3/7(金)、ハーグ。午前中に、国立文書館と王立図書館の見学を手際よく終える。夜便で帰国のため、夕方までフリータイムだ。広場のカフェで昼食を取り、マウリッツハイツ美術館へ。オランダ屈指の絵画コレクションで知られる美術館だ。
比較的こじんまりした建物は、17世紀に建てられたある伯爵の私邸だという。内装は当時の雰囲気を残していて、なんとなく作品のおさまりもいい。日本の書画が、畳・床の間・明かり障子のもとで鑑賞するものであるように、西洋の油彩画は、本来、こういう空間が似つかわしいのだなと思う。なお、この美術館、裏から見ると、浮き城のように池に張り出している。
一番人気はフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』である。うむうむ、ため息が出るような美少女だ。それも日本人好みの。美肌、幼い顔立ち、黒い瞳、ふっくらした唇。アムステルダム国立美術館の『牛乳を注ぐ女』も、同じ黄色と青の色彩を用いて描いた女性像だが、台所女中のがっしりした肉体といい(腕まくりしたひじの白さと、日焼けした手首から先が対照的)、質実な衣服の質感といい、心に沁みる作品ではあるけれど、あまり色気はない。その点、『真珠-』には、見る者をたじろがせるような官能性が溢れている(と思う)。何者なんだろう、この少女。服飾史家によれば「当時のオランダにはターバンを巻く習慣はなかった」そうだ(→『美の巨人たち』)。
『真珠-』のそばにあったのが『デルフトの眺望』。西洋絵画に疎い私は、フェルメールって風景画も描いたんだなあ、なるほど、手前の女性は黄色と青の服を着ている、なんて、ちょっと微笑んで、終わりにしてしまった。フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1点であり、画家の故郷を描いたもので、プルーストが“この世で最も美しい絵画”と賞賛したということは、全て帰国後に知りました。もっとよく見てくればよかった…。
私がいちばん楽しみにしていたのは『テュルプ博士の解剖学講義』である。1632年の作。ヨーロッパでは、14~15世紀のペストの流行と火器の使用が、外科医の威信を高めたことは、山本義隆氏の『一六世紀文化革命』に詳しい。臨床経験の重視は、次第にアカデミズムの世界にも浸透した。17世紀には、博士(Doctor)を名乗る医師が、このように解剖実習を講義するようになっていたことが興味深い。博士の手元を覗き込む見学者の複雑で多様な表情は、約1世紀の後、日本で初めて人体解剖を観察した山脇東洋らもこんなふうだったのかしら、と思わせる。
なお、ネット上で探ってみると、この作品、医学の専門家から「解剖学的誤り」を指摘されている。所詮は美術作品なのだが、あまりにも”真に迫っている”がために、言わずにおれないのかもしれない。
■作品画像は「アートatドリアン」へリンク
http://art.pro.tok2.com/index.html
■『テュルプ博士の解剖学講義』はこちら:Salvastyle.com
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rembrandt_tulp.html
■マウリッツハイツ美術館(英語)
http://www.mauritshuis.nl/index.aspx?siteid=54
比較的こじんまりした建物は、17世紀に建てられたある伯爵の私邸だという。内装は当時の雰囲気を残していて、なんとなく作品のおさまりもいい。日本の書画が、畳・床の間・明かり障子のもとで鑑賞するものであるように、西洋の油彩画は、本来、こういう空間が似つかわしいのだなと思う。なお、この美術館、裏から見ると、浮き城のように池に張り出している。
一番人気はフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』である。うむうむ、ため息が出るような美少女だ。それも日本人好みの。美肌、幼い顔立ち、黒い瞳、ふっくらした唇。アムステルダム国立美術館の『牛乳を注ぐ女』も、同じ黄色と青の色彩を用いて描いた女性像だが、台所女中のがっしりした肉体といい(腕まくりしたひじの白さと、日焼けした手首から先が対照的)、質実な衣服の質感といい、心に沁みる作品ではあるけれど、あまり色気はない。その点、『真珠-』には、見る者をたじろがせるような官能性が溢れている(と思う)。何者なんだろう、この少女。服飾史家によれば「当時のオランダにはターバンを巻く習慣はなかった」そうだ(→『美の巨人たち』)。
『真珠-』のそばにあったのが『デルフトの眺望』。西洋絵画に疎い私は、フェルメールって風景画も描いたんだなあ、なるほど、手前の女性は黄色と青の服を着ている、なんて、ちょっと微笑んで、終わりにしてしまった。フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1点であり、画家の故郷を描いたもので、プルーストが“この世で最も美しい絵画”と賞賛したということは、全て帰国後に知りました。もっとよく見てくればよかった…。
私がいちばん楽しみにしていたのは『テュルプ博士の解剖学講義』である。1632年の作。ヨーロッパでは、14~15世紀のペストの流行と火器の使用が、外科医の威信を高めたことは、山本義隆氏の『一六世紀文化革命』に詳しい。臨床経験の重視は、次第にアカデミズムの世界にも浸透した。17世紀には、博士(Doctor)を名乗る医師が、このように解剖実習を講義するようになっていたことが興味深い。博士の手元を覗き込む見学者の複雑で多様な表情は、約1世紀の後、日本で初めて人体解剖を観察した山脇東洋らもこんなふうだったのかしら、と思わせる。
なお、ネット上で探ってみると、この作品、医学の専門家から「解剖学的誤り」を指摘されている。所詮は美術作品なのだが、あまりにも”真に迫っている”がために、言わずにおれないのかもしれない。
■作品画像は「アートatドリアン」へリンク
http://art.pro.tok2.com/index.html
■『テュルプ博士の解剖学講義』はこちら:Salvastyle.com
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rembrandt_tulp.html
■マウリッツハイツ美術館(英語)
http://www.mauritshuis.nl/index.aspx?siteid=54