見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

喫茶店は楽しい(上野・門前仲町)

2020-10-30 20:49:59 | 食べたもの(銘菓・名産)

 チェーン店でない街の喫茶店は、なんとなく敬遠していた時期があった。入ってみないとメニューが分からないし、注文したものがすぐ出てこないことがあるし、店主が偏屈かもしれないなど。考えてみると、中央線沿線のおしゃれ喫茶店のイメージだったかもしれない。

 下町の喫茶店は、おじさんおばさんも気軽に入れて、店員さんはテキパキしている。最近、ネットで知ったのは、上野アメ横の「王城」。昭和の家庭料理の雰囲気のナポリタン美味しい~。(実は子供の頃、ピーマンの入ったナポリタンは好きじゃなかった)

 「王城」の名物は豪華チョコレートパフェ。私は「生クリームの乗ったパフェ」が好きなので嬉しいが、かなり覚悟を決めないと食べ切れないボリューム。

 パフェといえば、門前仲町の深川伊勢屋本店にもある。真夏はかき氷ばかり頼んでいたが、今はあんみつかパフェの季節。近所なので、疲れた仕事帰りに糖分チャージに立ち寄ることもある。

 こういう喫茶店や甘味処のある街は暮らしやすい。

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肖像彫刻の名品も/相模川流域のみほとけ(神奈川歴博)

2020-10-28 22:57:09 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立歴史博物館 特別展『相模川流域のみほとけ』(2020年10月10日~11月29日)

 今年は新型コロナの影響で仏像をメインとした大きな展覧会がいくつも中止・延期になってしまったので、とりあえず開催できてよかった。本展は、相模川流域の仏像が一堂に会するはじめての展覧会。神奈川県のほぼ中央を流れる相模川の流域には、奈良時代から仏教文化が栄え、相模国の国府、国分寺、国分尼寺も造営されており、今日までたくさんの仏像が伝えられているという。

 私はかつて2年間だけ神奈川県民だったことがあるのだが、海岸寄りに住んでいたいたので「相模川流域」と言われてもピンと来ない(相模国分寺と国分寺跡は一回だけ行った)。会場に飾られた地図を見ながら、そうか、相模川を遡ると相模湖を経て山梨県なんだーと地理を確認した。本展に出品している寺院の所在地は広く、海岸部では鎌倉の瑞泉寺や大船の常楽寺から小田原の蓮台寺、内陸は海老名や相模原、山梨県にも至る。

 本展のポスターにもなっている、海老名市・龍峰市の千手観音菩薩立像が冒頭に飾られていて、これがとにかく逸品。長くて細い二本の腕が頭上に小さな化仏をかかげる、清水式千手観音の形式である。重厚感のある体躯、威厳のある落ち着いた表情、くっきりした翻波式の衣文、両足の間の渦文など、平安時代かな?という印象を受けた。しかしよく見ると切れ長の細い目は玉眼が用いられている。では鎌倉時代?と思ってリストを見たら「奈良~鎌倉時代」とあった。学芸員の方もだいぶ困ったみたい。図録の解説には「鎌倉時代の擬古作と考えるよりも奈良時代後期から平安時代前期に造られたと考えた方が自然ではないだろうか」「本体の大部分に奈良時代の遺風を留めていると考えらないだろうか」などと考察されている。今回の公開をきっかけに、議論が深まると面白いと思う。

 ほかにも平安・鎌倉の古仏が多数出ていた。尊像の種類によらず、顔が小さくてスラリとした体形の仏像が多くて、東国の好みなのかなと思った。鎌倉以降は玉眼が標準装備のようだ。相模原市・井原寺の聖観音菩薩立像、相模原市・正覚寺の聖観音菩薩立像、藤沢市・慈眼寺の十一面観音菩薩立像、平塚市・宝積院薬師堂の薬師如来立像など、「秘仏本尊」の仏像が公開されているのは、もったいなくもありがたいことである。慈眼寺の十一面観音(鎌倉時代)は私の好み。

 「高僧たちの肖像」が特集されていたのも見応えがあった。鎌倉~南北朝の肖像彫刻の完成度には舌を巻く。小田原市・蓮台寺の他阿真教坐像(時宗二祖)は蓮のつぼみを前に突き出すようなポーズに見覚えがあった。京博の『国宝一遍聖絵と時宗の名宝』で見たのかしら。左右の目の大きさが極端に違い、下唇が斜めに歪んだような面貌にリアリティがある。

 常楽寺の小柄な蘭渓道隆坐像は思索的・内省的な風貌。夢窓疎石坐像は、瑞泉寺のものと山梨県・古長禅寺のものでは少し印象が異なる。後者のほうが老けてやつれた感じ。山梨県甲州市・栖雲寺の中峰明本坐像は好きだ。四角い頭部に四角いガタイ。はだけた襟の波打ち方がよい。神奈川歴博所蔵の『中峰明本像』(絵画)も並んでいて興味深かった。絵画の方がだいぶ若そう。画面に添えられた文字は中峰明本の自賛だと思う。

 このほか面白かったものとしては、愛川町・八菅神社の賓頭盧尊者坐像。素朴な造形で、名のある仏師の作とは思えないが、内部の墨書銘に足利尊氏、高師直の名前は見えるという(墨書銘の写真等はなし)。相模原市・安養寺の摩利支天騎猪像(室町時代)は異形すぎて笑った。イノシシがヒキガエルか何かに見える。

 最後に関連で、戦時中、鎌倉や横浜の文化財が、津久井郡(現・相模原市)の「個人宅の土蔵」に疎開していたことを示す文書資料が展示されていた。ただ、文化財の移動にかかわった文部省技官の藤原経世氏の名前はあったが、「個人宅」が誰の家だったのかは明確な記述がなく、気になった。

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びわ湖長浜KANNON HOUSE閉館を惜しむ

2020-10-26 22:44:35 | 行ったもの(美術館・見仏)

 上野の不忍池の東畔にある「びわ湖長浜KANNON HOUSE」が10月31日で閉館することになった。残念である。

 開館は2016年3月21日。私は開館直後に行っているので、たぶん宝厳寺の聖観音立像を拝見していると思う。しかし当時はつくば市在住で東京は遠かった。2017年から東京に越してきたが、仕事が忙しくて、なかなか思うようには通えなかった。それでも2019年には安念寺の「いも観音」、2020年の正月には正妙寺の千手千足観音立像にお会いしに行っている。広くはないが作りが瀟洒で、落ち着いた雰囲気で、無料で、写真撮影もできて、スタッフのみなさんも奥ゆかしくて(参観者の邪魔にならないよう接してくれて)気持ちのいい施設だった。

 こちらは6月30日~8月23日においでになっていた向源寺(渡岸寺観音堂)の十一面観音立像。40cm弱の小さな小像で、手抜きのないシャープで細やかな彫りが檀像ふう。

 そして、8月25日~10月31日まで、同館最後の東京ご開帳となったのは総持寺(長浜市)の千手観音立像。像高は1メートル余。柔和で洗練されたお姿で、横顔も美しかった。

 東京にいながら遠方の貴重な文化遺産に触れることのできる、贅沢な機会が失われるのは悲しいが、同館ホームページによれば、2020年4月に発足した「観音の里・祈りとくらしの文化伝承会議」(事務局:長浜市 市民協働部 歴史遺産課)は、引き続き観音文化の継承と調査・保存に力を注いでいくという。伝承会議のメルマガも登録した! また長浜や高月に行って、観音さまにお会いしたい。

 ありがとう。お世話になりました。

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名品揃いすぎ/桃山(東京国立博物館)

2020-10-25 21:10:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特別展『桃山-天下人の100年』(2020年10月16日~11月29日)

 政治史における安土桃山時代(1573-1603)を中心に、室町時代末期から江戸時代初期(16世紀半ば~17世紀半ば)の100年間、美術史上「桃山時代」として語られる美術の特質を約230件の優品によって紹介する。本展は新型コロナ対策として混雑を避けるため、事前予約制(日時予約券)が導入されている。入場者数が少なくなると見積もったせいか、チケット料金が異常に割高だ。一般2,400円。これではさらにお客さんがそっぽを向くのではないか。まあ私はプレミアムパスがあるので実質1,250円で入ったけど。

 確かに優品揃いではあったが、既知の作品が多いため、あまり印象に残らない展覧会だった。2010年の名古屋市美術館『変革のとき 桃山』は(当時の感想には、いまいち消化不良と書いている)今でも思い出すが、ああいう衝撃はなかった。

 見ることのできた優品としては、洛中洛外図屏風の歴博甲本と上杉家本。『聚楽第図屏風』は、それこそ『変革のとき 桃山』で見たもので懐かしかった。等伯『松林図屏風』と永徳『檜図屏風』も見ることができた。京博の式部輝忠『巌樹遊猿図屏風』(テナガザルがいっぱい)や神戸市博の『泰西王侯騎馬図屏風』を東京で見ることができるのは、お得感がある。徳川美術館の岩佐又兵衛『豊国祭礼図屏風』(10/25まで)は、やっぱりこれが見たくて今週末に出かけてきた。来週からの『洛中洛外図屏風(舟木本)』も捨てがたいところだったが。妙心寺・天球院の狩野山雪『竹林虎図襖』と『籬に草花図襖』は裏側も鑑賞できる展示になっている。風俗図は『観楓図屏風』に加え『花下遊楽図屏風』も。

 これだけ一度に見ることができて何が不満かと言われると申し訳ないのだが、名画全集をめくっているみたいで、あまり面白くないのである。あと、東博や京博の所蔵品が多いので、美術館通いをしていると、何度も見ている作品だというのもテンションがあがらない理由のひとつ。むしろ関心が動くのは、所蔵者の注記されていない初見の『日本図・世界図屏風』(個人蔵か?)や、足利義晴像紙形(去年、九博の『室町将軍』展で見た、死の直前の肖像画スケッチ)のような歴史資料だ。

 韃靼人狩猟図がミニ特集になっていたのは、ちょっと面白かった。室町から桃山にかけて好まれた画題だという。式部輝忠『韃靼人狩猟図屏風』、狩野山楽『狩猟図』、狩野山雪『韃靼人狩猟・打毬図』の3点を見比べて楽しむことができた。あと、ずっと見たいと思っていた『関ヶ原合戦図屏風』(大阪歴史博物館)が、前期は右隻だけだったのは残念だった。後期展示の左隻のほうが見どころが多そう。

 絵画のほか、茶道具、きもの、甲冑、刀剣、刀の拵えなどもたくさん出ていた。変わり冑の派手な甲冑を見ていると、桃山文化って人目を驚かすことに価値を見出すヤンキー文化だなあ、と思う。「かぶき者」に似合いの朱鞘の刀がいくつか出ていたのも興味深かった。

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美と志の財宝/新唐詩選(吉川幸次郎、三好達治)

2020-10-24 23:54:55 | 読んだもの(書籍)

〇吉川幸次郎、三好達治『新唐詩選』(岩波新書) 岩波書店 1952.8

 2019年は中国ドラマ『長安十二時辰』に夢中になって、唐代に関する書籍を読み漁った。この夏、WOWOWでそのドラマ(日本語字幕つき)が『長安二十四時』というタイトルで放映されたので、WOWOWを見ることのできない私は、ネットで中国語版を再視聴していた。ドラマでは、いくつかの唐詩が印象的に使われている。特に劇中でもエンディングテーマでも、旋律にのせて歌われる李白の詩が素晴らしく魅力的で、ああ、もう一度、唐詩を読みたいと思ったのだ。

 漢詩(唐詩)を初めて習ったのは、中三の国語の教科書で、杜甫の「絶句」(江碧鳥愈白)だったと思う。いや「奥の細道」の関連で出てきた「春望」(国破山河在)だったかもしれない。高校に入ると、教科書で習う以上に唐詩を読みたくて、目についた文庫や新書を片っ端から読んでいた。本書もその頃に読んだ記憶のある1冊である。

 前編では、中国文学者の吉川幸次郎氏が、唐詩を代表する三人の作品、杜甫15首、李白29首、王維12首と、孟浩然、常健、王昌齢、崔国輔を1~2首ずつ紹介する。後編は詩人の三好達治氏が、興のおもむくまま30首あまりを紹介する。

 学者が論ずる前編は固いだろうと思われるかもしれないが、全然そんなことはない。私は吉川先生の講釈によって唐詩にハマり込んだようなものだ。教科書や参考書の現代語訳に登場する杜甫の自称は「私」か、老人くさい「わし」になるだろう。吉川訳の杜甫は「おれ」を自称する。「内乱の悲しみと、生活の苦しみとで、くたくたになったおれではあるけれども、しかしおれの『飛動の意』はもえつくしてはいないのだ」(高式顔に贈る)のごとく。「一生憂う」と言われる杜甫だが、吉川訳で読んでいると、その「情熱」「線の太さ」「ますらおの心」を感じることができる。だいたい、杜甫が安禄山の反乱によって流浪生活を始めるのが46歳ということは、今の私より若いと分かって愕然とした。

 もちろん訓詁(語義の解釈)も丁寧で、たとえば「春望」の「国破山河在」の「破」は敗戦の意でなく、「国家の機構が解体して、狂人が出たらめにはさみを入れた紙ぎれのように、ぼろぼろになってしまったこと」のように、一文字(中国語では一語である)ごとに的確な比喩を用いてイメージを解き明かしていくことにより、作品の視覚的な印象が強まり、意味も明らかになる。

 杜甫15首の最後に取り上げられているのは「茅屋の秋風に破られし歎き」で、いつか天下の寒士(社会の不公平に悩む貧乏人)を全て迎え入れるような、大きなどっしりした家が現れないものか、と杜甫は夢想する。吉川氏がこの注釈に、千年後のわれわれは、そうした大きな家を作るべき機運に向かいつつある、と書いたのは、新中国の成立を見ての感慨だろうか。残念だが、共産主義中国も天下の寒士を容れるには不十分であり、杜甫の願いはまだ実現していない。

 李白の詩はどれもよいが、それ以上に吉川氏の李白評がよい。「たち切りにくい人生の憂い。しかしそれあるが故にこそ、李白は、快楽にむかって、おおしく立ち上がる。地ひびきをたてて、立ちあがる」。まさにそれだ。李白は白いものが好きで、動物、特に野鳥が好きだったのだな。思い出した。

 杜甫、李白、王維。唐詩は多くの作品が、自分の心情を持ち出すことは最小限にして(例外もある)、眼前の風景を的確な措辞で表現することに力を尽くしている。杜甫の「白帝城の西は過雨の痕/返照は江に入りて石壁に翻り」(返照)とか、王維の「泉声は危石に咽び/日色は青松に冷かなり」(過香積寺)を読みながら、ああ、これは正岡子規の写生と同じだと感じた。

 後編の三好達治氏は、かつて少年の頃、そらんじていた華麗な長詩を冒頭に引き、年少者が詩を愛するのは一種こういう艶美なものから入るのが階程として自然なことだと述べる。そうかもしれない。別に誰もが杜甫、李白から始めなくてもよいと思う。後編には、高適、賀知章、岑参なども取り上げられていてうれしい。「嚢中自(おのずか)ら銭有り」は賀知章の詩句だったか。「郷に回りて偶書」(少小離郷老大回)が載っていて嬉しかった。岑参の「古鄴城に登る」「胡笳歌:顔真卿が使して隴西に赴くを送る」も味わい深い。

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蘭州ラーメン再訪

2020-10-22 21:51:13 | 食べたもの(銘菓・名産)

 今月に入って、久しぶりに好物の蘭州ラーメンを食べに行った。

「ザムザムの泉」@西川口は、今年1月か2月に食べに行ったとき、店主が、中国人のマスク買い占めを怒っていたのを記憶している。来月、広尾に移転するのだそうで、西川口のお店はこれが最後になるだろう。お客さんが長い列をつくっていて、店主が繰り返し麺を打っていた。相変わらずスープが絶品。

 「馬子禄」@神保町。ここは三省堂が再開した5月に来ている。ランチの時間帯なのに、私しかお客さんがいなくて寂しかった。先週はけっこう席が埋まっていて、隣りの席からは中国語が聞こえたし、ヒジャブをつけたムスリムの女性グループも見かけた。お客さんが戻ってきて、よかった。

 季節も寒くなるし、またどんどん通いたい!

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希望のレトリック/〈嘘〉の政治史(五百旗頭薫)

2020-10-21 21:52:10 | 読んだもの(書籍)

〇五百旗頭薫『〈嘘〉の政治史:生真面目な社会の不真面目な政治』(中公選書) 中央公論新社 2020.3

 近年、政治の世界に蔓延する「嘘」にかなり辟易している。辟易できるのは、まだ正気を保っている証拠で、次第に「嘘」と「真実」が曖昧に混じっていても気にならなくなってしまうかもしれないと思う。著者は、絶対の権力があれば嘘は要らないという。それなりの野党や異議申し立てがあるから権力側は嘘を使うし、異議申し立ての側も権力と闘うために嘘を武器にする。

 著者は嘘と虚構(フィクション)を区別する。虚構は事実を偽らず、概念の力によって異なる結論を導くもので、これには効力がある。そして、嘘であっても、本当に騙してくれる嘘は毒にも薬にもならない。問題は、露見してもあつかましく繰り返される嘘(横着な嘘)で、社会に対する信頼感を破壊してしまう。横着な嘘を粉砕し、無効にするのはレトリックであり、レトリックの貯蔵庫となるのが、ある種の文芸の領域である。以上は「はじめに」に示される本書の見取り図。

 本書はおおむね近代以降の日本政治史をテーマとするるが、第1章だけは突然500年前に遡り、近世日本が「職分社会」であったことを確認する。明治維新によって職分社会が崩壊すると、アノミー(無規制状態)から逃れるため、人々は新たな紐帯を求めて結社に集まった。なるほど。我々がこの時代の思潮に、帝国主義や民主主義など、全く異なる主義主張を見て取る理由を、著者は「明治の結社の普遍性と無目的性」と喝破している。

 やがて政党が誕生するが、当時の日本人の政党理解の糸口になったのは儒教の「朋党」の観念で、利益目当ての小人の「党」を批判し、君子の「朋」を承認するものだったが、複数の「朋」が競い合うことは想定されていなかったというのも面白い。近代日本の政党には、自らを政党システム全体の一部と自覚し、他の政党を同じ一部として承認する姿勢が弱かったように見受けられるという指摘は、現代にも通じる問題で、傍線を引いておきたくなった。

 このあと、具体的な題材として、福地桜痴、犬養毅、安達謙蔵を取り上げ、その政治的生涯を嘘の観点から記述するが、近代政治史が不得意な私には読みづらかった。ただ面白かったのは、突然現れる正岡子規への言及である。著者は「野党を支えるレトリック」と題して、以下のように言う。結果を急ぐ者は与党に向いている。成功までの長い時に野党は耐えなければならない。この長い時に伴走するのが、直接的ならぬ因果を繰り返し提示する言説で、そのような言説を支える文芸が俳句だという。

 そして、具体的な俳句がいくつか示されている。子規は目の前の空間を印象鮮明に写生することに俳句の活路を見出した。その弟子の虚子は俳句に時間を取り込み、「主観的な時間」を表現しようとした。子規は時間を表すことに虚子よりも警戒的であったが、虚子の意欲を評価した。ここまでは、たぶん文学評論でも語られるところだろう。著者は、さらに一歩を進めて、この「主観的時間」こそ、跳躍や断絶やパラドックスの前提であり、希望の観念の根底であるといい、俳句に「野党のサブカルチャー」の可能性を見出す。文芸は政治から自由であるべきと言われるけど、政治との接点から文芸を考える試みはあってよいと思う。

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コレクターの愛好品/大津絵(東京ステーションギャラリー)

2020-10-18 23:13:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京ステーションギャラリー 『もうひとつの江戸絵画 大津絵』(2020年9月19日~11月8日)

 大津絵というものを知ったのはいつだったろう? ぼんやり覚えているには、大学生の頃、関西方面にふらりと旅行に行くのが好きで、その頃、持っていた大津周辺のガイドブックに「大津絵の店」が載っていて、三井寺(園城寺)に行ったら、必ず寄ろうと思っていた。三井寺の境内にも大津絵を売っているお店があると書いてあって、確か私は三井寺の境内で、藤娘を描いた小さな色紙を買って、かなり長いこと、部屋に飾っていた。私にとっての大津絵は、美術品というと口はばったいが、生活を彩る工芸品だと思っていた。

 だから、本展の開催趣旨に「これまで大津絵の展覧会は、博物館や資料館で開催されることが多く、美術館で開かれたことはほとんどありませんでした」とあって、びっくりした。そうなのか。確かに美術コレクションの一部に大津絵が含まれることはあっても、大津絵だけの展覧会というのはなかったかもしれない。私はだいたい日本民藝館で、定期的に大津絵を見ているのだが、あれも美術館とはちょっと違うのかも。

 そういうわけで本展は、近代日本の名だたる目利きたちによる旧蔵歴が明らかな「コレクターズ・アイテム」「名品ぞろい」の展覧会であることを強調する。ポスターのキャッチコピーも「欲しい!欲しい!欲しい!」と直球。展示品は約150点。

 中心となるのは、笠間日動美術館が所蔵する、画家・小絲源太郎の旧蔵コレクション。そのほか、福岡市博物館、浜松市美術館、静岡市立芹沢銈介美術館、大津市歴史博物館など。あ、見たことある、と思ったのは日本民藝館の所蔵品だった。柳宗悦は持ち前の眼力で古作や珍品、稀少な逸品を数多く収集した。現在、日本民藝館は、柳旧蔵の40点ほどに加え、柳の没後に寄贈を受けたコレクション100点ほどを収蔵しているという。道理で見覚えのない作品もあるわけだ。雨宝童子とか勝軍地蔵とか阿弥陀三尊来迎とか、宗教性の強い大津絵は珍しくて面白い。それから、何も知らずに見ていた『不動尊(黒不動)』は柳の前の所有者が黒川真頼だったり、『塔』は渡辺霞亭だったり、『提灯釣鐘(担いでいるのはサルなのか?)』は浅井忠だったり、コレクターのつながりが分かって面白かった。本展の図録、主要作品は表具も図版に収めてあるのはありがたい。誰が表装したのかな、と想像が広がる。

 大津絵の面白さは、やっぱり「巧まざるところ」だと思うのだが、時々すごく巧い作品にも遭遇する。吉川観方旧蔵で、さらにその前は三井寺の旧蔵品だという『大津絵図巻』(26図所載)は、どの絵もかなり巧い。人物は全くバランスが崩れず、フレームにきちんと収まっている。『塔』を立体的に描けるのにも感心した。いちばん好きなのは『酒呑猫』の顔! 大きな盃を咥えた口元が生き生きしている。『雷と奴』や『五人男(雁金文七)』の表情(目元)も、癖のある絵師が描いているなあ、と感じる。

 逆に、どうしてこうなった的な面白さを感じた作品は、日本民藝館蔵の『頼光』(いい顔だ)とか個人蔵(三浦直介→梅原龍三郎)の『鬼の念仏』、浜松市美術館蔵『瓢箪鯰』(ナマズ!)など。「大黒外法の相撲」「大黒外法の梯子剃」は定番の画題だったらしく、何パターンもあって、どれも面白い。大黒と外法(福禄寿)はいいコンビだったんだなあ。

 東京ステーションギャラリーは相変わらず完全予約制で、インターネットでは3時間前までしか予約できない。ローソン・ミニストップの店内端末だと30分前まで購入ができ、丸ビル地下のナチュラルローソンで、ぎりぎり購入することができた。早く以前のように、気が向いたときにふらりと入れるようになって欲しい。

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忘れ得ぬ日々/中華ドラマ『在一起』

2020-10-16 22:19:20 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『在一起』全20集(上海広播電視台等、2020)

 新型コロナウイルス感染症の爆発的拡大に遭遇した中国の、さまざまな人間模様をオムニバス形式で描いたドラマ。脚本は創作だが、取材に基づき、事実を取り入れているところもあるため「時代報告劇(ルポルタージュ?)」という冠が付いている。上下2集で1話を構成しており、「生命的拐点」「摆渡人」「同行」「救護者」「捜索24小時」「火神山」「方艙」「我叫大連」「口罩」「武漢人」の10話から成る。監督・脚本、そして出演者も1話ごとに異なり、いずれも、いま中国で人気の(あるいは定評のある)スタッフ・キャストが関わっている。

 「生命的拐点(命のターニングポイント)」「救護者(看護師)」「火神山」は、真正面から医療現場の緊張と労苦を扱う。「火神山」は、わずか10日間で武漢に建設された新型コロナの専門病院。そこに配属された人民解放軍の医療チームの女性兵士たちにスポットを当てる。「方艙(避難所)」は軽症者の臨時受入れ施設を舞台に、医師と看護婦たちの奮闘を描く。「我叫大連(私の名前は大連)」は大連人の青年が、封鎖中の武漢で高速鉄道を下ろされ、病院の清掃員として働くことになる物語。

 おかげさまで、この病気の恐ろしさ、医療現場の大変さはよく分かった。病状が急変しやすく、午前中は普通に会話できた病人が午後には帰らぬ人になっていたりする。症状が悪化すると、心臓マッサージやAEDを繰り返しながら、気管挿管を行うので、1人の患者に3人や4人の医師・看護師の対応が必要になる。重症者が多ければ、次々に処置の必要が発生して休む暇がない。

 エピソード「救護者」では「沈黙型低氧血症」という症状が描かれていた。外形的に明らかな症状がなく、付き添い人も気づかないうちに、急激に血氧(血中酸素)が低下してしまう。緊急処置に取り掛ったときはもう手遅れで、無言で立ち尽くす医師。看護師の女性が幼い声で繰り返す「他已経没了(もうお亡くなりになりました)」が耳に残ってつらい。このドラマ、基本的に人々が困難を乗り越える姿を描くことが目的で、どのエピソードも明るく終わるのだが、「救護者」は肺腑を抉られる展開で、さすが『長安十二時辰』『九州・海上牧雲記』の曹盾監督だと思った。

 一方で、軽症者の現場を舞台にしたエピソードでは、高齢者のわがまま、大小便の世話やトイレの清掃など、きれいごとで済まない話題もよく拾ってあった。

 「同行」は、上海の研修医の青年と荊漢市の実家に里帰り中だった医師の女性が、ともに武漢を目指す物語。道中、よそ者を村に入れないように三国志の英雄よろしく長刀(の模造品)を構えて道を塞ぐおじさんに出会う。当時のB級ニュースで話題になっていた一件だ。都市部の発展はすっかり日本を追い越してしまった中国だが、農村部はまだまだ昔のままで、他のドラマではめったに聞くことのない、訛りのきつい中国語も珍しくて面白かった。

 「摆渡人」は封鎖された武漢でデリバリーサービス「美団」の配達員として働く男性が主人公。「捜索24小時」は、北京の疾病予防管理センター(中国版CDC)のチームが、ショッピングセンターで発生したクラスタの感染ルートを捜索する。「犯人」と目された男性の検査結果が陰性で落胆するシーンがあり、核酸検査(PCR検査)の「偽陰性」問題も学べる仕掛けになっている。

 「口罩(マスク)」は寧波の女性経営者がマスク製造工場を立ち上げる物語。「武漢人」は封鎖を命じられた団地の女性管理人の献身的な仕事ぶりを描く。このドラマ全体を通して、気が強くて、弁が立って、働き者の女性が多くて気持ちよかった。しかし「口罩」の女性経営者は、家庭より仕事好きを自覚していて、夫に切り出された離婚を受け入れる。「武漢人」の女性管理人はシングルマザーで、偶然、団地に引っ越してきた前夫と出会ってしまう。このほかにも父と息子、嫁と姑など、家族関係を味付けにしたエピソードが多く、変わらない人情と変わりゆく社会を感じるドラマでもあった。

 この作品、国家広播電視総局の指導の下に制作されているので、中国政府のプロパガンダといえばそのとおりで、触れてはいけないことには一切触れない。当時、国家の上層部が何をどう判断したかは霧の中だが、危機に臨んだ庶民と医療関係者の踏ん張りはよく描けていると思う。あと、妙にカップラーメンを食べるシーンが多いのはスポンサーの関係、という情報には笑ってしまった。政府の指導よりスポンサーの意向に影響されやすいのかもしれない。

 ドラマの完成度としては、やはり「救護者」が出色で、次に好きなのが「武漢人」。団地の住人で、息子がこの世にいないことを忘れかけている、アルツハイマーの老学者を演じる倪大紅が実によい。主人公の前夫役・王茂蕾のコミカルな演技には何度か爆笑。憎まれ役を演じても憎まれない、愛嬌のある俳優さんである。

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漢籍の読みかた/古代中世 日本人の読書(丸善ギャラリー)

2020-10-13 20:50:50 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇丸善・丸の内本店4階ギャラリー 第32回慶應義塾図書館貴重書展示会『古代中世 日本人の読書』(2020年10月7日~10月13日)

 たぶん毎秋行われている慶応大学図書館の貴重書展示会。和漢書が出るときはなるべく行くようにしている。今年は、古代・中世の日本人が「漢籍」をどのように学習し、また、どのように活用したのかをテーマとする。特に注目されたのは、直前の「プレスリリース」によって「『論語』の伝世最古の写本(出土資料を除く)と考えられる、隋以前の中国写本『論語疏』」の公開が告知されたことだ。

 本資料は、江戸時代には壬生家に収蔵されていた記録があるが、幕末以降所在不明になった。近年発見されて、同大学図書館が所蔵することとなり、2018年度より研究を進めているのだそうだ。会場では、入ってすぐの一番目立つ展示ケースに展示されていた。プレスリリースを見たとき、これは!みんな見に行くよな!と思っていたが、そんなに注目している人は多くなかった。

 この展示会も全面的に撮影OKと聞いてびっくりした。実は、土曜に見に行ったのだが、スマホを忘れていて撮影できなかったので、今日、会期最終日に仕事を早退して、駆け込みでもう一度見てきた。『論語』の伝世最古写本もこのとおり撮影可能。

 もともと慶応大学図書館は、質の高い論語コレクションを所蔵している。これは天文2年(1364)、堺の阿佐井野家による出版(阿佐井野本)。正平版論語に次ぐ天文版論語の初印本である。

 古書は蔵書印を見るのも楽しみのひとつ。兵書『黄石公三略』に弘前医官渋江氏(渋江抽斎)の蔵書印を発見。蔵書家だなあ。

 この『孝経直解』には「宝玲文庫」という知らない蔵書印が押してあって、気になったのであとで調べてみたら、イギリス出身の言語学者フランク・ホーレー(1906-1961)の旧蔵書らしい。外国人としては最高最大の古典籍蒐集家とも言われている人物である。

 漢籍の貴重書というと版本中心になることが多いが、「日本人の読書」というテーマのせいか、本展は写本が多かった。本文を書き写したり、書入れをしたり、あるいは抄本をつくることが即ち読むこと、学ぶことだったのだと感じた。 

 展示会鑑賞後は、丸善店内のカフェでお茶。たまにはこういう平日の午後があってもよい。

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