○印刷博物館 企画展示『デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック』
http://www.printing-museum.org/index.html
会場入口の扉が開くと、気のせいか、明るく暖かい空気に包まれる。明るい色彩、単純明快なデザインを特徴とする、1950年代の商品広告は、どれも生活する喜びに満ちている。
1950年代のグラフィックといわれても、生まれてないし――はじめ、全くイメージが湧かなかった。しかし、来て見てみれば、何のことはない、その後も私たちの生活の一部となってしまったデザインが数多くある。たとえば、不二家のミルキー(1953年)、内田洋行のマジックインキ(1951年)、輪ゴムのオーバンド(1951年)など。三越(1950年)や丸善(1952年)の包装紙も変わっていない。今では見なくなってしまったが、雪印のカップ型アイスクリーム(1959年)や明治コーヒーキャラメル(1955年)も懐かしかった。
「暮らしの手帖」は、母の愛読誌だった。個性的な誌面デザインは、子供心に強く印象に残っている。絵本の挿絵みたいな、森永ミルクキャラメル、明治ミルクチョコレートの広告も、雰囲気だけは、記憶がよみがえるような気がした。逆に(当たり前だが)さすがに全く記憶にないのは、お酒や煙草の広告。ビールの広告はどれも楽しいが、仕事を終えたサラリーマンたち(制服姿の女性事務員もいる)が、職場で仲良く一杯というポスター(サッポロビール)は時代を感じさせる。「今日も元気だ、タバコがうまい!」も、ありえないよなあ。
気をつけていると、ときどき、思わぬ名前に出くわす。え、三越の包装紙って、猪熊弦一郎のデザインなのか。横尾忠則が松下電器のポスター(皇太子ご結婚慶祝番組!)をデザインしていたり、灘本唯人が地元の山陽電鉄のポスターを描いていたりする。ほかにも、杉浦康平、原弘、田中一光など、一般人の私でも、名前くらいは知っている、有名グラフィックデザイナーが多数。しかし、こうしてキャプションつきで展示されなければ、誰の作品か、全く分からないだろう。商業・広告デザインというのは、そういうものだ。
特に1950年代というのは、そういう時代だった。デザイナーたちは、人々の生活を明るく豊かにするために、さまざまなデザインの名作を生み出したけれど、そこに自分の「名前」を差し挟むことは二の次だったように思う。
ふと会場内で、印刷博物館が2002年に実施した企画展示『1960年代グラフィズム』のカタログを見つけた。パラパラとめくってみて、あまりの雰囲気の違いに、私は絶句してしまった。上記リンク先の、企画趣旨に言う、「経済成長のなかで、ものや情報があふれるようになり、他と区別し人々により強い印象を与えるためにグラフィック・デザインの果たす役割が大きくなっていきました」と。1960年代のデザインは、とにかく「自己主張」なのである。署名はなくても、画面全体が「ヨコオ・タダノリ」と叫んでいたりする。
再び会場内を見渡すと、1950年代のデザインの、なんとふんわりと暖かく、やさしいことか。どちらがいい・悪いという問題ではない。でも、1950年代と60年代の間って、何か、とても大きな断層があるような気がした。なお、個人的に、いちばん1950年代っぽいグラフィックデザイナーとしては、大橋正をあげたいと思う。
http://www.printing-museum.org/index.html
会場入口の扉が開くと、気のせいか、明るく暖かい空気に包まれる。明るい色彩、単純明快なデザインを特徴とする、1950年代の商品広告は、どれも生活する喜びに満ちている。
1950年代のグラフィックといわれても、生まれてないし――はじめ、全くイメージが湧かなかった。しかし、来て見てみれば、何のことはない、その後も私たちの生活の一部となってしまったデザインが数多くある。たとえば、不二家のミルキー(1953年)、内田洋行のマジックインキ(1951年)、輪ゴムのオーバンド(1951年)など。三越(1950年)や丸善(1952年)の包装紙も変わっていない。今では見なくなってしまったが、雪印のカップ型アイスクリーム(1959年)や明治コーヒーキャラメル(1955年)も懐かしかった。
「暮らしの手帖」は、母の愛読誌だった。個性的な誌面デザインは、子供心に強く印象に残っている。絵本の挿絵みたいな、森永ミルクキャラメル、明治ミルクチョコレートの広告も、雰囲気だけは、記憶がよみがえるような気がした。逆に(当たり前だが)さすがに全く記憶にないのは、お酒や煙草の広告。ビールの広告はどれも楽しいが、仕事を終えたサラリーマンたち(制服姿の女性事務員もいる)が、職場で仲良く一杯というポスター(サッポロビール)は時代を感じさせる。「今日も元気だ、タバコがうまい!」も、ありえないよなあ。
気をつけていると、ときどき、思わぬ名前に出くわす。え、三越の包装紙って、猪熊弦一郎のデザインなのか。横尾忠則が松下電器のポスター(皇太子ご結婚慶祝番組!)をデザインしていたり、灘本唯人が地元の山陽電鉄のポスターを描いていたりする。ほかにも、杉浦康平、原弘、田中一光など、一般人の私でも、名前くらいは知っている、有名グラフィックデザイナーが多数。しかし、こうしてキャプションつきで展示されなければ、誰の作品か、全く分からないだろう。商業・広告デザインというのは、そういうものだ。
特に1950年代というのは、そういう時代だった。デザイナーたちは、人々の生活を明るく豊かにするために、さまざまなデザインの名作を生み出したけれど、そこに自分の「名前」を差し挟むことは二の次だったように思う。
ふと会場内で、印刷博物館が2002年に実施した企画展示『1960年代グラフィズム』のカタログを見つけた。パラパラとめくってみて、あまりの雰囲気の違いに、私は絶句してしまった。上記リンク先の、企画趣旨に言う、「経済成長のなかで、ものや情報があふれるようになり、他と区別し人々により強い印象を与えるためにグラフィック・デザインの果たす役割が大きくなっていきました」と。1960年代のデザインは、とにかく「自己主張」なのである。署名はなくても、画面全体が「ヨコオ・タダノリ」と叫んでいたりする。
再び会場内を見渡すと、1950年代のデザインの、なんとふんわりと暖かく、やさしいことか。どちらがいい・悪いという問題ではない。でも、1950年代と60年代の間って、何か、とても大きな断層があるような気がした。なお、個人的に、いちばん1950年代っぽいグラフィックデザイナーとしては、大橋正をあげたいと思う。