見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

生活をゆたかに/1950年代日本のグラフィック(印刷博物館)

2008-06-30 00:53:35 | 行ったもの(美術館・見仏)
○印刷博物館 企画展示『デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック』

http://www.printing-museum.org/index.html

 会場入口の扉が開くと、気のせいか、明るく暖かい空気に包まれる。明るい色彩、単純明快なデザインを特徴とする、1950年代の商品広告は、どれも生活する喜びに満ちている。

 1950年代のグラフィックといわれても、生まれてないし――はじめ、全くイメージが湧かなかった。しかし、来て見てみれば、何のことはない、その後も私たちの生活の一部となってしまったデザインが数多くある。たとえば、不二家のミルキー(1953年)、内田洋行のマジックインキ(1951年)、輪ゴムのオーバンド(1951年)など。三越(1950年)や丸善(1952年)の包装紙も変わっていない。今では見なくなってしまったが、雪印のカップ型アイスクリーム(1959年)や明治コーヒーキャラメル(1955年)も懐かしかった。

 「暮らしの手帖」は、母の愛読誌だった。個性的な誌面デザインは、子供心に強く印象に残っている。絵本の挿絵みたいな、森永ミルクキャラメル、明治ミルクチョコレートの広告も、雰囲気だけは、記憶がよみがえるような気がした。逆に(当たり前だが)さすがに全く記憶にないのは、お酒や煙草の広告。ビールの広告はどれも楽しいが、仕事を終えたサラリーマンたち(制服姿の女性事務員もいる)が、職場で仲良く一杯というポスター(サッポロビール)は時代を感じさせる。「今日も元気だ、タバコがうまい!」も、ありえないよなあ。

 気をつけていると、ときどき、思わぬ名前に出くわす。え、三越の包装紙って、猪熊弦一郎のデザインなのか。横尾忠則が松下電器のポスター(皇太子ご結婚慶祝番組!)をデザインしていたり、灘本唯人が地元の山陽電鉄のポスターを描いていたりする。ほかにも、杉浦康平、原弘、田中一光など、一般人の私でも、名前くらいは知っている、有名グラフィックデザイナーが多数。しかし、こうしてキャプションつきで展示されなければ、誰の作品か、全く分からないだろう。商業・広告デザインというのは、そういうものだ。

 特に1950年代というのは、そういう時代だった。デザイナーたちは、人々の生活を明るく豊かにするために、さまざまなデザインの名作を生み出したけれど、そこに自分の「名前」を差し挟むことは二の次だったように思う。

 ふと会場内で、印刷博物館が2002年に実施した企画展示『1960年代グラフィズム』のカタログを見つけた。パラパラとめくってみて、あまりの雰囲気の違いに、私は絶句してしまった。上記リンク先の、企画趣旨に言う、「経済成長のなかで、ものや情報があふれるようになり、他と区別し人々により強い印象を与えるためにグラフィック・デザインの果たす役割が大きくなっていきました」と。1960年代のデザインは、とにかく「自己主張」なのである。署名はなくても、画面全体が「ヨコオ・タダノリ」と叫んでいたりする。

 再び会場内を見渡すと、1950年代のデザインの、なんとふんわりと暖かく、やさしいことか。どちらがいい・悪いという問題ではない。でも、1950年代と60年代の間って、何か、とても大きな断層があるような気がした。なお、個人的に、いちばん1950年代っぽいグラフィックデザイナーとしては、大橋正をあげたいと思う。
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VRで故宮に遊ぶ/紫禁城・天子の宮殿(印刷博物館)

2008-06-29 12:57:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○印刷博物館・VRシアター 故宮VR『紫禁城・天子の宮殿』第一部

http://www.printing-museum.org/floorplan/vr/index.html

 印刷博物館へ『1950年代日本のグラフィック』展を見に行った。すると入口に北京・故宮のポスター。VRシアターにて「故宮VR『紫禁城・天子の宮殿』公開中」とある。次の放映開始まで、あと5分ほど。これはちょうどいい、と思って、まずシアターに向かった。

 私は”VR”が何を意味するのか、よく分かっていなかったが、シアターに入って、ようやく思い出した。ここには、図書館員対象の研修で、一度来たことがある。観客席を包むように設置されているのは、湾曲した(水平方向の視野角が120度)巨大スクリーン。スーパーコンピューターを駆使した映像コンテンツによって、VR(バーチャルリアリティ)を体験できるシアターなのである。

 40~50人ほど座れるシアターだが、観客は10人弱だった。コンパニオンのお姉さんの生ナレーションで(贅沢だな)プログラムが始まった。いちおう、今の故宮博物院ではなくて、清(あるいは建造当時の明?)に戻る、という設定のようだ。「明の紫禁城にようこそ」って言ったかな? 映像は太和殿の前庭から始まり、カメラは、大理石の階段の中央、龍の彫刻が施された、皇帝専用の”御成り道”の真上を上がっていく。おお、輿に担がれた皇帝の目線(?!)と思って、ちょっと嬉しくなってしまった。

 それから、太和殿の内部に入り、玉座の頭上に吊るされた龍の飾りに接近。再び建物の外に出て、高い視点から、故宮の全貌を眺める。波なす瑠璃瓦の背景には、景山の山頂に作られた四阿(あずまや)が見える。左手にさりげなく北海公園の白塔が見えるのも嬉しい(あれって、乾隆帝時代の建立だっけ?)。それ以外の街並みは、茫漠とした状態でごまかしてあるが、鐘楼・鼓楼だけは、ぜひとも付け足してほしいなあ。

 南側にもカメラを向けてほしかったのだが、まだコンテンツができていないらしく、北側だけで終わってしまった。正味5分くらいか。今後もコンテンツを増やしていくと言っていたので、期待したい。そのときは、時代設定と考証をきちんとやってほしいと思う。

 書き落としていたが、この春、東京都写真美術館の『紫禁城写真展』(3月29日~5月18日)を見た。明治の写真家・小川一真が1900年に撮影した写真で構成したものだが、紫禁城の内部は、今も100年前も目立った差がないように思った。ときどき、紫禁城の外部の街並みや、撮影作業を手伝う中国人の姿が写っていて、これが100年の時間差を確実に感じさせ、面白かった。
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遂翁元盧に注目/白隠とその弟子たち(永青文庫)

2008-06-28 23:29:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
○永青文庫 夏季展『白隠とその弟子たち』

http://www.eiseibunko.com/

 江戸中期の禅僧、白隠慧鶴(はくいんえかく、1685-1769)は、当時衰退していた臨済宗を復興し、「五百年に一人の名僧」とまで謳われたそうだ。へえー。Wikipediaの記事を読んで、はじめて知った。私が白隠を知ったのは、むろん画僧として。山下裕二さんの美術講座がきっかけだったと思う。2004年に京都文化博物館で行われた『白隠・禅と書画』展も見に行った。このとき、一緒だった友人から「白隠の作品って、あの、早稲田のなんとか文庫にたくさんあるんだよね」と聞いた記憶がある。ふたりとも、永青文庫の名前がすぐには浮かばなかった。

 実は、永青文庫の設立者である細川護立公は、生来、病弱に悩んでいたが、白隠の著『夜船閑話』に書かれた内観法(心身のリラックス方法)によって、健康を回復し、その後、白隠の書画を精力的に集めるようになったのだという。当時は、白隠に注目する人は他にいなかったそうだ。収集の苦労と楽しみは、今回の展示資料(護立公の講演速記録など)からも、少しうかがうことができる。

 さて、白隠の描く人物は、どれも魅力的だが、とりわけ観音さまは愛らしい。『蓮弁観音図』では、蓮の花弁のゴンドラに、しどけなく寝そべる。確かに、中国でも宋代の観音像は世俗化するが、ここまで生々しく人間的ではない(と思う)。『蓮池観音図』(上記サイトに画像あり)は、よく見ると、両脚の組み方がものすごく変。人体デッサンが全然なってない。でも、切れ長の目、笑みを浮かべた小さな口元など、大切なパーツは、とことん丹精込めて描かれている。そのアンバランスさは、どこか、いまどきの美少女フィギュアに通ずるようだ。

 この展覧会は、白隠のほかに、東嶺円慈(とうれいえんじ)、遂翁元盧(すいおうげんろ)という2人の弟子も併せて紹介されている。私は、遂翁元盧の絵画に、けっこうハマった。ひとつは『蛤蜊観音図』(上記サイトに画像があるが、これは原寸大でないと、魅力が伝わらないと思う)。ハマグリからすぃ~っと上方に伸びた、観音さまの示現。谷岡ヤスジのマンガみたいにシュール。『隻履達磨図』は、迷いのない描線が小気味よい。極端に少ない線に、大胆な肥痩の別や滲みを用いて、最大限の効果を出している。小さな黒目を引き立たせるため、白目の部分に胡粉を塗っているように思う。

 なお、最近、館内が整備されて、細川護立公の蔵書の一部をガラス扉越しに眺めたり、まるでお客に招かれたように、ソファでくつろぐこともできるのは、この永青文庫ならではの愉しみである。

※本日から、ブログパーツ「対決 巨匠たちの日本美術」(提供:東京国立博物館)貼ってみました。読み込みなおすと、対決が変わります。お試しください。
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大学者の怪談好き/中国怪異譚 閲微草堂筆記(紀)

2008-06-27 23:45:39 | 読んだもの(書籍)
○紀著、前野直彬訳『中国怪異譚 閲微草堂筆記』上・下(平凡社ライブラリー) 平凡社 2008.5-6

 紀(きいん)先生(1724-1805、字は暁嵐)は、「四庫全書」の総纂官をつとめた清朝屈指の大学者。というのが妥当な紹介であるが、私にとっては、中国のテレビ時代劇『鉄歯銅牙紀暁嵐』の主人公として、あまりにも慕わしい存在である。どのくらいファンかというと、2006年に北京を旅したとき、わざわざ旧居の写真を撮りに行ったくらいだ。

 私がスカパーのCCTVチャンネルでこのドラマにハマったのは、2002年頃だったと思う。そのとき、紀先生唯一のまとまった著作『閲微草堂筆記』を手に入れたくて、本屋を探し回った。しかし、同書を収めた「中国古典文学大系」第42巻(平凡社、1971)は、どこを探しても在庫がなくて、古本屋で見つけても分売不可だったので、泣く泣くあきらめた。このたび、6年越しの念願が叶って、本当に嬉しい。

 本書は、著者が友人・親戚・下僕などから聞き集めた、めずらしい話を書き留めたものだ。その九割以上は、狐や幽霊・物の怪が跳梁する奇談・怪談である。中国の幽冥界には現世さながらの官僚制度ができあがっていて、原則的には、善根善果のバランスシートが保たれている。だから、中国の幽霊たちは、何かと義理堅いし、理屈っぽい。けれども、ときどき、そうした理屈の網の目をすり抜けるように、意味のわからない怪異譚が記録されている。これが一服の銘茶のように味わい深い。たとえば、少女に化けて、花売りから花を買う箒。ウルムチの山奥で踊っている小人。月夜に昆曲をうたう、主のない歌声、など。

 そもそも紀自身、実証を重んずる文献書誌学者の反面、怪異に親和的な体質だった。柳田國男みたいである。おっと、本書の注釈によれば、蘇軾(東坡)も怪談好きだったそうだ。本書には「私がニ、三歳のころ、五色の着物を着て金の腕輪をはめた四、五人の子供がいつも来ては、私と遊んだ」という回想で始まる一段がある。のちに父の姚安公に話すと、しばらく考えて、それは五色の糸をかけた泥人形だろう、と答えたという。また、紀は、宋学が嫌いで、人の情を解さない道学先生をたびたび、痛烈にからかっているのも面白い。

 怪談以外にも、当時の中国の社会風俗・人々の考え方を知る手がかりが、ところどころに散りばめられて興味深かった。たとえば、落穂ひろい(拾麦)は「寡婦の儲け」で、刈る人は後ろを振り向かない、なんていうのは、素朴なかたちのセイフティネットがあったんだな、とか。雲南に下って任官した夫の消息を、故郷の妻は、俗間に発行されている”紳士録”によって知ったとか(出版の社会的効用)。「後世の人はなにごとも古人には及ばないが、ただ天文学と碁だけは、昔よりも進んでいる」という文言も面白いと思った。

 ところで、巻末の「訳者解説」をよく読んだら、本書は『閲微草堂筆記』の抄訳らしい。なんだー。実は、東大総合図書館の鴎外文庫に「槐西雑志四巻」(『閲微草堂筆記』を構成する五編の著作の一)という本があって、青年期の鴎外が多くの書き入れを行っている。特に「性に関する記述が多い」ことが指摘されているので、今回、話の内容を確かめてみようと思っていたのだが、鴎外が「Sodomie」と記した段も、「所謂交接不能Impotenz」と記した段も、残念ながら本書には訳出されていなかった。訳者の前野直彬先生、柔弱にすぎる説話は嫌ったのかしら? どうなんでしょう。
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美術と情報の拠点/せんだいメディアテーク

2008-06-26 22:21:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
○せんだいメディアテーク

http://www.smt.city.sendai.jp/

 仙台でもう1箇所、見ておきたかったのがここ。公式サイトには「美術や映像文化の活動拠点であると同時に、すべての人々がさまざまなメディアを通じて自由に情報のやりとりを行い、使いこなせるようにお手伝いする公共施設」と紹介されている。仙台市博物館が、緑したたる丘陵地に抱かれているのに対して、メディアテークは、交通量の多い、オシャレな繁華街に、一見、フツーに溶け込んでいる。

 かなり個性的な建築だと聞いていたので、もっと周囲から浮いているんじゃないかと思っていたが、そうでもない。外側から見ている限りは、何も違和感を感じない。しかし、ひとたび中に入ると、やっぱり突出して個性的な建築だと思う。柱のない開放的なフロアと、エレベータや階段・構造壁・ダクトの役目をする「チューブ」の存在。詳しくは、写真つきの紹介サイトで。

 ”一見さん”の私は、はじめ、どこまで立ち入っていいのか、躊躇してしまったが、実はほとんどフリーアクセスである。2・3・4階は市民図書館。場所柄、若者の姿が多かったが、おじさん、おばさんも、すっかりオシャレな建物になじんでいる。7階では「活版サテライト」と題したミニ展示が行われていた。かと思えば、ガラス張りの会議室は、ビジネススーツの大人たちが会議に使用中。カフェあり、ショップあり、託児所もあるらしい。

 カフェ・ナディッフ(NADiff)では「アートセミナー」と題して、日本美術史の山下裕二先生の連続講座が企画されている。今週の土曜日が第1回! うわぁぁ、聴きたい…。明日(6/27)仕事がなければ、このまま週末まで仙台に居座るところなのに。

 しかも、6/27(金)から6/29(日)まで「カルチュラル・タイフーン2008」が同館で開催される。これは、カルチュラル・スタディーズにかかわる学生、研究者、表現者による一大イベント。予定されているセッションのテーマと発表者の名前を見るだけで、刺激的である。昨日の午後、1階のオープンスペースで行われていたのは、たぶんこの準備だろう。

 仙台、今の住まい(埼玉県)からは行きやすいと分かったので、今後はイベント等に、ときどきチェックを入れておこうと思う。
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伊達藩の歴史を知る/仙台市博物館

2008-06-25 23:19:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
○仙台市博物館 常設展『夏の展示』

http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/

 仕事で仙台に来ているのを幸い、仙台市博物館を訪ねた。ちょうど特別展の谷間で、常設展しか見られないのは残念だが、まず緑に覆われた広い敷地に驚いた。2階の展示エリアは、時代順に考古遺物から始まるのだが、そこは素通りして、文書(もんじょ)類に目が行く。来年の大河ドラマに登場する上杉景勝の書状が出ていた。くしゃくしゃっとした小さな字で、どの行もだらしなく右に曲がっている。なんだか武将らしくない。このほか、諸国の大名・城主から伊達家に送られたさまざまな書状があり、読めない文字が書き連ねてあるだけの地味なものだが、石田三成、前田利家などのビッグネームを見つけると、つい心が浮き立つ。

 幕末の学芸を紹介するコーナーでは、名取春仲(1759-1834、仙台藩の天文方)の『天文図屏風』(パネル展示)が興味深かった。紺地に銀泥で夜空の星をリアルに描いている。本物が見たいなあ。博物館のWebサイトでも、これとセットの『坤輿万国全図』の画像しか紹介していないのは、とても残念。

 林子平関係の資料も充実している。寛政3年刊『海国兵談』の冒頭には「千部施行」の朱色の角印が麗々しく押してあるが、実際には38部しか出版されなかったそうだ。でも、写本によって広く読まれたことは、橋口侯之介さんの『続・和本入門』で知った。写本『環海異聞』の挿絵(ロシアの風景)も面白い。また、江戸時代、東北地方はたびたび飢饉に襲われており、その資料(餓死者のスケッチ、記録書、救荒作物の研究)も豊富である。

 文書以外では、武具がものすごいインパクト。展示中の『黒漆五枚胴具足』は、細長い月形の前立が印象的で、あっ伊達政宗の兜!とすぐに思ったのだが、実は伊達家伝来品(重要文化財)とは同型の別物である。『朱皺漆紫糸威六枚胴具足』は、兜の頂に3つの顔が付いている(三宝荒神、正面は赤、他は黒※)。金目を大きくひんむき、中央の顔は舌を出す。一目見てしまったら、悪夢にうなされそうな気味悪さだ。上杉謙信所用と伝えられる。えええ~嘘ぉ~。そういえば、「竹に雀紋」って、上杉・伊達共通なんだな。

 最後に、今春、府中市博物館の『南蛮の夢、紅毛のまぼろし』を見て以来、気になっていた支倉常長資料に再会。1615年、ローマで刊行された『伊達政宗遣使録』(原文、原題はラテン語?)と、1617年のドイツ語版には、本当にびっくり。ちなみに前者、Webcatでは4大学が所蔵しているが、価値分かってるかなあ。お膝元の東北大学はリプリントしか持っていない。

 伊達政宗がセビリア市宛てに書いた書状(慶長18年=1613、和文)は、セビリア市文書館に原本が保存されているそうだ。また、ローマ教皇宛ての書状(和文とラテン語訳)もバチカン図書館にある。ヨーロッパの文化の厚み(資料を残そうという意志)って、これだから侮れない。同博物館のサイトによれば、幕末の岩倉遣欧使節団が、ヴェネツィアで常長の書状を発見したというのも感慨深い。「250年ものあいだ、慶長遣欧使節の存在は忘れ去られてしまったのです」って、そんなことがあるのか。しかし、一方、常長が獲得したローマ市公民権証書は、幸いにも、伊達藩に伝わった。下半分がきちんと整形されていない白い羊皮紙に金泥で書かれている(展示は複製)。

 以上、複製が多くて、本物のお宝はあまり拝めなかったが、歴史好きには楽しめる常設展だった。

※6/27追記。上杉謙信の三宝荒神兜は「愛染明王形兜(直江兼続の?)と双璧をなすと言われる変わり兜の名品」だそうで、食玩になったり、Tシャツになったりしているのを発見。面白い。
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歴史・時代小説の専門店/時代屋(神保町)

2008-06-22 10:41:44 | 街の本屋さん
○歴史時代書房・時代屋(神保町)

http://www.jidai-ya.com/

 久しぶりに「街の本屋さん」を語ろう。神保町に出たら、見慣れない書店を見つけた。大きな看板に「歴史時代書房・時代屋」とある。そういえば、昨年暮れ、「世の若い女性たち、戦国武将ブーム」と題した記事をネットで読んだ。その記事で、時代劇専門の書店があることも語られていたように記憶する。

 私は、読む本の大半がノンフィクションかエッセイで、小説はほとんど読まない。テレビドラマも見ないはずだった。ところが、4、5年前に中国ドラマの古装劇にハマって、日本の時代劇も面白いと思うようになった。苦手だった日本史もだいぶ分かるようになった。余談だが、最近、2000年の大河ドラマ『葵 徳川三代』の関ヶ原合戦シーンがニコニコ動画に上がっているのを見て、いたく感激している。

 そんなわけで、時代劇に関しては、まだビギナーの自覚があったので、この書店に立ち入っていいものか、ちょっと迷った。たまたま店内にいたのも、おじさん数人だけだったし。勇気を出して入ってみると、時代劇・時代小説だけでなく、本格的な学術書から、エッセイ・マンガ・図録・ムックまで、かなり幅広な品揃えであることが分かった。日本史は古代(源氏物語)から近代(東京裁判)まで。中国史もおまけで扱う。森鴎外とか、硬い文学書もあり。広い意味で、歴史関係の書籍を探すとき、使える本屋さんかもしれない。最近はどこの書店も新刊中心なので、こういう専門書店はありがたい。

 2階は「雑貨と茶屋」という表示にも、興味津々なのに、気後れして、迷ってしまった。しかし、結局、上がってみたら、さまざまな戦国武将グッズが並んでいて、楽しかった。手ぬぐい・Tシャツは、デザインに気合いが入っていて、感心した。帰りがけ、1階で、熱心に三国志の本を見ている制服姿の女子高生を発見。ほんとに若い女性も来るんだなあ。
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多様な選択肢ゆえに/女女格差(橘木俊詔)

2008-06-20 23:56:35 | 読んだもの(書籍)
○橘木俊詔『女女格差』 東洋経済新報社 2008.6

 「格差」は、家計所得の比較を基礎に論じられることが多い。すると、当然、世帯主(主たる稼ぎ手)である男性に注目が集まる。また、男女格差の問題は「ジェンダー・ギャップ」とも呼ばれて、それなりの市民権を得ている。しかし、この問題に真剣な女性たちは、得てして、女性内部の格差には目をつぶりがちなのではないかと思う。そんな状況の中、本書は「女性の間に存在する格差を明らかにする目的で書かれた」日本初の試みであるという。

 本書は、実に多くの統計データを駆使して、日本の女性たちの置かれた現状を鮮やかに示している。ほとんどページをめくるごとに表やグラフが登場し、新鮮な驚きを与えてくれるが、それらは必ずしも著者が実施したものではなく、公表データが多い。つまり、本書のような分析は「やろうと思えば誰でもできる」はずだが、公表データの「読み方」「使い方」に、著者の本領が発揮されているようだ。非常に面白いし、どこまでも「平常心」を感じさせる淡々とした文体も好きだ。あと、淡々とした文体で、けっこう大胆な推論や提言を行っているところも、お役所の統計データブックと違って、面白く読んだ。

 たとえば、妊娠・出産後の就業継続問題。公務員女性は妊娠1年後に8割強が就業を継続しているが、民間企業はずっと退職率が高い。これは、公務員の場合、出産休暇や育児休業の制度が整備されているから、というのが一般的な説明である。しかし、別の見方をすれば、民間企業の場合、子育てが終了してから再び働く女性も多い。「公務員は一度やめればなかなか復職できないので、公務員であることを保持するために継続就業率が高いのである」と言われると、全くそのとおりで、どっちが幸せなのか、よく分からなくなる。

 1987~2005年の間、未婚女性に、将来どんな人生を送りたいか(理想および予定)という質問をしたところ、いちばん比率が高かったのは、妊娠・出産後に退職→子育てに専念→子育て終了後に再就職、というライフコースだったという。出産後も働き続ける両立コースは、「理想」においては増え続けて30%に達しているものの、「予定」はまだ20%に留まる。ちなみに男性が期待する女性のライフコースも再就職コースが圧倒的に多い(専業主婦を望む男性は激減)。うーん。だとすると、いわゆる就業女性の「M字カーブ」は解消されるべきものなのか、どうか? むしろM字がもっと深くなっても(再就職口の心配をせず、子育て期に離職する女性が増えても)いいんじゃないの?

 あっと思ったのは、M字カーブの形状が、教育水準(学歴)によって異なる、という指摘。大学・大学院卒という高学歴女性は、20代では短大卒や高卒の女性より、かなり高い比率で働いている。ところが、M字の底を過ぎたあとは、それほど高い割合で再就職していない。むしろ高卒女性の有職率のほうが、急カーブで上昇する。これは、高学歴女性は高学歴男性と結婚することが多く、世帯所得が多いので、働く必要がないとか、高学歴女性でも、いったん離職すると本人が満足できるようなレベルの高い仕事を見つけられないとか、いろいろ説明方法はあるが、日本の高等教育って、ずいぶんムダになってるんだなあ、と思って、がっくりしてしまった。

 なお、女性に関する統計データに近視眼的に注目するのではなく、たとえば女性の高等教育進学率を考えるのに、戦後社会の経済成長や家庭の「暮らし向き」に目配りしたり、女性のキャリアを考えるのに、一般的に昇進を決定する要素とは何かから説き起こしている点は、本書に、含蓄と奥行きを与えている。第9章「美人と不美人」はご愛嬌。
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運慶の大日如来、そのほか(東京国立博物館)

2008-06-17 23:33:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館・本館 常設展示を中心に

http://www.tnm.go.jp/

 本館11室(彫刻)では、今年3月、ニューヨークのオークションで落札され、話題になった『大日如来坐像』(宗教法人・真如苑蔵)が公開されている。力強くて、隙のない、いい仏像である。慶派の仏像は、みなぎる力感と緊張感が魅力だが、見るからに武闘派っぽい不動明王や毘沙門天よりも、かえって静かな如来や観音像のほうが私は好きだ。全身に薄く残った金箔も、内側から出づる光のような効果をかもし出している。

 東博のサイトには、さすがに値段は載っていないけれど、みんな「12億円の仏像か!」と思って見ているのは間違いない。でも、同じ室内に飾られている『十二神将立像 未神』(これも慶派)とか、他の仏像だって、もしオークションにかけられたら、そのくらいするんだろうな。山下裕二先生が「美術館の展示品に値札をつけてみたらどうか」という提案をしていたけれど、やってみたら面白いと思う。

 2階の2室(国宝室)では『華厳宗祖師絵伝』(高山寺蔵)の「元暁絵」を展示中。めずらしい。同絵巻は、華厳宗の2人の高僧の事跡を絵にした「義湘絵」と「元暁絵」から成る。最近、よく出るのは、留学僧の義湘に恋した善妙が、龍に変身するドラマチックな「義湘絵」で、私もこっちのほうが好きだ。しかし、縹渺とした味わいのある「元暁絵」もなかなかいい。

■参考:月刊京都史跡散策会 第5号「華厳宗祖師絵伝」
http://www.pauch.com/kss/g005.html#emaki

 続く3室(仏教の美術)は、どうやら北野天神絵巻の小特集らしい。弘安本の甲巻・乙巻(胸もあらわに、緋の袴で託宣する巫女の姿あり)に加えて、別の断簡には、口から瞋恚の火を噴く恐ろしい天神像が描かれている。また、『後三年合戦絵巻』にも注目。色彩のカスレ具合が、鮮血の流れる合戦シーンを、どぎつさから救っている。『北野天神絵巻』(承久本)や『当麻曼荼羅縁起絵巻』と同様、料紙を縦長に継いでいるので、妙にデカい絵巻である。

■参考:北道倶楽部:武士の発生と成立「奥州後三年記」に見る義家像
http://www.geocities.jp/ktmchi/rekisi/cys_43_20.html

 16室(歴史資料)の特集陳列『日本を歩く-奥羽・東北-』には、『後三年合戦絵巻』の明治時代の模写が出ていることも付け加えておこう。今回、16室は、あれもこれも詰め込みすぎて、ちょっと散漫な印象。

 心ひかれたのは、8室(書画の展開)に進んで、狩野常信筆『龍・鳳凰・麒麟図』の三幅対。中央の龍の顔が、小言を言いたそうな老人に見えて、先日、京都国立博物館で見た『李白観瀑図屏風』の李白を彷彿とするのである。同じ作者かな?と思ったら、『李白観瀑図』の狩野尚信は常信のお父さんだった。なるほど。
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真犯人?/暗殺・伊藤博文(上垣外憲一)

2008-06-16 23:59:01 | 読んだもの(書籍)
○上垣外憲一『暗殺・伊藤博文』(ちくま新書) 筑摩書房 2000.10

 先週末は、ワケあって東京の家に帰っていた。私が2001年の春まで住んでいた家で、それ以前の蔵書が書棚に並んでいる。所在なく背表紙の列を眺めていたら、本書に目が留まった。あれ、こんな本読んだっけ?と記憶を探りながら、最初の数ページをたどり始めた。面白い。けれども一向に記憶はよみがえってこない。

 奥付を見ると2000年の発行である。だとすれば、私が東アジアの近代史に興味を持ち始めた、非常に早い時期の本になる。日本が韓国を併合したことも、伊藤博文が韓国統監府の初代統監をつとめたことも、分かっていたかどうか。まして、閔妃暗殺の真相とか、暗躍する内田良平と黒龍会とか、複雑怪奇な外交政治の裏面史が、素養もなしに理解できるわけがない。私はこの本、かつて読もうと試みて、途中で投げ出したのではないかと思う。

 しかし、今回は面白かった。むちゃくちゃハマった。1909年、ハルビン駅頭で、韓国人の独立運動家・安重根に暗殺されたとされる伊藤博文。しかし、「安重根が狙撃につかったのはブローニングの七連発の拳銃であったが、伊藤に命中した銃弾は、フランス騎馬銃のものだった」という説がある。

 実は、伊藤は韓国併合に反対し、韓国の歴史・慣習を尊重した統治を行おうと苦慮していた(それでも韓国国民の激しい抵抗に直面し、最後は匙を投げたかたちになってしまったが)。日韓併合を足がかりに満州進出をたくらむ右翼、軍部からすれば、伊藤の優柔不断外交は許しがたいもので、「萬朝報」などは、公然と伊藤暗殺やむなしとする論調を掲載している(ええー!!)。そうした状況証拠から、著者は、伊藤暗殺の首謀者は明石元二郎、実行犯は朝鮮人の憲兵隊補助員、そして玄洋社の杉山茂丸、山県有朋も謀略にかかわっていたと推論する。うーむ、面白すぎ。どこまで信じていいのやら。いちおう眉唾つけておこうと思う。

 でも、私は伊藤博文というジイさんが、わりと好きなのである。本書には、伊藤公が「明治の元老の中でも、もっとも優れた文学に対する感受性の持ち主」であったこと、漢詩を能くし、義太夫に感激して泣いたエピソードなど、感慨深いものが多かった。かなりのスケベおやじであったらしいが、許す。倫理的にガチガチの硬派よりは、色好み宰相のほうが(基本的に戦争嫌いで)大きく国を誤らないのでいい。でも、伊藤はツメが甘くて、結局、小才子の陸奥宗光らの暴走を許してしまい(日清戦争の開戦)、その尻拭いに苦労している。大久保利通のような大人物なら陸奥を使いこなせたろうが、伊藤には大久保ほどの器量がない、という勝海舟の評言も、キビしいなあ、と思いながら、切ない微笑を誘われる。

 伊藤と同様、日本が東アジア諸国と協調路線を取ることの利を説いていた明治人に勝海舟、谷干城がいる。特に勝海舟が、中国という国は剣や鉄砲の戦争は下手でも「経済上の戦争にかけては、日本人は、とてもシナ人に及ばないだろう」と説いているのは、まるで今日を見透かしたようだと思った。

 伊藤暗殺百年後の2009年は来年に迫っている。「日韓で率直にこの事件を語り合う催しができたなら」という著者の願いに大いに賛同しておきたい。それでこそ、伊藤公も瞑目できるというものだろう。
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