見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2014年4月@東京:行ったものメモ

2014-04-29 23:21:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
ゴールデンウィーク! まず東京に行ってきた。3泊4日を美術館・博物館めぐりに費やしたので、成果は以下のとおり。

初日(4/26)
三井記念美術館 特別展『超絶技巧!明治工芸の粋-村田コレクション一挙公開-』
出光美術館 日本の美・発見IX『日本絵画の魅惑』
千葉市美術館 『光琳を慕う-中村芳中』

2日目(4/27)
府中市美術館 企画展『春の江戸絵画まつり-江戸絵画の19世紀』(後期再訪)
サントリー美術館 『のぞいてびっくり江戸絵画-科学の眼、視覚のふしぎ』
根津美術館 特別展『燕子花図と藤花図-光琳、応挙 美を競う』
五島美術館 『館蔵 春の優品展-歌・詩歌の世界-』

3日目(4/28)
東京国立博物館
 特別展『キトラ古墳壁画』
 開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展『栄西と建仁寺』
 特集『平成26年 新指定 国宝・重要文化財』

4日目(4/29)
藝大美術館 『法隆寺-祈りとかたち』
東京都美術館 『バルテュス展』
三菱一号館美術館 『ザ・ビューティフル-英国の唯美主義1860-1900』

東京には何でもある…ということをしみじみ思う。

そして、東京の五月は、私のいちばん好きな季節。藤、ツツジ、牡丹は五島美術館の庭にて。モッコウバラは、上野毛駅から五島美術館に行く道すがらのお宅。毎年この時期、楽しませてもらっている。









明日は仕事。
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王朝文化の和と漢/唐物の文化史(河添房江)

2014-04-26 07:39:27 | 読んだもの(書籍)
○河添房江『唐物の文化史:舶来品からみた日本』(岩波新書) 岩波書店 2014.3

 異国からもたらされた貴重な品々。前近代には、それらを総称する「唐物(からもの)」という言葉があった。本来は、中国からの舶来品、もしくは中国を経由した舶来品を示す言葉であったが、近世には、南蛮もの、さらにオランダものを含めて、舶来品を総称するようになった。

 そこで本書は、舶来品すなわち唐物が、古代から近世までどのように日本文化に息づいているのか、明らかにすることを目指している。テーマは面白いけど、ちょっと大きく構え過ぎじゃないかと思った。

 私は前半が非常に面白かった。最初に登場する舶来趣味の重要人物は、聖武天皇。その象徴的な場として挙げられているのが難波宮である。そうか、そうであったか…先日、難波宮跡を見てきたばかりなので感慨深かった。難波宮跡には桜が植わっていたが、本当なら梅林にすべきだったな。天平4年には、中国皇帝の冕冠を着用した記録があり、小泉淳作さんがその姿を描いている(※先日、東大寺本坊襖絵とともに公開されたらしい)。コスプレみたいな哀愁とともに、海の向こうの先進文化を慕った聖武天皇の本気が偲ばれる。

 鑑真の招来品のリストは興味深い。「王羲之の真蹟行書一帖」を日本に持ってきていたというのは驚いた。よく持ち出せたな~超国宝級じゃないか…。国風文化の象徴のような「薫物」も、唐代の練り香がもたらされたことがルーツになるという。本書は全く触れていないけれど、リストの中にある「天竺の草履」が、私は気になる。

 さて平安初期といえば、私の学生時代は「国風暗黒時代」という、あらためて思うとトンデモな名前で呼ばれていた。しかし、中心人物である嵯峨天皇は、書にも音楽にも茶にも造詣の深い、いまの呼び方ならグローバル文化人であったことが分かる。国風文化の端緒を開いた仁明天皇も然り。894年の遣唐使廃止によって唐風文化の影響が薄れ、国風文化に推移したというのは、まことしやかなウソで、8世紀の新羅商人や渤海商人、9世紀の唐商人の活躍によって、唐物の流入は遣唐使時代よりも増加していたという。

 醍醐天皇による唐物御覧。『竹取物語』『うつほ物語』『源氏物語』など、王朝文学の中に描かれた唐物趣味を掘り起こす段は非常にスリリングに感じた。『枕草子』にさりげなく描かれた中宮定子の「白い衣に紅の唐綾」も、舶来ブランドファッションだったんだな。そして、藤原道長! 政治家のイメージが強くて、こんなに書物愛に満ちた文化人だったとは気がつかなかった。そして、和漢の文化の輝きをまとった道長のイメージは『源氏物語』の光源氏に重なる。

 「光源氏になりたかった男たち」と名指されるのが、平清盛、足利義満。なるほど、「光源氏」を単に多くの女性たちを愛し、愛された色男で、王朝文化=国風文化の体現者と見てしまうと、疑問符のつく見立てだったが、光源氏=藤原道長のイメージを前段のように修正すると、とても納得がいく。

 武士の世に入り、茶の湯の流行とあわせた戦国武将の唐物熱狂は、だいたい既知の事実を裏切るものはなかった。江戸時代は「蘭癖の将軍」徳川吉宗がやはり傑出していて、ある意味、このひとも「光源氏になりたかった男」の末裔かもしれない、と思った。朝鮮から、輸出禁止の朝鮮人参の種子と生草を入手し、国産化に成功するなど、すごい話だ。今の日本に、こういう政治家は出ないものかなあ。

 このほか気になった存在は、吉田兼好の、時流に反した唐物嫌い。そういえば、現代の保守派の政治家・思想家って、妙に『徒然草』が好きだなあ。古い時代では、唐物かぶれの祖ともいうべき天智天皇の記述がないのが、やや残念。
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忘れぬうちに・連続テレビ小説『ごちそうさん』

2014-04-22 22:49:00 | 見たもの(Webサイト・TV)
○『ごちそうさん』(2013年9月30日~2014年3月29日、全150回)

 2013年度は「朝ドラ」開眼の1年だった。春から夏にかけて、社会現象にもなった『あまちゃん』のおかげで、人生初めて「朝ドラ」の視聴習慣を身につけた(実際に見ていたのは夜だけど)。引き続き、後番組の『ごちそうさん』を見てみたら、これが面白い。はじめのうちこそ、過度に『あまちゃん』びいきの世論に意地を張るつもりで見ていたのだが、だんだん本当に面白くなって、やめられなくなった。

 いま、昨年9月に自分が書いた『あまちゃん』感想メモを読み返したら「分かるヤツだけ分かればいい小ネタと、世代や国籍を超えて普遍的な人間ドラマの同居」なんて書いている。それに比べると『ごちそうさん』は「歴史」を感じさせるドラマだった。主人公・卯野め以子の実家である洋食屋の「開明軒」も、文士の室井さんも、建築家の竹元先生も、ドラマの開始直後こそ、歴史好きの視聴者が、あれこれモデルを穿鑿していたが、基本的には架空の存在だった。にもかかわらず、脚本の背骨には、太い「歴史」の流れが通っていたように思う。

 そこが、この作品の好き・嫌いを分けるところではないかと思うが、私はハマった。どこにでもいる普通の人々の喜怒哀楽と、一回限りのドラマチックな「歴史」が交錯する物語が、私は大好きなのである。脚本の森下佳子さんは『JIN-仁-』でも、そうした世界を見せてくれたが、この作品も然りだった。私は中国映画の『芙蓉鎮』とか『活きる』が好きで、登場人物を翻弄する破天荒な「中国近代史」が面白すぎて、かなわないなあ、と思ったことがあるが、『ごちそうさん』を見て、日本の近代史だって、なかなか波乱に富んでいて、地道にまっすぐ生きようとした庶民を翻弄(あるいは愚弄)してきたじゃないか、と思い直した。

 『ごちそうさん』に好きなエピソードはたくさんあるが、め以子の夫・西門悠太郎の父・正蔵が、鉱山技師として国家の発展に寄与していることを誇りにしていたにもかかわらず、鉱毒事件の加害者となってしまうという設定は好きだった。戦争の描き方は、1ヶ月足らずの戦後編も含めて巧かったなあ。善悪の判断以前に、大きな「歴史」の流れに呑みこまれてしまう庶民の無力さと、それでも精一杯の抵抗、防御、自己主張する様子が丁寧に描かれていた。昨今、歴史問題に対するNHKの姿勢は、右からも左からも不信の目で見られているが、このドラマを見る限り、制作現場の良心は保たれていると感じた。時には、かなり「毒」のある良心だと思ったこともある。

 ただ、脚本にしても出演者にしても「丁寧な作り」が分かり過ぎるきらいはあったかもしれない。私は、頭のいい出演者が、意識的に阿呆を演じるドラマが大好きだが、もっと「ナチュラル」なドラマのほうが、いまの視聴者の好みに合うかもしれない、と思うこともあった。特に「とんだごちそう」の最終回は、予想もしなかった結末で、脚本家は「してやったり」という気持ちだっただろう。私は爽快な「してやられたり」を味わったが、ああいうところも、ナチュラルに感動させてほしかった視聴者が多かったのではないかと思う。

 ちなみに、本編が終わってすぐに感想を書かなかったのは、4月19日放送のスピンオフドラマ、ザ・プレミアム『ごちそうさんっていわしたい!』を待っていたからである。これは面白かったには面白かったが、本編とは別物だった。脚本は加藤綾子氏。本編のファンによるファンのためのオマージュ作品という感じがした。なるほど、ドラマは脚本が生命(いのち)だと私は思っているけれど、出演者や演出家など、最終的にはいろいろな人の手を経て生まれるものだから、設定のみを受け継いで、別人が脚本を書くというのもありなんだなあ、と不思議な感慨を持った。
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札幌は早春

2014-04-20 22:17:11 | 北海道生活
2日ほど前の通勤ルートの風景。ようやく雪が消えたと思ったら、枯草の下から一斉に芽吹いたクロッカスが、たちまち花をつけた。早春の花は早熟でもある。







雪国仕様のコートは要らなくなったが、まだ通勤には、東京の冬に着ていたコートを着用。夜の風が冷たいので。

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右派言論の多様性と可能性/『諸君!』『正論』の研究(上丸洋一)

2014-04-17 23:13:34 | 読んだもの(書籍)
○上丸洋一『『諸君!』『正論』の研究:保守言論はどう変容してきたか』 岩波書店 2011.6

 むかし、小さな研究所の図書室に勤めていたとき、どちらかと言えばリベラルな教員が、自分の研究費で『諸君!』『正論』を買って、読み終わると図書室に寄贈してくれていた。たぶん自分と逆の立場の人々の発言を、ジャーナリズム研究者としてウォッチしていたのだと思う。そのせいで、もの知らずな私は、長いこと『諸君!』『正論』はリベラル左派の読む雑誌だと思い込んでいた。

 本書の著者は、2002年から2005年まで、朝日新聞社の雑誌『論座』の編集長だった方である(ああ、『論座』も私の勤務先の図書室に置かれていた)。そして、当時『論座』よりはるかに多い読者を獲得していた『諸君!』『正論』の研究に着手したのだという。しかし『論座』は2008年に休刊、文藝春秋社の『諸君!』も2009年に休刊してしまった。気づかぬうちに、雑誌ジャーナリズムって、もはや完全に過去のものになってしまったのだな…。

 著者は、1969年の『諸君!』の創刊に遡り、その背景となった1968年の世界と日本の激動について語る。ベトナム反戦運動、文化大革命、全共闘の時代だ。この時期、社会の非主流に追いやられた保守派の知識人たちが、言いたいことの言えるメディアを必要としていたことは納得できる。その要請に応えた文藝春秋社の池島信平という人は、えらい出版人・編集者だなと思った。

 一方、1973年創刊の『正論』に色濃く影を落としているのは、産経新聞のカリスマ社長、鹿内信隆である。鹿内は「新聞界の偏向」に挑戦するために『正論』を創刊したとはっきり述べている。こうして並べると、『諸君!』と『正論』には、保守言論の雑誌とひとくくりにすることができない、明瞭な出自の違いがあることが分かる。

 そのことはさておき、どちらの雑誌も1990年代前半までは、かなり幅広く多様な主張を掲載していた。1975年には児玉誉士夫が『正論』に天皇退位論(戦争の責任をとっていただきたいというのではない。天皇陛下を崇敬し、天皇制を絶対に守らねばならぬからこそ天皇の責任を明らかにしていただきたかったのである)を掲載し、大きな反響を巻き起こした。

 76年に国際政治学者の猪木正道は、『正論』誌上に「はっきりいえることは、外国人の愛国心を理解し、尊敬できないような愛国心は、疑いもなく偽物だという点だ」「旧大日本帝国を破滅に導いた狂信と、本当の愛国心の間には、ガン細胞と正常な細胞の間の相違と同じく、質的な区別が存する」等々、私から見ても、まさに正論を寄稿している。

 1980年代後半には、主として『諸君!』誌上、のちに『正論』をも巻き込むかたちで、俵孝太郎、小田村四郎、山本七平ら保守派の論客が、A級戦犯の靖国合祀をめぐって論争している。いまの右派の主張にいちばん近いのは小田村四郎かな。俵孝太郎は「私は靖国神社に祀られるのはあくまで国難に殉じた戦没者であって、国難を招来したものであってはならないと思う」と主張している。こうした保守論壇の多様性の検証は、非常に面白かった。

 しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、91年にソ連共産党が解散し、反共・反ソ論者に見えていた「敵」が消滅した頃から、事態はおかしくなっていく。新たな敵を求めて『諸君!』『正論』には北朝鮮関係の記事が目立つようになる。なるほど、そうだったかもしれない。

 90年代の終わり頃から『諸君!』の文体は「著しく劣化してきた」と著者は指摘する。同感だが、『諸君!』だけではなくて、保守系論壇全てが、いや右も左も、総体的に日本人の頭脳が劣化(幼児化)したような気もするし、雑誌というメディアの衰退を示しているだけなのかもしれないとも思う。しかし、考えておかねばならないことがひとつあって、雑誌メディアを回復不能な凋落に追いやった原因は、電子メディアとの競合などではなくて、「売れればいい」「売れるためなら何をしてもいい」という態度だったのではないかと思う。いま、同じ理由で、単行本も滅びつつあるような気がしてならない。
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「普通」の聞き書き/善き書店員(木村俊介)

2014-04-16 00:03:44 | 読んだもの(書籍)
○木村俊介『善き書店員』 ミシマ社 2013.11

 六人の書店員のインタビューを通して、この時代において「善く」働くとはなにかを考える本。登場する書店員は、ジュンク堂書店仙台ロフト店の佐藤純子さん、東京堂書店神田神保町店の小山貴之さん、京都・恵文堂一乗寺店の堀部篤史さん、広島・廣文館金座街本店の藤森真琴さん、熊本・長崎書店の長崎健一さん、丸善丸の内本店の高頭佐和子さん。佐藤純子さんにだけは、二回インタビューしている。

 彼らはこの業界では、それぞれ知られた実績があり、敬意を払われている書店員である。だから、必ずしも「普通の人」とは言えないかもしれない。しかし、著者の意図は、地に足のついた市井の日本人の話を丁寧に聞き取り、彼らが具体的に体を動かしながら大事にするようになった「善さ」を記録することだ。そして、本書はかなり成功していると思う。

 本書を読んで、よく分かったことだが、書店員というのは肉体労働が基本になっている。毎朝届く本を荷解きして、検品し、書棚に並べ、返品を処理するのも、全て手作業。体裁のいいプレゼン資料をつくって、口先三寸だけで終わる作業はないのだ(ただし口先三寸が必要な場面もあることは本書に出てくる)。同時に、もともと本が好きな人たちだから、言語表現に関する感覚も鋭い。そこで、自分たちが肉体労働を通じて学んだ「善い働き方」を、訥々と言葉を選んで語ってくれている。その誠実さが、読んでいて、というより彼らの肉声を聞いていて、とても気持ちよかった。

 私も長年「普通の日本人」として働いてきたつもりだったが、自分の勤め先が突然なくなる不安を感じたことは一度もなかった。それに比べると、多くの場合、中小企業である書店で、しかも正規雇用でない不安定な身分で働いている皆さんの話を聞くと、「普通」って何だろうなあ、と感慨深い。本書に登場する6人は、私より10~15歳くらい下の世代だが、世代差なのか業界の差なのか。

 みんな若いのにしっかりしていて、絵空事の「夢」ばかり語っているような馬鹿者はひとりもいない。傾いた家業の書店を受け継いで、立て直しに奔走した長崎健一さんの話は、とても面白かった。何かを新しく始めるには何かを切らなければいけないなんて、当然のことなのに、ふだん決断を棚上げして、欲しい欲しいだけ言っている自分には耳の痛い話で、そこが面白くて為になった。

 高頭佐和子さんは、ときわ書房の聖蹟桜ヶ丘店と新宿ルミネの青山ブックセンターで、二度の「閉店」を経験したという。青山ブックセンターの「営業停止」は私もよく覚えている。閉店日に新宿ルミネ店を覗きに行って、これからどうなるんだろうと思っていたら、すぐ入れ替わりに「ブックファースト」が開店したので、なんだか拍子抜けした。後片付けをしながら、仲間と離れることがつらくて、「こんなにいい仲間と働ける機会はもうこないだろう」と話し合ったというのはいい話だな。そんなふうに言える職場が、いまこの日本にどのくらいあるんだろう。

 小山貴之さんも、若い頃、店をスタッフ全員の「居場所」と考える店長に出会ったことを印象深く語っている。うつ病気味だった小山さんを心配して、本気で声掛けしてくれた店長に学び、お金を稼ぐ場だけではなく、いい体験をして次に役立てられる場としての職場を、自分もつくっていきたいと考えているという。こういう連携・継承こそ、もっと大事にされなければならない(ならなかった)のに…。

 佐藤純子さんの二度目のインタビューで、「がんばろう東北」という盛り上がりは、続けすぎると疲れる、というのもよく分かる気がした。だいたい書店員は、盛り上がりに向かない人種なのだ(偏見かな)。「忘れない」というけれど、忘れてもいいんじゃないのかな。普通に日々が過ごせたら、それがいちばんいいんじゃないかな、といういがらしみきおさんの言葉に「共感した」と語っているけど、私も同感である。

 最後に、インタビューアーの著者が「普通の人に、『長く』話を聞いて記録するということ」について語った章がついている。「書く人」でなく「聞く人」でありたいという自己分析が示唆的である。
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芸術選奨の受賞を祝して/瓜子姫の夜・シンデレラの朝(諸星大二郎)

2014-04-14 23:32:22 | 読んだもの(書籍)
○諸星大二郎『瓜子姫の夜・シンデレラの朝』 朝日新聞出版 2013.12

 少し前になるが、3月13日に文化庁が第64回(平成25年度)芸術選奨の受賞者を発表した。その中に諸星大二郎氏の名前があったことを知った。文化庁のホームページで「芸術選奨」の情報を閲覧すると、平成20年度に「メディア芸術」部門が新設され、この年、井上雄彦氏が「芸術選奨・新人賞」を受賞している。その後は、新人賞・大臣賞ともに、アニメ作家やゲームクリエーターの受賞が続いた。久しぶりにマンガ界から、しかし、こんな絵柄の古臭い、昭和の頃からずっと変わらず「分かるヤツだけ分かればいい」ようなマイナー作品を描いてきた作者が「芸術選奨・文部科学大臣賞」って、ほんとにいいのかよ、と私はブツブツつぶやいている。いや、古くからの諸星ファンとして、喜びたくてたまらないのだけど、まだ半信半疑なのだ。

 受賞理由に『瓜子姫の夜・シンデレラの朝』ほかの成果、とあったので、うわ、買い逃していた!と思い、書店に走った。紀伊国屋札幌本店は在庫切れだったが、MARUZEN札幌北一条店で、なぜか「ライト・エッセイ」の棚にあるのを入手した。

 収録作品は「瓜子姫とアマンジャク」「見るなの座敷」「シンデレラの沓」「悪魔の煤けた相棒」「竹青」の5編。いずれも民話(のようなもの)を下敷きに、怖くて哀しくて優しい、独特の諸星ワールドが展開する。著者は「あとがき」で「以前、グリム童話をモチーフにした連作をある程度描いたことがありました」と述べている。そうそう「トゥルーデおばさん」だ。「スノウホワイト」も持っていたはずだが。また描いてみたくなって描いたのが「シンデレラの沓」「悪魔の煤けた相棒」だという。後者の原話は知らないなあ。「瓜子姫とアマンジャク」「見るなの座敷」は、もちろん日本。「竹青」は「聊斎志異」に原話があり、太宰治にもアレンジがあるそうだ。

 太宰はよく知らないが、私は本書を読みながら、芥川龍之介を思い出していた。諸星大二郎の作品は、気軽に読み始めると、ものすごく恐ろしい世界に引きずり込まれることがあって、最初の「瓜子姫とアマンジャク」などは、猛然と防御の構えで読み始めた。しかし帯に「魅惑的なブラック・メルヘン」とうたうほどブラックではなくて、むしろ胸の奥に小さいけれど暖かい灯がともるような、凛としたメルヘンである。あ、この読後感は、私の好きな芥川の児童向け作品に似ている、と思ったのだ。

 「見るなの座敷」はいちばん訳が分からなくて、少し怖い(他の諸星作品ほどではない)。「シンデレラの沓」も解釈は難しいけれど単純に楽しい。ふふふ。大好きだ、こういう作品。「悪魔の煤けた相棒」は因果がはっきりしていて、怖いけど比較的分かりやすいだろう。「竹青」は教訓を嫌って単純な活劇を描いてみたという。どうやら目出度い大団円で読後感は悪くない。

 そういえば「トゥルーデおばさん」も著者は「女の子が主人公のものを意図的に選んだようなところがある」と語っていたが、この作品集も女性が主人公もしくは重要な登場人物となっている。そして、諸星さんて、たぶんいわゆる「女子力」に感化されないタイプじゃないかなあと、作品を読みながら思っていた。(追記。いわゆる「女子力」に感化されやすいのが「おじさん」だとすると、著者の本質が「少年」だからかもしれない。風に乗って遠ざかっていく瓜子姫を見送るアマンジャクの視線こそは「少年」のもの。)
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サソリ女の章・石人原の章/西遊妖猿伝・西域篇(5)(諸星大二郎)

2014-04-13 22:43:57 | 読んだもの(書籍)
○諸星大二郎『西遊妖猿伝・西域篇』5 講談社 2014.3

 実は著者の別の本を探しに行って、青年コミックの棚をきょろきょろしていたら本書を見つけた。もう~待たせすぎだろう、第4巻から1年7ヶ月ぶりである。気が急いて、あわただしくページを開いたが、例によって前巻のストーリーを忘れている。ん? サソリ女が突っ込んでいく先に待っているのはソグド兵。悟空を相手にしていたのではなかったっけ。玄奘と沙悟浄が同じ屋敷内にいるのは何故だったかな?という具合。前巻までを復習(読み直し)してから、読み始めればいいものだが、引っ越し以前の蔵書は全て段ボール箱の中なので、見つけ出すには少々手間がかかるのである。

 しかし、最新巻を何度か読み返しているうちに、いくらか記憶が戻ってきた。鄯善人とソグド人の武力衝突のどさくさに紛れて、玄奘一行は伊吾城を後にする。ソグド人傭兵隊長のヴァンダカに傷を負わされ、悟空との戦いで消耗したサソリ女は、羊力大仙に保護されて養生する。西に向かう玄奘一行は、灼熱の天山南路を避け、天山北路を選びかけるが、高昌国王の使者だというソグド人の安吐窟(トルークシュ)が追いかけてきて(久々の登場!)、高昌国に立ち寄るよう懇願する。

 謎の少女アマルカも再登場。「斉天大聖」への興味が抑えられず、悟空を挑発し、怒らせて、その姿を見ようと試みる。羊力大仙が、アマルカの軽率を諫めながら語る言葉が興味深い。「人間というものはその環境でずいぶん違うものになる」「妖魔の類も同じじゃ その世界の人間たちの考え方やあり方に左右されるものじゃ」「魔も人間たちがいるからこそ生まれ 人間たちとの関わりの中で 強大になったり弱くなったりするからの…」。そして、悟空の中に潜む「斉天大聖」が、アエーシェマ(ゾロアスター教の「狂暴」の悪神)の属性と同時に、スラオシャ(ゾロアスター教の「忠直」の善神)の属性を持つことを垣間見て、いぶかる。「あるいは、これはあの孫悟空という容れ物に…?」

 散らかった謎のうち、ひとつ解決を見たのは、4巻で正確無比な射撃(弓)で悟空をおびやかした射手の正体。「遠矢のリシュカ」と呼ばれる、気の強いキルク族の女性イリューシカで、カマルトゥブの姉だった。あわや殺し合いになりかけた悟空とイリューシカを引き分けたのは、突厥の若者イリク。大唐篇の後半(河西回廊篇)に登場したというが、覚えていない…。検索をかけたら「悟空に命を助けられ恩に着ている。紅孩児と顔なじみでもある」と。うーん、紅孩児は印象鮮烈なのだが。

 終盤には、予言を商売とする呪術師、鹿力大仙も登場。東突厥と西突厥の間で居場所を失ったキルク族の滅亡を予言する。「石人原」というのは、キルク族と突厥の衝突が予想される土地の名。突厥の古い石人像(石碑)がたくさん建っているという。「突厥の石人像」ってどこかで見たなあ、と思って、自分のブログを調べたら、橿原考古学研究所附属博物館の『大唐皇帝陵展』で、唐・昭陵(李世民墓)の神道に建てられた「五条の弁髪を垂らした突厥人の石像」を見ていた。むしろ「突厥 石人」で画像検索すると、興味深い写真がいろいろ出てくる。円空仏みたいな味わい。

 それから「キルク族」が分からなくて、いろいろ調べてみたのだが、「キルギス人」のことと考えていいのだろうか。Wiki「キルギス」の説明には、クルグズ(キルギス)の語源は「кырк(クィールク)」が40の意味で、40の民族を指し、また中国人にかつて「гунны(グンヌィ、匈奴)」と呼ばれていた背景から、それらを合わせてクルグズとなったと言われている。(中略)40を意味する「クゥルク」に、娘や女の子を意味する「クゥズ」をあわせた「クゥルク・クゥズ」は、“40人の娘”という意味になり、中央アジアに広く伝えられるアマゾネス伝承との関連をうかがわせる、とある。「アマゾネス伝承」というのは、よく分からないが、イリューシカの造形に影響しているのだろうか。西域編は、大唐編ほど元ネタがすぐに分からないので、調べながら読み進むのが楽しい。
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2014大阪で花見

2014-04-11 23:35:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
先週、文楽4月公演(住大夫さんの引退公演)を見るために大阪に行ったときの余話。夜の部開演まで時間があったので、噂の「あべのハルカス」に行ってみる。

あべのハルカス美術館 開館記念特別展『東大寺』(2014年3月22日~5月18日)

印象的だったのは、国宝『誕生釈迦仏立像・灌仏盤』の灌仏盤の浮彫が、非常に見やすかったこと。むかしの奈良博でも、いまの東大寺ミュージアムでも、あんなによく見えたことはないと思う。室町時代の絵巻や仏画がたくさん出ていた。最高級の名品とは言いがたいが、ふだん見ることが少ないので、珍しかった。『木造重源上人坐像』は、ここでも「勧進」の象徴みたいに静かに座っていらした。

■大阪・水上バスクルーズ

翌日、ホテルの近くの「難波宮跡」を見にいく。曇り空の下で、満開の桜が風に揺れていた。



 さざなみや志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな(千載66)

いや、ここ難波だけどね。旧都の遺跡に桜花はよく似合う。

 さざなみの志賀の唐崎さきくあれど 大宮人の船まちかねつ(万葉30)

というわけで(?)八軒家浜船着場に行って、水上バスクルーズ(アクアライナー)に乗ることにする、予約して、カフェで朝食にしていたら、乗船時間には満席になっていた。早めにチケットを購入しておいてよかった。



ポツポツ小雨が降り始めたが、屋根が付いているので安心。車窓ならぬ船窓は、ずっと桜並木。大阪造幣局の横も通っていく。春の名物「通り抜け」を体験できるのではないかと思っていたが、一週間後(4/11~)だと聞いて、ガッカリ。遅いんじゃないかと思ったが、造幣局の見どころは八重桜なので、ソメイヨシノより花期が1週間ほど遅いのだそうだ。下は、一瞬だけ見えた大阪城。楽しいな、このクルーズ。



■東寺・食堂 『漫画家による仏の世界展』(2014年3月20日~4月6日)

京阪線で京都へ。時折、強い雨が通り抜ける不思議な天気だったが、青空も見えた。東寺の庭で、天女の羽衣みたいに美しい桜花に見とれる。ついでに『漫画家による仏の世界展』では、江口寿史画伯の『魚藍観音』に見とれる。確か、北斎の鯉をお手本にしたとつぶやいていらしたけど、ダイナミックで、国芳を思い出した。



そして、自分がどんなにサクラ好きかを思い知らされつつ、東山~洛中を散策して、旅を終わる。

北海道に戻ってみれば、今日も春の雪。桜はいずこ。
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アイスショー「スーパースターズ・オン・アイス in 札幌」

2014-04-11 00:15:53 | 行ったもの2(講演・公演)
スーパースターズ・オン・アイス in 札幌/Superstars on Ice in Sapporo2012(2014年4月9日、19:00~)

 昨年、札幌に引っ越してくるにあたり、いろいろ不安を感じた一方で、フィギュアスケートを生観戦する機会は増えるに違いない、というのは楽しみのひとつだった。ところが、めぼしい機会もなくて1年間が過ぎてしまった。あれ~と思っていたら、ようやくめぐってきたチャンス。年度初めの月火水の、平日3日間限定ってひどいなあ、と思いながら、S席チケットを取った。会場は真駒内アイスアリーナ。地下鉄の終点駅から、さらにバスに乗るというので、仕事帰りに間に合うか気を揉んだが、シャトルバスがどんどん来てくれて、問題なかった。

 会場の第一印象は「思ったより狭い」。そのわりに客席は3階まであって、私は2階席だったが、リンクが遠い気がした。あと全体に作りが殺風景で、アイスショーの会場というより「体育館」の雰囲気だった。オープニングは、はっきり判別できなかったけど、海外スケーターたち(だけ)の群舞。日本人スケーターはいつ出てくるんだろう?と思っているうち、彼らがサッと捌けて、個人演技が始まる。

 最初は織田信成の「ラストサムライ」。心が晴れるような、のびやかな滑りが美しい。続いて、鈴木明子は今季のSP曲「愛の讃歌」。彼女は、ハードボイルドな曲も清楚で女性らしい曲もこなす、幅の広いパフォーマーだけど、私はこのプロで初めて好きになった。紫の衣装もよく似合っていて、堂々としていた。

 三番手はハビエル・フェルナンデスで、やはり今季のSP曲(Satan Takes a Holiday というのか)。しばらく海外スケーターが続く。アイスダンスのシブタニ兄弟、一見してファンになってしまった。マイアちゃんのツイッターの写真や動画がまた楽しい。フィギュアスケーターって、みんな可愛いなあ。それから、デニス・テン君の軽快な「雨に唄えば」、チン・パン&ジャン・トンのしっとりと情熱的な「ロミオとジュリエット」など。

 第1部の最後には日本人スケーターも登場。小塚崇彦の帽子プロ。村上佳菜子ちゃんは今季Ex(King of Anything)で、狭いリンクから飛び出すんじゃないかと思ったくらい、元気いっぱい。くるくる変わる顔の表情が遠目にもはっきり感じ取れて、こちらも楽しくなる。濃いピンクのドレスも素敵。

 休憩を挟んで、第2部オープニング。色ちがいの原色Tシャツで登場した男子スケーターの群舞。あれも海外組だったのかな? よく判別できなかった。第1部もかなり豪華メンバーだったが、第2部は、さらに近年のメダリスト、スーパースターが相次ぎ登場。町田樹のSP曲「エデンの東」で大歓声。町田くん、王子様路線で行くのかと思っていたのに、最近の変人キャラで固定していいのか…とちょっと思っている。ジェフリー・バトルは初めて見たけど、なるほどカッコよいわ~。そして、見れば見るほど、スルメを噛みしめるみたいに好きになっていくP.チャン。

 女性陣は、ジョアニー・ロシェット(ノートルダム・ド・パリ?)、カロリーナ・コストナー(シェヘラザード、青のキラキラ衣装)が登場。手足の長い西洋人の女子選手の美しさは、飛んだり跳ねたり、小回りの利く日本人選手とは全く「別物」という感じがする。ソトニコワは長い髪を振り乱しての「白鳥の湖」(文楽人形みたい)。

 そして、浅田真央登場(スマイル)。私は見ているだけでも競技会の緊張感が苦手なので、こういう笑顔の見えるショープログラムのほうが好きだ。そして、観客の異様な盛り上がりに驚いてしまった。トリは羽生結弦。名プロ「花になれ」は、ようやく初見で、嬉しかった。そしてフィナーレ。

 選手がリンク北側の入退場口に引っ込んだあとも、手拍子が鳴りやまず、暗転した照明がもう一度、明るくなると、入退場口に集まった選手たち(主に日本人選手)が何か話している様子。やがて羽生が、ほかの選手を煽るような仕草を見せながら、ひとりでリンクに進み出ていく。期待にどよめく客席(もちろんみんな、スタンディング状態)。すーっと南側に滑っていった羽生が、見事にジャンプを決める。よ、4回転だよね?とは思ったけど、4回転ループ(4Lo)だとは分からなかった。それであんなに、胸を撫ぜ下ろす仕草を見せたり、嬉しそうだったのか。

 そのあと、もっと誰か行けよーという煽りポーズを見せるのだが(女子にも)みんな引いていたら、織田信成くんが引っ張り出され(というか、搬入荷物みたいにリンクに押し出され)、果敢に挑戦するも、見事に失敗して、ごめんなさいポーズで戻ってきた。織田くん、いい人だなあ。社会(集団)には羽生くんも必要だが、織田くんみたいな人も必要だよ。こういうスケーターの一面を見られるのが、アイスショーの楽しさ。

 アリーナ席はずっと盛り上がっていたが、私のまわり(2階席)は、やや盛り上がりにかけた。アイスショーが初めてのお客さんが多かったのだろうか。拍手や手拍子を義務でする必要はないけど、もう少し乗ったほうが楽しいのに。そして、日本人選手にしか関心がない雰囲気のお客さんが多かったな。今回のショー観戦をきっかけに関心が広がってくれたらいいと思う。
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