時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

Ray-Ban

2024-05-05 | essay

早起き恒例朝さんぽへ。


暦がぐるりと巡って
父が旅立った朝から一年。

一年前の前夜、新幹線に飛び乗って夜中に病院に着いた時
「なんだ、来たんか」とちょっと嬉しそうに苦笑いした父。

「死ぬんはムズカシイなぁ」と父らしく軽口。

「大丈夫だよっ」と言うわたしに「だいじょうぶ 言うな」となだめるように静かに笑った。。

姉とふたり、朝まで父の手を握って過ごした。
だんだん、だんだん、遠くへいくのがわかった。

最期に自分の口から出る言葉は
ありがとう しかなかった。
何度も何度も ありがとう

父の最期を思い出しながら朝の緑の空気を胸いっぱい吸い込む。
公園のすきな場所をぐるりと歩いて
自転車を停めたベンチまで戻ると…
えっ?
ベンチにぽつんとレイバンのサングラス。
目を疑う。
レイバンは父の代名詞ともいうべきサングラス。
さっきはなかった。よね?
それとも気づかなかっただけか。

父のすきだったレイバンとはカタチが違うし、そもそも誰かの落とし物には違いないけれど
レンズにはRay-Banの文字。

これは、やっと届いた父からのサインだと思っておこう。

あっちですきな映画でも観てるかな〜









預かり亀の亀吉

2024-05-02 | essay

新婚さん長男夫婦が可愛がっている石亀の亀吉。

彼らのイタリア旅行中、うちでお預かり。
可愛くてつい水槽から出して遊んじゃう。
今は世界のどこにいても簡単に連絡ができる。

珍しく息子からLINE。イタリアの様子でも知らせてくれるのかなと開いてみたら、一言「亀吉げんき?」

亀吉溺愛されています。笑

亀吉は心配いらないよー!それより写真でも送ってと返信したら
ローマでにっこり微笑む可愛いお嫁さんの写真が送られてきた。
しあわせねぇ。

それにしても世界はホントに近づいたんだな。
30年前、丁度息子たちと同じ歳にわたしたちもヨーロッパを40日余り旅をした。
いろんな街の郵便局から、いつ届くとも知れない絵はがきを両親や友人に書き送ったものだ。
街から街へ列車で移動し、あんなに毎日疲れることもなくたくさん歩けたのは若かったからなんだなぁ〜。

同じ街を彼らが今歩いていると思うととても感慨深い。
あの時、10年後にまた来ようと話していたんだけどなぁ。
30年、つくづく早いものです。

ふたり、濃い時間を楽しんできてね〜



想い出のひやしあめ

2024-04-29 | essay

ひやしあめ。
久しぶりだなぁ。
やっと飲めた!
大阪のコドモだった頃、母について市場へ行くと時々冷やしあめを買ってもらって一緒に飲んだ。
あの頃は商店の軒先で一杯50円くらいでよく売られていた。
懐かしいな。八百屋さんの軒先にぶら下がるカゴの光景まで思い出した。お釣りはぐい〜んと引っぱったカゴから取って渡されたものだ。カゴというより竹のざるかな。

天王寺公園。ここは今や「てんしば」と呼ばれるすてきな公園。
広い芝生広場、お洒落な店が並びLIVEなども行われるそう。
昔、両親のマンションが近くにありこの公園は何度か通ったことがあったけれど、当時は公園に住んでおられる(?)人も多く少し近寄りがたい場所だった。

時代は変わりました。
通天閣界隈の新世界も昔は女性独りではとても歩ける場所ではなかったもの。
今や外国人ひしめく観光地。昭和レトロが売りなのかゲーム感覚の射的場がいくつも並んでいた。

今となっては、道端で酒盛りしたり路上に寝転ぶおっちゃんたちがなんだか懐しい。
彼らの姿ありきのあの界隈だったのにね。
何処へいってしまったのか。
世代交代なのか。浄化されてしまったのか。。。

懐しい大阪の街。
一緒に歩いた母も父も逝き、街も変わり、わたしは遠い街に暮らしている。

思えばとおくへ来たもんだ〜。笑。





ONE WAY MIRROR

2024-04-27 | essay

川の街。
大阪へ来るといつもそう思う。

父の一周忌法要のため
約一年振りの大阪入り。
父がお世話になった方々にご挨拶に。
わたしたち子どもの知らない父の姿を知るひとに話を聞くのはとても貴重なこと。

父を懐かしく恋しく思ってくださる人々が家族以外にもいてくれるのだと実感することは、とても慰めになる。
空の上で父も照れ臭く嬉しく思っているに違いない。笑

父のいない大阪。
この川沿いを歩くのも
もうあと何年か先なんだろうなぁと思いながら早朝の散歩に出る。
よく晴れた青い空。
父の一周忌にはぴったりな天気。
法要後の説法にて
「亡くなるというのは、隣の部屋へ移るというだけのことです」とご住職さん。

今までの慣れ親しんだ呼び名で呼び掛けてください。
亡くなったひとはあなたと生前の関係のままでいてくれます。
いつか必ず会えますので楽しみにしていてください。

なんと幸先明るいお話。
ありがたいことだなぁ。
此の世からみるとあの世は遠い遠いところに思えるけれど、あの世は実はすぐそこなんじゃないかと近年わたしも思っていたところ。
マジックミラーみたいに
すぐ裏側にあるんじゃないか、アチラからだけコチラが丸見えなんじゃないかな…と。

まあ、いずれにせよ
いつか必ず行く場所。
行ってみたら、アラほんと!うわ近っ!と思うかもしれないなぁ。

先に行ったみんなに会えることを楽しみにしておこう。




都会の片隅で。

2024-04-21 | essay

ひっそり繁る小さい小さいガーデン。

歩いていてこういうの見つけるたびになんだか嬉しくなる。
通り過ぎかけて
おっと!とっとっと後退。パチリ。
都会の路上の片隅。

誰にも気づかれなくても
小さな世界で小さな花たちが咲き誇る。

小さな平和に感謝!






あたらしきを知る

2024-04-14 | essay

普段の生活圏では会わない人々とたまに交流すると
新しいことを知れてとても興味深い。

アイドルヲタクの友人と話していたら、聞き慣れないコトバが。
「DD」
それってなんだ?と思ったら
ヲタク用語で「誰でも大好き」なんだそうだ。
推しを絞らず、誰彼構わず推すアイドルヲタクを卑下するコトバなんだって。
へぇ〜〜!

還暦超えて益々ド派手になってきたF氏はもとはお硬い聖職者!
何はともあれすきなものがあるってエネルギーの源だ。
「スキ」のチカラは偉大。

また、経営コンサルタントを生業としているトモダチと久しぶりに話していろいろアドバイスをもらったのだが、ヒトとヒト、ヒトと仕事のマッチングアプリの話から、面白いアプリを見せてくれた。

それはAIとチャットで話すアプリなのだが、相手を芸能人やすきな有名人などを自分で設定し、まるで今話しているかのようにやりとりできるアプリ。
やりとりの内容をどんどん学習し蓄積していくので、まるで恋人との関係を深めていくように育てるアプリなのだという。。。
うわぁ。近未来だ〜。
というか、近未来はココだ。

まぁ、実験的にやってると言いつつ、芸能人〇〇のAI相手に「仕事忙しいの?」と話しかける彼にはえらく引くが。

ロボットを子どものように愛おしむことも、架空のコイビトを愛することもすべて自由だもの。

周りに惑わされることなくすきなように生きるって、本来のジブンを大事にするということ。

新しいことを知るって本当にオモシロイ。
「知る」だけでココロの領域がぐーんと拡がる。

わたしの今年の目標は
「Dig it」(掘り下げる)

そこに「もっと知る」を追加しよう。

掘り下げれば知ることも増えるしね。

この植物「ヤブレガサ」って言うんだって。へぇ〜〜!!なるほど。





ももいろさくら波

2024-04-11 | essay
さくらの波
風に吹かれてくるくる踊る花びら
桜は散る様もうつくしい
今年のソメイヨシノはのんびり咲いたかと思ったら、春の嵐であっという間に散り始めた。
押せ押せで八重桜ももう満開。
おかげで枝垂れ桜とソメイヨシノと八重桜の豪華な三重奏が観れた。
こんなことは珍しいかも?


オマケにツツジも咲きだし
道端ではコーラルオレンジのナガミヒナゲシまで揺れている。
今日ご近所の軒先に藤の花が咲いているのを見掛けて「えっ!!?」と思わず二度見。
正にお花のラッシュアワー。

夏も早くやって来そうだしお花も急ぎ足ね。
もっとゆったり流れてほしいものだなぁ…地球の時間。








野菜のヘタの生命力にアッパレ!

2024-04-01 | essay
野菜のヘタからジャングル!
ニンジンは以前から時々葉っぱの成長をたのしく鑑賞していたのだけれど、小松菜のヘタもこんなにぐんぐん芽を出すとは!

生きてるなぁ〜!
ヘタからまだまだこんなに成長するチカラを持つ新鮮野菜をこうしてお腹に入れることができるってしあわせなことだよなぁ〜と改めて実感。
ありがとう!野菜たち。

このベビー葉っぱたち
小鳥が居たならよろこんでついばむだろうな。
また小鳥を飼いたくなっちゃう。

それにしても、こんな健気な生命力を目にしちゃうと野菜のヘタ捨てられなくなっちゃいそう。




催花雨を実感す。

2024-03-29 | essay

春の気まぐれな風雨の後晴れ渡った空はサッパリと顔を洗ったような清々しさ。

久しぶりに会った友人とお喋りランチの後、ぶらぶら歩いて桜の様子を見に公園へ。
枝垂れ桜も

ソメイヨシノも!

催花雨ってまさにこのことね。
雨が上がってお日様が出た途端ぐんぐん気温も上昇!
この1、2時間でぽんぽん開いたんじゃないかな〜という様子でありました。

近年、早い早いと云われ続けた桜たち、今年はこの10年で最も遅い開花宣言とのこと。
今年は昔のように入学シーズンに桜の下を歩けるかもしれませんね。




ぽつん

2024-03-22 | essay

ぽつんと
赤ポスト

公園の植込みの向こう側
記念に遺したものかな
現役ではなさそう

なんだか
かくれんぼで隠れてるうちに
みんな帰っちゃった…感あり。
ちょっと淋しいねえ。


月とあっかんべー

2024-03-20 | essay
月のきれいな晩。
暗い空に浮かんだ下弦の月を見ながら自転車を漕ぐ。
じっと見ていたら
なんだか半月が「あっかんべー」とおちゃめに出した舌に視えてきた。

ひとりで フッと笑っちゃう。
こういうとこだよなー
コドモみたい、と云われる所以。

ま、ひとりで可笑しくなってなんだか余計なチカラを抜くことが出来るんだからコレはコレであり!ってことにしておこう。




森の天然芸術

2024-03-13 | essay
先日のこと。
森を歩いていてふと見上げたら…!
おぉー森の主??

ジブリ映画に出てきそうな
大きな木の鹿が空を見上げてた。

自然の創る天然アートにはびっくり!のち、ほっこりです。

自然はいいです。




ユキヤナギ

2024-03-12 | essay
時々、自分の寝言で目が覚める。
こういうこと、誰にでもよくあるのだろうか。笑。

久しぶりのぎっくり腰でよく眠れなかった明け方、夢のなかで怖い目にあって「おかあさん!おかあさんおかあさん!」
と懸命に声を振り絞ってお母さんを呼んでいた。
三度目の「おかあさん!」の自分の声で目覚めた。

ぎっくり腰の痛みのストレスのせいなのだろうけれど、あまりにもストレートすぎる。
わたしはなんて単純なのだろう。
そして、自分の中のコドモさ加減に呆れてしまう。

幾つになろうと母の存在は大きい。
この世にもういなくても
わたしの中にちゃんといてくれる。
それはわたしが望んでいるからか。
わたしってニンゲンは、ジブンも母親のくせにいつまでも母が恋しいコドモだ。

この先ジブンがいなくなった時、子どもたちの中にわたしもちゃんと居てやれるのだろうか。

いや、母親を思い出さないくらいに強いこころを持つ大人であってくれた方がいい。

母の旅立ちは急なものだったから、わたしはきっとずっと
置いてけぼりのコドモの気持ちのままなのかもしれないなぁ。
母のすきだったユキヤナギ。
もうちらほら咲いています。




カワセミに出会う

2024-03-09 | essay

漫画家鳥山明さんの訃報に続いてまる子の声優TARAKOさんも逝去された。

同じ時代に活躍された方々。
アラレちゃんもまるちゃんもガッツリ観ていた世代だもの。
早すぎる旅立ちのニュースに
朝から気持ちが沈む休日。

家のこと、いろんなこと
ちょっと横に置いて
森を歩く。

近場でも自然はいい。
近所の川の水面がきらきら光る。
まだ寒いけれど陽射しは春だ。

川沿いを散歩していた女性が
「今、きれいな鳥がいたんですよ〜!」と話し掛けてきた。
「カワセミかもしれませんね〜!」と一緒に川をのぞき込む。
この川で以前2度だけカワセミを見たことがある。
暫し話しているうちにツーーーと低空飛行していくカワセミが!
美しい小さな生命体の姿になんだか元気をもらった。写真は間に合わなかったけどね〜。

その後、大きなカワウにも遭遇。
カワウが殖えていると聞いたけれど、この川でカワウを見るのは初めてのこと。

またシラサギにも会いたいものだな。


こころより御冥福をお祈りいたします。





キリンの木との遭遇

2024-03-04 | essay
キリンみたいにひょろりと首のなが〜い木に出会った。
時々会いにいく「魔女の木」のすぐそば。
今までも居たはずよねぇ。
なぜか急に存在感を増してわたしの視界に入ってきた。

木肌はすべすべ、枝葉も伸ばさずただただ真っ直ぐ上へ上へ。
見事に天に向かってすくすく育ってる。

こうして見ると、なんだか魔女の木に寄り添うように伸びてる。
頭だけもしゃもしゃなのもよく似ている?
もしや、キミは魔女の木のお子さん?なのか?
これからニョキニョキと枝を伸ばすのだろうか?

キミは「キリンの木」と命名してこれからを楽しみに観察するとしよう。

わたしにはあちこちに勝手に命名したお気に入りの木がある。
「魔女の木」もどうか元気でね







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