見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

気になるニュース・ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形

2014-05-31 23:31:51 | 見たもの(Webサイト・TV)
ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形(Vocaloid the Opera Aoi with Bunraku Puppets)

 ネットで見かけた情報が気になったので、記録しておく。「伝統芸能と最新技術が融合した映像作品『ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形』が、7月25日から3日間開催されるイギリス・ロンドンの日本文化紹介イベント『ハイパージャパン』でプレミア上映されることが決まった」のだそうだ。

 2分ちょっとの短い予告編が「Aoi」の公式サイトおよびYoutubeに公開されている。本編は30分程度だというから、本当にごく一部だけだ。主人公の葵上らしき文楽人形が、夢うつつの世界から、ゆっくり身を起こすところしか見られない。物憂げで色っぽいけど、まだ「人形」の顔をしている、と思った。原典「葵上」の物語から類推すれば、このあと、人間の業を描いたストーリーに従い、自分でも制御できない深い感情(嫉妬)に苦しむ女性の様子を演じることになるのだろう。文楽人形にはお手の物の表現だ。『摂州合邦辻』の玉手御前みたいな感じかしら、などと想像がふくらむ。

 こういう新しい分野への挑戦は、ぜひ続けてほしい。もちろん、古典はそう簡単に乗り越えられるものではないけれど。古典文楽も見てみようという新しいファンを呼び込んでくれれば嬉しい。

 ボーカロイドによる不動明王の真言「慈救咒」は優しく耳に残る。だいたい声明などの仏教音楽は、人間の声なのに人間離れしたところ(個性や自然な感情表現を取り払ったところ)が私は好きなので、ボーカロイドとの相性はいいはずだと思う。
 
 記事(ねとらぼ)によれば、ロンドン上映のあと「2014年秋に東京都内の劇場での上映が予定されている」とのこと。都内か…。見たいなあ。
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文で味わう/甘い生活。(雑誌『dancyu』2014年6月号)

2014-05-30 21:54:50 | 読んだもの(書籍)
○『dancyu』2014年6月号「甘い生活。」 プレジデント社 2014.5

 食べ歩きを扱った雑誌は、ときどき買うのだが、『dancyu』は買った記憶がない。たぶん「daucyu」=「男子厨房に入る」がコンセプトだと聞いたことがあって、勝手に料理雑誌のカテゴリーに入れていたためだろう。買ってみたら表紙に小さく「食こそエンターテインメント」とあって、「食べる」と「作る」どちらも扱っているようだ。あと、むかしの表紙は料理の写真一本だったのが、最近は、いろいろ工夫を凝らしている。その中でも今回の「丁寧に、一生懸命描きました」的な大きなプリンアラモードのイラストは、これまでにない新機軸である。

 小さな文字で添えられた「ケーキと大福、どっちが好き?」の控えめさが気に入った。中をめくってみると、和菓子の美味しいお店と洋菓子の美味しいお店が、どちらも載っているというお得感に、思わず買ってしまった。和菓子は、赤坂「塩野」の練り切り、日本橋「栄太楼」のきんつば、洋菓子は、「ダロワイヨ」のオペラ、「マッターホーン」のダミエなどに唾を飲み込む。でも、泉岳寺「松島屋」の豆大福とか、東京・平井「ワンモア」のホットケーキとか、よく見つけてくるなあ。

 房総半島の最南端の館山駅前にある「館山中村屋」のルーツが、新宿中村屋に行きつくというのは初めて知った。もともと中村屋は本郷東大前(どこ?どのへん?)にあったパン屋。新宿に出した支店が、いまの新宿中村屋だという。当時、館山は避暑地として有名で、本郷の常連客も館山に移動してくるので、中村屋も夏の間だけ館山に出店していたという(※館山中村屋のホームページにも説明あり)。そういえば、学生時代の夏目漱石も、夏休みに房州から館山を旅行していたんじゃなかったっけ。行ってみたい。

 本書を読んでいて、おや?と思ったのは、知っている名前があちこちのページで目についたこと。名店の名品を紹介する「甘い記憶」で「松島屋」の豆大福について書いているのは檀太郎さんだし、京都(ただし亀岡)「朝日堂」の最中について書いているのは姜尚美さん。というか、エッセイストを人選して、自由にお店を選ばせたから、普通のグルメガイドにないようなラインナップになっているのかな。永江朗さん、木村衣有子さんも登場。しかし、あくまでも「食品」と「写真」が主で、執筆者の名前は小さな活字で添えられているのが、奥ゆかしくてよい。

 特集とは別に、平松洋子さんや角田光代さんも連載を持っている。ううむ、贅沢だなあ。美味しいものは、確かに一目見れば(本当は一口食べれば)美味しいと分かるのだが、そこを文筆で楽しむには、シェフやパティシエ並みの熟練が必要なのである。大人仕様の雑誌づくりで感心した。
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日本を考え、ヨーロッパを考える/大衆の反逆(オルテガ)

2014-05-29 22:45:55 | 読んだもの(書籍)
○オルテガ・イ・ガセット著、神吉敬三訳『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 1995.6

 大衆社会論の古典とされるオルテガの『大衆の反逆』。一度は読んでおこうと思いながら、ずいぶん長い年月が経ってしまった。しかし、不思議なもので「いま」読んでよかったと感じるのが古典というものである。

 本書の成り立ちをよく知らないのだが、もっとガッチリした起承転結の学術書かと思っていたら、エッセイ集のような趣きがあった。短い各章は、思っていたよりも独立性が強く、どこを読んでも面白い。

 はじめに「今日のヨーロッパ社会」では「大衆が完全な社会的権力の座に登った」という現状認識が示される。本来、社会を支配統治するなど及びもつかない大衆の支配という異例の事態。それはデモクラシーではない。大衆は法を持つことなく、物理的な圧力を手段として自己の希望と好みを社会に強制している。今日の社会では、凡俗な人間が、凡俗であることの権利を敢然と主張し、一切の非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なもの、特殊な才能を排除している。…冒頭のわずか20ページほどを読んで、うーむ、これは、まさに「今日の日本」の姿ではないかと思って、寒気がしてきた。

 同じことを、1995年、文庫版「あとがき」に訳者の神吉敬三氏が書いている。「オルテガが警鐘を鳴らす人間と社会の大衆化現象がもっとも顕著に見られるのが、実は今日の日本ではないか」と。慌てて、原著の刊行年を確認したら、1930年(昭和5年)だった。著者のオルテガ・イ・ガセットは1883年(明治16年)生まれ。え、そんなに古い人物だったのか、と驚いた。

 オルテガは人間を「選ばれた少数者(貴族)」と「大衆」に分けて考える。これは決して社会階層の謂いではないということが、ネットで読める本書の書評・感想の多くで繰り返されている。そんなに誤読する人が多かったということかな。オルテガのいう「貴族」とは、自らに多くを求め、絶え間ない緊張、不断の修練を生きる苦行者である。自分を超えた規範に奉仕するという、やむにやまれぬ必然性を自分の内側に持っている。「一般に考えられているのとは逆に、本質的に奉仕に生きる人は、大衆ではなく、実は選ばれたる被造物なのである」という洞察は鋭い。私は深く共感する。一方、大衆は、自分以外のものに目を向けない。

 かつての大衆はそうでなかった。過去の平均人は、自分の周囲に、困難、危険、窮乏、運命的な制約を見出しながら生きていた。ところが、19世紀の技術革新と自由主義デモクラシーは、天真爛漫に満たされた大衆人、別の言葉でいえば「甘やかされた子供」「慢心しきったお坊ちゃん」の時代をもたらした。ここで私の脳裡を何度も去来したのは、申し訳ないが、安倍総理といまの日本の政治家たちである。あれこそ、政治的権力を手中にした「大衆」の権化そのものではないか、と思う。

 なお、徹頭徹尾「大衆」への憎悪が繰り返されている本かというと、そうではなくて、ヨーロッパ人(ただしオルテガはスペイン人だから、ヨーロッパの辺境人である)が、ヨーロッパ文明をどう見ているかという、私があまり考えたことのない点が学べたのは興味深かった。著者は「ヨーロッパの没落」をいう人々に抗弁し、ヨーロッパ文明は人類を支配する地位を今なお失っていないと考える。「支配する」とは、人々に献身すべき規範を与え、仕事を与え、空虚な生への逸脱を防ぐことである。「支配」に呼応するものは「服従」だが、「服従」とは「忍従」ではなく(ここは原文=英文が知りたい)命ずる者を尊敬して「その旗の下に情熱をもって集まること」だという記述にも共感する。

 最後のヨーロッパにおける「国家」の形成を考える段も面白かった。そうかー(概念的には)原野の一部を壁で囲い「公共広場」をつくることから、その周囲に「都市」が作られていくのか。ちょうどJMOOCで「日本中世の自由と平等」を学び、久しぶりに網野善彦のいう「アジール」を考え直した後だったんだけど、さまざまな権力集団の隙間に「無主・無縁」の空間が現れるというのとは、ずいぶん似て非なるものなんだな。

 多くの人々が必然と考える「近代国民国家(モダーン・ネーション)」が、歴史上の一段階に過ぎないことを喝破している点も新鮮。スペイン・フランスを例にあげて、我々が必然の存在と考えがちな血縁的・言語的共同体というものは、「国家的統一の原因ではなく、結果である」と説く。「国家(ステート)」とは、ある人間集団がある事業を共同で行うために他の人間集団を招請することである。だから、昨日こうだったということではなく、一緒になって明日やろうということが、我々を統合し、国家(ステート)たらしめる。いい言葉だ。内政においても外交においても、こういう姿勢の政治家が今の日本にほしい。

 そして、著者がヨーロッパ国民国家の未来に見ているものは、当然ながら「超国民国家(スーパーネイション)」である。そこでは「西欧の生がつねに特質としてきた複数性」は、失われることなく、効果的に存続することを要求している。これが1930年の思索なのかあ。ヨーロッパについての認識が少し変わる。
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JMOOCで五十の手習い・日本中世の自由と平等(本郷和人)

2014-05-28 22:24:06 | 見たもの(Webサイト・TV)
gacco The Japan MOOC/無料オンライン大学講座『日本中世の自由と平等』(講師:本郷和人)

 「オープンエデュケーション」と呼ばれる学習のしくみが注目されている。教育機関の立場から言えば「講義や教材などインターネットを使って配信し、社会に大学で生まれた知を還元する教育活動」のことであり、学習者の立場から言えば「世界のどこにいようとインターネットさえあれば、さまざまな講義ビデオや教材から学ぶことができる仕組み」のことである。成績に応じて履修証明証のもらえる大学の講義配信サービスは、「MOOCs(ムークス):Massive Open Online Courses」と呼ばれることが多い。代表的なサービスにはCoursera(コーセラ)とedX(エデックス)がある。

 東京大学は、昨年9月に村山斉特任教授の講義「ビッグバンからダークエネルギーまで(From the Big Bang to Dark Energy)」を、翌10月に藤原帰一教授の講義「戦争と平和の条件(Conditions of War and Peace)」を、Courseraプラットホーム上に配信した。特に後者には興味があったが「英語による大学講義」に恐れを感じて、結局受講できなかった。

 そうしたら、11月に日本オープンオンライン教育推進協議会(略称:JMOOC)の設立が報じられ、この春から配信が始まった。これは日本語の講義なので、かなりハードルが低い。しかも第1弾は、本郷和人先生の「日本中世の自由と平等」だなんて、嬉しすぎる。さっそく登録して、受講してみることにした。講義は全4回。4/14(月)から、毎週月曜日に講義と課題(選択式の理解度テスト)が公開され、2週間以内(翌々週の日曜まで)に課題を提出しなければならない。

 社会人の身では、月~金にまとまった時間が取れず、どうしても週末受講が中心となる。旅行や帰省で週末が1回つぶれると、次の週末には必ず課題を提出しなければならないので、スケジュール管理に神経をつかった。忙しければ、1回(1週)分の講義を10~15分ずつ細切れでも受講できるが、まとめて視聴したほうが内容を理解しやすく、課題にも回答しやすい。完全なオンデマンドではなく、ある程度の進捗管理が課せられるのは重要なことだと思う。

 受講生の掲示板に「ノートは取った方がいい」という書き込みがあり、これに従ったことは、非常によかった。ノートがないので、チラシの裏や無地の紙袋を使っていたけど、私の場合、むかしから筆記することで、要点が整理され、記憶が定着するのだ。最終レポート(800字)は、提出時刻を間違え(日本時間と世界時刻を混同した)、無意味にあせって2時間弱で書き上げたが、チラ裏「ノート」のおかげで満点をいただけた。

 興味深かったのは、日本の中世は、ひとつの絶対的な頂点を持たずに多くの主従関係が錯綜する「リゾーム」形の社会構造であったという指摘。鎌倉新仏教には、この社会構造と親和する面があった。だからこそ、天下統一を目指した織田信長が絶対に許容できなかったのが、こうした宗教集団であり、激しい闘争の結果、宗教集団は壊滅させられる。厳格な「ツリー」型の近世社会では、失われた「自由」や「平等」と引き換えに「安定」と「平和」が実現する。ここはとっても納得。

 一方で、網野善彦が重視した「アジール」の「自由」を講師は疑問視する。絶対的な強者(主権者)が存在しないということは、権利の源泉が不明確で、正義や権利の主張を誰も担保してくれない状態のことである。それって国際法の世界だ!と思った。力の強い者が何でも奪い取れるという状態は、弱者にとって、実質的な自由のない社会だったのではないか、と講師。私はこれには少し疑問があって、所有権が保護されない状態を「危機」と捉えるのは、すでに財産を持っている者に限られるので、全く失うもののない最底辺の弱者にとっては、「所有権の未成熟」な社会のほうが、生きていく隙間が多くて、暮らしやすかったんじゃないかなあ、という想像を捨てきれない。まあ、社会の総和としては、近世型の社会構造のほうが多くの人口を養えたのだから、反論の余地はないけど。

 講師と同世代である私は、今でも基本的に網野善彦が好きなので、久しぶりに網野史学について考えることができて楽しかった。このオンライン講義を通じて、中学生や高校生など、若い世代が網野善彦の名前を覚え、著書に興味を持ってくれたらとても嬉しいな。
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修行と自由/なにわの華 文楽へのいざない(桐竹勘十郎)

2014-05-26 23:28:26 | 読んだもの(書籍)
○桐竹勘十郎『なにわの華 文楽へのいざない:人形遣い 桐竹勘十郎』 淡交社 2014.5

 桐竹勘十郎さんと吉田玉女さんの『文楽へようこそ』を読んだあと、近所の書店で本書を見つけた。よく似たサイズ、装丁で並んでいたので、一瞬、シリーズ化したのかと思ったが、あちらは小学館、こちらは淡交社で、全くの偶然のようだ。しかし、美しい写真満載で、文章も読みやすい文楽の案内書が、立て続けに出版されるとは、慶賀すべきことである。

 本書は、三世桐竹勘十郎さんの写真とインタビューで構成されている。写真は、比較的最近(2009年~2014年)の公演のもので、勘十郎さんのインタビューをもとにした演目・役柄の解説つき。撮影はヒロセマリコさん。ヒロセさんの「あとがき」によれば、勘十郎さんを撮りたくて、意を決して住大夫師に相談したところ、一言「勘十郎はええ」とおっしゃって、仲介を諾ってくださったという。

 勘十郎さんは目が大きいので、視線の向きがはっきり分かる。舞台上では、顔は客席に向けていても、厳しい視線は自分が遣う人形の頭や手元を注視していることが多い。私は強度の近眼(最近は老眼も)のため、舞台をいい加減に見ていることが多いので、こういう写真を前にすると、文楽人形の着物のふくらみやたるみ、皺(しわ)、襞(ひだ)、髪の乱れなどが形づくる繊細な表現にあらためて魅入られる。あと、何と言ってもキツネを遣う勘十郎さんというか、勘十郎さんに遣われる(懐いているw)キツネのあやしいツーショット。勘十郎さんは狐ものが大好きで、狐の人形は「MY狐」を持っていらっしゃるそうだ。

 本文「勘十郎ばなし」では、1953年、二世桐竹勘十郎の長男に生まれて、今日までの半生を淡々と語っている。これが、いろいろ考えさせられて面白い。中学二年生のとき、人手不足の文楽芝居の手伝いに駆り出されたのが始まり。いくら「学校が終わってから」とはいえ、今の文楽協会がこんなことをしたら大問題だろう。

 学校が嫌いで勉強ができなかった、のちの勘十郎、宮永くんは、中学を卒業すると人形遣いになりたいと言い出す。父は即座に「蓑助とこ行け」と言う。「私がそのとき(蓑助)師匠の立場ならぜったい断ったでしょうね」と勘十郎師。兄弟子の子を預かった以上、一人前にして世に出さなければならない。しかし、その子は、やることなすこと遅くてグズい、いじめられて泣いて帰ってくる「ほんまにアカン子」だったのだから、蓑助師匠の困惑はいかばかりだったろう。ああ、こういう覚悟で「弟子」を引き受ける師弟関係がまだ生きていたんだ、と感慨深かった。

 師匠は「教えない」タイプです、だいたい昔は「教える」ということをしませんでした、と勘十郎師は語る。見て盗めと言われ、「人が怒られてるときは、忙しいても一瞬立ち止まって聞け。他人が褒められているのは聞かんでええ」とか、含蓄に富む言葉、エピソードが並ぶ。ひとつずつ登っていかないとだめなのです。いきなり三つぐらい向こうを狙ってはいけません、というのも胸にひびく言葉だった。

 実は、私が勘十郎さんの存在を意識したのはすごく遅い。三世桐竹勘十郎を襲名なさった2003年前後は(文楽の人気沸騰し、急に国立劇場のチケットが取りにくくなり)観劇から少し遠ざかっていた。その前の吉田蓑太郎の時代は、ときどきチラシやプログラムにイラストを描いていらしたので、へえ、絵のうまい人形遣いさんがいるんだ、という程度の認識しかなかった。ほぼ同期スタートの吉田玉女さんの印象は記憶に残っているのに、である。

 いや、師匠のみなさんは、勘十郎さんの才能をもっと早くから見抜いていたのかもしれないが、グズで泣き虫のアカン子が、失敗を重ね、先輩師匠に叱られながら、「人形を遣うことが好き」だけを支えに、日本の宝になれるということにしみじみ驚嘆した。何というか、本当に日本が「取り戻す」べき教育と社会のありようって、こういうものじゃないかしら。

 「勘十郎ばなし」の後半には、文楽振興のために続けている、さまざまな努力が語られていて、これも面白かった。海外では、公演だけでなく、UNIMA(国際人形連盟)主催のセミナーで、世界中から集まる学生に実技指導もしているという。いまの国立文楽劇場の場所から移転した大阪市立高津小学校では「高津子供文楽」を続けていて、ここからプロになったのが咲寿大夫さん。おお、知らなかった! さらにNHK・Eテレの『にほんごであそぼ』に出演し、子供向けの新作をつくり、「杉本文楽」に参加し…。息つく暇もなさそうだが、たぶん勘十郎師は、人形遣いのどんな仕事も楽しく感じておいでだろう。

 こんなふうに自由で幸せで脂の乗った還暦は、なかなかいないと思う。それというのも、ひたすら先輩師匠の背中を追って、「足十年、左十年」という研鑽につとめてきたからで、60歳定年退職後の自由を指折り数えて夢見ているだけの自分を、かなり反省させられた。
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この楽しい世界/文楽へようこそ(桐竹勘十郎、吉田玉女)

2014-05-25 11:51:56 | 読んだもの(書籍)
○桐竹勘十郎、吉田玉女『文楽へようこそ』 小学館 2014.4

 人形浄瑠璃文楽について、初心者から長いキャリアを持つ愛好家まで、誰でも手に取りたくなるような素敵な本が出た。軽くて薄いソフトカバーで(紙質はいい)1,500円という定価も懐にやさしいが、斬新な内容がぎっしり詰まっている。

 私は今から30年くらい前、学生時代に文楽にハマった。そのとき、手元に置いた参考書は、カラー写真を満載した、文庫シリーズの1冊だった。厚手の光沢紙がサイズのわりに重かったこと、ざらざらした手触りの透明カバーがついていたことなどを記憶しており、1970~80年代くらいまで書店や図書館で見かけたと記憶するのだが、いま検索しても、それらしい写真がヒットしないのが悔しい。

 さて本書だが、いま人形遣いとして最も注目される桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんを前面に押し出した編集になっている。おふたりが「私の好きな演目ベスト10」を選び、それぞれの立場から、経験を踏まえて解説をされているのはとても楽しい。演劇評論家や研究者の解説とは、やっぱり、ひと味もふた味も違う。「この作品の初演の評価は…」みたいな学術的解説ではなく、「ここがカッコいい」「ここが難しい」という感じで、一般観客の肺腑にストンと落ちる見どころ指南である。

 演目解説は、重複がないよう配慮されているので、全部で20。どれも有名作品ばかりだが、私が見たことがない(見たという確実な記憶がない)のは「加賀見山旧錦絵」「伊賀越道中双六」「嬢景清八嶋日記」。ううむ、まだまだだ。解説に添えられた写真は、当たり前だが、全ておふたりが遣っていらっしゃる人形の写真で統一されている。こういう編集は、今までなかったので、地味にすごいと思った。

 おふたりの解説の文中には、玉男師匠が遣うと…、蓑助師匠の場合は…という具合に、先輩師匠の芸に触れている部分もある。それから「伝説の至芸」と題して、吉田玉男の徳兵衛と吉田蓑助のお初による「曾根崎心中」の一場面と、二世桐竹勘十郎の「夏祭浪花鑑」の団七の写真が掲載されているが、これがまた、1カットの写真なのに、至芸が伝わってくるいい写真である。特に蓑助さんのお初の、凛とした美しさに見とれる。

 桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんの対談(聞き手:小佐田定雄氏)も、たいへん興味深く読んだ。おふたりが同じ昭和28年(1953)生まれ(学年は早生まれの勘十郎さんが1つ上)だとは全然存じ上げなかった。昭和41年(1966)、中学生だったふたりは、文楽公演(朝日座)のアルバイトに駆り出されて、知り合う。中学卒業後、それぞれの師匠に入門し、以来50年にわたって研鑽を重ね、文楽の世界に生きて来た。印象的だったのは、ふたりとも「勉強が嫌い」で高校進学にあまり魅力を感じていなかったということ。当時は、こういう中学生に、いろいろな人生の選択肢があったのだなあ。高校進学率が97%超で、どんな子供も「高校くらい出ておかないと」と言われるいまの日本社会って、幸せの度合は増したんだろうか?

 それから人形も床も伝説の名人揃いだった当時(昭和40年代)、お客は少なくて「お客様の数よりも出演者の数のほうが多かったくらい」で、「今、大阪市の補助金問題で観客数が取り沙汰されていますが、あの頃に比べたらずっと右肩上がりです」というのに笑った。

 大夫の豊竹呂勢大夫、三味線の鶴澤燕三さんのインタビューも収録。呂勢大夫さん(昭和40年生まれ)は、NHKの人形劇『新八犬伝』を夢中になって見ていたら、親が国立劇場の文楽公演に連れて行ってくれたのがきっかけで、小学生にして「浄瑠璃オタク」になったという。ああ、同じテレビっ子世代だなあ、と嬉しくなってしまった。

 本書は、大阪の国立文楽劇場に行ってみたいと思う人には、特に楽しい手引き書になっている。ひとつは劇場近くの「文楽ゆかりの地」案内。それから「黒門市場」のグルメ案内。私は主に東京で文楽を見てきたので、大阪まで遠征するようになったのは、近年のことだ。劇場近くに適当な食べ物屋さんがないなあと思っていたが、ごく最近「黒門市場」に迷い込んで、その存在を知ったばかり。今後はランチやお土産買いに利用させてもらおうと思っている。

 特別付録として、豊竹咲寿大夫さん作・絵のコミック「おさんぽ」も収録。文楽の技芸員さんって、器用な人が多いなあ。勘十郎さんも若い頃からずっとイラストを描いていらしたはず。なお、『人間・人形 映写展』(2013年、東京・表参道)や『人間浄瑠璃写真展第1回 文楽至宝尽の段』(2014年、東京・御茶ノ水)を開催した渡辺肇さん撮影の、桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんの写真(カラー)が掲載されているのも何気に贅沢。芸道に生きる人間の強さ、深さなどが1枚に凝縮した肖像写真である。
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創作よりも/永遠の0(ゼロ)(百田尚樹)

2014-05-22 23:20:35 | 読んだもの(書籍)
○百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』(講談社文庫) 講談社 2009.7

 同時代作家の書く小説をほとんど読まない私にとって、本当なら「どうでもいい」作品だった。だが、風聞で伝わってくる著者の言動が、いちいち私の癇に障る。現役の総理と共著で出した本のタイトルが『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』って、よほどの馬鹿か、露悪趣味の悪童としか思えない。

 これだけ自分と趣味の合わない作家だと、一体どんな作品を書いているのか、かえって興味が湧いてきた。書店で本書をチラとめくってみて、おや、氏の文章は「読める」という直感を得た。どんなに思想的に共感していても、文体を受け付けない作家というのもいるのだが。しばらく考えたのち、エイと勢いで買って、本書を読み始めた。う~む、面白いじゃないか…。

 主人公、というよりも、狂言回しとして登場するのは、現代に生きる若い姉弟。フリーライターの姉と、司法試験浪人で26歳になる弟。終戦から60年目の夏、二人は「実の祖父」について調べ始める。祖母の最初の夫、大正8年生まれの宮部久蔵は、昭和20年、終戦の数日前に神風特別攻撃隊員として戦死していた。残された妻は再婚し、宮部の娘を育て上げた。これが姉弟の母に当たる。

 戦争のことも特攻隊のことも何も知らない姉弟は、祖父の戦友たちを訪ね歩き、話を聞く。最初は、戦闘機乗りにあるまじき臆病者と思われた宮部が、妻子のもとに「生きて帰る」ために、ストイックな鍛錬を重ねていた勇者であることが次第に分かってくる。しかし、日本軍は、無能で無責任な大本営、幕僚、指揮官たちのせいで敗戦を続け、追い詰められていく。ついに特攻命令を受けた宮部は、生きて帰るチャンスがあったかもしれない飛行機を同僚に譲り、飛び立っていった。

 宮部久蔵は、はじめ、ほとんど個性のない、わずか26年の閲歴情報として、読者の前に現れる。最初の情報提供者は、常に命を惜しんでいた宮部を「海軍航空隊一の臆病者」と罵倒し、孫たちを落胆させる。いったん地に落ちた宮部の評価が、ここからじわじわ上がっていくのが小説の読みどころだ。セオリーどおりだけれど、巧い。そして、いつしか主人公は、読者が憧憬のまなざしで見上げる「英雄」に変身しているのである。

 ただ、私が本書を楽しみながら読んだのは、著者が仕掛けた創作部分かというと、そうではないような気がする。私は、第二次世界大戦前後の日本の飛行機に強い関心を持った時期があって(作り手にも乗り手にも)、柳田邦男の『零式戦闘機』『零戦燃ゆ』、前間孝則の『ジェットエンジンに取り憑かれた男』等々、ずいぶん読んだ。だから、本書の中に坂井三郎や西澤廣義、笹井醇一みたいな実在のエースパイロットの名前やエピソードが登場すると、それだけで懐かしくて、嬉しくなってしまった。実は読み終えて、一番ありありと瞼に浮かぶのは、主人公・宮部久蔵のいかなる場面でもなく、出血多量による意識喪失を繰り返しながら、奇跡の帰還を果たした坂井三郎の鬼神のような姿だったりする。さらに感動的なクライマックスで、宮部が繰り出す技が「左捻り込み」だったときは、涙が引っ込んで、つい笑ってしまった。

 特攻隊員をカッコよく描くのは罪が重い、という批判があると聞いているが、そもそも戦闘機乗りを主人公にして、カッコ悪く描くほうが難しいだろう。私はかつて松本零士の『戦場まんがシリーズ』をリアルタイムに読んでいた世代である。あの強烈な読書体験は30年以上経っても忘れていないが、それに比べると、本書の面白さは、かなり薄味だった。ひとつには、狂言回しの若い姉弟が戦争に対してあまりに無知であり、「正義派」新聞記者の戦争認識が上滑りすぎて、これじゃカリカチュアだろう、としか思えなかったこと。これは作品の瑕疵ではないかと思うのだが、現実の若者やジャーナリストも、昨今はこんなガキばかりなのだろうか。
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科学的精神と愛国/天災と国防(寺田寅彦)

2014-05-20 23:34:51 | 読んだもの(書籍)
○寺田寅彦『天災と国防』(講談社学術文庫) 講談社 2011.6

 引き続き、明治人の著作を読む。「天災」と「国防」は、どちらも2014年現在の日本にとって、大きな課題である。「天災」は、2011年の東日本大震災と福島原発事故が解明も解決もしておらず、日に日に混迷を深めているように見えるし、「国防」については、解釈改憲による自衛隊のあり方の変更が(実現してほしくないが)焦眉の急として迫っている。

 本書は、寺田寅彦(1878-1935)の著作から、災害に関するものを集めて再構成している。冒頭の一編が「天災と国防」と題した昭和9年(1934)11月発表のエッセイ。昭和9年といえば、前年に日本軍(関東軍)の熱河省侵攻、国際連盟からの脱退があり、「非常時」が合言葉になった年だ。その同じ年に、函館の大火(1934年3月)や室戸台風(同9月)などの激甚災害が日本の国土を襲っていたことは、あまり認識になかった。

 著者は、われわれが忘れがちな重大な要項として「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す」という事実を指摘する。なぜなら、文明が進むに従って人間は自然を征服しようという野心を起こす。文明の力を買い被って、過去の経験を大切にしない。人間社会が複雑化したため、その一部が損傷を蒙ると、全体に有害な影響を及ぼす。ああ、いちいちその通りだ。

 怖いのは、今度の風害(室戸台風)が「いわゆる非常時」の最後の危難の出現と時を同じゅうしなかったのは何よりのしあわせであった、と著者が書いていること。この狭い国土に、戦争と天災が同時に襲ってきたら、その結果は「想像するだけでも恐ろしいこと」だ。21世紀の今日にも、絶対に引き起こしてはならない事態だと思う。

 「砲弾弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂(やまとだましい)であるが(略)天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるにもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相」であり、「二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないか」と著者は述べる。科学的「防災」の心構えを推奨すると同時に、浮足立って、合理性のない戦争に突入しようとする世間に厳しい「否」を突き付けている。表面は冷静だが、科学者の凄みが感じられる文章だ。

 「災難雑考」は、災難事故の原因究明について。多くの場合、責任者に対するとがめ立て、責任者の弁明ないしは引責だけで、その問題が落着した気になってしまうのは、今も昔も変わりないようだ。この通例に反して、しっかりした事故原因の解明がなされた例として、旅客機「白鳩号」の事故調査が上がっている。Y教授というのは岩本周平らしい。

 著者が実際に天災に遭遇した記録も採録されている。昭和10年(1935)7月の静岡地震では、わざわざ東京を急行で経ち、被害の様子を見に行っているのに驚いた。同年8月には、軽井沢に滞在中、浅間山の噴火に遭遇する。そして「震災日記より」は、大正12年(1923)8月24日から始まり、9月1日の関東大震災を経て、9月3日までの日記。9月1日、上野二科展を見て、喫茶店で紅茶を飲んでいるとき、地震が起きる。足の裏に感じた振動、建築の揺れ具合が、詳細に描写されている。すごいな。科学者って、自分の周囲の諸現象を、いつもこんなふうに観察しているものなのか。夕方、大学の様子を見にいくと「図書館の書庫の中の燃えている様が窓外からよく見えた。一晩中くらいはかかって燃えそうに見えた」という。そんなにひどい火災でありながら「あたりには人影もなくただ野良犬が一匹そこいらにうろうろしていた」というのが、何かシュルレアリスムの絵画のように思い浮かんだ。

 たぶん関東大震災の経験を踏まえてのことだと思うが、「流言蜚語」という一編には、大地震、大火事の際に「暴徒が起って東京中の井戸に毒薬を投じ、主要な建物に爆弾を投じつつあるという流言が放たれたとする」という仮定に基づく一段がある。科学的常識に基づき、概念的な推算をしてみれば、地震の発生にあわせてそんな準備をしておける可能性が著しく低いことは想像がつく。活きた科学を身につけているかどうかは、事に臨んで現れるものだ。

 結局、「科学」というのは、ノーベル賞を取るような大学者だけに関係する事項ではなく、市井に生きる一人ひとりが身につけなければいけない教養なのだな、ということを本書を読みながら強く感じた。そして、天変地異の多いこの国土に住む国民として、過去の経験に学び、流言に惑わされず、科学的態度をもって、防災の調査研究と応用・普及にあたる者こそ「愛国」精神の発露と呼ぶにふさわしい。科学の背骨のない盲目的な熱狂は、愛国でも何でもないのだ。
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青年は苦労する/青春の夢と遊び(河合隼雄)

2014-05-20 00:35:50 | 読んだもの(書籍)
○河合隼雄著、河合俊雄編『青春の夢と遊び』(岩波現代文庫:〈子どもとファンタジー〉コレクション VI) 岩波書店 2014.3

 私が河合隼雄さんの本をよく読んでいたのは、1970年代後半から1980年代だったと思う。自分の発達段階でいえば、児童期を終えて青年期にいた頃だ。「あとがき」によれば、著者はこれまで『子どもの宇宙』『大人になることのむずかしさ』『中年クライシス』『老いのみち』『生と死の接点』と人生の諸段階についての本を書いてきたが、「青春」のところだけが抜けていた。それは「私にとって苦手な話題」だったからだという。

 青年期は子どもと大人の中間帯である。心理学では22歳まで、あるいは遅くとも26歳までと定義されるが、現代の学生たちの中には、30歳までとか35歳までと考える者もいる。近代以前は「大人」と「子ども」の区分が明確であったから、通過儀礼を経て大人の社会に加入するまでは全て子どもだった。近代以降、社会も「進歩」するものと考えられるようになってから、大人の予備軍である青年期が、急にクローズアップされるようになった。

 著者は、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』、吉本ばななの『TUGUMI』『アムリタ』、村上春樹『羊をめぐる冒険』、大江健三郎『キルプの軍団』、今江祥智『牧歌』などの小説作品を次々に読み解きながら、現代の青年がどのような現実のもとに生きているかを考える。比較の素材として、明治の青年を描いた夏目漱石の『三四郎』や、ドイツ・ロマン派の作家ホフマン(1776-1822)の『黄金の壺』も取り上げられている。私は現代作家の小説をほとんど読まないのだが、こういう分析的な読解を追うのは面白いと感じる。読書としては邪道だな。

 いちばん面白く感じたのは、『黄金の壺』を通して語られる青年期の「不器用さ」についてだった。主人公のアンゼルムスはなぜ不器用なのか。彼は無能ではない。将来を期待されている、成績優秀な大学生である。にもかかわらず、「夢」を実現する機会を潰してしまうのは、彼の知らないところで、もっと深い次元の「夢」が彼を捉えているからだ。青年が夢破れて八方ふさがりと思ったり、自分の不器用さに腹が立つときは、自分を捉えようとしている「夢」は何かを考えてみるとよい。逆に器用な青年というのは、「夢」などあまり持たず現実を処理していく、あるいは本人にとって実現しやすい「夢」をうまく選ぶものだという。

 これは、自分が忘れかけていた実感にぴたりと合っていて、興味深かった。私は「夢」を諦めた頃から、不器用さに悩まなくてよくなったような気がする。そして、いまの教育(学校、および社会で働き始めた青年を待っている教育システム)は、表向きは「夢」を持つことを推奨しながら、徹底的に「不器用」を排除する体制になっているのではないかと思う。

 ここでいう「夢」は将来についての漠とした希望や願いを指しているが、夜見る夢は、意識のより深い次元を表しており、将来についての希望と無関係ではない。仏師の西村公朝氏は、日本軍の兵士として中国に行き、疲労の極みで行軍しながら眠っていた時、夢を見た。彼の右側に何百何千という破損した仏像が悲しそうな表情で並んでいる。その前を歩きながら「あなた方は私に修理をしてほしいのなら、私を無事に帰国させてください」と言ったところで目が覚める。そして、帰国後、西村氏は多くの仏像の修理に専念することになった。「これは素晴らしい夢である」と著者はいう。確かに、感動的な夢だ。そして「夢を生きる」ためには、大変な努力を必要とすることも忘れてはならない。

 もうひとつのテーマ「遊び」については、大学のクラブの教育的意義を論じたところが印象的だった。日本の学校教育は、人間が実際に生きていく上で役に立つことを教えてくれないので、クラブ活動にはそれを補償する意義がある。このように考えている大人は、今日でも多いように思う。しかし著者は、日本のクラブ集団の多くが、母性原理の強い、したがって全体的な統一感が優先され、個人の生活や個人の意志が無視されやすいことに危惧を表明している。「そろそろ現代の青年たちは伝統的母性集団の倫理を改変するための努力を払ってもいいのではなかろうか」と提言されているが、この文章が書かれたのが1994年。この点は、20年経っても、遅々として変化が進まないなあ、と思う。
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いまの時代の予言の書/三酔人経綸問答(中江兆民)

2014-05-19 00:14:45 | 読んだもの(書籍)
○中江兆民著、鶴ケ谷真一訳『三酔人経綸問答』(光文社古典新訳文庫) 光文社 2014.3

 連休に旅先で読む本が切れてしまい、郊外の私鉄の駅ビルにある書店に寄った。売れ筋の棚にある本の質がげんなりするほど良くないので(最近はどこの書店もそうだ)どうしようかと困っているとき、本書を見つけた。中江兆民についての本は何冊か読んだことがあって、『三酔人経綸問答』という作品の存在も知っていたが、読んだことはなかった。明治人の漢文訓読体は、読み始めてしまえば意外と頭に入ってくるものだが、やっぱり敷居が高い。本書は平易な現代語新訳で、あとで気がついたが、詳しい解説・兆民年譜と、さらにルビつきの原文も一緒に収められており、非常に親切な編集である。

 さて「三酔人」の冒頭に登場するのは南海先生。大酒飲みで政治論議が大好き。そこに二人の珍客が訪れる。一人は目元すずしい洋装の洋学紳士。もう一人は絣の着物に短い袴をつけた豪傑君。ここで兆民は、本文の欄外に「民主主義者と侵略主義者が南海先生を訪れる」と記す。漢籍でいう「眉批」というやつだ。原文では「民主家と侵伐家と南海先生を訪(と)う」の表記になっている。

 以下、まず民主主義者の洋学紳士が弁舌さわやかに世界各国の歴史をひもとき、持論を展開する。洋学紳士によれば、ヨーロッパ諸国は、専制政治→立憲制→民主制へと「進化」を遂げてきた(この「民主制」は、むしろ「共和制」と訳すほうがよいかもしれない)。

 君主宰相の専制の国では、人間と呼べるのは王侯貴族だけだったが、立憲制になってはじめて、民衆は独立した人格となった。しかし立憲制ではまだ(王制や貴族制が温存されているため)権利や自由の度合いが人によって異なる。さらに平等が加わって、政治制度は初めて完成する。「民主制」の究極の完成形では、国境も国どうしの争いもなくなる。なぜなら、イギリス、ロシア、ドイツなどというのは「国王の所有地の名」であり、それをもとに他人と憎み合うのは王制の残した弊害に過ぎないからだ。このへん、空想的に過ぎると腹を立てる読者もあるかもしれないが、志の高い文章は気持ちがいい。論理展開の力強さに引っ張られて、ぐんぐん読み進んでしまった。

 そして、著者は、洋学紳士の理想主義にのっかりながら、どこかで醒めているところもある。それは、そもそも洋学紳士の人となりを「思想という部屋に暮らし、道理という空気を呼吸し(略)現実の曲がりくねった道筋に踏み入ることなど考えもしない哲学者にちがいない」と紹介していることにも表れている。

 理想主義者の洋学紳士は、軍備撤廃による平和主義をも主張する。「地球上の強国の多くは(略)兵隊を集め、軍艦をつらねて、かえって身を危険にさらしている。弱小の諸国は、なぜ自発的に兵隊を撤廃し、軍艦を手ばなして、安全をはからないのでしょうか」と。ここで豪傑君が「もし凶暴な国があって、わが国が軍備を撤廃するのに乗じて、軍隊を送って来襲してきたら、どうしますか」と応じるには当然のこと。ええ、これって、本当に明治20年(1887)の著作なんだよね? 今日、戦後の日本国憲法をめぐって繰り返されている議論を、兆民は百年以上前に思考実験しているのである。

 思考実験は机上の空論にとどまらない。現実世界に立脚する豪傑君は、「軍備に頼って国を救おう」という立場で、兵を集めて「例の大国」に宣戦布告する目論みを語る(ただし、その目的は大国の冨と領土を手に入れることと同時に、自分を含めた国内の「古いもの好き」を滅ぼすことによって、祖国の癌を切除するという、屈折したものだ)。

 これを聞いた南海先生は、豪傑君のいう「例の大国」が中国を指すことを暗に認めつつ、「やたらに武器を用い、軽率に隣国を挑発し、無実の民の生命を砲弾の犠牲にするなどは、考えるべきではないはずです」と釘をさす。「国土が広く人口の多い中国は、じつにわが国の一大販路であり」という分析も冷静だし、「たとえこちらが礼を尽くして友好を深め、交流を結ぼうとしても(略)中国はつねに怒りをもってこちらに対し」云々という論者に対しては「われわれがむやみに外交の神経症を起こさなければ、中国もまた、われわれを敵視することはないはずです」と述べる。このあたり、外交の要諦、そして輿論(むしろ世論か?)を形成する報道の重要性を説いており、至言である。

 しかし、どうして百年前の言論が、目前の現実にこれほどリンクしているのか、本当に不思議だった。よい本の現代語新訳が出たものである。今こそ、多くの人に読まれてほしい。永田町の先生方にも。
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