見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

南画ってなに?/板橋区立美術館

2005-09-28 08:17:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
○板橋区立美術館 江戸文化シリーズNo.21『関東南画大集合』

http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/

 「南画」というタームを、私は明治の文学、特に夏目漱石との関連で覚えた。漱石は、随筆『思い出す事など』で「画のうちでは彩色を使った南画が一番面白かった」と語っているし、『猫』の苦沙弥や『三四郎』の広田先生は、”南画的世界の住人”と評されることがある。ふむふむ、なんだか浮世離れした世界のことだな、と思って読み流しながら、それ以上、調べたことはなかった。

 この展覧会は、最初に、子供にも分かるように、南画の定義を説明してくれていて、ありがたい。南画とは、室町時代に中国から渡来した南宗画が元になり、日本独自の南画として確立したものであり、心象や個性の表現を大事にする点に特色があるのだそうだ。

 分かりやすいのは、鋭い輪郭線を用いる北宗画(北画)に比べ、丸みを帯びた柔らかい描線を用いるのが南宗画→南画の特色であるという点。確かに、山水画を見ていると、山の稜線がほんわかと丸い。そうして、民家や樹木は、大地にどっしり根を下ろしているふうではなく、なんとなくよたよたして、空間に漂っている。言葉をかえると、山も樹も岩も、舟も家も、みんな、たまたまそこに留まっている生きもののような感じがする。

 個々の作品を見ていこう。谷文晁は、江戸南画の大成者であるが、これまで特に好きな作品はなかった。『山水図』(双幅)は、なかなかいい。モコモコした山の膨れ具合が、私には水木しげるの描く大妖怪みたいに見える。今にも、山ひだから、ギョロリと大きな目がのぞきそうである。

 椿椿山の『花籠図』は、精緻で繊細な花鳥画で、イギリスのファブリック・デザインを思わせた。奇抜な動物画(展覧会サイトに蜻蛉、カラス天狗の画像あり)を描く林十江もおもしろかったが、個人的なイチ押しは佐竹蓬平。人物も風景も飄々として、漱石の作品世界を形容する”南画的”に、いちばんふさわしいように思えた。
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江戸・明治の書画/書道博物館

2005-09-27 08:20:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
○書道博物館 企画展『江戸・明治の書画―不折コレクションのなかから―』

http://www.taitocity.net/taito/shodou/

 書道博物館には珍しく、絵画作品を含めた展示会である。なんとなく展示ケースが明るい。伊藤若冲の「鶴図」は、縦長の画面からはみ出しそうな鶴を描いたもの。どことなく目つきのふてぶてしい鶴で、これと並んだ中村芳中の「鷹図」の「気の弱そうな鷹」(解説)が、ますます気弱に見えてしまう。

 墨蹟では、黄檗僧・即非如一の闊達な草書が気に入った。それにしても、谷干城とか副島種臣とか、明治の政治家は字がうまいなあ。また、森鴎外、夏目漱石、正岡子規が、それぞれ中村不折に当てた書簡が出ていて、見比べることができる。癖字の鴎外が、意外ときれいな字を書いているのに驚いた。
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民藝館で椅子を買う

2005-09-26 00:28:11 | なごみ写真帖
 連休初日、日本民藝館のグッズ売り場で、椅子を見つけた。産地と価格を示す「中国 張家界¥8,000」という札が付いている。幼稚園で座っていたような小さな椅子だが、しっかりした背もたれがついている。おそるおそる座ってみると、なんとか私のお尻でもおさまる。

 眺めていると、だんだん欲しくなってきた。持ってみると、非常に軽い。これなら、家まで徒歩30分、抱えて帰ることに支障はない。ここが中国なら、値段交渉で7掛けまではねばるところだが、そうもいくまい。

 意を決して「あのう、そこにある椅子がほしいんですが」と申し出る。店員さんの話では、中国湖南省の張家界で、トウチャ(土家)族が作っている椅子だそうだ。「子供の椅子のようですが、大人が座るものです」と言う。

 腰かけ板の前面と、背もたれの横木に、かすかにデコボコした切れ込みがあるのは、細工の失敗ではなくて、幸福の象徴であるコウモリの形を表現しているのだそうだ。

 張家界は、水墨画さながら、奇岩の林立する景勝地で、”仙境”と呼ばれているらしい。そうか、仙境から来た椅子か。ベランダに出しておくと、仙人が下りてくるかも知れないな。

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夏は沖縄/日本民藝館

2005-09-25 01:22:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
○日本民藝館 特別展『琉球の美』

http://www.mingeikan.or.jp/

 7月から始まっていた特別展「琉球の美」を、ようやく見に行った。チケット売り場の前に、「館内でご自由にお使いください」と書かれた団扇が用意されていたので、これを使いながら見学する。冷房は、ごく弱めにしか入っていない。キシキシ音を立てる板張りの床、明り障子を通して射し込む光、窓の外の蝉の声を聴いていると、むかしの夏休みに帰ったような気がする。

 やっぱり、夏は沖縄。特別展の中心となるのは、着物と古陶である。古陶は、釉(うわぐすり)を大胆に流したものが面白いと思った。染付けも、なんでもない花鳥文のようでいて、よく見ると色づかいが珍しい。いちばん気に入った2点の解説が、案内パンフに載っていることに、あとで気づいて、嬉しかった。前者の代表作は「白掛色釉流抱瓶(だちびん)」。後者は、かわいらしい梅の枝を描いた「白掛色絵梅竹文碗」(枝が水色!)である。

 着物は、華やかな紅型(びんがた)のほか、絣(かすり)や縞、無地の織物もある。いずれも麻や芭蕉を材料にしていて、涼しげである。紅型は花鳥文が圧倒的に多いが、波間に浮かぶ舟の帆をデザインしたものが印象的だった。しかし、着物というのは人間の体型そのままなので、高い壁に掛かっていると、幽霊が浮いているようで、ちょっと怖い。

 そういえば、床にたくさん、さりげなく置かれていた、家の形をした陶器、厨子甕(ジーシーガミ)って骨壷なのよね。実際に使われたものなのだろうか。ほかに、昭和15年頃の白黒写真が展示されていて、古着市場の様子など、興味深かった。

 特別展とは無関係の部屋も、今回は全体に夏仕様だった。世界各地のガラス製品を集めた部屋には、中国製の「硝子絵」が出ていたが、中国美術の固定イメージを覆す可愛らしさである。若い女性のお客さんが「これってガラスの裏から描くんだよね、近景から順番に塗り重ねていくの」と話していた。なるほど。
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妖精国の終わり/逝きし世の面影(渡辺京二)

2005-09-24 00:59:39 | 読んだもの(書籍)
○渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)平凡社 2005.9

 めずらしく文庫の新刊棚をチェックしていて、本書を見つけた。オビに「読書人垂涎の名著、ペーパーバック版でいよいよ刊行!」とある。読書人垂涎の名著? そう言えば、このタイトルには覚えがある。1998年に福岡の葦書房から刊行され、1999年度の和辻哲郎賞を受けた本だから、東京の書店にも並んでいたろうし、マスコミでも取り上げられたことだろう。本書は、幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人が遺した、膨大な日記・紀行文を読み込み(未だ日本語訳がないものも多い)、まさに消えゆく寸前にあった「古き日本の面影」を再構築しようと試みた労作である。

 しかし、出版当時、私が本書を手に取らなかったのは、なんとなく胡散臭さを感じてしまったためだ。これは、素朴で美しい「失われた日本」に対する、手放しの愛惜の書ではないか。結局、「ニッポンは特殊」「ニッポンは素晴らしい」というありふれた結論に、読者を招き寄せ、愛国主義者を喜ばせるだけの本ではなかろうのか。

 そうして警戒しているうちに、本書は絶版となり、書店から消えてしまった。こうした顛末について、著者は文庫版のあとがきに、苦々し気に書きつけている。「私が日本はこんなにいい国だったのだぞと威張ったのだと思う人、いや思いたい人が案の定いた」と。それは、恥ずかしながら、まさに私のことだ。

 著者は「私は”日本”について語りたいのではない」ということを、本文中でたびたび断っている。本書の執筆意図を語った第1章には、「ある文明の幻影」という表題が付けられていて、その「文明」が、たまたま、「日本」という著者の祖国(正確には、著者は大連生まれ)に存在したものであるという事実から、著者は、注意深く距離を置こうとしている。さらに言えば、本書が論じた「ある文明」を、「江戸文明とか徳川文明」と言い換えることはあっても、大雑把に「日本文明」と括って、古代以来、この列島に、連綿とひとつの文明が続いていたかのような誤解を避けている点でも、著者の用意は周到である。

 19世紀末から20世紀の初め、日本にやってきた欧米人たちは、奇妙な文明を見出して、たちまち魅了される。住人たちは融和的で礼儀正しく、陽気で、子供のように無邪気に遊び、裸体を罪とせず、自然を愛し、簡素な生活に満足していた。そこは、全てが小さくて可愛らしい不思議の国「妖精国(エルフ・ランド)」だった。

 著者は、「自由と身分」「裸体と性」「女の位相」「子どもの楽園」など、さまざまな視点で、広範な資料を漁り、欧米人の驚きと熱狂を再現していく。しかし、それは、西洋と東洋の出会いというものではなく、むしろ、「近代」すなわち産業資本社会からやってきた旅人が、「前近代」に出会った衝撃と解すべきものであろう。「近代」と「前近代」という区分は、一方が他方より進んだもの=優れたものという意味を含まない。

 とにかく、そこには、ひとつの文明があった。そして、「近代日本」とは、前代の文明の「扼殺」の上にうち立てられた文明なのだ――言葉は厳しいが、著者はその是非を問うているのではない。ただ「逝きし世」の実体を、細部にわたり、生き生きとよみがえらせたいというのが、本書の意図なのである。

 日本の場合、明らかな王朝交代がないので意識されにくいが、古代から中世、中世から近世という変わり目も、実は、ひとつの文明の滅亡の上に、次の文明が築かれてきたのではないか。もしかすると、歴史とは、常にそういうものかも知れない、と考えた。
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旅と発見・美しき日本/江戸東京博物館

2005-09-23 12:28:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
○江戸東京博物館 『美しき日本-大正昭和の旅』展

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

 タイトルを見て、具体的な内容が思い浮かぶだろうか? 私は思い浮かばなかった。想像が付かないまま、会場に行ってみて、おや、こんなものが、ああ、そういう解釈もあったか、などと、いちいち驚いていた。この展示は、第一次世界大戦から第二次世界大戦の間(日本では大正から昭和の間)、「つかの間の平和」(と企画趣旨は言っている)に、国内外で興った観光ブームに焦点を当てる。

 ”現物資料”としては、当時のスキー、釣り道具、ピクニックセット、T型フォード(大量生産の原点になったフォード車って、こんなクラシックカーなのね!)、大型客船の備品などが展示されている。

 目を引くのは、当時のポスター、パンフレットなどの商業美術である。大正元年、日本を訪れる外国人観光客のために発足した「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」は、昭和5年、鉄道省国際観光局に組織替えされ、積極的な観光客誘致に着手する。

 まず、著名なグラフィック・デザイナーを起用し、観光誘致ポスターを作成して、海外向けに配布した。今回、江戸博のポスターに使われている、桜と富士山を背景に微笑む舞妓さんの図も、実はこの国際観光局が作ったポスターが原版である。西洋人から見た「ビューテフィル・ニッポン」の視線を、まっすぐ受け止めた初々しさが微笑ましい(ちょっと”やりすぎ”の感もあるが)。作者は吉田初三郎。大正・昭和の”鳥瞰図絵師”として活躍した人物である。

 数年後には、もっと自信にあふれ、芸術性の高いポスターが輩出する。中でも、里見宗次の作品「車窓の風景」の前で、私は立ちつくしてしまった。初めて意識する名前である。1935年、日本人で初めてエコール・デ・ボザール(パリ国立美術学校)の本科に入学。卒業後、商業美術に転じ、パリを拠点に国際的な活躍を見せたグラフィックデザイナーだという。「アール・デコ」に分類されるのだろうが、大胆で力強い作風に、旧ソ連のプロパガンダ・ポスターを連想してしまった。日本の版画を学んだブラウンの「神社夜景」も美しいと思った(このへん、作品名はうろ覚えで書いている。江戸博のHPには展示作品の完全なリストがないのだ。改善を望む!)

 一方、国内の鉄道会社が作成したポスターやパンフレットは、無名のデザイナーの作品であるが、これらも、なかなか捨てがたい。国際観光局の雑誌「Tourist」も、歴史資料として、またグラフィック誌として、おもしろいと思った。NACSIS Webcatで検索すると、国内の大学図書館の所蔵を併せても微々たるものだが、交通公社(だったかな?)の資料室には、創刊当時の号が、ちゃんと残っているらしい。

 このほか、外国人観光客のお土産用に開発された「ちりめん本」も面白いと思った。主に日本のお伽噺に、多色刷りの挿絵を加え、さらに縮緬(ちりめん)加工した和紙に印刷した小型本である。軽くて手頃で、しかも「読む+看る+触る」でニッポンを感じさせるのだから、大ヒットしたのも当然だろう。

 後半は、風景版画で一世を風靡した川瀬巴水の作品を展示。しっとりと楽しめる。多岐にわたる発見が多くて、非常におもしろい展覧会だった。

 蛇足。江戸博の入場料は、企画展、常設展、企画展+常設展(やや割引)の3つに設定されている。東博のように、企画展料金で常設展も見られるようにしてくれないものかしら(歴博、民博もこの方式)。実は、第二企画展『安政の江戸大地震150年』も見たかったのだが、これは常設展エリアで開催されているため、別に常設展料金が必要だと言われたのである。だって、第二”企画展”だろ~。入館者が増えない、増えないと嘆いているらしいが、この料金体系の設定に問題はないだろうか。
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日本リベラルと石橋湛山(田中秀征)

2005-09-22 23:25:06 | 読んだもの(書籍)
○田中秀征『日本リベラルと石橋湛山:いま政治が必要としていること』(講談社選書メチエ)講談社 2004.6

 名前は聞いたことがあるが、それ以上は何も知らない有名人というのがいる。私の場合、近代以降の日本の政治家は、圧倒的にこのカテゴリーに入る。石橋湛山もそのひとりだ。

 ”リベラル”と称される一方で公職追放の経験があるのはナゼ?とか、内閣総理大臣になっているのに総理としての業績が伝わらないのはナゼ?とか、基本的な知識が全くない私には、本書は、ちょうどいい入門書だった。ただ、湛山の人となりの紹介に重点が置かれていて、彼の思想をどう評価・分析するかという点では、物足りないように思われた。

 戦前、湛山は「大日本主義」の膨張政策を廃して、平和と共存の「小日本主義」を唱えたという。このネーミングは面白いね。「小日本」って、いまや反日中国人の罵言としてポピュラーになりつつあるけど、それを主義として掲げた大政治家がいたというのが面白い。

 石橋湛山記念財団主宰、東洋経済新報社(湛山が主幹・社長を務めた)が協賛する、今年の石橋湛山賞が、藤原帰一氏の『平和のリアリズム』 に決まったというのも、本書を読むとうなづける。
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絵地図いろいろ/金沢文庫

2005-09-21 00:05:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川県立金沢文庫 開館75周年記念企画展『繪地圖(えちず)いろいろ』

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm

 金沢文庫所蔵の「武蔵国鶴見寺尾郷絵図(むさしのくにつるみてらおごうえず)」が、国の重要文化財に指定されたことを記念した展覧会でもある。どうせ地味だろうなあ、と思っていったら、けっこうバラエティ豊かで楽しめた。

 目玉の絵図は、入ってすぐのガラスケースに展示されている。「関東に残る唯一の中世の地図」というのは、ちょっと意外な気がした。寺社の伽藍図や境内絵図とは異なる、ということらしい。かなりの広域を1枚の図に収めている。

 家光が愛用していたという日本図・世界図の枕屏風は、おもしろかった(模写。本物は焼失)。世界図は、意外に緻密で「南極」まで載っている。さすが将軍。

 古地図には、科学的な地理情報の不足から、とんでもないデフォルメを施されているものがある。その既視感を裏切る”目まい”の感覚が楽しいのだが、北斎の絵図は全く異なる。画面の使い方が、実にバランスよく、周到である。蝦夷から九州まで、細長い日本全土を「方寸の内に」収めてしまった作品と、江戸湾(東京湾)を挟んで向き合う三浦半島と房総半島を1枚に収めた作品が展示されているが、どちらも、絶対ありえないのに”本当”らしい鳥瞰図法が驚異である。

 旅を題材にした双六、お土産用の名所図の版画、さまざまな道中情報を加えた携帯用の絵図からは、庶民の旅に対する憧れが湧き上がってくるようだ。

 明治期については、神奈川・横浜の外国人居留地の絵図と関連資料が展示されている。ある冊子に、日本人の物売りとカタコトで値引き交渉をする西洋人を描いた文章が載っていた。地文は全く漢文である。ただし、正統な漢文ではなくて、当時の俗語らしく、現代中国語にかなり近い。「七箇天保便了」「相公好了、小公不好了」に「ナナツテンポウ(天保銭のこと)ヨロシ」「アナタヨロシ、ワタシペケ」という具合のルビが振ってあった。おもしろいなあ、これ~。
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研究と大衆/はい、こちら国立天文台(長沢工)

2005-09-20 00:36:49 | 読んだもの(書籍)
○長沢工『はい、こちら国立天文台:星空の電話相談室』(新潮文庫)新潮社 2005.9

 東京・三鷹に本拠を置く国立天文台は、日本で唯一の国立の天文観測研究機構である(ハワイのすばる望遠鏡も、国立天文台の附属施設だ)。国立天文台には広報普及室(現在は普及室)という組織があり、一般市民からの、さまざまな電話質問に答えている。

 著者は『天体力学入門』(地人書館 1983)をはじめ、多くの著作で知られる天文学者であるが、東京大学地震研究所を退官後、1993年から2002年まで、”教務補佐員”として、天文台の電話番を手伝った。最初の時給は810円だったという(安い~)。

 本書は、年間1万件を超える問い合わせに答える広報普及室の奮闘を、セキララに描いたもの。”セキララ”というのは、マスコミの身勝手な問い合わせに憤慨したり、ケアレス・ミスで間違った回答をしてしまったり、困った利用者に振り回されたり、こんなに正直に書いて大丈夫なの?という記述もあるからだ。しかし、全体としては、彼らの真摯な対応ぶりに胸を打たれる。質問受付は全て無償で、時には参考資料をコピーして、質問者に送ってあげることもあるという。

 私は、国立天文台の事務に少し携わっていたことがある。1996~97年のことだ。今でこそ、国立大学や国立の研究機関でも、営業努力や社会貢献が重視されるようになったが、天文台は、当時からいちはやく、研究成果の社会還元と広報普及に力を入れていることに驚かされた。それは、天文学という学問が、歴史的に多くのアマチュアに支えられてきたことと、無関係ではないと思う。

 本書で感銘深かったのは、広報普及室を手伝う院生たちについて語った段だ。彼らは自分の研究テーマについては、既に並々ならぬエキスパートである。しかし、彼らの研究テーマに関連するような質問がくることは、まずない。電話に出れば「×月×日の日の出は何時ですか」のような単純な質問の繰り返しである。

 だが、それは大事な経験なのだ。彼らの研究と、「一般大衆が天文学に期待している実用性」が、どれほど乖離したものであるかを認識し、国民の税金で研究をさせてもらっている者として、「研究成果を、いつか、なんらかの形で国民に還元することを考えてほしい」と著者は願う。研究者としての出発点で、こういう実地教育を受ける彼らは、とても幸せなのではなかろうか、と思った。
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読者への共感/劇場としての書店(福嶋聡)

2005-09-19 00:06:37 | 読んだもの(書籍)
○福嶋聡『劇場としての書店』 新評論 2002.7

 著者はジュンク堂池袋本店の副店長。『書店人のしごと』(三一書房 1991)『書店人のこころ』(同 1997)などの著作で知られる書店人だ。本書は、やや旧刊に属するが、たまたま書店で見つけて立ち読みしているうちに、欲しくなって買ってしまった。時々それとなく書いているが、私の仕事は図書館員である。だから、同じ書籍を扱う仕事の書店員が、日々何を考えているかは、とても気になるのだ。

 私がいちばん感じ入ったのは、本書の接客論である。著者は言う、書店員に求められるのは表現力である。相手の希望をどの程度理解したか(してないか)、相手の要求に対して何ができるか(できないか)を、つねに的確に表現しなければならない。しかも、このとき、書店員は「状況の全て」を引き受けなければいけない。自分の店、会社、書店業界、出版業界全体に存在するシステムの不備を全て自分に引き受けた上で、できないことはできないと言い、謝罪すべきことは謝罪しなければならない。そこに書店員の「矜持」がある。

 ああ、私も接客の第一線に立つ者として、こうありたいと真剣に思った。どんな場合でも「それは私の責任じゃない」って思うことは矜持の放棄であり、もう「負け」なのね。

 著者はまた、表現力とは嘘をつく能力ではない、と補足する。一書店員が(または一図書館員が)出版業界全体を代表して謝罪するなんて、どう考えたって、演技でしかありえないのだけど、その役に「なり切る」のでなければ、相手の心には届かない。だから、表面上、謝罪の身振りだけ示して、顧客を「適当にあしらっておけ」という対応では駄目なのだ(そういう指示をされることが多いけど)。

 そして、本を探す顧客の立場を理解し、共感するには、書店員自身が本を探し求めた経験があるかどうかが鍵になる。著者は、「読書という格闘を経験したことのある者ならば、ほかの人の格闘のあり方を理解することができる。そうでない者には、それが格闘であることすら想像しえない」と語る。

 そうなのだ。書店員は知らず、私は図書館で働き始めて、いちばん驚いたのは、まわりの同僚があまりにも本を読まないことである。もっとも、彼らの多くは非常に優秀である。情報系にも強いし、事務処理能力も高いし、臆せずプレゼンもできるし。むしろ、いまどき、本なんか読んでる図書館員のほうが、現場では役に立たないかも知れない。しかし、これでほんとにいいのかね?と思うこともある。

 もうひとつ、書店員にあって図書館員にない仕事は「棚づくり」である。棚づくりを介して顧客とコミュニケーションし、時には「静かなる決闘」が行われる、という話を聞くと、私はうらやましくて仕方ない。図書館の本は、一度、番号を振ったら、よほどのことがない限り固定されるから、棚づくりに創意を発揮する余地はほとんどない。「生きた棚」なんて、作りようがないのである。

 しかし、著者はよく図書館に行くという。図書館の棚は書店に比べてどうにも古い。だが、「図書館の書棚は『古い』からダメだといいたいわけではない」「『古い』がゆえに豊穣な部分がたくさんある」という著者の言葉を希望とし、じっくり寝かせたワイン倉みたいな書棚を作っていけたらと思う。
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