時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

焼きリンゴにはまる

2024-03-01 | essay



焼きリンゴがどうしてもどうしても食べたくなって
フライパンで作れる簡単レシピでチャレンジ。
いやはや〜これはこれは!!
なかなか美味しい。
焼き過ぎたのがよかったのかカラメル状態になって、冷めるとりんご飴の親戚的な感じもある。
タルトタタンはこんな感じ?

そしてやはり本格的に丸ごと作ってみたくなって後日トライ。
色はイマイチだけど
おいしい〜!
アイスを添えていただきます。

両方とも美味しいのだが
家族の評価は前者に軍配があがった。
芳ばしい味わいが良かったみたいだ。
わたしは両方ともすき。

こんなふうに作っちゃうほど焼きリンゴが食べたくなったのには理由があり…。
先日吉祥寺で通りかかった喫茶店の手書きの張り紙を目にして
ぐ〜んと時間を遡って30数年前にタイムスリップ。
ここで食べた焼きリンゴの味を思い出したのだった。
あれから何故かついぞ一度も入っていない想い出のお店。
でもこの日は定休日。
近々絶対行こうと思って調べたら焼きリンゴは10月から2月の限定品であった…。

秋まで待てん!と
焼きリンゴを作ってみることにしたのであった〜。

懐かしのあのお店。
きっと次にはお邪魔しよう。





寝言で目覚める

2024-02-26 | essay
「泣いてんの だぁれかなぁ〜?」

真夜中、自分の大きな寝言で目が覚めた。

幼稚園の預かり保育のおシゴト。
この日は凄い人数な上に手のかかる子も多数。
あっちのケンカ、こっちの困りごとに飛びまわり、おむつ交換にお迎えの保護者の対応。。。

自覚のないまま多分 わたし脳疲労状態。

眠りながらも夢の中で園児に振り回されているとはかなりいただけない状況である。

子どもがすきだからしているシゴトとはいえ
限度ってものがあるわけで。
そろそろ働き方を考える時かな、と思うのだけれど
しゃがんでるわたしの背中に急に抱きついてきて「せんせいだいすき〜」なんて言われちゃうと…
まあ、もうちょいがんばるか〜となる毎日なのであります。













今生に来た日

2024-02-25 | essay

令和になってから誕生日は祝日!
長男S、結婚して初めての誕生日。
Nちゃんとふたりしあわせなバースデーだったことであろう!
あっという間に28歳かぁ。
長男とわたし、同じ誕生日。
一週間遅れてわたしの誕生日を選んで(?)生まれてきた彼。
20代ラストに初産!と思っていたら分娩台で30代に突入したのであった。

お陰でジブンの歳を忘れない。長男の年齢+30だから!
というわけで58歳となったわけなのだけれど、何故かわたし暫く前からジブンが既に58だと思い込んでいたようで、何かに記入するたび58と書いていた〜。
「57」とコトバにした記憶がない。
失われた一年?
まぁ、ここまできたら1歳くらいどうってことないけど。

誕生日は生んでくれた親を想う日。
自分をこの世に送り出してくれた両親がふたりとも今生にいない誕生日は初めてのこと。

こうしてぐるりぐるりと廻っていくのねぇ。

そして、わたしのココロの神さま的存在のちゃこのおばちゃんも同じ誕生日。49歳で亡くなった伯母。元気でいたなら98歳か。
きっとケラケラ笑うかわいいおばあちゃんになっていただろうなあ。

人生、光陰矢の如し。
今をたのしんで生きよう!




おかえり太陽

2024-02-12 | essay

立春を過ぎると我が家に太陽が帰って来る。

近辺にマンションが建って以来、真冬の数ヶ月直射日光をあびることのない我が家。

やっと帰ってきた陽の光を毎年有り難く想う。
なんて温かいのだろう。
日光はイキモノが生きる上で必要不可欠だなぁとつくづく実感する。

おかえり太陽。

まぁそれも束の間、あっという間に今度は夏の太陽に「暑い暑い」と文句を言うようになることだろう。あかんあかん。

ありがとう太陽!
今日も感謝して過ごしましょ。






一陣の爽風

2024-02-07 | essay
シゴトからへとへとになって帰ったある日、届いた一枚の絵葉書が一陣の爽やかな風を運んできてくれました。

お友だちIさんのフィンランドの旅先からのポストカード!
娘さんとふたり旅とのこと。すてきだなぁ〜

シゴト先の状況に閉塞感をうっすら感じている今のわたしに、この北欧からの一陣の風はドアをバーンと全開にしてくれるほどの威力がありました。

そうだよねー
行こうと思えば何処へでも行けるんだよね〜
ここにずっと居なくちゃいけないなんて誰も言ってない。
とっくの昔に外したと思ってたジブンの枠をいつの間にかまた嵌めなおしてしまっていたのか?ジブン?

フィンランドからの気付きの風をありがとうございました






根っこのジブン

2024-02-05 | essay

大阪からの転校生だった9歳のわたしが一番最初に仲良くなったともだちは、
同じように背が小さくておちゃめでカワイイみんなの妹分的なN子。
彼女の小悪魔的なワガママに振り回されながらもわたしは彼女がだいすきになったんだ。
同じ2月生まれだったので、子どもの頃毎年「ふたりだけのバースデーパーティ」をどちらかの家で計画したものだ。
あれからなんと、もうすぐ半世紀が経つのか。。

去年父が亡くなって少し経った頃、めちゃくちゃ会いたくなったのは彼女だった。

生活リズムの違う彼女とは近年なかなかゆっくり会うこともないままコロナ禍も過ぎ、一体何年ぶり?かに待ち合わせた。

ちょっとお茶して喋ろうってはずが積もる話に気がついたら夕やけ間近。

人生で一番長いともだちだもの。べったりな関係ではなくとも互いの初恋も失恋も彼女の離婚劇も再婚も人生の節目にはそばにいたように思う。

近年会わないうちに互いにたいせつなひとを次々亡くし、そして新しい家族も増え、彼女はなんと去年おばあちゃんになった。

歳を重ねるということは
こども時代のジブンを知る大人がいなくなっていくということなんだ。。
こども時代を共に過ごした彼女は互いの生き証人ということね。

最早ともだちというよりイトコみたいな関係の彼女、奇遇にも再婚した相手はわたしの嫁いだ姓と同じ。
子ども時代よく似てると云われていたわたしたちふたり、今は同じ姓を名乗る。
フシギなものだ。

「久しぶりに家族以外と話をしたよ!」と彼女。。。

いつでも会えるって思ってないで、時間作ってもっと会おうよね。
長い年月に様々なことがわたしたちの上に積み重なっていったけれど、
目をみて笑って喋るうちに根っこの部分の子どもだったあのことあたしが浮き彫りになってくる。

ともだちのありがたさが本当にわかるのって、うんとオトナになってからなんだな。
と近頃実感する。

ありがたいことです。
互いにがんばって健康でいよう!






空を見上げて。

2024-02-02 | essay
西陽の空を龍の家族が往く

ようにみえたある日の日暮れ前。

雲の行方を見上げてゆっくり歩くのは久しぶりな気がする。
世の中がコロナ禍から日常へと戻り、いつの間にか我知らずわたしもまたせかせかと急ぎ足で生きてしまっているのだろう。

家から出ることもままならず、スーパーへの行き帰りに目にする小さな草花や樹木にあんなにもこころを動かされていた日々…。あのセンシティブな感覚を忘れてしまいたくはないのだけれど。

まるであの数年がなかったかのようなこの頃の世の中の動向に少し違和感を感じてしまう。
歩く歩道に乗りそびれたような感覚とでもいうような。
自分の最適な歩幅を忘れてしまったような…。

あたらしい日が誰にでも平等に訪れるとは限らないのだから、今生きているこの時をしっかり目を開けて見て感じて味わいたい。

二十代の頃、同僚に「君って生きることに貪欲だよね」と言われた台詞を時々ふいに思い出す。
あの頃タップを習ったりバラライカを始めたり、好奇心のあることになんでも首を突っ込む私を見て言ったそのコトバが、褒めていたのか呆れていたのかは今でも定かではない。
それでも、いい得て妙とはこのことだなぁと思ったりする。
確かにわたしは今でも生きることに貪欲だから。笑
何歳になろうと、してみたいコトのリストが増えていくばかり。
(出来てないことだらけ、とも言う)
まぁ、行けるとこまで行ってみるとしよう。てくてくと。







野生馬の群れ。のようなすすき

2024-01-29 | essay

すすき。
風になびいた形のまま枯れている。

眺めていると
何故か佇む野生馬の群れを連想してしまった。

野生馬なんて見たことはないのだけれど
以前広大な荒野を野生馬の群れが駆けてゆくのを夢でみた。
ふしぎだなぁ。
夢でみた光景なのに時間が経つと本当にみたような気になってくる。

危険だ。記憶の改ざんが始まっている?笑

夢でみた光景と現実にみた光景は、きっと遠い先には混ざり合ってどっちだろうと構わなくなるに違いない。

まあ、それもオモシロイかもね。









年齢に気付かされる!

2024-01-27 | essay
シゴト先の幼稚園で
園児が「せんせい」と呼びかけるつもりで「ママ」とか「おかあさん」と間違えて呼ぶのはよくあること。
だったのだが…!

最近なんどか
「ばぁば…」と間違えて呼ばれることが。。。

そうかぁ。無意識下でそう間違えるってことは、わたしはもうおばあちゃん感を醸し出しているってことなんだな。
まぁ、こどもたちがばぁば的な安心感を持ってくれてると思えば嬉しいことではあるのだがね。ちょっとフクザツ。

思えばこの仕事に就いてもうすぐ八年になるのか。
(注:独学で保育士資格を取得したのは49歳であります)
確かにその間にわたしも八年分歳を取り園児の保護者たちとの年齢差もその分広がり、ママたちよりもお迎えにみえるおばあちゃんたちのほうが断然年齢が近くなっている〜。
普段あまり自分の年齢を気にしないばかりに時にこうして突如として浦島太郎的に実年齢に気付かされるのであった。

キモチは子ども寄りなんだけどな〜笑




空を泳ぐもの

2024-01-24 | essay
今年は辰年。
龍は神の使い的な想像上のイキモノとされているが
いないと誰が言える?
恐竜だって存在していたんだもの。
テレビを観ながら娘とそんな話をしていたら
娘がオモシロイことを言い出した。
「十二支って龍以外全部実在してるじゃん。
昔は龍も現実にいたってことだよ。」

確かにー!
龍だけ架空ってほうが不自然だ。
世の中にはびっくりするような不思議なイキモノがたくさん存在する。
ただヒトが知らないってだけで、未知のイキモノがこの地球上にはたくさんいるに違いない。

空を見上げて
竜が悠々と泳いでいく姿を暫し思い描いてみよう。
カッコイイだろうなあ。




竜っぽい雲。
あ、でも空から急降下して捕食されるのは勘弁願いたい。
草食ということにしておこう。笑。



歩いたことのない道を往く

2024-01-06 | essay

下町にポツンとポンプ
11月に結婚した長男SとNちゃんの新居へ。スカイツリーの見える町。

お正月の挨拶に来るというふたりを制して、こちらからお宅訪問。
自営業の我が家の定休日は木曜。
土日休みの会社員の息子と休みが合うのはお正月くらいなのである。

電車で夫と出掛けるのは一体いつ振りのことだろう。とんと記憶がない。

ふたりが暮らし始めたのは上野駅から徒歩圏のマンション。なんとうらやましいこと。
動物園にも散歩がてら行けるじゃないか。

子どもたちが小さい頃、お正月休みといえば毎年上野動物園へ来たものだ。
ついこの前のような気もするけれど小学生の頃までのハナシ。あの頃が懐かしい。

そして若いふたり。幸せそうでなにより。
わたしの友だちからのお祝いのぐい呑みを記念にパチリ。

ふたりが飼っているカメ吉くんも少し大きくなって元気でなにより。

新居を辞して帰りは別の道を通ってみたら何やら面白いところへ出た。
夫はわたしと違って方向を見誤ることはない。
なんと地下鉄銀座線の引込線の踏切!
写真は踏切から見た柵の向こう。
珍しいものに遭遇したせいで浮足立って踏切そのものの写真を撮るのを忘れてしまった。残念。

その先に上野駅をひと跨ぎする大きな陸橋が!
調べたら両大師橋という橋。

これは電車好きな子どもにはたまらんスポットだな。
子どもに限らず誰でもここはわくわくしそうだ。
多分待っていれば新幹線だって観れるはず。

この橋を越えると、なんとすぐ左には科博が!
わぁ〜ここに出るのかー!
方向音痴のわたしにはまるでどこでもドアを開けたような気持ち。

これは!
わたしのすきな場所へ真っ直線?


眼の前の時間

2024-01-02 | essay


この数年来、元旦の日の入りをここで拝むのが恒例になっている。

穏やかな元旦。
日没前にカメラを構える中、辺りで一斉に緊急地震速報の警報音が鳴り響いた。

自然はうつくしい。

けれども時に途方もない威力で元来持つエネルギーを放出してくる。
そのチカラを普段わたしたちは忘れてしまっている。
というよりも考えないようにしているだけ。。

いまは祈ることしかできないけれど、もうかなしいことが起きませんように…。
…そんなコトバさえ空々しく宙を漂うようで口をつぐむ。

地震列島に暮らすわたしたち日本人。自然災害はどこに起きてもおかしくない。

今日を明日に延ばすことなく眼の前のこの時間をてのひらに乗せてよく視よう。
時間は次々に指の間からサラサラと滑り落ちていくけれど
感じることが出来るのは確かにある今この時だけ。


被害に遭われた方々が暖かい場所で眠れますように。。



さよなら2023年

2023-12-31 | essay
2023年が終わります。

(ルソー人形に意味はありません笑)

今年が始まる時、わたしの年!と単純に喜んだものです。
ただ誕生日の数字の年だからってだけですが。

父の死去と長男の結婚。
ふたつの大きな出来事により人生の駒がズズズンと先に進んだような気持ちであります。

関東と関西。離れていたせいか、亡くなった今も
夜道を電動車椅子をかっ飛ばしてあの呑み屋で仲間とワイワイ飲んでるんちゃうかな…
今にも酔っぱらって「お前に会いたいんやぁ〜!」って電話をかけてくるんちゃうかな…。
そうだ、もういないんだ。
と今になってハッとしたり。不思議な気持ちです。

寂しがり屋の父だから今頃は天国の仲間と呑んだくれていることでしょう。

父が亡くなって丁度半年後が長男の挙式だったので、何だか上手いこと気持ちがふわふわと麻痺したまま墜ちずにここまでこれたような気がするんだなぁ。
11月の結婚式からもあっという間に月日が過ぎてこの激動?の2023年もあと数時間を残すのみ。

長男は愛するヒトとふたりで初めての年越し。料理男子なあのこだから天ぷら蕎麦を作っているかな。
蕎麦から打ってたりして!?

我が家では、近年すっかり恒例となった料理男子次男坊の旨い天ぷらで年越し蕎麦の大晦日。
(末っ娘は年末年始休まずバイト!)

健康で屋根の下で食べられること、身体が動かせること、まずはそこに感謝したいと思います。

2024年
世界中の様々な和解が進みますように。

どなたさまにとっても新しい年が穏やかな一年でありますようお祈り申し上げます。
どうぞよいお年をお迎えください。

今年もわたしの拙い書きっぱなしエッセイに目を留めて読んでくださり心から感謝いたします。

2023年 ありがとうございました(⁠.⁠ ⁠❛⁠ ⁠ᴗ⁠ ⁠❛⁠.⁠)

時間のしずく
miko

手を伸ばす木々

2023-12-29 | essay

みんなで
同じ方向に手を伸ばしてる〜!と気付いた。
あ、枝のことね。

木には絶対こころがあるって思うのはこういう時。
木々は互いに気遣いながら枝を伸ばして成長していく。
ぶつからないように
互いに伸ばしやすい方向にだけ腕を拡げてる。
周りに余裕のあるこの木なんて、どんだけ奔放!?

ご近所のこのメタセコイア並木は移りゆく季節をしっかり教えてくれる。

空気はまだ暖かいけれど
ちゃんと12月の顔をしている。
彼らを仰ぎ見ながら歩くのがすきだ。
ジブンはまだまだニンゲンとしてもチッサイけれど
木々のようにこうして周りの者同士互いにたいせつにしあいながら
凛として生きていきたいなぁ。。
なんて想うヨリミチ散歩の昼下がり。


それにしても暖かい年末だ〜。



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