見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2021三月尽

2021-03-31 21:06:23 | なごみ写真帖

 今日は私の定年退職の日である。しかし同じ職場に長く勤めるということがなく、2~3年ごとに職場を渡り歩いてきた上、明日4月1日からは次の職場に再就職が決まっているので、全然感慨がない。

 それでも先週から多数のお花をいただき(こんなに花に埋もれるのは、次は棺桶に入るときしかないだろう)記念の時が迫っていることは、だんだん自覚するようになった。

 いただいたお花は、自宅に持ち帰って、花瓶がないので、適当なタッパーウェアなどに差している。水と陽の光があれば、植物は持つものだなあと感心している。

 お花以外に、お茶やお菓子をたくさんいただいた。集まっての送別会ができない分、みなさん、気を遣って個別にプレゼントをくださるのを申し訳なく思っていた。

 そして今日は、ひとりで記念の祝杯をあげようと思っていたら、お誘いをいただいたので、友人と軽く吞んできた。そして明日から第二の(?)人生。

 「三月尽」の和歌を探していたら、むかしから好きな「けふとのみはるをおもはぬときだにも たつことやすき花のかげかは」(古今・みつね)よりも、「はかなくて過ぎにしかたを数ふれば 花に物思ふ春ぞ経にける」(新古今・式子内親王)が、ぐっと身に染む感じがした。老いの和歌の妙味が少し分かってきたみたい。これだから、生きることは面白い。

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陳情令スピンオフ「生魂」「乱魄」を見る

2021-03-30 21:52:37 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『陳情令之生魂』(愛奇藝、2019)『陳情令之乱魄』(愛奇藝、2020)

 2019年の中国ドラマ『陳情令』は、今も熱狂的なファンを世界中で増やし続けている、武侠ブロマンスファンタジーである。私がネットで同作品を視聴したのは2020年4-5月だが、このときスピンオフ(番外編)『生魂』があることは聞いており、のち『乱魄』が制作されたことも聞いていた(各編90分くらい)。時間のあるときに見ようと思って先延ばしにしていたら、この日曜にWOWOWで初放映されるという。我が家はWOWOWは見られないのだが、これは乗らなきゃ!と思って、同じ日にネットで中国語原版を探し当てて視聴した。年度末の週末に何をやっているか…と苦笑しながら。でも後悔はしていない。

 『生魂』は、鬼将軍・温寧と思追が主人公。『陳情令』本編の終幕で、岐山温氏の生き残りである温寧は、姑蘇藍氏の若き仙師・蘇思追(実は出自は同じ温氏)とともに旅立った。その二人が、たまたま立ち寄ったのが扶風城。人々は日が暮れると、悪鬼に怯えて真っ暗な家に閉じこもっていた。温寧と思追は、蕭家の古屋敷で、蕭憶と名乗る青年に出会う。蕭憶には蕭情という美しい姉がいたが、周子殊という青年に騙され、殺されてしまう。周子殊は悪鬼となり、さらに蕭家の人々を皆殺しにした上に、今も蕭憶を責め立て続けているという。

 それを聞いて、蕭憶を守ろうとした温寧と思追だが、調べるとどうもおかしいところがある。結局、蕭憶の正体は趙憶という下僕で、蕭情に身分違いの恋をし、陰鉄(陰虎符)によって、死せる周子殊を傀儡として操っていたことが分かる。

 ストーリーはわりと単純で、SFXとワイヤーアクションを駆使した激しいバトル映像が見どころ。中華ホラーのおどろおどろしい演出も好きな人には楽しめる。『陳情令』本編では可愛い癒し系だった二人が、別人のようにタフで自立した闘士ぶりを発揮するのは感涙もの。そして、蕭憶(趙憶)に精神的に捕らわれた温寧が、魏公子の励まし(後ろ姿と声だけの出演)で自分を取り戻すのがクライマックス。総じて『陳情令』ファンの「見たいもの」がよく分かっている番外編である。

 『乱魄』は清河聶氏の明玦・懐桑兄弟の物語。武勇に優れた激情家の兄・明玦と柔弱で風流人の弟・懐桑はしばしば対立していた。あるとき、聶氏歴代の陵墓(祭刀堂)で怪しい動きがあったことから、宗主の明玦は、弟と武士たちを連れて様子を見にいく。心配そうに送り出すのは、当時、聶氏に同居していた金光瑶。祭刀堂では制御の効かなくなった刀霊が暴走を始めており、聶氏の武士たちは次々に命を落とす。なんとか助け合って危機を脱し、幼い頃からの強い絆をあらためて思い出す明玦・懐桑兄弟。

 しかし暗転した画面に表示された筋書きによれば、祭刀堂の事件以後、明玦は日増しに激怒しやすくなり、ついに「爆体而亡」つまり健康を害して死んでしまう。『陳情令』本編でも謎の死として描かれていたものだ。明玦の葬儀で、金光瑶の悔やみの言葉を受けながら、あることに思い当たる懐桑。その最後の表情が素晴らしくいい!

 この作品も、ある意味、『陳情令』ファンの「見たかったもの」で、本編では物足りなかった描写を補完する内容になっている。ただ、『生魂』が本編を知らなくても楽しめるのに対して、『乱魄』は本編とあわせて見る必要があるだろう。本編では、え?と思ってしまった懐桑の豹変ぶりが、『乱魄』を見ると腑に落ちる。しかし『陳情令』は魅力的なキャラを無数に揃えているので、この調子ならいくらでも番外編が作れそうだ。

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2021年2-3月@東京:展覧会拾遺

2021-03-27 23:00:35 | 行ったもの(美術館・見仏)

いちおう東京近郊の展覧会は、見逃さないように行っているのだが、レポートする時間がなかなかないので、まとめて。

国立歴史民俗博物館 特集展示(国際展示)『東アジアを駆け抜けた身体(からだ) -スポーツの近代-』(2021年1月26日~3月14日)

 明治維新後、近代化とともに日本に入ってきた「スポーツ」の概念の展開を、錦絵や双六、写真などで紹介する。20世紀に入ると、スポーツは隆盛し、帝国日本の膨張とともに、植民地の選手たちが「日本」代表としてオリンピックに登場するようになる。本展が注目するのは、台湾出身の陸上選手、張星賢(1910-1989)である。国立台湾歴史博物館(台南市)には、張星賢選手に関する歴史資料が多数所蔵されており(日記などは日本語)、歴博および国立成功大学との共同研究によって、この展示が実現した。張星賢、大学卒業後は満鉄に就職していたり、母国台湾で女子選手の育成に携わっていたりする。いろいろ興味深いが、重いテーマの展示だった。

太田記念美術館 『没後30年記念 笠松紫浪-最後の新版画』(2021年2月2日~3月28日)

 笠松紫浪(1898-1991)は、大正から昭和にかけて活躍した絵師で、鏑木清方に入門して日本画を学び、版元の渡邊庄三郎から新版画を刊行した。戦前にはモダンな東京の街並みや温泉地の風情を淡い色彩で表現し、戦後も精力的に版画を制作し続けた。前後期で130件を展示。笠松紫浪の名前は知らなかったが、週刊誌の表紙や広告ポスターなど、どこかで出会っていそうな作品が多かった。ちょうど同時期に回顧展を開催中の吉田博に比べると、より大衆的で親しみやすい作品が多いように思う。ちなみに『本郷赤門の雪』という作品があって、東大職員が永続勤務記念や退職記念にもらえるという版画(紫浪の作品である)はこれかな?と思ったが確かめていない。調べたら、紫浪には「東大風景シリーズ」6点物もあるようだ。

練馬区立美術館 『電線絵画展-小林清親から山口晃まで-』(2021年2月28日~4月18日)

 明治初期から現代に至るまでの電線、電柱が果たした役割と各時代ごとに絵画化された作品の意図を検証し、読み解く展覧会。明治の画家たちは、都会風景でも郊外の風景でも、文明開化の象徴である電柱と電線を、けっこう堂々と描き込んでいる。そこには全く拒否感はない。展覧会の途中に、北斎の赤富士に電柱と電線を配して「いかに景観を壊しているか」を告発する意図の作品が登場するが、そうした見方が、実は「ある時代の感覚」でしかないことを教えてくれる、実に興味深い展覧会である。実際の電柱に載っている「碍子(がいし)」も展示されていたが(茶台がいし、玉がいしなど形態の別あり)、やきものの名品を見るようで笑ってしまった。

 私は、電柱といえば最初に思い出すのは宮沢賢治の『月夜のでんしんばしら』なのだが、あれは出ていなかったな。電線絵画展だから、電柱はちょっと違うのかしら。山口晃さんの雑誌連載マンガ『趣都』「電柱でござる!の巻」が全編、会場のパネルで読めたのも嬉しかった。あと、私は送電線の鉄塔が大好物なのだが(特に中国の田舎でよく見るネコの顔みたいなヤツ…烏帽子型というそうだ)、鉄塔絵画はないのだろうか。

山種美術館 開館55周年記念特別展『川合玉堂-山﨑種二が愛した日本画の巨匠-』(2021年2月6日~4月4日)

 川合玉堂(1873-1957)は、日本の自然や風物を叙情豊かに描き出した作品でファンの多い画家。だが、私はあまり得意でないのは、都会育ちで「郷愁を誘う美しい日本の風景」がよく分からないせいかもしれない。『雨江帰漁図』『漁村晩晴』など、あまり多くない墨画作品がよかった。

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お伽草子絵巻も/狩野派と土佐派(根津美術館)

2021-03-22 23:16:28 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『狩野派と土佐派-幕府・宮廷の絵師たちー』(2021年2月25日~3月31日)

 漢画を基礎に、約400年の長期にわたって日本の画壇に君臨した狩野派と、伝統的なやまと絵の流派で、江戸時代前期に宮廷絵師として復活を遂げた土佐派。 両派を中心に、室町~江戸時代に幕府や宮廷の御用を務めた絵師たちの作品を展観する。すべて同館コレクションなので、見覚えのある作品が多かった。

 はじめに狩野派。『四季花鳥図屏風』は、狩野派に同名の作品がいくつかあるが、根津美術館の作品(伝・元信筆)は墨画淡彩(あれ?色ついていたっけ?)で、描かれている小鳥たちが、とびきり可愛い。特に、右隻の中央、輪になって浮かんでいる三羽の鴨と、左隻、岸の仲間に呼ばれて、遠くから泳いで来る三羽の鴨が、異時同図みたいでとても好き。ほどよい遠近法で、空間の自然な広がりが感じられて気持ちいい。伝・正信筆『観瀑図』のような伝承作者の作品とか、貞和筆『芙蓉小禽図』のような、名前以外はよく分からない絵師の作品が出ているのも面白かった。

 探幽の墨画『芙蓉図』は、墨のにじみの活かしかたが、若冲か琳派みたいだと思った。探幽の『両帝図屏風』(黄帝と舜)や益信の『玄宗皇帝並笛図』を見ていると、江戸の人々(狩野派のお客)は、ほんとに中国文化好きだったんだなあと思う。狩野栄信『倣馬鱗夕陽山水図』は原本を彷彿とさせて、模写としてなかなか巧い(原本は展示されていなくて残念)。

 土佐派は、時代の古いもので、土佐行秀筆『羅陵王図』(舞楽・蘭陵王の図)(室町時代・15世紀)という作品が出ていて、最初から「やまと風」でなかったことを感じた。江戸時代になると、土佐派といえば源氏物語絵が定番。土佐光起筆『藤原家隆像』は「二三四帖」というセットものの一作品で、「二つ三つ四つ」を末尾に置いた和歌が添えられている。家隆詠は「しのびつつ人目をおもふたまづさの よまれぬ文字のふたつみつよつ」。真作かどうか疑わしいけど、面白かったのでメモしておく。

 展示室5は「変化のものがたり-お伽草子二題-」と題して同館所蔵の『賢学草紙絵巻』と『玉藻前物語絵巻』をほぼ全面にわたって広げて公開。うれしい。こういう作品について、一部の名場面だけでなく、全体像が見られる機会は貴重。どちらも室町時代・16世紀だから、狩野正信や土佐光信と同時代である。それなのに、この素朴さ。素朴だけど、じわじわと心臓に食い込むような魅力。

 この週末、SNSでは著名な歴史研究者のミソジニー発言が炎上して騒然となっていた。それに影響されたのか、私は『賢学草紙』に強いミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)を感じて、凹んでしまった。物語のあらすじは以下のとおり。三井寺の僧・賢学は、長者の娘と結ばれるというお告げを聞き、修行の妨げにならないよう、長者の幼い娘を殺して逃げる。しかし娘は命を取りとめ、美しく成長した。あるとき賢学は美しい姫君に一目惚れし、言い寄って契りを結ぶ。ところが、その胸の傷を見て姫君の素性を知り、怖くなって逃げ出す。姫君は大蛇(龍)となって賢学を追い、ついに取り殺してしまう。姫君は、下顎のしゃくれた、四つ足の醜怪な大蛇に変化する(この絵、滑稽だと思ったこともあるのだが、今回は笑えなかった)。賢学は朋輩に憐れまれ、後世に語り伝えられるのだが、姫君には何の救いもない。ちょっとおかしいんじゃない? もちろん、世界には女性を悪魔と同一視した古い物語がたくさんある。しかし、その一部は、ちゃんと近代に価値の転換が起きているのに(白蛇伝とか)、日本のミソジニーはなぜこうも強固なのか、と考えてしまった。

 その次が『玉藻前物語絵巻』で、これも女性が悪者の物語であることに苦笑した。しかし玉藻前は、文楽『玉藻前曦袂』ではスカッとした大魔縁ぶりを見せるので、許せる。絵柄は、どちらも鮮やかな色彩をきっちり塗って、ものの輪郭をはっきり描く。『玉藻前』は動きのある場面に躍動感がなく、二尾のキツネは腹回りが太すぎ。その点、『賢学草紙』は手練れで巧い。

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皇帝襲撃を阻止せよ/中華ドラマ『成化十四年』

2021-03-21 01:36:46 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『成化十四年』全48集(浙江冠亜文化伝媒股份有限公司、愛奇藝、2020年)

 久しぶりに軽い古装劇が見たくなって、昨年、一部で評判になっていたこのドラマを見始めた。時代は明の成化年間。主人公の唐泛(官鴻)は、殿試二甲第一に選ばれた抜群の頭脳と推理力を誇る天才だが、武芸はからきし駄目。平和主義者で、美味しいものが大好き。小さいときに両親を亡くし、離れて暮らす姉のことをいつも思っている。いまは下級官吏として、人々の訴えを聞いたり、事件を捜査したりしている。

 ある殺人事件の調査から、唐泛は錦衣衛北鎮撫司の小隊長格の隋州(傅孟柏)と知り合う。隋州は、かつて辺境に従軍し、瓦剌人(オイラート)との激しい戦闘を経験したことがあり、いまも悪夢に悩まされている。あまり他人を寄せ付けないが、熱い心情の持ち主。特技は武術と料理。なぜか唐泛は、小侍女の冬児を連れて隋州の家に転がり込み、奇妙な共同生活が始まる。一方、成化帝の信任する若き太監・汪植(劉耀元)は、特務機関である西廠の提督(督公)として、同じ事件にかかわり、唐泛と隋州に一目置くようになる。

 最初の事件が3~4話を使って一件落着したあと、舞台と趣向を変えて、次の事件が起きる。そしてまた次の事件という具合で、ははあ、こうやって短い謎解きエピソードをつなげていく展開なのだなと、10話くらい見たところで理解した。特定のエピソード限りで退場する人物もいるが、唐泛・隋州の周辺に居残る人物もいる。

 鉄市と呼ばれる異民族の集住地域(北京城内にあったのだろうか?)に暮らす、オイラートの少女・ドゥルラと巨漢の従僕・ウユン。婚家を追い出された唐泛の姉・唐瑜とその連れ子・澄児。唐瑜に惚れた天才医師の老裴など。そして一件落着すると、みんなでテーブルを囲み、肩を寄せ合って賑やかに食事をするのだ。時には、隋州の下僚の薛凌、皇帝に伺候しているはずの汪植も加わっていて、楽しそうだった。

 さて【ネタバレ】終盤は、それまで独立に見えていた個々のエピソードが一気に集約していく。序盤から、さまざまな事件の裏に見え隠れし、じわじわと存在感を増していくラスボスは李子龍(王茂蕾)。唐朝の末裔で明朝の転覆を狙っているという設定だったかな。むしろ「我是生意人(私は商売人だ)」とうそぶくのが憎々しい。成化帝に恨みを持つ人々、父を殺された青歌姑娘や、先々代・景泰帝の長公主でありながら郡主に降格された固安郡主を抱き込み、明に敵対する異民族オイラートを手玉に取り、さらに宮中の三悪人、首輔の万安、東廠の尚銘(太監)、錦衣衛の万通を利用して、皇城を襲撃する。

 危険に身をさらしながら、皇帝を守り抜こうとする唐泛、隋州、汪植ら。彼らを救うのもまた、これまでのエピソードで培われてきた人のつながりである。その中で、汪植に忠誠を尽くしてきた丁容(余銘玄)が、老獪な尚銘の口車に乗って裏切るのは辛いエピソード。しかし、李子龍の野望を阻止した功績により、兵権を与えられて都を離れることになった汪植は、檻車に乗せた丁容を連れて旅立つ。「私はこいつがいることに慣れすぎているから、離れられない(舎不得)」と言って。これもひとつの「愛のかたち」と思いたい。

 汪植は実在の人物で、中国語wikiには「南蛮を討伐したとき捕獲されて都に運ばれ、宦官にされた」という記述がある。別の記事には、ヤオ族の出身とも。ドラマでは、孤独な小太監時代を万貴妃に救われて以来、貴妃と貴妃の愛する皇帝を守ることを絶対の使命と心得ている。しかし友のいない、孤独な人生を歩んできた汪植は、唐泛、隋州に会えたことに感謝を告げる。聡明で傲岸不遜だが、女子供にやさしく愛嬌があって、魅力的なキャラクターだった。従僕の丁容との関係は『那年花開月正圓(月に咲く花の如く)』の杜明礼・査坤を思い出すところもあった。

 時代背景をよく知らないので、調べてみて初めて、成化帝が自身の乳母で19歳年上の宮女である万貴妃を寵愛したことを知った。「明史」によると、万貴妃は性質が陰険で、他の妃嬪が妊娠すると手下の宦官を使って堕胎させたという。ただし中国語wikiでは、異説もあり「争議」になっている。このドラマの成化帝と万貴妃は(万貴妃と対立したといわれる皇太后も)好感の持てる人物に描かれていた。

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2021桜咲く

2021-03-19 21:17:46 | なごみ写真帖

 朝、カーテンを開けて、ベランダの前の桜が咲き始めたことに気づいた。まだほんの少しだけど、これからどんどん視界いっぱいに広がっていくだろう。今のマンションに越してきて4度目の三月。四月から職場が変わって少し(かなり?)遠くなるので、引っ越そうかとも思ったが、当分テレワーク中心になりそうだし、この春の眺めを手放すのが惜しくて、もう少し居座ることにした。

 山の桜、街の桜もいいけれど、水辺の桜は最高。足元にも春が息づいている。

 今週末は、たぶん仕事の片づけで明け暮れる。

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神々と王者の姿/古代エジプト展(江戸東京博物館)

2021-03-17 21:07:00 | 行ったもの(美術館・見仏)

江戸東京博物館 特別展『国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話』(2020年11月21日〜2021年4月4日)

 ベルリン国立博物館のエジプト・コレクションから「天地創造の神話」をテーマに約130点の名品を展示する。ベルリン国立博物館群は、大英博物館、ルーヴル美術館などと並ぶ、ヨーロッパ最大級の規模と質の高さを誇る総合博物館で、なかでもエジプト部門は、アマルナ時代の優品を筆頭に数千年にわたるエジプト史を網羅する世界有数のエジプト・コレクションを誇るのだという。

 私はエジプト史やエジプト文化には全く詳しくないので、ぼんやりした気持ちで見に行った。会場前の大型モニタでは、犬頭人身の冥界の神アヌビスが「天地創造の神話」を紹介する短編アニメが放映されていた。世界の始まりは混沌とした原初の海「ヌン」で、やがて(途中省略して)大地の神ゲブと天空の女神ヌトが誕生する。これだけ聞くと、妙に日本神話に似ている。日本人に親しみを持ってもらおうという意図なのか、会場内のパネルにも「八百万(やおよろず)の神々」という表現が使われていた。確かに、会場にはさまざまな神々の像が展示されていた。獅子頭の女神、有翼の女神、山犬の姿やマングースの姿の神など。

 いま、記事を書きながら「アマルナ時代」という言葉にひっかかったので、調べたら、古代エジプト第18王朝の後半、アメンホテプ4世治世(紀元前1400-1300年頃)の歴史的・美術史的呼称だという。中国だと殷代にあたる。Wikiの「アマルナ時代」の記述を読むとおもしろい。アメンホテプ4世以前には、テーベのアメン神を祭る神官団が、ファラオにまさる強大な権力を有してた。アメンホテプ4世は、太陽神アテンをエジプトの神とする宗教改革を行い、神官団の影響から離れた。 この宗教改革によって、壁画や彫像、神殿建築、また文学においては文語体から口語体へと、伝統を否定する種々の試行錯誤が多岐にわたって行われ、写実や自然主義の傾向が強まった。

 確かにそうだ。会場に並ぶ大小さまざまな神像や王の肖像彫刻を見て、最初に感じたのは写実への強い志向である。たとえ頭部は獅子やハヤブサであっても、身体は、写実の範囲で理想を表現したものが多い。人目を驚かすような、わけの分からない造型がないことに感心していたのだが、エジプト美術全般ではなく、時代的な特徴なのかもしれない。あとのほうで、末期王朝時代のベス神という、短躯肥満で醜怪な神の像を見たときは、ちょっとほっとした。

 エジプトといえばミイラ、ということで、ミイラの棺も多数来ていた。人体にあわせた形で、美しい彩色文様で飾られたものが多い。鳥の姿や鳥の羽根模様を描いたものが目立つように感じたのは信仰と関係があるだろうか。それから、よく見ると、文様だと思っていたものの一部が、ヒエログリフ(古代エジプト文字)であることに気づいた。耳なし芳一ではないが、棺の表面がびっしり文字で覆われているものもある。これが私にも文字として読めたら、古代エジプト文化の印象がずいぶん変わるのではないかな、と思った。

 なお、なぜか現在『ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展』も全国巡回中らしい。4月に東京に巡回してきたら見に行こう。

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2021東大寺修二会生中継を見る

2021-03-15 23:19:29 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇NHK BSプレミアム『生中継 闇と炎の秘儀 お水取り 〜奈良・東大寺修二会〜』(第1部:2021年3月13日 18:30~19:30、第2部:3月13日 22:30~3月14日 01:15)+YouTube 東大寺公式チャンネル

 東大寺の修二会を初めて聴聞したのは大学生の頃で、以後、3年に1回くらいのペースで、たぶん10回は行っていると思う。直近では、2019年に2日目を聴聞した。2018年にも10日目のお松明を見ている。しかし、2020年はコロナ禍、今年2021年も拝観制限(堂内での聴聞不可)が発表され、予想されたこととは言いながら、がっかりしていた。そうしたら、なんとNHKが史上初めて堂内にカメラを入れて生中継するという情報を得た。

 このほか、東大寺ホームページの情報によれば、3月1日~15日は、ニコニコ動画で二月堂遠景を24時間ライブ配信し、3月12日~14日は東大寺の公式YouTubeチャンネルでも配信するという。素晴らしい。しかし、何といっても見たいのはBS生中継だが、私のマンションはBSが映らないのである。幸い、いまは緊急事態宣言下で、中高級ホテルが安いので、土曜は都心のホテル(大浴場つき)に1泊して、大きなモニタでゆっくりBS中継を見ることにした。

 第1部はお松明の上堂。二月堂の斜面の下からだけでなく、回廊の下で点灯する様子、ゆっくり回廊を上がる様子、お堂の入口まで練行衆を導き、くるりとターンして、手すりから松明を差し出す様子などが、間近で捉えられていて迫力があった。特にこの日は風が強かったため、風に煽られて伸び縮みする炎は、生きもののようだった。匂わないはずの松脂の焼ける匂いが、記憶の中からよみがえった。

 大浴場に浸かって体を温め、缶ビールとつまみで気分を整える。第2部は、半夜と後夜の行法が対象である。カメラは正面の西の局と、さらに内陣(東南か東北の隅?)にも入っているらしい。西の局から眺める内陣の入口には戸張(とちょう=うすぎぬ)がまだ下りているが、カメラが切り替わると。須弥壇の前の練行衆が映ることもある。私は咒師(しゅし)の鈴と唱えごとが好きなのだが、今年の咒師は、オペラ歌手のような美声だった。咒師としては美声すぎるかも。(持寶院・上司永照師とのこと。※奈良倶楽部通信 2020/12/27

 しかしNHKは、行法のすべてを完全生中継するつもりはないらしい。途中で、過去映像や資料映像を使った解説に切り替えたり、ゲスト(東大寺長老・森本公誠、作家・夢枕獏、アイドル・和田彩花)に感想を聞いたりしている。いやそれは、必要なのか? 私はスマホでYouTube 東大寺公式チャンネルにアクセスしてみた。こちらは、基本的に西の局の定点カメラで、一切解説や無駄なお喋りを挟まず、現場の音声を淡々と流している。こっちのほうがいい。そこで、第2部は、テレビの音声を消して、スマホ(YouTube)の音声を聴きながら、テレビの映像を見る方式に切り替えた。ちょっと音声が遅れることが分かったが、大きな問題ではなかった。

 BS中継でいちばん惜しいと思ったのは、法螺貝の吹き合わせの中継を省略したこと。あの、現代音楽みたいな不調和の美しさ、どうして放映しないかな。まあでも、テレビがお経や陀羅尼の内容を現代語で字幕表示してくれるのはありがたかった。韃靼では「八天」がそれぞれ自分の呪物で堂内を清めるというのを初めて学んだ。水天(香水)、火天(火の粉)、芥子(ハゼ=炒り米)、楊枝、大刀、鈴、錫杖、法螺である。水天と火天しか記憶していなかった。韃靼のクライマックス(大きな松明が堂内を何度も巡り、最後に内陣から礼堂に倒されて、火花を散らす)は何度見てもよい。

 結局、翌3月14日もパソコンで公式YouTubeチャンネルにアクセスした。途中、テレビドラマを見たくて中断し、夜10時過ぎから本格的に見始めたのだが、布団に入ってしまったので、だんだん眠くなり、韃靼はうつらうつらの視聴になった。勿体ないことだ。でももう私も若くないので、現場で6時間頑張るには、かなり覚悟がいる。布団の中からリモートで聴聞できるなんて、バリアフリーの極致で、素晴らしいことだと思う。ありがとうございました。

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異を恐れ神威にすがる/江戸のコレラ騒動(高橋敏)

2021-03-12 23:26:47 | 読んだもの(書籍)

〇高橋敏『江戸のコレラ騒動』(角川ソフィア文庫) KADOKAWA 2020.12

 東日本大震災のあとは、地震に関する歴史研究を好んで読んだ。いまは新型コロナの影響で、感染症の歴史に興味が湧いている。本書は『幕末狂乱(オルギー) コレラがやって来た!』(朝日新聞社、2005.11)の改題だが、巻頭の著者の「はじめに」と巻末の小松和彦氏の「解説」は、文庫版のために書き下ろされたもので、どちらもコロナ禍の中で本書を読む意味について語っている。

 コレラは(1)罹患してからの死亡率が高い(2)発病してから死に至るまでが迅速(3)患者の症状が異様、という点で、人類がかつて経験したことのない伝染病だった。そのため人々は、草創期の近代医学に向かうよりは、ありとあらゆる旧来の呪術・宗教儀礼に救いを求めることになった。コレラの大流行は19世紀中、5次にわたった。日本を襲ったのは、まず1817年に始まる第1次大流行で、文政5年(1822)に日本に上陸し、西日本を中心に広がったが、沼津辺りで止まった。次が第3次大流行で、安政5年(1858)に長崎に上陸し、江戸に達した。

 はじめに著者は、東海道三島宿に近い桑原村の名主・森家に伝わる「年代記」を題材に、幕末に生きた人々の意識を探っていく。信州善光寺大地震、安政大地震・大津波、さらに大水・大風・江戸の大火など、天変地異や災害の記録が相次いだ幕末、嘉永7年(1854)にはペリーの率いるアメリカ東インド艦隊が江戸湾に来航し、万延元年(1860)にはイギリス公使オールコックが富士登山を試みる。こうした「異」の侵入に対して、人々は不安とともに、旺盛な好奇心を抱いていた。

 そこに安政5年のコレラ大流行である。村人は鉄砲を撃ち、鉦や太鼓を鳴らし、鬨の声をあげて村内の神々を巡拝した。若者組は伊豆の国の一の宮、三島明神に早朝はだか参りをした。前近代では、神社仏閣が、危機における心のよりどころだったことが分かる。さらに人々はコレラを、幕末の不安の元凶である「異」と合体させ、日本人を取り殺す「アメリカ狐」「千年モグラ」(唐のイメージ)のしわざと考えた。

 駿河国富士郡大宮町の一町家の日記には「くだ狐」「千年モグラ」に加えて、イギリス船が「疫兎」を放ったという風聞が記録されている。いまの新型コロナについて、生物兵器説を唱える人々と似ていて苦笑した。狭い島国・日本にとって、疫病が「外国から持ち込まれるもの」という認識は、古代から沁みついているのだろう。大宮町では、くだ狐を退治するため、武州三峯山へ御犬様借用を願い出る。「生(しょう)に見ゆる御犬」を借りたいと頼むが、結局「カゲ」(お札)を頂戴することになる。調べたら、三峯神社では、今でも「御眷属拝借」の制度があるのだな。面白いなあ。

 大宮町に近接する下香貫村、深良村は、京都の吉田神社を勧請することした。代参の者たちは、コレラが猛威をふるう東海道を京都へ向かう。吉田神社では、きわめて高額な祈祷料と引き換えに(コレラ大流行を利用したぼったくりである)祈祷した御小箱を受領された。吉田家は江戸幕府と結びつき、全国の神社を傘下に収めかけたが、江戸時代後期になると、名門白川家が巻き返しを始めた。これに対抗する吉田家は、江戸に出張役所を設け、東国・関八州への勢力拡大を図ったいた。駿河国の村人が、京都吉田神社の勧請を決めた背景には、このような神道界の情勢もあったという。吉田神社は、八角形の大元宮が興味深くて見に行ったことがあるが、いろいろと生臭い神社である。神道界が、古来ひとつでなかったことがよく分かったのは、意外な収穫だった。

 また本書には、江戸の人々がコレラを洒落のめしたジョークやパロディが多数収録されている。百人一首のもじり「あきれたのかかあにしなれ そのあとはわがこどもらもすぐにしにつつ」は上手いと思ったので書き留めておくが、こういう神経の太い笑いは、もう生まれないのかな。

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門前仲町でプチ贅沢呑み2

2021-03-10 20:46:41 | 食べたもの(銘菓・名産)

週末は、近所住まいの友人と居酒屋「まるお」を再訪。また午後4時から始めて、8時近くまで吞んでいた。近場に友人がいて、こんなステキなお店があると、緊急事態宣言もそんなに苦にならない。

日本酒は、たぶん写真に写っている倍くらいの種類を、あれこれ試してみたが、ハズレがなかった。

料理は、揚げ物も焼き物も旨いが、刺身が絶品。違う国の料理を食べに来たような気がした。

実は月末に控えた私の退職記念呑み会で、まるっと友人に奢ってもらった。ありがとうございます。

こういうときは素直に好意をお受けして、あらためて返礼するのが大人のつきあいだと思っている。またいつか。

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