見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

新型コロナ禍・在宅勤務8週目

2020-05-30 14:58:59 | 日常生活

 在宅勤務8週目が終了。

 今週は月木金にウェブ会議・セミナー等が計4件。在宅勤務の開始直後は、自宅のネット環境が不安で、ウェブ会議のために出勤していたが、すっかり自宅から接続することに慣れた。会議資料が紙でほしいので、職場の複合機を使いに行ったこともあったが、USBに落として近所のコンビニでプリントアウトすればよいことも分かった(PDFは30ページまでの制限に引っかかって、自宅とコンビニを何度か往復してしまった)。ということで、今週も一度も出勤しなかった。

 5月25日(月)の緊急事態宣言解除とともに、出勤を再開した企業が多いのだろう。我が家のまわりは住宅街・商店街なので、昼の人口が減ったような気がする。夕方6-7時頃のスーパーのお客さんも少なかった。私の職場も「原則在宅勤務」の扱いは8週目の今週をもって終わることになった。しかし、幸いなことに「在宅可能な事務は引き続き在宅勤務で処理」という指示が出ているので、ぼちぼち出勤しながら、働き方を模索していこうと思う。

 ちなみに私の在宅勤務環境はこんな感じ。机と椅子はこれしかない。小さな木製の椅子は、むかし日本民藝館で買った、中国・張家界のもの。邪魔にならず、どこにでも動かせて便利だが、ウェブ会議で立派な椅子に座っている同僚を見ると、ちょっとうらやましい。

 昨日、ポストに「特別定額給付金」の申請案内が来ていた。さっそく記入して、今日中に投函する予定である。区役所職員のみなさん、ありがとうございます。そしてマスクはまだ来ない。

 両親が入居している老人ホームは、まだしばらく面会制限を継続するという。そのお知らせに、ウェブ面会サポートサービス(有料)の案内が同封されていた。日時を予約すると、施設側のパソコンや電気機器の操作をしてくれるのだという。これから詳細を問い合わせてみる予定。いろいろ変わっていく社会を面白いと思っている。

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素人愛好家に支えられ/江戸の浄瑠璃文化(神田由築)

2020-05-26 22:06:40 | 読んだもの(書籍)

〇神田由築『江戸の浄瑠璃文化』(日本史リブレット 91) 山川出版社 2009.8

 新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言の解除が決まって、よし!と思ったのに、国立文楽劇場(大阪)の夏休み文楽特別公演、国立劇場(東京)の8月文楽公演がどちらも中止と発表されて、へたりこんでいる。次は11月の大阪と12月の東京まで待たなければならないのか…。

 そんな現実から逃避する意味も込めて読んでみた本書は、近世後期の浄瑠璃文化の諸相を紹介したもの。主人公として登場するのは六代目染太夫(1791-1855)という浄瑠璃太夫である。師匠の五代目染太夫(越前大掾)は「近世後期を代表する太夫の一人」だそうだが、六代目の芸はそれほど評価されていない。しかし「染太夫一代記(金屋新兵衛一代記)」という日記を残しており、近世後期の浄瑠璃をとりまく状況を知るための格好の資料となっている。本書には、何度か原文が引用されているが、浄瑠璃のリズム感を思わせる文体で、とても親しみやすく、理解しやすい。

 染太夫は大坂生まれだが、師匠のお供で江戸に下り、足かけ六年(文政~天保)江戸に滞在して芸を磨き、太夫として独り立ちする。そのため彼の日記からは、江戸(東都)における浄瑠璃文化の隆盛ぶりがうかがえる。浄瑠璃といえば文楽、文楽といえば大坂文化だと思ってきた私には、意外な情報がたくさんあって面白かった。

 江戸の浄瑠璃の特徴のひとつは女義太夫だという。明治初期の東京で女義太夫が流行ったことは知っていたが、もっと古いんだな。それにしても、町家の娘たちを五、七人ずつ集め浄瑠璃を語らせ、席料を取るとか、女太夫の家に大勢のファンが押しかけ、寝泊まりして宿屋のようになっているとか、現代のアイドルビジネスを彷彿とするところがある。なかには売女同様の働きをしている者もいるというので、男女問わず寄席での浄瑠璃興行が禁止される事態になった。

 そこで染太夫は、巡業を兼ねた日光参詣を思い立つ。道中で舞台に立つ機会を得るには、土地の「旦那」「顔役」「通り者」などを訪ねて世話になり、時には先々への紹介状を書いてもらう。また宿場の女郎屋が旅する芸能者の後援者となり、席を設けることも多かった。時には格上の男太夫や女太夫とかちあってしまうこともあった。こういうときに芸能者どうしを調整するのも顔役の役割である。なお、染太夫は丹後や阿波など西国巡業を経験しているが、西国では、そのときの一座とは別に、特別にスター級の太夫を抱える仕組みがあって、これを「追抱(おいだき)」と言った。

 さて江戸に戻って、天保12年(1841)天保の改革が浄瑠璃渡世の芸能者に大きな衝撃を与える。興行できるのは、神道講釈・心学・軍書講談・昔咄の4つのジャンルに限られたって、悪い冗談としか思えない。まあしかし、「忠孝昔物語」という正体不明の看板を掲げて、実は浄瑠璃を語っていたなどというのは、「上有政策、下有対策」みたいで大変よい。また、通しでなく「みどり(見取り)」という上演形式が人気を博したのも改革以降であるそうだ。

 天保の改革によって江戸市中の寄席は減少し、操座(操り芝居小屋)は経営困難に追い込まれる。操座は市中での興行を願い出るが、町奉行所の隠密廻り同心は「寺社地で興行をさせてはどうか」と提言をまとめている。しかし寺社地は香具師が興行権を握っていた。結局、操座は寺社境内で興行することになるが、かつて香具芝居との差異を誇った権威の象徴「櫓」を掲げることは認められなかった。そうか、櫓にそんな大事な意味があるとは知らなかった。これから舞台や絵画資料を見るときは注意しよう。

 江戸の浄瑠璃の特徴が寄席と女義太夫なら、大坂は素人浄瑠璃に特徴があった。片方に玄人すなわち専業の芸能者(≒因講の成員)が居り、片方に、さまざまな職分を持つかたわら浄瑠璃を楽しむ素人集団がいた。そして、義太夫節は、清元節や常磐津節と違って世襲制や家元制を取らなかったので、職人や商人の息子が素人浄瑠璃の舞台を踏んだのち、やがて専業の太夫となって大きな名跡を継ぐこともあったという。風通しのよい芸能だなあと思う。

 専業者が素人浄瑠璃の大会に出るときは仇名を使用したこと、大坂市中の人口の3%(約3万人)が素人浄瑠璃を語っていたこと、「素人浄瑠璃評判記」における「黒人請(玄人受)」や「楽屋受」の対極にある「太郎受(大衆受け)」という評語の分析も面白かった。

 素人浄瑠璃の盛行が多くの関連出版物を生み出したという話は、どこかで読んだか聞いたことがある、ぼんやりした記憶があった。探してみたが、2006年に東京大学美術博物館(駒場)で行われた「黒木文庫」展で聴いた、ロバート・キャンベル先生のギャラリートークではないかと思う。なつかしい。

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黒死病から見えるもの/ペスト大流行(村上陽一郎)

2020-05-24 22:43:46 | 読んだもの(書籍)

〇村上陽一郎『ペスト大流行:ヨーロッパ中世の崩壊』(岩波新書) 岩波書店 1983.3

 新型コロナウイルスの影響で、感染症の関連本が話題になっている。たまたまSNSに流れてきた情報で、本書の存在を教えられ、読んでみようと思った。営業再開した神保町の三省堂書店に行ったら「(新書の?)売れ筋ランキング1位」に飾られていた。

 本書は、主に14世紀ヨーロッパのペスト(黒死病)大流行について語ったものだが、導入部は19世紀末の香港から始まる。先日読んだばかりの飯島渉『感染症の中国史』と重なるが、日本の医師、北里柴三郎と青山胤通がペスト研究のため派遣され、北里はペスト菌発見の短報を雑誌「ランセット」に掲載するが、のちに誤りだったことが判明する。脇道にそれるが、当時は病原体としての細菌が次々に発見されていた時代で、脚気の病原菌を発見したという論文もあったという。誤りを正しながら進んでいくのが科学であり、そのための学術コミュニケーションなのだ、ということを再確認した。

 それから古代のペストについて。ペストという語は、本来「悪疫」の意味で用いられていたので、記録に現れる「ペスト」が、本当にペスト流行なのかは判別し難いという。ペストは、地球上の一部の地域に風土病として定着し、折に触れて小流行を繰り返し、ほぼ三百年ごとに大流行が発生している。

 史上最強のペスト大流行がヨーロッパを襲ったのは14世紀の半ば。著者は、ボッカチォ(1313-1375)の『デカメロネ』からフィレンツェの惨状を引用し、アラビア人イブン・ハーティマ―(?-1369)の記録からアルメリア地方(イスパニア)の様子を紹介する。その他にも多くの記録が残る。

 原発地と感染経路、当時の病因論、犠牲者数の推定なども興味深いが、やはり本書の白眉は、ペスト大流行が、人々の思想・行動に何をもたらしたかの考察である。初めて知って衝撃的だったのは、全ヨーロッパで起きたユダヤ人大虐殺。ユダヤ人迫害(ポグロム)は、ヨーロッパの底流に燻り続ける「おき火」の如きものだと著者は言う。何かきっかけがあると業火となって荒れ狂うわけだが、黒死病大流行という異常事態は、通常差別されている人々への差別感を強化し、迫害へとエスカレートさせた。黒死病の原因は「キリスト教徒の敵」であるという言説が流れ、ユダヤ人が井戸に毒を入れたと信じられた。井戸!『感染症の中国史』によれば、ペスト流行時の満洲では日本人が井戸に毒を入れたという噂が中国人の間に広まっていたという。恐怖と差別は、地球上のどこでも同じような姿を取る。

 殺害されたユダヤ人はストラスブールで二千人とかマインツで一万二千人以上という数字に慄然とする。著者によれば、多くのキリスト教徒にとって、ユダヤ人虐殺という「正義」に参画することは、惰性化・形骸化した信仰への反抗と代償行為の側面があったという。ファナティックな信仰への憧れは「鞭打ち運動」(贖罪のため、自分を鞭打ちながら集団で旅をする)という不可思議な流行を生み出す。著者がこの活動を、ルターの宗教改革に先んずるものと位置づけているのは、鎌倉仏教の前に現れる念仏聖みたいなものだろうか。

 著者は、黒死病がヨーロッパを変えたという単純な解釈は取らない。ただ、ある種の変化の趨勢を黒死病が加速させ、決定的にしたとは言える。農村人口が激減したため、荘園領主は労賃で労働力を贖い、さらには土地を農民に賃貸しするようになった。これにより中世の封建的荘園制度は崩壊し、農民運動が激化した。

 学問は衰退し、ヨーロッパの30の大学のうち4つが14世紀半ばに消滅した。しかし、ケンブリッジとオックスフォードには、逆に学問の衰退に抗して設立されたカレッジもある。学問の担い手が相当数いなくなり、学問における「古典」尊重主義は揺らぎを見せたが、旧来の学問の再建が強く望まれたことから、14世紀後半は文化一般において強力な保守主義が復活したという。

 黒死病後のヨーロッパ社会は、人間のモビリティ(可動性)が高まり、身分関係では「下剋上」の風潮が生まれた。一方で敬虔な信仰に立ち返る人々も多く、教会は多額の寄付で潤った。要するに光のあて方次第で全く異なる相貌を見せる、混乱した社会だったことが分かる。著者はその中から、この時代を象徴するものとして、フラ・アンジェリコの絵画を取り上げる。荒れ狂った悪疫の後、束の間の安定を愛しんだ人々の心象風景。その先にルネサンスがあり、私たちのよく知る「近代ヨーロッパ」が生まれるのだが、著者は、沈黙の祈りに満ちたアンジェリコの世界を「最後のヨーロッパ」と呼んで懐かしんでいる。

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新型コロナ禍・在宅勤務7週目

2020-05-23 13:21:47 | 日常生活

 在宅勤務7週目が終了。

 今週は木金に自宅からウェブ会議が3件。あとは比較的のんびりしていたので、時短出勤もなしで済ませた。しかし月曜から急に気温が下がり、在宅勤務になってから初めて雨の続いた1週間で、洗濯も布団干しもできなかった。溜まった洗濯をまとめて片づけるのは、以前なら週末のルーティーンだが、久しぶりである。

 雨で外に出るのが億劫だったので、昼も夜も自炊で済ませることが多かった。冷凍食材やお手軽調味料にたよっているので自慢にはならないが、一汁二菜くらいをつくっている。それで思い出したのは、就職して間もない、平成のはじめ頃は、こういう生活が標準だったのだ。毎日5時に仕事が終わって、たまに呑みに行ったり習い事に行ったりする日を除けば、帰宅して食事をつくって、夜8時までには食べ終えて、テレビを見たり本を読んだり好きに過ごした。

 それが7時8時まで職場にいるのは普通のこと、9時10時も特に驚かない、という働き方になったのはいつ頃だったか。私の場合、超多忙な職場とそれほどでもない職場の行き来を繰り返して、だんだん勤務時間が長くなる方にシフトしていった。帰宅するとコンビニめしを食べて布団に倒れ込むだけ、みたいな生活を何度か経験したが、やっぱりあれはおかしいとあらためて思った。

 東京の緊急事態宣言解除もそろそろ視野に入ってきたようだ。美術館や博物館の再開が待ち遠しい。夜呑みもしたい。旅行にも行きたい! でも仕事に関しては、在宅勤務期間が終わっても、テレワークを活用し、出勤しても用務が済んだらさっさと帰ろうと強く思っている。

 明日は、土日も開いていると聞いた神保町の三省堂本店に新刊書漁りに行ってくる予定。

三省堂書店:一部店舗の営業再開及び営業時間変更のお知らせ(5月22日現在)

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変わりゆく暮らし/中国古鎮をめぐり、老街をあるく(多田麻美)

2020-05-20 21:23:01 | 読んだもの(書籍)

〇多田麻美;張全(写真)『中国古鎮をめぐり、老街をあるく』 亜紀書房 2019.10

 ステイホームの日々が続いているので、旅の空が恋しい。たまたま書店で見かけて、大好物の「古鎮」と「老街」という文字に吸い寄せられるように購入してしまった。レトロな雰囲気の表紙のデザインもよい。

 紹介されている古鎮・老街は28カ所。北は北京市、河北省、山西省から、南は福建省、奥地の貴州省まで。指折りの観光名所もあれば、全く知らない地名もあった。地図を見ながら、東北地方や陝西省、四川省、雲南省がないことを少し残念に思ったが、欲をいえば切りがないのかもしれない。いずれも短い文章で構成されているので、飽きずにスイスイ読めてしまう。冒頭に少しカラーページがあるが、本文に付随しているのが全て白黒写真である。もっとカラー写真が欲しかったが、そうすると値段の高い本になってしまうのかな。それでもまぶたに鮮やかな天然色の風景が目に浮かび、人々の話し声や風の匂いまで感じられるのは、著者の文章力のなせる業である。

 著者のことは何も知らなかったが、著者紹介によれば、1973年生まれ、京大中国文学科の卒業で、留学中に北の胡同の魅力にとりつかれ、現在はフリーランスのライターとして各種媒体で中国やロシアの文化・芸術に関する記事を執筆しているそうだ。少し足が悪くて松葉杖をついている、という記述が本文中に出てくる。「北京に帰る」という表現があったので、現地(中国)在住かと思ったら、どこかでイルクーツク在住、という記載を見た。写真を添えている張全さんは、文中にはほとんど出てこないが、お二人はご夫婦らしい。

 ちなみに本文中で、私が行ったことのある場所は、山西省晋中市祁県(たぶん私も喬家大院でなく渠家大院を訪ねた)、北京市模式口(壁画で有名な法海寺)、河北省易県忠義村(清東陵、清西陵)、天津市西青区楊柳青鎮(年画のお店を探しまわった)、安徽省黄山市黟県宏村、江西省上饒市婺源県李坑村(徽州古民家めぐり!)など。江西省景徳鎮市、河南省登封市(少林寺)、湖北省赤壁市、浙江省紹興市、江蘇省南京市、重慶市なども行っているのだが、本書に紹介されている古鎮・老街は訪ねていないかなあ。ジは全くなかった。

 ただし、私が職場の夏休みを使って、友人たちと中国各地を旅行していたのは、1990年代からゼロ年代の初めくらいまで。本書に描かれているのは、この10年くらいの記述が主なので、私の記憶の中の中国古鎮とは微妙な齟齬がある。あの頃はまだ、ディヴェロッパーの関与も限定的で、中国人観光客も少なく、のんびりしていた。

 なので、映画の舞台になった老街に集まる若者たち(重慶の十八梯)、日帰り客で賑わう水郷(西塘鎮)などの記事を読むと、しみじみと隔世の感がする。その一方、向かい側の山から大声で道を教えてくれる村人とか、お金のないおじいさんを気軽に相乗りさせる白タクのドライバーとか、方言がきつくて一言も理解できないおばさんに誘われて着いていったらトイレだったとかのエピソードには、ああ変わらないなあと思った。都市を離れると、親切で気前のよい中国人に遇うことが多い。現地のおじいさんが言った「山西省と山東省は誠実な人が多い」という言葉は分かる気がする。そういう土地だと警戒心を緩めて生活できるので、居心地がいい。

 また訪ねてみたいのは、やはり安徽省と江西省の古民家群。貴州はまだ一度も行ったことがないが、本書に紹介されている、紙づくりの里・貴陽市香紙溝にはぜひ行ってみたい。洛陽は何度か行っているが、いつも旧市街でない地区に泊まるせいか、本書の写真のような老街のイメージが全くなかった。まだあるのかなあ。早く行ってみなければ。

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近代国家の統治の技法/感染症の中国史(飯島渉)

2020-05-18 21:00:50 | 読んだもの(書籍)

〇飯島渉『感染症の中国史:公衆衛生と東アジア』(中公新書) 中央公論新社 2009.12

 近所の書店で目についたので、おや新刊かな?と思って奥付を見たら違った。帯に「緊急復刊」とあるように、話題性をねらって増刷したものらしい(2020年4月 第4版)。商売上手だなと思いながら、乗せられてみることにした。本書は、19世紀末から20世紀の中国と周辺諸国における感染症対策と公衆衛生の歴史を論じたもので、ペスト、コレラ、マラリア、日本住血吸虫病が取り上げられている。

 最初に詳述されているのは、19世紀末の東アジアを襲ったペストの大流行。この時代の歴史を読んでいてもあまり意識したことがなかったが、実は日本でも多い年は300人以上が死亡している。香港は死者1,000人以上の年が連続し、台湾は多い年だと死者が3,000人を超える。実際の死者はさらに多かっただろうという。中国では、広州、上海、天津など沿海地域を北上し、満洲、北京でも患者が発生した。ハワイにも伝播し、人種的偏見を背景にしたチャイナタウンの大火災(ハワイ黒死病事件)も起きている。また、中国の地方志(省志、県志など)には、ペストに関する多数の記録が残されているという指摘が興味深かった。

 このペスト流行は、中国の人口動態への影響は小さかったが、政治社会には大きな影響を与えた。そもそも中国の伝統社会では、感染症対策は「善堂」などの民間団体が行うもので、政府は個人の生活に介入しないことが前提とされてきた。清朝は「小さな政府」だったのだ。封建社会と聞くと、個人の生活が隅々まで管理された社会のような気がするが、実は政府の力は大きくなかった(管理もされなかったが、保護もされなかった)というのは重要である。

 19世紀末、感染症の原因が細菌などの病原体微生物であることが解明されると、欧米諸国は予防医学を発達させ、公衆衛生事業を整備し、感染症による死亡率を低下させた。この結果、公衆衛生事業を進める主体として政府の役割が拡大し、「大きな政府」が一般化した。

 19世紀半ばから衛生行政を整備してきた日本は、ペストに対して機敏な対応をとった。満洲の開港場・営口では、外国人社会の要請により、日本政府に医師団の派遣が要請された。日本人医師団は、共同便所の設置、下水の整備、塵埃の清掃等々の対策を立て、戸別訪問・巡回を実施した。日本人医師団は、こうした対策が中国人社会に受け入れられたとしていたが、中国側の史料では、強い反発があったことがうかがえるという。日本は、植民地・台湾に対しても徹底的なペスト対策を行った。衛生事業の制度化はしばしば統治政策の「善政」として語られるが、著者の評価は慎重である。終章の記述によれば、日本の帝国医療は、ペスト、コレラ、天然痘などを抑制したが、赤痢、ジフテリア、結核など、むしろ増加した感染症もあるそうだ。

 やがて中国側でも、日本に学び、本格的な衛生事業が始まる。その嚆矢となったのは袁世凱の天津。そうだ、むかし見た中国ドラマ『走向共和』にそんな描写があった気がする。天津における衛生事業の歴史を研究したロガスキー(Ruth Rogasky)は、身体の保護(protecting the body)から民族の防衛(defending the nation)という言葉で、その意義を語っているそうだ。なお、著者は戦前日本の公衆衛生行政の特徴は「警察が大きな役割を果たしたこと」だと指摘する。これが袁世凱などを通じて、20世紀前半の中国に移植されたのである。

  1920年代には中国を指す言葉として「東方病夫」という言葉が用いられた。国内の感染症対策が不十分で、周辺地域への影響が大きいことを揶揄する表現であった。これに対して中国では「衛生救国」が唱えられ、衛生の制度化が国家建設の一環と位置づけられるようになった。次第に日本の影響を離れ、欧米留学組を中心に法や機関が整えられていった。

 戦後、日本の感染症医学と中国の衛生行政の間に直接の関係はなさそうに見える。しかし、中国・江蘇省における日本住血吸虫病の駆逐に、戦前、共産党員として「国外追放」された小宮義孝(1900-1976)がかかわっていたというのがとても面白かった。

 国家による医療・衛生の制度化は、教育と並ぶ近代国家の「統治の技法」であり、まだ解決されていないさまざまな問題を内包しているという指摘は、2020年の今、身につまされる感じがした。

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新型コロナ禍・在宅勤務5-6週目

2020-05-16 11:16:51 | 日常生活

 連休から継続して在宅勤務5-6週目が終了。

 4連休は、掃除、洗濯、お買物、ご近所散歩(+ちょっと読書とドラマ視聴)であっという間に過ぎた。仕事のメールも2、3件処理しており、結局、在宅勤務とあまり変わらない日常だった。5月4日に緊急事態宣言の延長が発表されたときは、ああやっぱりな、という感じ。

 今週は、金曜に大きなウェブ会議があったので、連休明けはだいたいその準備に明け暮れた。月水金は職場に短時間出勤して打合せ等を行った。並行して、所管の部署について一部出勤制限を解除してもらうための上申手続きを行い、木曜に受理された。これらが完了して仕事のヤマをひとつ越えたので、本来なら思いきり羽根をのばしたい週末だが、ご近所散歩くらいしかできないのが悲しいところ。5月14日に政府の緊急事態宣言が39県で解除になったが、東京とその周辺はまだ継続中である。

 しかし、感染拡大防止と営業時間に気を使いながら、営業を再開する店舗は徐々に増えてきた気がする。毎週土曜日は、近所に住む友人と飲みに出かけているのだが、選択肢のお店がだんだん増えてきた。

 待っているのは大型書店の本格的な営業再開。連休明けから、紀伊国屋書店や丸善ジュンク堂の一部店舗が再開したと聞いたので、やった!と思ったら、土日は休業を継続しているところがほとんどだった。木場の深川ギャザリアの中にある紀伊国屋書店は、先週末は開いていたので見に行ったが、品揃えがファミリー向けで、ちょっと私のニーズに合わない。せめて主要な新書の新刊を手に取って比較したい。ネット書店では駄目で、リアル書店の棚が恋しい。

 うーむ、来週は在宅勤務を1日休んで、大型書店に買いものに行ってこようかと本気で考え始めている。こういう自分と、自粛要請中でもパチンコ店に通う客に本質的な差はないことを思いつつ。

紀伊国屋書店:店舗の営業状況について(5月16日現在)

丸善ジュンク堂:店舗営業状況(5月15日現在)

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武侠ブロマンスファンタジー/中華ドラマ『陳情令』

2020-05-14 22:45:23 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『陳情令』全50集(騰訊視頻、2019)

 昨年、中国で高い人気を得たドラマであることは知っていたが、原作が耽美BLファンタジーで、若手イケメン俳優が勢ぞろいと聞いて、私が手を出す領分じゃないなと思っていた。しかし、日本でもファンが増えていると聞き、騙されたつもりで見始めたら意外と面白くて、あっという間に最終話まで見てしまった。特に終盤は、そうだったのか!の連続で、泣いてばかりいた。いまWOWWOWで初視聴中の皆さんには、絶対ネタバレを読まないことをお勧めする。

 ドラマは、ある戦いから16年後、莫家荘を訪れた藍氏門下の少年たちが、傀儡(ゾンビ)の跳梁する怪事件に巻き込まれ、莫玄羽という青年に出会うところから始まる。16年前、仙境世界には、五大世家(姑蘇藍氏、蘭陵金氏、清河聶氏、岐山温氏、雲夢江氏)が存在し、とりわけ岐山温氏が他家を圧していた。

 雲夢江氏の江宗主は、娘の厭離、息子の江澄に加えて、友人の遺児・魏嬰(無羨)を育てていた。三人は実の兄弟のように育ったが、江澄は、奔放不羈で才能にめぐまれた魏無羨にどこかコンプレックスを感じていた。あるとき、姑蘇藍氏の山荘「雲深不知処」で学問を学ぶため、名家の子女が集合する。ここで魏無羨は、温家の一族だが宗主一派とは一線を画す、温情と温寧の姉弟と親しくなる。また、藍氏の二公子で無口で真面目な藍湛(忘機、含光君)と知り合い、お互いに惹かれ合う。

 楽しいひとときもここまで。野心家の温宗主は、この世に4枚存在すると言われる陰鉄を各家から奪い取ることを画策し、ドラ息子の温晁を使って、藍氏、聶氏、そして江氏に実力行使をかける。江宗主夫妻は殺され、江澄は仙術の源である金丹を失ってしまう。魏無羨は、温情・温寧の協力を得て、江澄の金丹の復活に成功するが、その直後、温晁一味に捉えられ、夷陵の乱葬(葬送地)に突き落とされる。佩剣を残して姿を消した魏無羨が、戻ってきたのは3か月後。陳情と名づけた横笛を武器に温晁に復讐を遂げ、温宗主打倒にも貢献する。藍湛は、邪法に係わらないよう忠告するが、魏無羨は気に留めない。

 温氏滅亡後は平和が訪れたかに見えた。しかし小人たちの専横、温氏の残党に対する無慈悲な仕打ちに腹を立てた魏無羨は、温情・温寧らを連れて乱葬に籠り、夷陵老祖と恐れられるようになる。一方、江厭離は金氏の御曹司・金子軒と結婚し、長男・如蘭(金凌)も生まれて幸せに暮らしていた。あるとき、魏無羨が山道で行き合った金氏の一党と争っていた際、正気を失った温寧が金子軒を殺してしまう。人々は魏無羨が鬼将軍(傀儡)温寧を操ってやったことと噂し合う。

 かつての温氏の宮城・不夜天では、各氏の代表が集まり、金宗主を中心に団結を固める誓いの式が行われていた。そこに怒りとともに乱入する魏無羨。闇にうごめく別人の影。無羨に一目会おうと混乱の中に飛び込んだ師姐・江厭離は命を落とす。そして魏無羨は藍湛の差し伸べる手をすり抜けるように崖下に落ちて行った。

 16年後、藍湛に再会した莫玄羽(実は魏無羨)は、再び動き出した闇の力、陰鉄で鋳造された「陰虎符」の捜索に乗り出し、16年前から張り巡らされていた陰謀の首謀者を突き止める。

 ドラマは、原作に比べるとBL(ボーイズラブ)描写が薄められているので、原作小説ファンには物足りないらしい。しかし、これはこれで、男性どうしの絆を主題にしたブロマンスファンタジーとして完成度の高いドラマだと思う。正反対の性格を持つ主人公ペアがもちろんよいのだが、それ以外にも、敬意と友情、嫉妬や裏切りなど、さまざまな関係性の組合せがあって、どれもよかった。原作者は若い(?)女性だというが、金庸など武侠小説の王道を踏まえているなと感じた。日本の小説やドラマ(陰陽師とか)の影響もあるのだろうか。

 おちゃめで表情豊かな魏無羨(肖戦)はいつも可愛いし、わずかな表情の変化で繊細な感情を表現する藍湛(王一博)は絵画のように美しかった。90年代頃の中国の風景を思い出すと、女子は可愛くなってきたけど、男子はまだまだだなーと思っていたのが夢のようだ。このドラマも中国の配信サイトで見ていたのだが、藍湛に扮した王一博が登場するカップめんのCMがあって爆笑した。藍湛という役柄、カッコいいのにどこか笑えることを分かって演じているのが賢いと思った。

 女性では温情役の孟子議、2017年版の「射雕英雄伝」で穆念慈を演じていたのを覚えている。強くて幸せになれない女性が似合ってしまうタイプ。私は弟の温寧が好きだったので、ドラマの大結局はよかったと思う。あと前半の巨悪・温宗主役の修慶は、20年近く前の金庸ドラマの悪役ぶりが大好きだった俳優さんなので、こんな佳作で再会できて嬉しかった。

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牡丹公園の紅白牡丹

2020-05-13 12:16:08 | なごみ写真帖

連休中(たぶん)に近所の公園で見かけた牡丹の花。深紅や紫、黄色など、さまざまな色があったけれど、古典的な中国絵画を思わせる薄紅と白がいちばん好ましい。

昨日通ったら、すっかり花が摘み取られて跡かたもなかった。花期は短いんだなあ。

この公園は牡丹町公園という。アスレチック遊具などもあって、いつも子供で賑わっている。

「牡丹町」という地名は「昔、このあたりに牡丹を栽培する農家が多かったので、牡丹町と名付けられた。また現錦糸町あたりの牡丹園の職人が多く住んでいたので、この名が起こったともいう」そうだ(江東区の地名由来)。江東区の地名は、情緒のあるものが多いが、とりわけ華やかで好き。

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遊牧民の多元世界/草原の制覇(古松崇志)

2020-05-11 21:32:53 | 読んだもの(書籍)

〇古松崇志『草原の制覇:大モンゴルまで』(シリーズ中国の歴史 3)(岩波新書) 岩波書店 2020.3

 「シリーズ中国の歴史」第3巻は、ちょっと読者を選ぶかな~と思ったが面白かった。本書は、ユーラシア大陸中央部の乾燥地帯(草原や砂漠)に暮らす遊牧民と彼らの立てた遊牧王朝(遊牧国家)、その中国とのかかわりを見ていく。漢と匈奴、匈奴なき後の鮮卑の勃興(以上は第1巻)を簡単におさらいし、本書は、遊牧民の動向が中国史の展開に決定的な影響を及ぼすようになって以降、5世紀の北魏から隋・唐に至る「拓跋国家」、チュルク系王朝・集団(突厥、ウイグル)、10世紀のチュルク(トルコ)系沙陀集団を中核とする五代諸王朝(建国当初の北宋を含む)、10世紀の契丹、西夏(タングト)、12世紀の金(女真)を経て、13世紀のモンゴル帝国に至るまでを扱う。

 私が中国史に興味を持ったのは学生の頃だが、遊牧国家への関心はずっと遅く、偶発的な要因に依る。契丹、金、西夏については『射雕英雄伝』など金庸作品の影響が大きいし、昨年はドラマ『長安十二時辰』に触発されて唐と突厥に関する本を読み漁った。諸星大二郎『西遊妖猿伝・西域篇』の影響もあるなあ。マニ教絵画に興味をもってソグド人のことを調べたりもした。

 本書は、私の無秩序な知識を整頓し、豊かにするのにとても役立った。まず、中国史を読むとうじゃうじゃと出てくる、遊牧民族の奇妙な名前が「拓跋系」「チュルク系」「沙陀集団」などに整理できたこと。ちなみに沙陀集団は、西突厥(チュルク系)を中核とし、ソグド系突厥・吐谷渾・契苾・ウイグル・突厥・タタル、さらに漢人も含んでいたとのこと。安易に「民族」と同一視できないのだなと思った。

 遊牧国家の制度については、初めて知ることが多かった。7-8世紀に隆盛したチベット(吐蕃)は7世紀前半にチベット文字を定め、文書行政制度を高度に発達させ、各地を駅伝で結び、飛鳥使と呼ばれる早馬で迅速に文書を伝達することができた。素朴な宗教国家ではないんだ。契丹、西夏、金、モンゴルは、いずれも「文字と文書行政」を他国の先例から学び取ることによって、安定した支配体制を確立する。

 隋唐が鮮卑拓跋部の流れに属することは認識していたが、突厥碑文によれば古代チュルク語で唐を「タブガチ(拓跋の訛り)」と呼んでいたというのには驚いた。それから北宋も沙陀集団の王朝のひとつだというのも言われてみれば納得。中国の歴史は、漢人王朝と遊牧民王朝の交替だというけれど、そもそも漢人王朝とは何か?ということを、あらためて考えさせられた。

 また、非常に面白かったのは、1004年12月に宋と契丹の間で結ばれた澶淵の盟(せんえんのめい)に関する考察である。実質上は契丹が上位にあり、宋にとって屈辱的な盟約というイメージが強かったが、本書は、盟約の内容に軍事衝突を回避し、恒久平和を維持するための緻密で詳細な規定が盛り込まれていることを重視する。盟約の結果、両国皇帝は互いに対等な皇帝として認め合い、天下を二人で分け合って統治しているという共通認識を持つようになった。そして、両国は誓約を遵守し、国境を侵犯せず、緊密な連絡を取り合い、百年を超える安定した平和共存体制を確立した。

 このあとユーラシア東方では、12世紀に至るまで王朝間で盛んに盟約が結ばれて「盟約の時代」とも言うべき多国体制が成立する。ううむ、中国といえば中華思想、天下の中心は唯一人の中華皇帝という思想と全く相容れないのが面白い。北宋皇帝にとって北方の異民族は、自らのアイデンティティを脅かす悩みの種だと思っていたが、意外と「天下を分け合う」状態に適応していたのかもしれない、と思えてきた(現代の中国脅威論を思い浮かべながら)。

 この時代の遊牧王朝では、金(女真)についてもう少し知りたい。モンゴルや契丹に比べると、今ひとつ実態が把握できていない。モンゴル(大元ウルス)については、南宋の統合後も華北はキタイ、江南はマンジと呼ばれ、別の地域として認識されていたというのが興味深かった。税制も異なっていたという。モンゴル帝国は個人の才能を重視したので、ヨーロッパ人を含め、あらゆる地域からやってきた人々が、能力に応じて取り立てられた。宗教には基本的に寛容だったので、さまざまな新しい宗教勢力が起こった。ここで全真教の王重陽、丘処機の名前が出てくると金庸作品を思い出してにやりとしてしまう。儒学は冷遇されたように思っていたけど、曲阜の孔子廟は大いに復興し、儒学教育が全国に広がったそうだ。

 近年、大いに深化している中央ユーラシア研究、スタンダードだった中国史の風景を変えてしまうのではないかと思う。面白い。

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