見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

仏を思い、寺を思う/仏具の世界(根津美術館)

2023-02-27 20:35:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『仏具の世界 信仰と美のかたち』(2023年2月18日~3月31日)

 主に館蔵品から、さまざまな場面で用いられる仏具を紹介し、仏の教えと仏具の造形美の関わりを探る。地味な展覧会だが、私のような仏教美術好きには面白かった。

 はじめに目に留まったのは紺紙金字の『神護寺経(陰持入経)』。状態がよいのか照明のせいか、金字が濡れたように輝いていた。鳥羽天皇が発願し後白河天皇が寄進したという由来も(二人の関係を思うと)しみじみする。墨染めの細い竹ひごを錦布で縁取りした経秩は、何度か見たことがあると思うが、本品は秩の両端と紐の結び目に蝶型の金具が残っていて、90度の角度に羽を広げた姿は蝶というより蛾を思わせる。調べたら、白州正子はこれをブローチに仕立てて身に着けていたとのこと(旧白州邸・武相荘)。さすがだ。

 室町時代の『黒漆春日厨子』は、外側は全く装飾のないシンプルな造形。扉の左右には多聞天と増長天を描く。内部の背面には、小さな散華が数枚舞っているが、ほぼ漆黒の闇。朝鮮時代の『粉青印花牡丹文厨子』は、横長の陶器の厨子で、正面の蓋が取り外しできるようになっている。上面には屋根の棟のような飾りがついており、携帯用のランチボックスを思わせる。内部には金銅の薬師仏が収まっていた。解説に「類例がない」とあったけれど、確かに初めて見た。

 法会や供養に使われた仏具、銅製の『鉢(応量器)』は東大寺伝来とのこと。そのとなり、やはり銅製の『香水杓』は、何も解説がなかったが、東大寺修二会に関係するものではないかと思う。この季節に展示してもらえて、嬉しかった。後半には、鎌倉時代の『弘法大師像』と『崔子玉座右銘断簡(空海筆)』が出ていて、根津嘉一郎と高野山の関係を思い出した。展示室2は「仏教美術と女性の信仰」をテーマに『普賢十羅刹女像』(平安時代)や各種の繍仏、そして女性の着物を仕立てなおした幡や打敷が展示されていた。

 展示室5は「西田コレクション受贈記念I IMARI」を開催。根津美術館顧問の西田宏子氏より寄贈された陶磁器など工芸品169件から優品を選び、3回に分けて展示する。第1季「IMARI」では、西田氏がオランダ・イギリス留学時代に収集した作品が中心で、17~18世紀のやきものの東西交流が窺える。今後、中国陶磁や朝鮮陶磁の展示も楽しみである。いずれ図録も買ってしまいそうだ。

 展示室6は「花どきの茶」。実は色とりどりの「花」を描いたものはほとんどなくて、地味な粉引茶碗や御本茶碗が「花の白河」や「吉野」に見立てられているのが奥ゆかしく、面白かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大明の普通の人々/中華ドラマ『顕微鏡下的大明之絲絹案』

2023-02-26 23:58:08 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『顕微鏡下的大明之絲絹案』全14集(愛奇藝、2023年)

 明・万暦年間、江南地方の仁華県に住む豊宝玉とその友人・帥家黙は、賭場のトラブルから膨大な帳簿の整理を押し付けられる。帥家黙は「算呆子」(算術バカ)と呼ばれる青年で、帳簿の中にあった土地契約書を見て、仁華県の税制に疑問を抱く。

 仁華県、攬渓県、同陽県など8つの県は金安府の下に置かれていた。調べてみると、なぜか仁華県は「人丁絲絹税」について他の7県分を負担しており、支出額は毎年三千五百三十両に上る。豊宝玉と帥家黙は、この計算間違いを正そうと仁華県の県庁に訴え出るが、当然、他の7県の関係者は反発する。当の仁華県の方知県(県知事)も金安府の黄知府(府知事)も敢えて混乱を望まず、訴えは却下されてしまう。

 豊宝玉と帥家黙の訴えに最も強く反発したのは攬渓県の毛知県で、手下の鹿飛龍に命じて二人を亡き者にしようとするが失敗。二人は金安府に訴えようとするが妨害されて果たせず、攬渓県を巡察中だった巡按御史に訴え出る。劉巡按は二人が攬渓県の文書庫に入って調査することを許すが、その晩、劉巡按が郷紳の范淵の宴席に招かれている間に、失火のため文書庫が焼失する。

 焼死を免れた帥家黙は、幼い頃、両親を火事で失ったこと、仁華県の官吏だった父親が最後の日に「絲絹全書」と題した冊子を見ていたことを思い出す。帥家黙は「人丁絲絹税」の真相を究明するため、黄知府らに「賦役白冊」の調査を求め、許される。その結果、判明したのは、他の7県が負担すべき賦税を「人丁絲絹税」の名目で仁華県に押し付けてきたからくりだった。これを公平な姿に戻すには、金安8県の田地を測量し直す必要がある。審議の場に同席した按察使司僉事(せんじ)の馬文才も再測量に同意した。

 しかし実際の測量は、権力者の所有する田地を避け、零細農民に負担を押し付けるかたちで行われた。農民たちの不満は高まり(さらに権力者の手下の煽動に乗せられ=中国ドラマではよくある描写)暴徒となった農民たちは県庁に押し掛ける。全ては馬文才の計画どおりで、測量中止を宣言するとともに、宋通判の進言を容れて、騒動の原因となった帥家黙と豊宝玉の処刑が命じられた。間一髪、二人を救ったのは状師の程仁清(状師=訴訟の請負を職業にした人々)。彼は帥家黙の父親の著作「絲絹全書」を入手し、巡撫・右副都御史(ドラマの中では最上級の官職)の李世達一行を連れて戻ってきた。

 そして李巡撫による詮議が行われ、攬渓県の文書庫放火の真相、帥家黙の両親の死の真相が次々に明らかになる。大量の田地を隠匿していた郷紳の范淵には税が追徴され、新たに正確な田地測量が行われ、農民たちに平和な生活が戻った。

 はじめ、タイトルの「顕微鏡下(マイクロスコープ下)」の意味が分からなかったが、とある一地方の無名の人々の物語というニュアンスかと思う。日本の大河ドラマと同じで、中国の歴史劇も皇帝や大官を主人公にしたものが多いので、本作の設定は新鮮だった。中国語ネットの情報によれば、本作は馬伯庸の『顕微鏡下的大明』シリーズ6編の1編だという。ぜんぶ読んでみたい。

 主人公の帥家黙(張若昀)は特異な性格づけをされているが、他の登場人物はいかにも「普通」の人々である。特に地方官のおじさんたちは、善も悪もそこそこで、それぞれスルメのように味わい深かった。小役人は小役人らしい、上級職は上級職らしい配役で笑ってしまった。全体としては訴訟→弁論のシーンが多く、一種の法廷ドラマでもある。長口舌とアクションの両方で見せ場があるのは程仁清(王陽)。短いセリフにさすがの迫力を感じたのは范淵(呉剛)で、豊宝玉に脱税の疑いを指摘されると「それを徐老に言ってみろ」と傲然と言い放つ。宮廷政治家の徐階は二十四万畝の荘園を保有していたというのだからスケールが違う。

 ネット記事によれば、金安八県は金華八県がモデルで、仁華県は金華県にあたるという。金華ハムの金華! だから豊宝玉の姉で、孤児の帥家黙の面倒も見ている、鉄火肌の豊碧玉ねえさんは火腿舗(ハム屋)の老板なのか。気づかなかった。

※2/28追記:引き続き調べていたら、程仁卿という実在の人物がいて『絲絹全書』八巻という著作を残していることが分かった。さすが馬伯庸、こういう文献からネタを拾うのだな。程仁卿は安徽省安慶市潜山県の人(安慶市といえば陳独秀の故郷だ)。小説は実在人物の名称を用いており(帥家黙は帥嘉謨)、安徽省歙県が舞台になっている。小説全文もネットで読めるようだが、ドラマほど気軽にチャレンジはできないなあ…。

参考:99蔵書網『顕微鏡下的大明

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

識字陶工と文人ネットワーク/木米(サントリー美術館)

2023-02-25 21:47:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 没後190年『木米』(2023年2月8日~3月26日)

 江戸時代後期の京都を代表する陶工・画家・文人の青木木米(1767-1833)の名前は、いちおう知っていた。自分のブログを検索すると、2010年の出光美術館『茶 Tea -喫茶のたのしみ-』展が初出で、その後も何度か出てくる。とは言え、あまり期待をせずに見に行ったら、意外とおもしろい展覧会だった。

 はじめにやきもの。木米は中国・日本・朝鮮の古陶に着想を得、それを自由にアレンジした作品を生み出した。景徳鎮の染付ふうだったり、素朴な高麗茶碗ふうだったり、華やかな京焼ふうだったり…。会場には、木米作品のほかに、その着想のもとになったかもしれない作品も参考に並んでいて面白かった。着想の源泉がよく分からない作品もあって、『色絵雲龍波濤文火入』は青銅器の鬲(れき)に倣ったのではないかという。器身の丸みが短い三足につながっていてかわいい。

 また木米は、中国の陶磁専門書『陶説』(清・朱琰)に感銘を受け、これを翻刻・刊行している(刊行は没後)。芸大図書館や堺市中央図書館所蔵の貴重な版本が展示されていた。本展の図録に河野元昭氏が「識字陶工木米」という表現を使っているが、当時としては、かなり異彩を放つ存在だったのではないかと思う。

 木米は陶芸を奥田頴川(1753-1811)に学んだ。頴川の作品もかなり多数来ており、大統院の『色絵十二支四神鏡文皿』や建仁寺の『交趾釉兕觥形香炉』を見ることができて嬉しかった。このひとの作品、かなり面白いと思う。

 続いて上田秋成(1734-1809)の紹介があったのには驚いたが、そうか煎茶つながりか、と思い出して納得する。煎茶用の炉や急須が各種展示されていた。煎茶用の炉は小型でシンプルなものが多いが、『白泥蘭亭曲水四十三賢図一文字炉』のように凝ったものもある。炉の窓にもたれるのは王羲之で、窓の下にガチョウが線刻されている。

 画家で親しかったのは田能村竹田。竹田が描いた『木米喫茶図』(木米の横顔)はどこかで見た記憶があった。出光美術館の『茶 Tea』展だったかもしれない。蘭方医の小石元瑞や木村蒹葭堂とも交友があった。「画家」「文学者」「医学者」などの専門や職業を超えて、文人のネットワークが機能していたのは興味深い。

 木米の絵画作品は、あまり好きなものはないのだが、中国の製陶工場の様子を想像でマンガっぽく描いた『陶磁製造図』が楽しかった。画帖なので会場では1~2枚しか見られなかったが、図録には多数の図版が収録されていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学者と軍人/三体0:球状閃電(劉慈欣)

2023-02-24 16:58:12 | 読んだもの(書籍)

〇劉慈欣;大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳『三体0(ゼロ):球状閃電』 早川書房 2022.12

 中国ドラマ『三体』の熱がなかなか冷めないので、昨年12月に刊行された『三体』シリーズの新刊を読んでしまった。原作は『三体』に先行する2004年の刊行。『三体』三部作の前日譚という触れ込みだが、全く別作品と思って読むほうがいいと思う。

 主人公のぼく=陳(チェン)は、14歳の誕生日の夜、壁を通り抜けて室内に入ってきた球状の雷が、一瞬にして両親を白い灰にしてしまうのを目撃する。両親の体は跡形も残らず、公けには失踪として処理された。陳は球電(ball lightning)の謎を解くことを志して大学に進学する。大気電気学担当の張彬(ジャン・ビン)副教授は球電を研究テーマとすることに反対するが、陳は初志を貫く。のちに陳は、張彬がかつて妻の女性研究者とともに球電研究に携わっていたこと、球電に撃たれた妻を失ったことを知る。

 あるとき、陳は泰山の玉皇頂で、球電の目撃者から話を聞くとともに、謎めいた女性・林雲(リン・ユン)に出会う。博士課程を卒業した陳は雷研究所に就職し、国防大学の新概念兵器開発センターに勤務する林雲少佐に再会する。林雲は球電を応用した雷撃兵器を構想していた。数理モデルの解析資源の確保に苦労していた彼らのもとにロシアから「俺のところに来い」というメッセージが届く。シベリアで二人が見たのは、ソビエト時代の球電研究基地の残骸だった。ロシア人ゲーモフは、球電研究が成果を生み出せなかった(発生条件に規則性を見出せなかった)顛末を語る。

 球電研究を忘れようとした陳だが、新しい可能性に気づく。球電はつねに自然界に存在しており、雷によって励起されるという仮説である。仮説に基づき、ついに球電の捕獲に成功した陳と林雲は、天才物理学者の丁儀(ディン・イー)に協力を求め、丁儀は球電の正体がマクロ電子であることを見抜く。マクロ電子には標的を精密に選択し、波動化する特性があった。林雲は対人兵器になるタイプのマクロ電子を収集・貯蔵していった。

 あるとき、国際テロリスト集団が原子力発電所に立てこもる事件が起きた。林雲は迷わず球電兵器によってテロリストを灰にするが、人質の子供たちも犠牲になってしまった。陳は林雲から距離を置き、竜巻研究に没頭し、米国で名誉市民の称号を得るに至る。

 その後、某国との間で戦争が勃発し、近海に侵入をはかる敵空母群を攻撃するために球電兵器が用いられることになった。ICチップを選択的に破壊するマクロ電子がすでに集められていた。しかし敵国は磁場シールドによる防御システムを構築しており、作戦は失敗に終わる。

 球電兵器プロジェクトは縮小を迫られるが、丁儀はマクロ原子核(弦)を発見し、新たな活路を見出す。マクロ原子核どうしを臨界速度で衝突させればマクロ核融合が起きる。マクロ原子核もエネルギー放出対象を選択する特性を持っており、きわめて希少だが集積回路を対象とするものが見られた。

 林雲の期待も空しく、軍の上層部は、最終的にマクロ核融合実験の停止を決定した。しかし林雲は仲間たちとともに実験を強行しようとする。林雲の父親である林将軍は、核融合地点に向けてミサイルの発射を命じた。その結果、半径百キロメートル以内に存在した電子チップは全て灰になり、国土の三分の一は農耕時代に引き戻された。しかし敵国も強力な兵器の存在に驚愕し、戦争は終わった。核融合地点にやってきた林将軍は、娘である林雲の姿を見つけて会話する。話し終えた林雲は量子状態になって消失した。

 登場人物がほぼ全て「科学者」か「軍人」であることは『三体』と共通している。作者から見ると、科学者と軍人は、相容れないようで似たものどうしなのかもしれない。『三体』の汪淼と史強が最終的にベストパートナーになるのに比べると、本作の陳と丁儀は、林雲に憧れながらも彼女の内面に踏み込めずに終わっているのが、歯がゆく、切ない。

 私は根っから文系だが、高校生の頃、量子物理学の面白さにハマった経験がある。丁儀は、球電に触れて量子化した人間や動物の行く末を以下のように解説する。観察者がいない状態では、彼らは一定の確率分布として存在できるが、観察者が現れた瞬間に死んだ状態に収縮する。そう、シュレディンガーの猫なのだ! なお、最後に林雲が生きた姿で出現し得たのは、意識を持つ量子状態の個体は、自分で自分を観察できるからだという。ちょっと苦しい説明かな、と思うが、そこは目をつぶっておきたい。存在の不確定性という点で、量子物理学は詩や哲学に似ている、と思ったむかしを思い出した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

磁州窯の名品、刀剣もあり/中国の陶芸展(五島美術館)

2023-02-22 23:55:00 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 館蔵『中国の陶芸展』(2023年2月18日~3月26日)

 漢時代から明・清時代にわたる館蔵の中国陶磁器コレクション約60点を展観。会場に入って、まず全体を眺め渡し、おなじみのあの作品やこの作品が出ていることを確認する。やっぱり最初に引き寄せられてしまったのは、磁州窯の『白釉黒花牡丹文梅瓶』。「白釉に黒花」というが、黒の面積が大きくて、どちらが地色かよく分からない。三角形に盛り上がった牡丹花は、あふれ出る生命力の象徴のようだ。単立ケースに展示されていたので、反対側にまわってみたら、同じようにゴージャスな牡丹花が下を向いていた。

 その手前、いちばん目立つ位置に展示されていたのは『青磁鳳凰耳瓶(砧青磁)』。記憶の中の青磁の名品『万聲』『千聲』などと比べると、ひとまわり大きい。この種の瓶の中で最も大きいのだそうだ。大きいけれど間の抜けた感じはなく、堂々とした風格がある。青みの強い粉青色も美しい。

 2つの名品を堪能したあとは、壁の展示ケースの先頭から見ていく。戦国時代(紀元前4~3世紀)の作だという『瓦胎黒漆量』と『瓦胎黒漆勺』も大好き。我が家のキッチンに欲しい。『灰釉刻文双耳壺』には、いたずらみたいな線刻がある。解説に「鬼面あるいは獣面」とあったけれど、ドラえもんに似ていると思った。

 以下、時代順に、漢・西晋・唐・五代・遼・北宋と進む。遼時代の『緑釉牡丹文鳳首瓶』も好き。あとは定窯の白磁水注や磁州窯の緑釉鉄絵瓶など、おなじみの名品かな、と思っていたら、鈞窯の『月白釉水盤』(北宋~金時代)に目が留まった。月白釉と呼ばれる白っぽい青色もよいが、うつわのかたちが面白かった。円形の浅い器で、雲のかたち(?)の三本足が付いている。側面には、パチンコ玉ほどの小さな丸い飾り(金色?黄色?の釉薬をかけているが、材質は同じ陶磁製だと思う)が、一定間隔で24個並んでいて、天空をめぐる月か太陽を思わせた。よく見ると飾りの列は2本あるようだった。ちなみに忘れていたけど、2016年の『館蔵・中国の陶芸展』にも出ていたようだ。明清の青花や赤絵もいいが、やっぱり私は唐宋のやきものに惹かれる。

 第2展示室は、館蔵「日本の名刀」の特集展示だった。同館が刀剣を所蔵していることを初めて認識したのは、私が全く刀剣に興味がないせいかもしれない。適当に見ておこうと思ったのだが、その美しさにちょっと心を動かされた。特に『太刀 銘:大和国当麻』にしばらく見惚れてしまった。奈良の当麻寺に所属する刀工集団・当麻派の作らしい。このあと、私がじわじわ刀剣というジャンルに目覚めたとしたら、この日が起点と言えるだろう。なお『短刀 銘:行弘』は、柳沢吉保の三男・安基が学問の弟子となったことにより、将軍綱吉から安基が賜ったという解説が付いており、思わずNHKドラマ『大奥』のキャストで妄想してしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オールドファッションの魅力/映画・崖上のスパイ

2023-02-20 00:44:51 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇張藝謀(チャン・イーモウ)監督『崖上のスパイ』(新宿ピカデリー)

 1930年代、抗日戦争下の満州国。ソ連で特殊訓練を受けた共産党のスパイ4人組(男性2人:老張、楚良、女性2人:王郁、小蘭)がパラシュートで雪原に降り立つ。彼らの任務は、日本軍の極秘実験の詳細を知る人物・王子陽の国外脱出を助け、日本軍の非人道的な振舞いを世界に知らしめること。作戦名はロシア語で夜明けを意味する「ウートラ」。4人組は、男性1人、女性1人ずつの2組に分かれ、ハルピンを目指す。

 その頃、満州国特務科長の高彬は、すでに共産党の動向を察知し、共謀者の謝子栄の口を割らせて、4人組に関する情報を得ていた。高彬の部下の周乙、魯明は、共産党の同志を装って、楚良と王郁に近づき、彼らを監視下に置く。老張と小蘭はハルピン潜入に成功するが、老張は単独行動の際に捕えられ、厳しい拷問を受ける。

 脱走を企てた老張を助けたのは特務科股長(係長)の周乙だった。彼は特務科に潜入した共産党のスパイだったのだ。しかし老張は脱出に失敗し、最終的に命を落とす。高彬は特務科内に内通者がいることを疑い、部下の周乙、金志徳の行動を監視しながら、最後に残ったスパイ・小蘭を捕えようとする。周乙は、楚良と王郁の逃亡を助けようとするが、特務部隊の追撃を受け、追いつめられた楚良は服毒して命を絶つ。しかし周乙は小蘭との接触に成功。

 後日、人気のない雪山の道路には、王子陽を国外に送り出す周乙と小蘭の姿があった。そののち、周乙は、山の中に隠れ住む王郁のもとに1組の少年少女を連れて現れる。それは老張が探していた、彼と王郁の子供たちだった。

 あらすじは以上。スパイや二重スパイが絡むものの、善悪の描き方はわりと単純で、謎解き風味は薄い。敵味方の間で、次々に展開する多様なアクション(汽車の中だったり、入り組んだ路地裏だったり、クラシックカーのカーチェイスだったり)と頭脳戦を楽しむエンタメ作品である。全編、雪の中(ほとんどの場面で雪が降り続いている)が舞台で、登場人物たちは毛皮の襟つきのぶ厚いコートと防寒用の中折れ帽、あるいは毛糸の帽子と襟巻に埋まり、個性や表情を最小限しか見せない。映像も人物の行動様式も、ストイックでオールドファッションな美学で貫かれている。

 主役はスパイ4人組(老張=張訳、楚良=朱亜文、王郁=秦海璐、小蘭=劉浩存)なのだろうが、個人的には特務科の面々が、ドラマでおなじみの俳優さんばかりで楽しかった。何を考えているのか測りがたい冷徹な特務科長・高彬に倪大紅。共産党の二重スパイで八面六臂の活躍をする周乙に于和偉。食えない下っ端特務官の金志徳に余皑磊。この配役、考えられる限り最高である。さらに共産党の仲間を売って高彬の追従者に成り下がる、臆病者の謝子栄を演じる雷佳音もよい。ちなみに本編完結の後に、裏切者の謝子栄が周乙に「成敗」されるシーンが、やや唐突に挿入されている。この雷佳音と于和偉の演技が、無駄に見応えがあって眼福だった。

 本作は中国では『懸崖之上』のタイトルで2021年に公開されているが、2012年に放映された連続ドラマ『懸崖』の前日譚であるという記述を中国語wikiに見つけた。調べたら、周乙を張嘉益が演じているのか。なるほど。CCTVチャンネルで視聴できそうなので、そのうち見てみようかしら。

 また『懸崖之上2』の制作が予定されているという情報も見た。チャン・イーモウ監督の、まだまだ面白い作品を撮り続けたいという意欲には敬服する。本作も含め、最近の中国映画は、明らかに「共産党のプロパガンダ映画」の枠に嵌められているけれど、でも確実にエンタメ作品として面白いのだ。とりあえず私は、今年の春節映画『満江紅』が早く見たい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

門前仲町でごはん屋呑み

2023-02-19 17:44:25 | 食べたもの(銘菓・名産)

 いつもの呑み仲間の友人と二人で、あまり飲めない友人をご飯に誘うことになり、お店の選択に迷った末、羽釜ご飯と酒の店「ごはん屋 おゝ貫」(大貫)にした。2020年12月にオープンした比較的新しいお店で、よく前を通るので、気になっていたのだ。

 食事もお酒も期待以上だった! お酒は「利き酒し放題90分 1,980円」をチョイス。全11種類を小ぶりのお猪口で楽しめる(全種類制覇はならず)。

鯛茶漬け。ご飯は素木のおひつで提供される。余ったご飯はおにぎりにして持たせてくれた。

季節の甘味も美味。

 一品料理やランチメニューもあるようなので、また来てみたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ショートステイ@金沢

2023-02-17 22:47:59 | なごみ写真帖

1泊2日の出張で金沢に行ってきた。観光の時間は全くなかったので、初日のランチに金沢駅で食べた「ゴーゴーカレー」のチキンカツカレーと、

自分のお土産に買ってきた「ビーバー」(揚げあられ)の写真を上げておく。

たぶん前回、金沢を訪れたのも仕事で、次は観光でのんびり来ようと思っているうちに30年経ってしまった。次こそ…縁があるといいなあ。

駅前広場の大屋根に、市松模様ふうに雪が残っていて楽しかった。これは冬しか見ることのできない、心憎いデザイン。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏像と歴史資料ほか/令和5年新指定国宝・重要文化財(東京国立博物館)

2023-02-15 22:28:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館・平成館・企画展示室  特別企画『令和5年新指定国宝・重要文化財』(2023年1月31日~2月19日)

 新指定の展示は、なるべく見に行くようにしている。文化庁『新指定国宝・重要文化財展』のページに過去の記録がまとまっているが、コロナ前の平成31年度(2019)までは、ゴールデンウィーク前後の開催が定例だった。今回は久しぶりの再開である。展覧会のタイトルは「令和5年」だが、文化庁のサイトでは、展覧会年度が「令和4年度」になっている。令和4年度(2022)指定分なのかと思ったら、目録には「令和5年の指定予定品一覧です」と小さく注記されていた(ややこしい)。しかも、これまでの習慣で本館に行ったら何も案内がないので、慌ててスマホでチェックして、平成館1階で開催されていることを知った。

 展示室の入口に立つと、数体の仏像が目に入る。手前のケースに収まっていたのは、50cmほどの木造不動明王立像(京都・観音寺、平安時代)。短い弁髪を垂らしているので不動明王だと分かるけれど、大きく盛り上がった髪、眉根を寄せた太い眉など、かなり異相である。子どものように頭でっかちだが、肩や上腕部はたくましい。不動明王としては極めて古い作例だという。

 その奥には、大きな木造十一面観音立像(京都・乙訓寺)。右手に錫杖を持つ長谷寺式の十一面。鎌倉時代らしい、厳しめで整った顔立ちで、身体に添って流れる天衣が美しい。像内から大量の紙片が発見されており、文永5年(1268)に造られた「一日造立仏」であることが判明している。ただし納入品は後期展示(2/14-)で見られなかった。

 その隣り、なんだか癖の強いのがいるなあと思ったら、愛知・瀧山寺の木造十二神将立像(鎌倉時代)の1躯だった。瀧山寺のホームページの写真を見ると、午神らしい(草履を履いていた)。髪型も面貌表現も独特すぎる。布地の少ない装束が、妙に細部まで丁寧なつくりなのも面白い。次は京都・上徳寺の木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代)。手の上げ下げが通例と逆なのは、宋代絵画の影響と見られている。唇を玉でつくる玉唇という技法を用いており、確かに糸のように細めた目よりも、肉感的な唇が印象に残る。

 奈良・丹生川上神社からは女性の木造神像2躯(平安~鎌倉時代)が来ていた。古い方は、頭が大きく素朴なプロポーションだが、もう一方の罔象女神(みづはのめ、みつはのめのかみ)は、かなり写実的で洗練された人体表現だった。

 このほか、絵画はMIHOミュージアムの3件『鳥獣人物戯画甲巻断簡』(衣を着て扇で人を招くサル、おんぶした親子カエル)『鳥獣人物戯画丁巻断簡』(相撲と競馬)『地獄草紙断簡・解身地獄』が眼福。

 歴史資料では、横山松三郎関係資料(個人蔵)の一括指定がうれしかった。展示には松三郎の自画像が来ていた。国友一貫斎関係資料(個人蔵)や大槻家関係資料(一関市博物館保管)もうれしい。高橋至時、間重富らの書簡を修正した『星学手簡』は「東京天文台図書之印」の押されたページを見ることができた。琉球関係の資料は、近年、指定が続いているように思う。『銘苅家文書』や『琉球国王朱印状』は、ちゃんと日付の上に朱角印が押してあって東アジアの正統派だと思った。

 考古資料はバラエティに富んでいたが、やっぱり一番印象的だったのは「国宝」指定の「北海道白滝遺跡群出土品」(遠軽町、後期旧石器時代)である。展示品は全て黒曜石の石器だった。北海道の遺跡、もっと行ってみたいなあ。

※参考:北海道遺産

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外交担当者と国内世論/近代日本外交史(佐々木雄一)

2023-02-14 23:45:02 | 読んだもの(書籍)

〇佐々木雄一『近代日本外交史:幕末の開国から太平洋戦争まで』(中公新書) 中央公論新社 2022.10

 本書は、サブタイトルのとおり、幕末の開国から太平洋戦争まで(巻末の年表では、1792年の露・ラクスマン来航から1945年の終戦まで)の日本外交の軌跡を通観したものである。特別に新しい発見があるわけではないが、雑に「共通理解」となっていることが、丁寧に見直されていて、歴史の解像度が上がる。

 たとえば、幕末の日本は西洋諸国から「不平等条約」を押し付けられ、明治政府はその改正に苦心する。やがて東アジアの緊張が高まり、日清戦争が勃発する。日本はこの戦争に勝利するが、三国干渉によって遼東半島の領有の放棄を求められ、国際社会でものを言うのは力だと学んだ、というのは、よく語られるストーリーだ。

 本書は以下のように解説する。まず、日本は戦争に負けて条約を押し付けられたわけではないので、比較的穏当な条件で西洋諸国と関係を結んだ。とは言え、明治政府は条件改善のため、文明国化を推進し、政治・法制度を整備することで、漸進的に日本の地位を高めようとした。ところが外交担当者が妥当と判断する内容では、国内の対外強硬論を抑えることができず、条約改正事業は何度も頓挫してしまう。対外強硬論というのは、近代日本の宿痾みたいなものかな。

 それでも最終的に日本は法権回復を果たした。この経験は日本の外交担当者たちに、国際秩序にはある種の公正さがあり、そこに積極的に適合していくことで日本は発展できる、という思考様式を与えた。この認識は、伊藤博文、西園寺公望、原敬、幣原喜重郎らに引き継がれていく。三国干渉を経験しても特に変わりはなく、力がものを言うのは自明だが、ルールや規範も確かに存在する世界として、日本の政治指導者や外交担当者は、国際社会を理解していた。ただし彼らと標準的な日本人の対外観には大きな差があった。

 日露戦争の勝利により、日本は大国の一角に参入する。外交担当者たちは、大国間で認められる正当性や公平性を強く意識して行動し、韓国併合でもイギリスやロシアの賛同を得ることに注意を払った。列強が公平に勢力を拡張することは、従属する側にとっては公平でも正当でもなかったが、これが帝国主義外交の規範意識だったのである。

 1910年代には、辛亥革命と第一次世界大戦が起きる。大戦争を遂行中のヨーロッパ諸国が中国方面に注意を向けられない状況で、日本は「標準的な帝国主義外交から逸脱した、突出した対外膨張政策」に足を踏み入れることになる。

 第一次世界大戦後の国際環境は大きく変わった。国際連盟が設立され、民族自決が唱えられ、帝国主義が批判された。規範の変容に伴い、現実が全て変わったわけではないが、列強は新たな対外膨張や軍事行動には慎重になり、より確かな口実・名分を探った。日本も例外ではなく、従来の帝国主義外交が批判の対象になってきたがために、かえって「満蒙は日本の生命線」という強い主張がひねり出される。ええー現実は逆説的に進行するのだな。

 このころ、日本移民の差別・排斥問題など、日本(人)は世界で不当な扱いを受けているのではないかという不満・不信感が強まる。国際秩序には公正さがあり、その中で日本は発展できると考えてきた、明治中期以来の外交担当者の認識に代わり、既存の国際秩序は不公正であり、日本にとって不利であるから、秩序を作り替えなければならないと主張して、世論の支持を集めたのが近衛文麿である。1930年代、日本国内の風潮は対外強硬論に振れ、日本は軍拡の時代を歩んでいくことになる。

 結局、近代日本の外交は、国外の因子よりも、国内世論に動かされてきた面が強いように思った。外交当局者(インサイダー)たちは部外者(アウトサイダー)との感覚のずれを認識していたが、当惑、軽蔑、諦めにとどまり、ずれを埋める方向には動かなかった。著者は歴史を振り返り、日本外交と国際社会に対する理解と信頼を国内に根付かせることは、より真剣に取り組まれてしかるべき課題だった、と総括しているけれど、これは今こそ必要な取り組みではないか。陰謀論やポピュリズムに流されて、再びこの国が道を誤らないために。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする