見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2018ほぼ三月尽

2018-03-30 23:37:06 | 食べたもの(銘菓・名産)
今日は三月尽の1日前の金曜日。年度末の出勤は今日で終わり。週末を挟んで新年度である。

職場の近所の小学館本社ビルの1階にある「mi cafeto(ミカフェート)一ツ橋店」の「校了弁当」(小)。



多くの編集部が入る小学館ビルにあることから、この名前をつけたのだという。本来、固有名詞ではなくて、編集業界には、こういう習慣があるのだそうだ。初めて知った。

本の街、神保町らしくていい名前。

さて、週末は関西の桜を見に行ってくる。今年の東京は、ほんとにいい桜でした。
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新しい?懐かしい?/雑誌・BRUTUS「台湾」

2018-03-29 21:58:04 | 読んだもの(書籍)
〇雑誌『BRUTUS』2018年4/10号「101 things to do in 台湾. 増補改訂版」 マガジンハウス 2018.4

 おや、台湾特集だ、と思って購入した。台湾には十数年前に旅行して以来、久しく行っていなかったのだが、一昨年の春、昨年の冬と続けて行ってみたら、もっと気軽に行ってもいいところだな、ということが分かった。まだ台北周辺と台南しか行ったことがないので、次回はぜひ他の都市も訪ねてみたいと思っている。そういう点では、表紙の大きな「台湾」の文字の下に「台北/台中/台南/高雄/墾丁/太魯閣/花蓮」と、さまざまな都市と地方の名前が並んでいることに惹かれた。実際には台北・台南の情報が八割というところか。嘉義の情報がないのが残念である。

 雑誌『BRUTUS』といえば、2017年7/15号の「台湾」特集の表紙をめぐって、大きな反応があったことが記憶に新しい。

※参考:『BRUTUS』台湾特集表紙問題:台湾人が不満を感じた理由(nippon.com)(2017/08/16)

 表紙は台南の有名な美食街である「国華街」の写真だった。上野や浅草を思わせる、レトロで庶民的な下町の風景。たぶん日本人の大多数が感じる台湾の魅力を、うまく表した写真だと思う。しかし台湾では「これが台湾を代表する風景なのか?」「もっとステキな台湾がある」という論争が起きた。素敵なのは、これで『BRUTUS』がボイコットされたわけでなく、それぞれが思う「台湾で一番美しい光景」の写真を使い、雑誌『BRUTUS』の表紙ふうに加工して、SNSに投稿する動きがあっという間に広まったのだ。日本人からの投稿もあった。今でも「#BPUTUS」のタグで、その作品の数々を閲覧することができる。台湾、愛されているなあ。編集者も嬉しかったことだろう。

 そして今号は、2017年の反応を踏まえた「増補改訂版」なのである。表紙は、前号と同じ町、同じ場所の風景を夜景(照明がつき始めたたそがれ時)にしているそうだ。私は前号を持っていないので、ネットで見比べて、なるほど巧いなあ、と思った。しかも裏表紙の内側見開きには「BPUTUS」の160種類、タイルを敷き詰めたように掲載されている。「謝謝台湾」の文字が、編集者と読者のつながりを感じさせて、なんだか温かい気分になる。

 肝心の記事であるが、やっぱり花蓮、台中、台東などに行きたい。花蓮はタイル貼りのかわいい駅舎。台中の「オールドスタイルサンドイッチ」って、十数年前は台北の駅前でもふつうに売っていたやつだなあ。台東は米どころで、關山(関山)駅は「駅弁の聖地」なのだそうだ。台北は、台湾料理だけでなく、雲南料理、陝西料理、貴州料理など、中国各地の料理を食べ歩くこともできるんだな。

 今年も一度は台湾に行こうと思っている。ゴールデンウィークでもいいんだけど、できれば秋冬が狙い目。
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2018ご近所・門前仲町の桜

2018-03-28 20:54:20 | なごみ写真帖
自分のブログをざっと探してみたら、2016年は吉野と大阪の桜、2014年は金沢文庫の桜、2012年は京都と東京の桜の写真をUPしている。なぜ2年置きかというと、このところ2年周期で転勤を経験しているためだ。転勤のある年は、落ち着いて桜など見ていられない。去年の春もそうだった。

今年はありがたいことに何もない年まわりである。東京の春は例年より早く、安定した天気が続いている。そして、去年引っ越してきた門前仲町の周辺は、驚くほど桜が多い。私はこれまで、桜という木は公園とか学校とか特別な場所にあるものだと思っていたのに、商店街の並木がふつうに桜だったりする。

近所の越中島橋とその周辺。これは朝の風景。







これは夜の風景。「お江戸深川さくらまつり」のクルーズ船は夜桜コースもあって、さっきも窓の下を船が通っていった。



桜の枝越しの月。



この時期は多少の騒音も許す。春に桜さえあれば、どんなことでも我慢できる。
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フランドル絵画の宇宙/ブリューゲル展(東京都美術館)

2018-03-27 22:55:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京都美術館 特別展『ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜』(2018年1月23日~4月1日)

 16、17世紀のヨーロッパにおいてもっとも影響力を持った画家一族のひとつであったブリューゲル一族の作品と、同時代のフランドル絵画約100点を展示する。最も著名はピーテル・ブリューゲル1世(父)のほか、ピーテル・ブリューゲル2世(子)、ヤン・ブリューゲル1世(父)、ヤン・ブリューゲル2世(子)、さらに次の世代の画家たちも紹介されている。

 私はフランドル絵画の奇怪な空想が好きなので、ピーテル・ブリューゲル1世の下絵によるエッチング『最後の審判』や『最後の戦い』は堪能した。サカナやフクロウの怪物、大好きだ。小品だが、会場がそんなに混んでいなかったので、近くでじっくり眺めることができた。ヤン・マンデインという画家の油彩画『キリストの冥府への降下』はヒエロニムス・ボスの地獄絵風。暗闇の中で真っ赤な炎が燃え、怪物が空を飛ぶ。錫杖(いや杖)を持ったキリストが光に包まれながら降下してくるのだが、印を結ぶような手つきといい、地蔵菩薩っぽかった。ファン・クレーフェの『バベルの塔』など、フランドル絵画は、いくつかのモチーフを共有して、繰り返し作品化している。

 自然の風景を描いた作品は、やはりモチーフの共有なのか、写生なのか、よく分からないが、とにかく美しい。フランドル絵画には「緑」をあまり感じない。地面は茶色く、深い緑陰は黒に近い。そして遠方の森と山並みは限りなく青に近い。このはっきりした色彩感が、現実のフランドルの自然を知らない私には、とても幻想的に見える。またヤン・ブリューゲル1世、2世には、紙にインクで描いたスケッチ画が多数残っていて、とても素敵だった。

 ヤン・ブリューゲル1世、2世には『ノアの箱舟への乗船』や『地上の楽園』をモチーフにした寓意的な油彩画も描いた。長いたてがみの白馬をはじめ、つがいの鳥や動物たちが仲良く集っている。『ルドルフ2世の驚異の世界』展で見た絵画に似ていると思ったが、あちらはルーラント・サーフェリーの作品だった。

 花の静物画も多数展示されていた。花の種類はよく分からないので、花瓶や花籠に注目して見ると面白かった。ヤン・ファン・ケッセル1世の『蝶、カブトムシ、コウモリの習作』2点は、どちらも大理石に油彩で描いたもの。本物の蝶やトンボを大理石に貼り付けたのかと思うほど、真に迫っている。

 最後に農民たちの生活風俗を描いた作品群。本展の目玉である、ピーテル・ブリューゲル2世の『野外での婚礼の踊り』(個人蔵)が来る。これもピーテル・ブリューゲル1世以来、繰り返し描かれている作品だ。男も女も慎みを忘れて、乱痴気騒ぎの楽しみ。この作品もそうだが、本展の出品作は、ほぼ全て「個人蔵」であることに驚く。一体どなたの持ちもの?
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戦乱を生き抜いて/顔氏家訓(顔之推)

2018-03-26 23:54:18 | 読んだもの(書籍)
〇顔之推著;林田愼之助訳『顔氏家訓』(講談社学術文庫)講談社 2018.2

 最近読んだ井波律子氏の『中国名言集』に『顔氏家訓』から採られた語句があった。「積財千万、薄伎の身に在るに如かず」(千万の財産よりも、ささいな芸が身を助ける)と「飽くを求めて而も営饌を懶(おこた)る」(満腹したいのに料理の準備を嫌がる)というもので、分かりやすいことばで、うまいことを言うなあと笑ってしまった。

 折しも新訳版の本書が文庫で出ていたので買ってしまった。まあ難しかったら、途中で投げてもいいやという気持ちで読み始めたのだが、意外に面白かった。『顔氏家訓』は6世紀末、わが国でいえば聖徳太子の命をうけた小野妹子が遣隋使となって中国に渡った時代、学者・官僚として生きた顔之推(がん・しすい)が、子孫のために残した家訓書である。この「家訓」というタイトルがよくない。「~すべし」「~するな」という問答無用の教訓が延々と並んでいるにちがいない、と思わせる。確かに教訓は並んでいるのだが、問答無用ではなく、顔之推がなぜそのように考えるに至ったか、具体的な体験や見聞が添えられている。これが随筆か説話集のようでとても面白い。日本の文学でいえば『徒然草』の趣きがある。

 特に前半の「教子篇」「兄弟篇」「後娶篇」など家族関係にかかわる教えが面白い。子供の躾は早い方がいいとか、父と子はあまり馴れ親しまないのがいいとか、兄弟の妻どうしには争いが起こりやすいとか、人情は変わらないものだということが分かる。

 作者の顔之推は、現代の基準から見ても中庸を得た常識人である。礼儀は重んじるが、やりすぎは好まない。当時は別離や服喪の際に涙を流すことが礼儀のひとつだったが、「生まれつき涙が少ない人もいる」と言って恬淡としている。親の命日は来客の応接を避けることになっていたが、悲しむことができるなら「奥深く閉じこもることもあるまい」と言う。本書には「文章篇」や「書証篇」があるほどの学者なのに、実務知らずの文士は繰り返し罵倒されている。書物を読んで高慢になるくらいなら「無学であったほうがまし」という発言さえある。経書や緯書しか読まない儒学者は軽蔑の対象で、「雑多な書を読め」「農耕の苦労を知れ」と言われている。

 本書には「南方では~だが、北方では~だ」という比較がしばしば見られる。巻末の評伝によれば、顔之推は南朝の梁の武帝時代に長江中流域の江陵(荊州)で生まれたが、北方異民族の西魏の侵攻に遭い、多くの士大夫、民衆とともに虜囚として長安に連れ去られた。その後、顔之推は北周を経て、北斉の臣下として重用されるようになる。こういう経験があればこそ、江南では婦女子はほとんど外で交際をしないが、北方では家庭はもっぱら主婦が守り、外では訴訟や子供の就職活動も行うなど、南北の生活風俗の違いに通じているのだろう。

 そして、全く異なる二つの文化世界を知り、激動の戦乱の時代をくぐりぬけたことが、多様性に対する寛容さや、人間の本質を見極める洞察力を生んだのではないかと思う。北方の胡人は錦を見て、それが虫が木の葉を食べて吐いた糸でつむいだ織物だとは信じないとか、南方の人は、いちどに千人も収容できるフェルトの天幕が北方にあるとは信じないという。巧みなレトリックのようだが、実際に南北世界を経験した顔之推の言葉だと思うと含蓄に富む。ちなみにこれは、仏教はでたらめだという人々に対する反論として述べられている。

 「生命は惜しまなければならないが、いたずらに惜しんではならない」というのも、生きながらえることを望んで果たせず、ただ辱しめを受けてしまった人々を見てきてこその言葉である。作者の背景を知って読みかえすと、味わい深い記述があちこちにある。
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幻術の中の真実/映画・空海-KU-KAI-美しき王妃の謎

2018-03-25 23:29:19 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇陳凱歌(チェン・カイコー)監督『空海-KU-KAI-美しき王妃の謎

 久しぶりに映画を見に行った。原作は夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』である。読んでいないけど、夢枕獏と聞けば、ミステリアスで奥の深いファンタジーだろうと思っていた。また本作品は日中合作であるが、中国語の原題が『妖猫伝 Legend of the Demon Cat』で、見た人たちから「これは猫映画」「猫好きなら泣ける」という感想が流れていることも知っていた。だから、だいたい予想どおりの内容で(予想より少しホラー風味が強かったが)満足できた。一方、映画評を見ると、史実に忠実な「空海伝」だと思って見に行って、期待を裏切られた人たちがたくさんいるのは残念である。マーケット戦略に問題があったと思う。

 当初、日本語吹き替え版の上映しかなかったのも、中華エンタメ好きを落胆させた。しかし、どういうわけか今週末から「インターナショナル版」(中国語音声・日本語字幕版)も上映されることになったと聞いたので、それじゃあ見に行くかと腰をあげた。ところが、土曜日、私は間違えて吹き替え版しか上映のない映画館に行ってしまった。悔しいので、今日は別の映画館で字幕版も見てきた。思わぬことで、吹き替え版と字幕版の比較ができることになった。

 私は、こういう歴史背景のある中国映画は字幕版のほうが分かりやすいと思う。人名や官職名を音で聞いてもすぐに把握できないのだ。春琴や玉蓮など、よくある女性名はともかく、前半の重要な役である陳雲樵(チンウンショウ)はなかなか文字が想像できなかった。陳雲樵の官職「キンゴエイ」は禁軍のことだろうと想像できたが、字幕版を見るまで「金吾衛」の文字が出なかった。白楽天の職名「キキョロ」は「起居」だけ分かったが「ロ?」と思ったら「起居郎」だった。等々、とにかく字幕版のほうがストレスが少ない。

 唐の貞元20年(804)日本の沙門・空海は留学僧として長安に赴く。翌年早々、皇帝(徳宗)が崩御。金吾衛の統領・陳雲樵の周辺にも奇怪な事件が相次ぐ。徘徊する、ものいう黒猫。空海は、長安で知り合った白楽天(白居易)とともにその謎を追う。陳雲樵の父・陳玄礼は、かつて玄宗に仕え、馬嵬で楊貴妃の死を要求した反乱兵士の親玉だった。そのほかにも楊貴妃の死にかかわった人々が、次々不審な死を遂げる。空海は、同国人・安倍仲麻呂の日記を手に入れ、ついに楊貴妃の死の真相を知る。

 思慮深く落ち着いた空海と、熱血漢でロマンチストの白楽天という、対照的な青年コンビがとてもいい。染谷将太くんは丸い頭のかたちと大きな目が、見事に空海の肖像画そのままである。いつもふわふわした微笑みを浮かべているのに、危機に臨むと厳しい表情になる。黄軒(ホワン・シュアン)の白楽天は、国民的大詩人の青年時代は、きっとこんなふうだったろうと妙に納得できた。白楽天も字幕版のほうがいい。吹き替えの高橋一生は好きな俳優さんだが、このキャラにはちょっと合わない。なお、私は原作を読んでいないのだが、調べたら、原作では空海の相棒は橘逸勢らしい。じゃあ、相棒を白楽天にしたのは映画版の改変なのだろうか。いい改変である。密教の奥義を求める青年僧侶と詩人をめざす青年の、国境を超えたコンビって、かなり魅力的だ。

 行動力に富んだ、若い二人の眼前に展開する長安の風景は、時にリアルで時に幻想的だ。宮城、下町、飯屋、妓楼、寺院、安アパートみたいな白楽天の部屋、そして廃墟、陵墓の玄室。物語は、30年前の盛唐の世、玄宗皇帝の治世にも自由に行き来する。玄宗と楊貴妃が花萼相輝楼に開催した極楽の宴。無国籍で、豪華絢爛なイリュージョンの数々。ありえないだろうと思いながら、あるかも、と思ってしまうのが映画の不思議である。

 極楽の宴で、幻術使いの黄鶴の弟子、白龍と丹龍という二人の少年は、はじめて楊貴妃に出会う。楊貴妃の気品ある優しさに触れ、深く心を動かされる白龍。これが『琅琊榜之風起長林』の平旌(ピンジン)役だった劉昊然(リュウ・ハオラン)くん。ドラマは吹き替えだったので、声が違うことに少し戸惑った。日本語吹替え版の東出昌大のほうが、むしろ合っていたと思う。

 安倍仲麻呂を阿部寛という配役はちょっと解せない。もう少し文雅の才子ふうがよかった。玄宗役の張魯一は知らない俳優さんだったが、食わせ者らしくてよかった。幻術使いの瓜売りを演じた成泰燊は『琅琊榜之風起長林』の墨淄侯か!言われてみれば。そして、ジャ・ジャンク―の映画『世界』に出ていたこともネットで調べて知った。また、楊貴妃の美貌に説得力がないと、この映画は成り立たないのだが、張榕容さんきれいだった。聡明な大人の女性で、私が楊貴妃に抱いているイメージとは全く正反対だったが、この物語には適役。台湾人とフランス人のハーフなのも「半分は胡人の血」という設定に合う。あと黒猫。おおむねCGなのだろうけど、表情豊かで、しかも自然。原版の配音(吹替え)は張磊という声優さんらしい。

 物語の中盤で、幻術使いの瓜売りの男のもとに赴いた空海が「幻術について知りたい」と問うと、男が「幻術の中にも真相がある」と述べる場面がある。字幕は「幻術にも仕掛けがある」になっていて、吹き替え版も同じだったが、中国語で「真相」という発音が聞こえた。ここは「真相」でなければ駄目だろう。幻想、怪異、子供だましのファンタジー、あるいは芸術でも宗教でも、まがいものの皮膜の下に何がしかの「真相」がある。映画全体のテーマにかかわるメッセージと私は受け取った。

 なお、実はYoutubeには、本作の中国語音声+中国語字幕版が流れている。画面が小さくて迫力に欠けるが、物語を味わうには、これがいちばんいいかもしれない。
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ベラスケスを楽しむ/プラド美術館展(国立西洋美術館)

2018-03-24 23:51:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立西洋美術館 日本スペイン外交関係樹立150周年記念『プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光』(2018年2月24日~5月27日)

 スペイン王室の収集品を核に1819年に開設されたプラド美術館のコレクションから、ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)の作品7点を軸に、17世紀絵画の傑作など61点を含む70点を紹介する。私は西洋美術の中では、むかしからスペイン美術が大好きなので、会場に入ったとたん、何とも言えない安らぎを感じた。

 会場は「芸術」「知識」「神話」「宮廷」「風景」「静物」「宗教」「芸術理論」の8部構成であるが、この構成の意味はあまりよく分からなかった。最初の部屋には黒服の男性の肖像が数点並ぶ。ベラスケスの『ファン・マルティネス・モンタニェースの肖像』は彫刻家の肖像。リベーラの『触覚』は、目しいたような初老の男性が彫像の頭部をまさぐっている。背景も服装も簡素で、ほとんど色彩がない。ほぼモノトーンの画面の中で、像主の顔の部分だけに光が当たり、薄暗い室内に浮かび上がる。この感じ! この光と影が好きなのだ、私は。

 続くセクションにあった『メニッポス』もそんな感じの肖像画である。簡素な背景、茶色い帽子をかぶり、黒っぽい外套で全身を覆った初老の男性が振り向いており、その顔にだけ光が当たっている。古代ギリシャの哲学者を(たぶん)当時の民衆の姿で描いているのが面白い。ベラスケスは『マルス』も来ていた。妙にだらしない中年男の肉体をした軍神マルス。確か会場の解説ボードには、くつろぐ軍神を描くことで逆説的にスペインの平和を寿いだ、という説が紹介されていたが、図録によれば、内外に山積する問題に疲れ切った国王、疲弊するスペインという解釈もあるそうだ。

 ベラスケス『狩猟服姿のフェリペ4世』は特徴的すぎる風貌だが、簡素な狩猟服が好ましい印象を与えている。スペイン宮廷の人々を描いた肖像画はどれも一癖あって面白い。ベラスケスには、宮廷に仕える障害者を描いた作品群があることは知っていたが、今回、その一例『バリューカスの少年』が来ていた。ベラスケスは、その障害(短躯)を隠さないが、特に強調もしていないので、ふつうの少年のように見えるが、解説によれば知的障害が窺えるとのこと。

 本展の目玉は『王太子バルタサール・カルロス騎馬像』で、少年の理想像のような凛々しさと愛らしさを描く。17歳に足らずして夭折した王太子だが、成長したら、父のフェリペ4世の風貌を受け継いでいたんだろうか。冷たく澄んだ青い風景にも注目。本作は「風景」のセクションに分類されている。

 ベラスケス以外の注目作品としては、ビセンテ・カルドゥーチョに帰属という『巨大な男性頭部』。タイトルそのままの作品で、現物を目の前にしたときは呆気にとられた。大仏の仏頭くらいあると思う。ベラスケスの道化や倭人像が掛けられていた「道化たちの階段」の近くにあったらしいが、何を意味していたのか謎である。

 デニス・ファン・アルスロート『ブリュッセルのオメガングもしくは鸚鵡の行列:職業組合の行列』(油彩画)は、横長の画面に、整列して広場をジグザグに行進する人々を小さく描き込んだ、まるで日本の洛中洛外図屏風みたいな作品。近代絵画かな?と思ったら、1601年の作で驚いた。行進するのは、黒いつば広帽子、短めの黒マント、白い飾り襟の男性たち。ざっと千人くらいいる。この絵が詳しく見たくて図録を買ってしまったのだが、拡大図版で見るとさらに面白い。行進は男性ばかりだが、見物には女性も混じっている。広場のまわりの建物の窓からのぞいている女性も多い。子供や物乞いも描かれている。これはほんとに洛中洛外図みたいだ。

 物販コーナーでは図録と一緒にスペインのお菓子ポルボロンを見つけて購入した。むかし、カトリック系の女子高で非常勤の教員をしていたとき、修道女さんからいただいて覚えたお菓子なのである。



 プラド美術館、ゆっくり行ってみたいなあ。たぶん一日いても全然飽きないと思う。
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小堀遠州の奇麗さび/寛永の雅(サントリー美術館)

2018-03-22 23:08:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『寛永の雅(みやび):江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』(2018年2月14日~4月8日)

 冒頭のパネルに「みなさんは寛永(1624-1644)と聞いてどんなイメージを持つでしょうか?」的な呼びかけの一文があった。私が最初に思い出すのは「寛永御前試合(1932)」で、柳生十兵衛(1607-1650)や荒木又右衛門(1599-1638)などの剣豪が活躍し、島原の乱(1637-1638)が起きるなど、まだ戦国の剛毅で殺伐とした空気が残る時代、というイメージだった。

 それが、本展の解説によれば、江戸幕府が政権を確立すると泰平の時代が訪れ、文化面では「きれい」という言葉に象徴される瀟洒な造形を特徴とし、古典復興の気運と相まって、江戸の世に「雅」な世界を出現させることとなったという。へええ、そうなのか。小堀遠州とか野々村仁清とか狩野探幽の活動を知らなかったわけではないが、ちょっとイメージのギャップにとまどった。

 冒頭には、野々村仁清の『白釉円孔透鉢』(MIHOミュージアム)。これは以前にも見たことがあって、きれいというより、大胆な造形に驚いた記憶がある。その次の瀬戸肩衝茶入(銘:飛鳥川)(湯木美術館)は美しかった。かたちもよく色もいい。とろけるように色っぽくて品がある。小堀遠州が追求した「奇麗さび」の結晶のような茶入である。次に狩野探幽の『桐鳳凰図屏風』。サントリー美術館自慢の逸品である。

 寛永文化は後水尾院(1596-1680)と文化人たちのサロンを中心に興った。まず、後水尾天皇の中宮となった和子の入内を描いた『東福門院入内図屏風』(徳川美術館、17世紀)を展示。あまり記憶にないもので、人物が大きめに描かれていて面白かった。後水尾院の宸翰各種。古典復興をめざして制作された住吉如慶の『源氏物語画帖』など。品があって愛らしい。今の日本人が「古典文化」とか「宮廷文化」と聞いて思い浮かべるものと、後水尾天皇の美学は、かなり合っている気がする。一方で、ちょっと個性的だったのは、大きな小袖一枚を貼り付けた『小袖屏風』(歴博所蔵)。2点出ていて、どちらも目を引いた。

 続いて小堀遠州ゆかりの茶碗・茶入各種を一堂に展示。あとでよくリストを見たら、北村美術館、湯木美術館、根津美術館など茶の湯コレクションに定評のある美術館はもちろん、個人蔵も多く含まれていた。特に茶碗は、瀬戸、高取、膳所、染付、祥瑞、高麗などバラエティに富んでいた。前代に比べて、格段に物の豊富な近世に入ったんだなあという実感がわいた。ちなみに私は光悦の膳所茶碗(乳牛みたいな白黒まだらの)がとても好き。

 次に野々村仁清。仁清が仁和寺前に御室窯を開くにあたって、指導者的な立場にあった茶人が金森宗和(1584-1656)で、初期の仁清は「宗和好み」の「落ち着いた色調と、独創的かつ洗練された造形を持つ作品」を焼いていた。冒頭の『白釉円孔透鉢』もそのひとつである。それが、宗和の死後、華麗な色絵陶器に変貌を遂げる。私もそうだが、多くの人にとって「仁清」のやきものは後者のイメージだろう。本展には『色絵紅葉賀図茶碗』『色絵鴛鴦香合』など、仁清らしい色絵作品とともに、『信楽写兎耳付水指』のような造形的にとがった作品もあって、面白かった。

 最後に狩野探幽。静岡県立美術館の『瀟湘八景図』より2幅、栃木県立博物館の『富士三保清見寺図』(縦長の画幅)など、あまり見る機会のない地方博物館・美術館の所蔵品が出ていて面白く、ありがたかった。
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立春・桜と野鳥

2018-03-21 21:54:16 | なごみ写真帖
季節が逆戻りしたような冷たい雨の一日だったけど、年度末の貴重な祝日。

遅く起きて、布団の中でぬくまっていたら、窓の外で、ミャウミャウというカン高い鳥の声がした。札幌に住んでいたとき、夏の朝によく聞いた鳥の声に似ていた。慌てて起き上がって、外を見る。

私の部屋の窓の外には、大きな桜の木があって、だいぶツボミがほころびかけている。その下には隅田川に通じる運河があって、どこからか飛んできた数羽の鳥が水面に浮かんでいた。



遠目に見る姿はミヤコドリ(ユリカモメ)のようだが、さっきの声はウミネコに似ていた。



気になって調べたら、セグロカモメ(またはオオセグロカモメ)かもしれない。

ウミネコは一年中いるが、ユリカモメやセグロカモメは、冬から初夏までしかいない渡り鳥(冬鳥)であることも初めて知った。後者であれば、そろそろ渡りの相談をしていたところかもしれない。
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恐ろしくて、少し滑稽/空気の検閲(辻田真佐憲)

2018-03-20 23:41:41 | 読んだもの(書籍)
〇辻田真佐憲『空気の検閲:大日本帝国の表現規制』(光文社新書) 光文社 2018.3

 1928年から1945年までの間、帝国日本で行われた検閲の実態を紹介する。これ以前については、1923年の関東大震災で内務省の庁舎が火災に遭い、多くの資料が灰燼に帰してしまったため、分からないことが多いのだそうだ。この時期以降は、左翼運動の取り締まりのため、検閲機構が拡充され、資料も豊富に残り、比較的自由だったエロ・グロ・ナンセンスの時代から、日中戦争・太平洋戦争を背景に安寧秩序紊乱の禁止へという、大きな変化を確認することができる。

 はじめに活写されるのは、昭和初期(1928-1931年)、エロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる享楽的な出版物と検閲官の戦いである。「検閲は怖いもの、民主主義の敵」を身構えて本書を読み始めると、この第1章で腰砕けになる。性器、性欲、性行為などの露骨な描写、サディズム、マゾヒズム、獣姦などの変態性欲、不倫や姦通などの乱倫などが取り締まり対象となった。本書には、「風俗紊乱」の当該箇所が豊富に引用されていて、電車の中などで読むには、ちょっと勇気がいる。

 著者によれば、出版物の点数に対して検察官の数は少なく「閲覧地獄」と言われるほど、仕事は激務だったらしい。中には文学の素養のある検閲官もいて、淫本に対して、妙に味わい深い評言を残していたりする。また出版人や言論人としては、発禁処分をくらっては元も子もないので、伏字を用いたり表現を控えめにしたり、巧みな対抗措置をとった。検閲官の側でも「注意処分」を多発するなど、柔軟な駆け引きが存在した。いまの中国が、検閲制度があるわりには元気なのは、こういう状況なのかもしれないと思った。

 内外の世相が緊迫した1932-1936年、検閲は「風俗壊乱の禁止」よりも「安寧秩序紊乱の禁止」に重点が置かれるようになる。「履中天皇」を「履仲天皇」と誤って咎められたとか、自称「天照大神」という名刺(これも印刷物)が発禁にされた、などは笑い話めくが、関東大震災時に発生した朝鮮人虐殺について「街頭の示威運動にて六千の虐殺同胞を追悼しやう!」等の宣伝印刷物が発禁処分にされていることは、忘れないでおきたい。その一方、右翼の宣伝歌『青年日本の歌』(昭和維新の歌)を掲載した報知新聞も「直接行動(テロ)を宣伝せる」という理由で発禁になっている。検察官は、右翼にも左翼にも苦労していたのだ。

 また美濃部達吉の天皇機関説事件では、蓑田胸喜が何度も図書課を訪れ、大声をあげて内務官僚を叱咤し、美濃部の著作の発禁処分を求めていたらしい。いつの時代も官僚はつらいものだ。「右翼が叫び、世間が動けば、検察官もそれに寄り添っていく」という著者の言葉は、妙にタイムリーに響いた。

 この頃、植民地(台湾、朝鮮)では内地と異なる検閲事情があった。たとえばガンジーやネルーの反英運動、民族自決運動に関する記事は、内地では問題ないが、植民地ではたびたび削除になった。植民地の被支配民族に民族自決を意識されては困るからである。

 日中戦争が始まると(1937-1941年)軍事機密に関する検閲・掲載禁止はいよいよ厳しくなった。また、これまでの事後検閲ではどうしても不適切な記事が出回ってしまうことから、東京の主要7紙および同盟通信社を図書館の直轄とし(!)各社の担当者は検察官と相談しながら記事を組み立てられるようになった。これは淡々と語られているが、恐ろしい事態だと思う。なお、冷遇された地方紙・業界紙には、主要紙なら絶対に載らないような不適切で具体的な記事が見られるというのは興味深い。

 1940年12月には各省にまたがる「情報局」が摂津された。太平洋戦争突入後(1941-1945年)、軍部や情報局が筆者や出版社を呼びつけたり脅したりするケースが増え、正規の検閲機関を自負する内務省は、強い不満を感じていた。セクショナリズムといえばそれまでだが、実際、検察官が陸軍の介入に抵抗する事件もあった。戦時下で処分対象になった記事の中では、『地湧日本』に掲載された「ごみばこいぢりの名犬よ目覚めよ」が印象的だ。ゴミ箱いじりの犬とは、もちろん東条首相を指している。

 また谷崎純一郎の『細雪』も連載中止を求められた。むかし読んだとき、特にエロでも不道徳でもないのに、どこが悪いんだろう?と不思議な気がしたが、陸軍報道部の軍人による「われわれのもっとも自戒すべき軟弱かつはなはだしく個人主義的な女人の生活をめんめんと書きつらねた」という糾弾は、逆にこの小説の魅力と価値を正しく指摘しているように思える。検閲とは面白いものである。
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