸ルートを旅行し、今回の展覧会に多数の貴重な資料を提供している、東京大学大学院人文社会系研究科附属の北海文化研究常呂実習施設(現・北見市)にも立ち寄った。懐かしい。2015年にはサハリン旅行もしているので、「あなたの知らない古代」ではあるけれど、オホーツク文化には興味津々なのである。

 骨製の大きな釣針。九博の『海幸山幸』展の冒頭で見た、弥生時代(2~3世紀)の鉄製の釣針(実用でなく祭祀用)を思い出していた。北の海にも海幸山幸みたいな物語はあったのだろうか。でも海中他界は考えづらいだろうな。

 本展で一番面白かったのは、動物意匠遺物の数々。オホーツク人と動物との深い関わりを示すと考えられている。圧倒的に数が多いのはクマ。どれも小さいが表情豊かで、コロコロしてかわいいが、どこか人智のコントロールを超えた、不気味な野生も感じられる。

 竪穴式住居には、奥壁側に動物骨を集積した骨塚を設ける事例があり、動物儀礼の場だったと考えられている。展示には、ヒグマの頭骨を積み上げたものが来ていて、圧巻だった。

 特別展は2階の常設展示室にも続いている。ここで初めて見たのが、複数の牙製婦人像。大型海獣の歯牙で作られた女性像で、これまでに見つかったのは、わずか10点余りだそうだ。頭部には尖った頭巾か仮面のようなものを被っている。特定の遺跡に集中する傾向があるといい、ヒトのかたちが明らかで細工の精巧なものは、利尻・礼文島表記が多いように思った。

 蛇足だが、展示のキャプションの文字が大きくて、老眼にも読みやすいのがありがたかったので、記しておく。また北海道に行きたいなあ、夏でも冬でも。

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渋谷のビストロでお食事会

2021-10-23 18:44:51 | 食べたもの(銘菓・名産)

 緊急事態宣言が明けたので、以前の職場の友人3人に声をかけて、渋谷のビストロ「ペリメニ」で食事をした。ロシアの水餃子ペリメニを中心に、シードル、ワインに合う料理を用意しているというお店。コースはないのだが、5,000円くらいでお任せで設定してもらったら、デザートをあわせて全7品(かな?)。味にも量にも大満足。

 前菜。カブ(中にムース)にウニのソース。

 羊肉のペリメニにホワイトソース。

 サーモンの竹炭パン粉焼き。

 ロールキャベツ(ホウレンソウのソースとバルサミコソースの下)とパン。

 自家製フルーツ酢のサワーも美味しかった。私から声をかけた会にもかかわらず、友人たちから、半年前の私の退職を記念して、お祝いをいただき、今回の食事は完全に奢ってもらった。ありがとうございます。また次の対象者が出るときに、お返ししたい。

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東京の名刹/浅草寺のみほとけ(東博)他

2021-10-21 20:25:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館・本館14室 特集『浅草寺のみほとけ』(2021年9月28日~ 12月19日)

 金龍山浅草寺(台東区)から寄託された仏像13件17体を、近年実施された文化財調査の結果も踏まえて一堂に展示する。浅草寺は、東京の人間には「盛り場」「観光名所」のイメージが強いが、慈覚大師円仁が中興した天台宗ゆかりの古刹である。天台宗から独立して聖観音宗となったのが昭和25年(1950)であることを初めて知った。

 展示には、平安時代(12世紀)の不動明王立像や鎌倉時代の四天王立像などの古仏も出ている。大威徳明王騎牛像(鎌倉時代)は、三面にそれぞれ大きな頭頂面がつく異形(3×2=6面は儀軌どおり)で、座っていることの多い水牛がスックと立ち上がって戦闘態勢なのも珍しい。聖天坐像(江戸時代)は、唐風の衣を着た四臂の童子で、白く塗られた円満な丸顔、赤い唇から、はじめ女神かと思った。よく見ると宝冠が、紅白に塗り分けた2頭の象のアタマでできている。こういう様式は歓喜童子と言って、聖天(歓喜天)の化身とも眷属とも考えられているようだ。

 簡素な造形で、若々しい顔を心もち上に向けた僧形坐像は、中国・唐~五代十国時代(9~10世紀)の作。これは!絶対どこか関西の展覧会で見たことがある!と思って、自分のブログを調べたが、なかなか見つからない。本展のパンフレット(PDF公開)には、「従来、大きさがほぼ同一で、表現や技法が酷似する僧形像が複数知られていました。大阪・観心寺像(重要文化財)がその代表で、滋賀・千手寺像、京都・善願寺像(2体)、アメリカのミネアポリス美術館像の計5体があります」という。私は、2011年にMIHOミュージアムの『天台仏教への道』で善願寺と千手寺、2019年に京博の常設展示で善願寺のものを見ていたのだが、記憶が混線するくらい、よく似ている。本像は、昭和53年に奉納された記録が寺に残っているとのこと。

 あと風神・雷神立像(鎌倉~南北朝時代、13~14世紀)とか、角大師坐像(江戸~明治時代、19世紀)とか、サイズは小さいが個性の強い(フィギュアっぽい)彫像が多くて面白かった。12月までやっている特集なので、もう1回は参観する予定。

■東洋館8室 特集『江戸時代にもたらされた中国書画』(2021年9月7日~10月17日) 

 江戸時代にもたらされた中国の書跡と絵画を、第1章・黄檗僧と禅宗の書画、第2章・沈銓の花鳥図とその波及、第3章・来日した明国・清国人の書画、第4章・市河米庵にみる江戸文人の中国書跡受容の四章にわけて紹介する。個人蔵の、あまり見たことのない絵画作品を見ることができて面白かった。

 個人的には、やはり黄檗宗関連の絵画が気になる。福建の画家で黄檗僧によって作品が日本にもたらされた陳賢(本人は来日していない)の巨大な『白衣観音図』をしみじみ見上げた。沈銓(沈南蘋)の『雪梅群兎図』は何度か見ているはずの名品。これ、「個人蔵」のキャプションで展示されているが、橋本末吉(1902‐1991)の橋本コレクションと思われる。

 あと、書では「書悦山」と呼ばれる能書家の悦山道宗(萬福寺7世)の書が、確かに魅力的だった。明・神宗(万暦帝)筆『楷書紺紙金字妙沙経』にも見とれた。旧蔵者の市河米庵は、本作の手法が森厳として顔真卿・柳公権の法を具えると言っている由。決して誇張ではない。中国の皇帝は、統治者としてどんなにダメでも、こういう芸術的な才能を持っていると、許したくなる。

 このほか、常設展(総合文化展)では、本館2室(国宝室)で 『国宝 伝・藤原光能像』(2021年10月5日~10月31日)を久しぶりに見た。神護寺三像の中では、いちばん貴族的な雰囲気が感じられて好きな肖像画である。本館11室(彫刻)は、特別展『最澄と天台宗のすべて』に関連して、天台宗関連の仏像は、全国各地から集められていた。福島・如来寺旧蔵の『阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式)』(鎌倉時代)や滋賀・櫟野寺蔵『観音菩薩立像』を興味深く眺める。

 さらに、いつものように本館・東洋館をひとまわりしてきたが、気が付けば、メンバーズプレミアムパスの期限が切れようとしている(特別展鑑賞券は8月に使用済)。

 そして、最新の会員制度について調べたら、「メンバーズプレミアムパス」は廃止になり、選択肢は「友の会」(7,000円、特別展無料鑑賞券3枚)か「メンバーズパス」(4,500円)になっていた。まあ最近は、総合文化展(常設展)が一般1,000円だし、特別展だと2,000円オーバーも珍しくないので、「友の会」でも十分モトは取れるだろう。 しかし高い。総合文化展が無料になるのは満70歳以上なので、まだまだ先の話だ。長生きしなくちゃ。

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間違いを正す/ジョブ型雇用社会とは何か(濱口桂一郎)

2021-10-20 16:51:33 | 読んだもの(書籍)

〇濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か:正社員体制の矛盾と転機』(岩波新書) 岩波書店 2021.9

 著者は12年前の著書『新しい労働社会』(岩波新書、2009)で「ジョブ型」「メンバーシップ型」という雇用の類型を紹介したことで知られている。私はこの本は読んでいないが、『働く女子の運命』(文春新書、2015)を読んで、いろいろ納得した。そうしたら、最近、ネット記事で「ジョブ型」という文字が妙に目につくようになった。本書によれば、経団連が『2020年版 経営労働政策特別委員会報告』で大々的にジョブ型を打ち出したためだ。ところが、2020年に流行したジョブ型は「私の提示した概念とは似ても似つかぬもの」「間違いだらけのジョブ型」だったという。笑ってはいけないが、苦笑してしまった。そこで、世の中の間違いを正すため、あらためてジョブ型とメンバーシップ型について説明したのが本書である。

 端的に、職務(ジョブ)の記述があり、そのジョブを遂行できる人を当てはめ、定められた賃金を払うのがジョブ型雇用である。大部分のジョブは成果主義ではない。(アメリカを除き)解雇自由でもない。実はメンバーシップ型よりも古いシステムである。ここまでは私も理解できるのだが、現実の日本社会とのかかわりは、かなりややこしい話になる。

 まず、日本の雇用システムはメンバーシップ型であるが、日本の労働法制(実定法)は欧米のジョブ型に基づいているという解説にびっくりした。法制度のことは全く分からないが、そんなものが運用可能なのか。2008年に労働契約法が施行されるまで、法と実態の隙間は、判例の積み重ねで埋められてきたという。

 それから、ジョブ型雇用を実現する肝は採用である。採用可否の判断基準は、ジョブを遂行する能力の有無「だけ」でなければならないのだが、いま、ジョブ型をもてはやしている人の中に、その覚悟のある人がどれだけいるか。確かに、自分の体験を振り返っても、メンバーシップ型の採用では、候補者がその時点で持っているスキルよりも、採用後、組織の中で円滑な人間関係、相互信頼を築けるかどうかを重視する。その基準を捨てるよう迫られるのは、かなり辛い。

 一方、ジョブとヒトのマッチングには、職務が記述されていなければならない。少なくとも中途採用市場において、労働省は熱心に職務分析に取り組んできた。しかし、キャリアマトリックスやジョブ・カード事業は、民主党政権下の事業仕分けで廃止されてしまった。「事業仕分けに関わるような人々は大企業正社員型のメンバーシップの中で育てられてきた人が多いでしょうから」「社会の上層部になればなるほどジョブ型感覚が希薄になる」と著者は冷たく指摘している。

 雇用システムと教育システムは密接に絡み合っており、本田由紀氏は、日本の教育システムの最大の問題点をその職業的レリバンス(意義)の欠如に求めているが、普通高校も大学も職業教育には後ろ向きである。大学が、エリート教育時代のアカデミズム幻想にとらわれているという批判は首肯できるが、かと言って、今の文科省が進めようとする大学改革・入試改革が、将来にわたって有効な職業的レリバンスを生み出せるかどうかには、疑問を感じる。

 1990年代以降、日本型雇用モデルの矛盾が噴出する中で、低スキルジョブの非正規労働に落ち込む若者と並び、顕在化している問題が、正社員になってもまともなOJTを受けられず、膨大な作業に追いまくられ、スキルを獲得できずに中高年になった高給社員「働かないおじさん」である。これは、けっこう深刻で根深い問題だと思う。

 日本の賃金制度は、「能力」(スキルではない)は上がることはあっても下がることはないという前提でできている。また、日本の正社員文化では、会社は社員にできる仕事を見つけてあてがうものと考えられている。恐ろしい倒錯だが、私もそういうシステムの中で働いてきた。2020年以来のジョブ型ブームが目指すものは、成果主義によって中高年の不当な高給を是正することにあり、雇用システム全体のジョブ化を求めているわけではない、という著者の洞察が腑に落ちる。

 このほか、同一労働同一賃金問題、児童手当や配偶者手当、労働時間と残業代、安全配慮とプライバシー、女性活躍、障害者雇用、外国人労働者、労働組合など、多様な問題が丁寧に論じられている。どの問題も「労働者の権利」とか「財政健全化」とか、単一の価値観から脊髄反射的に結論を出してはいけないということを教えられた。

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四年ぶり、東博の名品も/東美特別展2021(東京美術倶楽部)

2021-10-18 20:04:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京美術倶楽部 『東美特別展 TOBI ART FAIR 2021』+同時開催『美のまなざし』(2021年10月15日~17日)

 四年ぶりの『東美特別展』に行ってきた。本来なら、三年に一度のペースで、2020年に第21回が開催されるはずだったが、コロナ禍で一年延期となっての開催である。主催者の「ご挨拶」によれば、同展の第1回は、初めて東京でオリンピックが開催された1964年10月に開催されており、日本美術のコレクターであった当時のIOC会長ブランデージ氏も来賓として会場に姿を見せたのだそうだ。そして今年、第1回に引き続きオリンピック開催の年に行われる事から「55店舗の出展者一同、従来にも増してレベルの高い名品を取り揃えて展示させていただく事と致しました」という。いや確かに、素晴らしかった。

 印象に残った店舗(ブース)と作品をメモしておく。4階に上がって、最初のブースが小西大閑堂。中央には平安時代の堂々とした阿弥陀如来坐像。作風は定朝の系統だという。後頭部内の修理銘(近世か)には「宝満寺」の名前がある。お店の方にお聞きしたら、同名のお寺が各地にあるが、滋賀県の宝満寺ではないかと考えているとのこと。あまりにも立派で、博物館や美術館に入ってしまうのが惜しくて、むしろどこかのお寺が買い上げてくれないだろうかと思った。個人の持仏堂でも可。今回、一部の店舗は「撮影可」だったので、恐れながら1枚。仏像が乗っている布の下は丸いターンテーブル(!)で、お店の方がぐるっとまわして側面や背面も見せてくれた。

さらに古風で、私の好きなタイプの十一面観音立像。一木造りである。

このほか、木造男神坐像、装飾経など。最初から満腹で、どうしようかと思った。

 隣りのギャラリー竹柳堂では、蒔絵・彫刻・書画等を扱う中で、森川杜園の奈良人形が一推しらしく単独のケースに飾られていた(調べたら、杜園の出世作『後高砂』と同工で、さらに技巧の細かいもの)。店主らしいおじさんと別のお客さんの会話で、「ご縁ですから」杜園の別の作品も見せましょうという話になり(なぜか私も呼ばれ)、展示品でなかった伊勢海老の香炉をわざわざ戸棚から出して、見せて、触らせてもらった。細い髭(本物らしく少しよれている)を、後付けでなく彫り残す技術力が超絶すごい。「奈良で森川杜園の作品展やっていますよね。来月、見に行く予定です」とお話したら、喜んでくださった。

 斜め向かいの薫隆堂は中国の古鏡、俑など。漢~隋唐の、ミニサイズで状態のよい人物俑が多数あって、心の中でよだれを垂らしながら見とれた。表面にわずかに残る土さえも懐かしい。

 写真は撮れなかったが、壺中居も中国の六朝~隋の造形を特集しており、北魏の灰陶加彩馬が素晴らしかった。

 至峰堂画廊では奥まった一角で戦争画を特集しており、若い男性が「父が集めたもので…」と話していた。コロナ禍で海外のバイヤーが来ないので幸い、という趣旨の話もしていらしたが、そんなに気にしなくてもいいんじゃないかな。貴重なコレクションだと思う。青龍堂は赤い壁紙に梅原龍三郎の絵画と、梅原旧蔵の調度品や古美術品で構成。ふんわりと水彩のような色彩の『浅間』、梅原の絶筆であるというのを初めて知った。

 3階、三渓洞では、草の上に座る裸婦の後姿の絵があって、作者名を見たら岡田三郎助だった。懐古堂では、褐色の肌、大きな乳房の裸婦像があって、東南アジアあたりの女神像かと思ったら、佐藤玄々の作だった。今回、古美術はもちろん名品揃いなのだが、近代絵画・彫刻もとても面白かった。

 3階のロビー脇の一室では『美のまなざし』展を開催。東京美術倶楽部を経て東京国立博物館に収蔵された10の名品(書画5件+工芸・やきもの5件)が特別に公開されており、キャプションに収蔵の経緯が記されている。たとえば、伝・馬遠筆『寒江独釣図』は、大正14年(1925)11月9日井上侯爵家御所蔵品入札、梁楷筆『雪景山水図』は大正6年(1917)6月11日赤星家所蔵品入札など。どれも知られた名品だったが、『虚空蔵菩薩像』(国宝、平安時代、12世紀)だけは記憶になかった。院政期仏画のぽってりした妖艶さがなくて、静謐で理知的な感じ。井上(馨)侯爵家旧蔵である。

 2階は畳敷きの座敷に上がり、屏風や茶道具を拝見する。水戸幸商会の光琳筆『三十六歌仙図屏風(画稿)』は前にも見たような気がする。古美術藪本の宗達筆『半身達磨図』も、似た作品を別のところで見た記憶があるのだが、どこだったか思い出せない。

 この展覧会、一般3000円で決してお安くないのだが、十分その価値のある内容だった。長いコロナ禍の中、店主の方々もお客さんとの会話を楽しみにされていたのではないだろうか。あと、大学生以下は無料というのもよいと思う。記録を探ったら、前回(2016年)の設定は、一般1500円/大高中生1300円だった。大人の負担を増やしても、若者を呼び込むのはいいことだ。

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2021年10月@九州:福岡市美術館、街歩き

2021-10-16 00:09:51 | 行ったもの(美術館・見仏)

福岡市美術館 特別展『没後50年 電力王・松永安左エ門の茶』(2021年10月9日~11月21日)

 九州歴史資料館の次はここへ。実は前日に開催情報をキャッチして、行ってみることに決めた。本展は、松永安左エ門/耳庵(1875-1971)の「電力王」と称えられた実業家としての活躍を物語る資料と、茶人として収集した日本・東洋の美術コレクションの名品の数々を通じて、松永の偉大な足跡を回顧する。

 松永は長崎県壱岐島の出身で、明治末期から九州で電気事業の経営に関わる。松永が専務取締役をつとめた福博電気軌道は、西鉄の前身のひとつで、明治末年~大正時代の博多駅や天神界隈の古写真などが出ていて面白かった。また、戦後に松永が設立した電力中央研究所がまとめた政策提言(勧告)の一覧も、それが実現したかどうかの検証つきで展示されており、興味深かった。

 美術品では、『病草紙断簡・肥満の女』や尾形乾山『茄子図』、宮本武蔵『布袋見闘鶏図』が印象に残った。『地獄草紙・勘当の鬼』はあまり見たことがないと思う。破戒僧を背負った鬼が逃げまどっている図。「愛蔵品を語る」と題して、松永の感想や批評と作品を一緒に展示してあるのがよかった。国宝『釈迦金棺出現図』は、作品は来ていなかったが、さまざまな苦労の末に獲得し、快哉を叫んだことが語られていた。

 あまり認識していなかったのだが、松永の美術コレクションの多くは、ここ福岡市美術館に入っているのだな。細やかな研究の蓄積に基づく展覧会を見ることができてよかった。なお、コレクション展の松永記念館室でも『秋の名品展』(2021年8月31日~11月14日)と名うって、書画・工芸など20件弱を展示。『遊びと笑いの日本美術』(2021年9月14日~11月14日)も面白かった。

■筥崎宮(福岡市東区)

 以下、美術館・博物館以外の行ったもの。土曜は九博のあと、ものすごく久しぶりに筥崎宮に行ってみた。慶長14年(1609)藩主黒田長政が建立した一之鳥居。石造である。巫女さんが立っているのは、参道を歩いてくる新郎新婦を待っているため。

 拝殿前の楼門には「敵国降伏」の扁額を掲げる。鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)の折、亀山上皇が納めた宸筆を小早川隆景が模写拡大して掲げたものだというが、あまりにも直球で笑ってしまった。御朱印所で貰ったパンフレットには、降伏とは軍事でなく徳で従わせること、みたいな説明が書いてあったが。

 境内には亀山上皇の巨大な木象も安置されている。福岡県出身の彫刻家・山崎朝雲の作。近隣の東公園には、さらに巨大な亀山上皇の銅像があるというのも初めて知って、びっくりした。

櫛田神社(福岡市博多区)

 もう1ヶ所、久しぶりに行きたくなって、川端通商店街をぶらぶら歩いて、櫛田神社を訪ねた。楼門の天井に吊り下げられた恵方盤は今年の恵方を指している。2021年の恵方は南南東らしい。

 楼門の扁額「威稜(いつ)」は天子の御威光のこと。九州の神社って、こういう土地柄なのかな。

 拝殿の柱には、三叉の槍と天狗の面(赤、緑、黒…五行か?)が外に向けて掛けられていた。魔除けだという。筥崎宮でも同じものを見て珍しいと思ったのだが、このへんでは普通なのだろうか? なお、太宰府・福岡市内とも御朱印は500円だった。東京と同じだ…。

■板付遺跡(福岡市博多区)

 これは最終日、福岡市美術館のあと、まだ時間があったので訪ねてみた。藤尾慎一郎『日本の先史時代』に出てきた、全国で最も早い水田稲作の遺跡である。複数回の洪水で水田が砂に埋没しても、一度始めた米づくりを継続したという記述に感銘を受けて、行ってみたくなった。博多駅筑紫口から路線バスに乗って20分くらい、古い団地(5階までしかない)に囲まれた一角が板付遺跡で、再現された田んぼに稲穂が育っていた。

 無料の展示施設・板付遺跡弥生館も見てきた。出土品には、弥生時代初期の板付式土器だけでなく、縄文時代晩期の夜臼(やうす)式土器もあることがポイント。これによって、ここが、縄文時代最後の遺跡であると同時に、弥生時代最初の遺跡であることが分かったという。深い溝に囲まれたムラと、意外に広い水田の様子を復元したパノラマも面白かった。

 福岡、めったに来られないんだけど、またいろいろ歩いてみたい。今回はここまで。

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2021年10月@九州:九州山岳霊場遺宝(九州歴史資料館)

2021-10-15 21:01:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

九州歴史資料館 特別展『九州山岳霊場遺宝-海を望む北西部の山々から-』(2021年10月9日~12月5日)

 日曜は再び西鉄を利用して、九州歴史資料館へ向かう。自分のブログを検索すると、2011年に一度来たことがある。三国が丘という駅名は覚えていたが、駅前の景観が変わっていて、しばらくポカンとしてしまった(Googleマップで見ると以前はなかった駅前ビルができていた)。緑に覆われた丘陵地への登り口を見つけて、そうそうこの道、と安心する。なだらかな丘を登って降りると、資料館である。

 本展は、九州山岳霊場遺跡に関する研究成果の蓄積を踏まえ、特に九州ならではの特徴である大陸との交流の痕跡を色濃く残す、筑前と肥前の山々に絞って、ゆかりの文化財を一堂に会して紹介するもので、霊山を象徴する尊像など50余件が展示されている。平安・鎌倉の古仏も多数あった。

 みやこぶりの洗練された造形だと思ったのは、佐谷区文化財保存会が管理する十一面観音立像(平安時代)。「若杉山南側」「佐谷山建正寺」という説明が全然分からないので地図パネルで確認する。福岡平野の南東にあたるようだ。子供のような、柔和で無垢な表情をした観音様である。佐谷区文化財保存会のキャプションのついた仏像はほかにも数体あり、やや小ぶりの別の十一面観音立像(平安時代)、大日如来坐像(鎌倉時代)は、がっしりと厚みのある体躯で、厳めしい雰囲気が漂う。また、伝教大師坐像の伝承を持つ老僧の坐像(平安時代)も伝わっている。最澄の面影はないように思うのだが、「頭部が小さいことも、最澄ならではの頭巾をかぶせていたからかもしれない」ので「最澄像の可能性は捨てきれない」という。

 若杉山の若杉観音堂に伝わった千手観音立像や八女市・谷川寺の薬師如来像は古風な平安仏で「山の仏」らしさをまとう。背振山地(佐賀県、福岡平野の西側)の浮嶽神社(糸島市)には、16世紀に衰亡した久安寺ゆかりの古仏が伝わる。地蔵菩薩立像は、端正だが癖のある容貌で、僧形神として造られたのではないかと想像されている。

 また、若杉山の山頂の太祖神社には、石造の宋風獅子(片方が子獅子を抱き、片方が玉をとる)や石造の香炉が伝来する。土地柄として、大陸との交流があっても全くおかしくないけれど、わざわざ重たい石造物を船で運んできたのかな。バラスト(重し)なのだろうか。

 大陸と関係の深い石造物、薩摩塔という存在は初めて聞いた。はじめ薩摩で発見され、次第に九州西部で確認されてきたものだ。下半分は方形の須弥壇で四面に四天王を1躯ずつ刻む。その上の壺形の塔身の正面の龕に尊像を刻み、さらに屋根などを重ねる。確かにこういうタイプの石塔は中国で見たような気がする。首羅山遺跡(福岡平野の東)には、南宋時代に制作されて渡来したと思われる薩摩塔2基が現存している(展示は複製)。

 首羅山遺跡は中世山岳寺院の遺跡だが、調べたら「天平年間に百済からきた白山権現が乗っていた虎の猛威に恐れた村人がその首を切り落としたところ、その首が光ったため羅物(薄絹)に包んで埋め、十一面観音を祀ったことから、首羅山頭光寺といわれるようになった」という伝承があるらしい(久山町:観光・イベント情報)。すごい…中世神話だ。「熊野の本地」か何かみたい。初めて知ることが多くて、楽しくてうきうきした。

 なお残念なことに、同館は、特別展期間は常設展示を開けられない構造になっているそうで、私も特別展しか見られなかったが、10/12から常設展示『歴史(とき)の宝石箱』のダイジェスト版が始まっている。これから出かける方は、ぜひあわせて鑑賞を。

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