■NHK木曜時代劇『鞍馬天狗』 第7回「角兵衛獅子 前編」
http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kuramatengu/
テレビの『鞍馬天狗』にハマっている。と言っても、第1回(1/17)を途中から見て以来、帰りの遅い木曜日が続き、録画しか見られなかった。昨日の第7回は、久しぶりに20時にテレビの前に座った。ネットの”実況”と一緒に楽しもうと思っていたのだが、あんまりドラマが素晴らしくて、しばしば実況を忘れた。
第7回にして、杉作少年が登場。「天狗のおいちゃん」に懐く様子がかわいい。考えてみると、私の子ども時代(1960年代)特撮物や時代劇のヒーローには、ヒーローに憧れる子役がつきものだった。そして、子どもの目から見たヒーローは、けっこうオジサンだったのである。それが、いつの頃からか、だんだんヒーローが若くなって(幼稚になって)子どもが同一化できるようなヒーローが喜ばれるようになった。昨日の野村萬斎は、この流れに反して、たっぷりと「父性」を感じさせる懐かしいヒーローを演じていた。どこかの寺(神護寺?)の石段で、杉作と話し込むシーンは秀逸。まわりの配役も、ひとり残らずいい。なのに来週は最終回!! 許しがたい!
■川西政明『鞍馬天狗』(岩波新書) 岩波書店 2003.8
本書は「鞍馬天狗シリーズ」全作品のあらすじを、発行年順に紹介している。作者・大佛次郎は、大正13年、短編『鬼面の老女』以来、なんと昭和40年まで鞍馬天狗を書き継いでいる。初期の鞍馬天狗は、「天下は天子のもとにかえるのが正義である」という信念のもと、躊躇なく人を斬った。しかし、鞍馬天狗の立脚点は、「薩長を軸に幕府を倒す」ことよりも、「薩摩も長州も徳川もない、日本国だけがある」という論理に近い。この点で、彼は幕臣勝安房守と意気投合する。また、宿敵近藤勇と刃を交えるうち、主義主張の違いを越えて、近藤の人間性に共感を見出す。
戦後の作品では、鞍馬天狗は明治維新後の東京を舞台に、反新政府の危険人物として登場する。理由は、明治新政府が革命の志を無にするものだったから、と説明されている。このように、鞍馬天狗が、複雑に変貌するヒーローであることを、私は初めて知った。大正から戦前~戦後と、社会体制の大変化とともに書き継がれた作品であることが、影響しているらしい。最後の作品『地獄太平記』は、舞台を上海に広げているが、鞍馬天狗自身は上海に渡っていない。これは著者のいうとおり、ちょっと惜しい気がする。最後は大陸で姿を消していたら、後日の空想の余地があってよかったのに。
なお、大佛次郎は、アラカン(嵐寛寿郎)の「鞍馬天狗」を好まなかったそうだ。理由のひとつとして「映画の鞍馬天狗は人を斬りすぎている」と語ったという。ふーむ。だとすると、大佛次郎は、いまの萬斎の鞍馬天狗も許さないかなあ。
■大佛次郎記念館 特別展『21世紀の鞍馬天狗―見る、考える、行動する』
http://www.yaf.or.jp/facilities/osaragi/ev080323.htm
自筆原稿や初版本、挿絵原画、作品舞台の写真パネル、映画のポスターなどによる鞍馬天狗の特別展。昭和40年代まで、少年マンガ誌やおもちゃにも使われている。ペーター佐藤、生頼範義など、さまざまな画家の描く鞍馬天狗が興味深かった。またアラカンの「鞍馬天狗」のDVD化(2/22発売)を記念して、数本の予告編を見ることができる。もちろん白黒フィルム。初めて見たが、これはこれでカッコいいものだと思った。
http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kuramatengu/
テレビの『鞍馬天狗』にハマっている。と言っても、第1回(1/17)を途中から見て以来、帰りの遅い木曜日が続き、録画しか見られなかった。昨日の第7回は、久しぶりに20時にテレビの前に座った。ネットの”実況”と一緒に楽しもうと思っていたのだが、あんまりドラマが素晴らしくて、しばしば実況を忘れた。
第7回にして、杉作少年が登場。「天狗のおいちゃん」に懐く様子がかわいい。考えてみると、私の子ども時代(1960年代)特撮物や時代劇のヒーローには、ヒーローに憧れる子役がつきものだった。そして、子どもの目から見たヒーローは、けっこうオジサンだったのである。それが、いつの頃からか、だんだんヒーローが若くなって(幼稚になって)子どもが同一化できるようなヒーローが喜ばれるようになった。昨日の野村萬斎は、この流れに反して、たっぷりと「父性」を感じさせる懐かしいヒーローを演じていた。どこかの寺(神護寺?)の石段で、杉作と話し込むシーンは秀逸。まわりの配役も、ひとり残らずいい。なのに来週は最終回!! 許しがたい!
■川西政明『鞍馬天狗』(岩波新書) 岩波書店 2003.8
本書は「鞍馬天狗シリーズ」全作品のあらすじを、発行年順に紹介している。作者・大佛次郎は、大正13年、短編『鬼面の老女』以来、なんと昭和40年まで鞍馬天狗を書き継いでいる。初期の鞍馬天狗は、「天下は天子のもとにかえるのが正義である」という信念のもと、躊躇なく人を斬った。しかし、鞍馬天狗の立脚点は、「薩長を軸に幕府を倒す」ことよりも、「薩摩も長州も徳川もない、日本国だけがある」という論理に近い。この点で、彼は幕臣勝安房守と意気投合する。また、宿敵近藤勇と刃を交えるうち、主義主張の違いを越えて、近藤の人間性に共感を見出す。
戦後の作品では、鞍馬天狗は明治維新後の東京を舞台に、反新政府の危険人物として登場する。理由は、明治新政府が革命の志を無にするものだったから、と説明されている。このように、鞍馬天狗が、複雑に変貌するヒーローであることを、私は初めて知った。大正から戦前~戦後と、社会体制の大変化とともに書き継がれた作品であることが、影響しているらしい。最後の作品『地獄太平記』は、舞台を上海に広げているが、鞍馬天狗自身は上海に渡っていない。これは著者のいうとおり、ちょっと惜しい気がする。最後は大陸で姿を消していたら、後日の空想の余地があってよかったのに。
なお、大佛次郎は、アラカン(嵐寛寿郎)の「鞍馬天狗」を好まなかったそうだ。理由のひとつとして「映画の鞍馬天狗は人を斬りすぎている」と語ったという。ふーむ。だとすると、大佛次郎は、いまの萬斎の鞍馬天狗も許さないかなあ。
■大佛次郎記念館 特別展『21世紀の鞍馬天狗―見る、考える、行動する』
http://www.yaf.or.jp/facilities/osaragi/ev080323.htm
自筆原稿や初版本、挿絵原画、作品舞台の写真パネル、映画のポスターなどによる鞍馬天狗の特別展。昭和40年代まで、少年マンガ誌やおもちゃにも使われている。ペーター佐藤、生頼範義など、さまざまな画家の描く鞍馬天狗が興味深かった。またアラカンの「鞍馬天狗」のDVD化(2/22発売)を記念して、数本の予告編を見ることができる。もちろん白黒フィルム。初めて見たが、これはこれでカッコいいものだと思った。