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東京大学東洋文化研究所 第16回公開講座『アジアを知れば世界が見える-アジアの策』(2016年10月15日)
毎年、秋に行われる同研究所の公開講座も16年目。私は、第10回(2010年)に参加して以来、久しぶりに聞きに行った。会場は研究所内の大会議室だった。
■中国台頭の国際心理:内外の温度差を中心に(園田茂人)
午前の部は、社会学者の園田先生から。いくつかの社会調査をもとに、中国台頭をめぐる「国際心理」について解説する。国際政治や経済を研究していると、同じ事象を見ているのに、集団によって違うことを考えている場合がある。たとえば、中国の大国化に対して、日本人や台湾人は脅威を感じているのに、韓国の大企業の関係者は、ポジティブなビジネスチャンスと捉えている人が多い。ただし韓国人の中でも、企業関係者と学生では感じ方が異なる、など。
日本人は「中国共産党はヤバい(崩壊が近い)」的な週刊誌の記事を好んで読むけど、日本の中国研究者はそう思っていないし、まして中国の人々は全くそう思っていない。また、日本人が「世界は中国をこう見ている」という予測(期待)は、必ずしも当たっていない場合がある。
ということで、日本・韓国・台湾・香港・タイ・ベトナム・フィリピン・インドネシア・シンガポール、それに中国四都市と中国の大学生を対象に「中国の台頭は世界の秩序を脅かしている」等々の設問に対する回答(大いに賛成・賛成・反対・大いに反対)を比較していく。すると、国・地域によるばらつきはあるが、「中国国内」の回答(上記なら、反対が大多数)と「中国以外」の回答には、明らかな温度差がある。しかし、中国市民の回答を「外国との接触経験の有無」によって6段階にクラスタ分けすると、外国との接触経験が多い市民ほど「中国以外」の結果に近くなる。
こんな感じで、いくつかの質問を分析するのだが、講師から「なるほど」という分析が聞ける場合もあれば、講師も「なんでこういう数字が出るのか分からない」と首をひねるケースもある。非常に面白かったのは、「アジアへの影響力という点では中国はアメリカを凌駕するだろう」という設問に対して、中国の大学生の「大いに賛成・賛成」の率は意外と低い。台湾とかタイのほうがずっと高いのだ。これは、中国の高学歴層にとってアメリカは留学をめざす憧れの国だと聞くと納得できる。
園田先生は東大の国際本部長をされていて、サマープログラムで学生を台湾や香港に連れていくこともあるそうだ。台湾のひまわり学生運動や香港の雨傘運動の指導者と東大の学生が同席したが、全く話が噛み合わなかった(日本の学生に世界が見えていない)というエピソードも紹介してくれた。こういう地道な研究には金と手間ひまがかかるんです、というようなこともおっしゃっていたが、ぜひ今後の変化の観測も続けていただきたい。
園田先生の本は、ずいぶん昔に1冊だけ読んでいた。『
不平等国家 中国』(中公新書、2008)で、非常に面白くて、他人に勧め回ったことを記しておく。そして、最近の著作も読んでみようと思った。
■明末杭州の画家・藍瑛-その家族と工房の経営戦略-(塚本麿充)
午後の部は、中国絵画史の塚本先生から。中国では、伝統的に画家は資産家か官僚か職業文人で、売り物ではない趣味の絵を描くのが正しいありかたとされた。藍瑛(1585-1664以降)は、貧しい家に育ち、職人として頭角をあらわし、ヒット商品を生み出し(華麗な色彩と大胆な構図による大幅、文人好みの倣古主題)、大規模な工房を経営し、家族や弟子に家学を伝えて、明末清初の動乱期を生き抜いた。
非常にたくさんの作品(図版)をパワポで見せていただいたのは、ありがたかった。世間に「藍瑛筆」で流通しているものが、真筆か工房の作かという判断は、結局「うまい/へた」に帰着してしまうという点を、講師も苦笑していたが、美術史というのはそういう学問なのだから仕方ない。とは言っても、客観的な指標はないものかと考えて、絹の材質(織り目)を比較しているというのも面白かった。
明の滅亡後、藍瑛一族は清朝宮廷に近づこうとした形跡があるが、十分な成果は得られなかった。一方、正統派山水画を得意とした王氏一族(四王呉惲)は清朝宮廷に認められることに成功する。これによって、在野の文人のたしなみであった山水画が宮廷の正統絵画となる。ほかにも龔賢とか石涛とか、不確実な時代を必死に生き抜いた画家たちを、全て「遺民画家」という虚像で見てしまうことの危うさを講師は指摘された。
周世臣は、藍瑛の弟子の中では最も社会的地位が高かったが、明の滅亡後は世間との交際を絶ってしまう。このひとの作品(山水図)を、講師の郷里である福井の永平寺で見つけた話には興奮した。いやー日本には、まだまだ明清の知られざる絵画が眠っているんだな。
講師は、もともと大和文華館の学芸員時代、正統派の山水画を研究対象としてきたが(知ってます)、東京国立博物館に移ってその収蔵庫(くら)を調査することになり、藍瑛など浙江画壇(非正統派)の作品がたくさんあることに驚いたという。日本の中でも関西の中国絵画コレクション(内藤湖南が指導した)は正統派山水画が中心で、東京とはだいぶ違うらしい。東アジア的な視野でいうと、朝鮮には正統派山水画が多いのに対し、日本には近代まで正統派が入らず、むしろ浙江画壇の作品が好まれ、浦上春琴や谷文晁らに影響を及ぼしている。面白い~。こういう広域の美術史、もっと知りたい。
なお、この日は東大のホームカミングデイで、研究所の向かいにある懐徳館庭園(旧加賀藩主前田氏本郷本邸に起源を持つ)が、2015年03月、国の名勝に指定されたことを記念して、一般公開されていた。5月に常設展のリニューアルをした総合研究博物館も久しぶりに見てきた。