時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

すきなものリスト

2009-12-16 | essay
わたしにはすきなものが多いらしい。

他界した母が「mikoは好きなものがいろいろあるねえ。
自分が何が好きかはっきりわかってるのって、幸せなことやで♪」
と言っていたことがある。

母も、すきなものにはこだわりのあるひとだったから、
わたしがお気に入りのものをこだわって使っている姿が
自分に近くて嬉しかったのかもしれないなあ。

今使っているSAZABYのダークグリーンのお財布も、
思い返せば23歳の時の、現在の夫君からのXMASプレゼント。
というより、すごく気に入ったので指定したもの!
思えば、紙幣がもう少し大きい頃の製品だからかな、
手帳みたいなサイズ。
一時期、一部色抜けしてしまって(子どもの予防注射のアルコール綿で!)
しまい込んでいたのだけれど、やっぱり使いたくて
リペアショップで革を彩色し直してもらって復活。
寝かせていた時期があったにせよ、もう20年も
生活を共にしているなんて、改めて思えばすごいことねえ。
我ながら、物持ち良すぎ!
すきなものはかわらないものなのねえ。
いいものは、作りもしっかりしているから長く使えるしね。

それにしても、お気に入りのものや、ガラクタなんだけれど宝物なものが
あまりに多すぎるかなあ。って、部屋を見回してつくづく思う。
でも「すき」って気持はイコール、楽しい&嬉しいこと。
すきな色をみるだけでも、すきな飾りものがそこにあるだけでも、
すきなMUSICを聴くだけでもいい気分で楽しくなれるなら、
それはしあわせなことだよね。
すきなもののリストを作ってみたとしたら、
長い長いリストになるだろうな。

野に咲くちいさな花でも、たくさん合わせれば素敵な花束に
なるように、ちいさなしあわせをいくつもいくつもたいせつに
拾い上げることができるひとは幸福なひとになれると思うのだ。

と、ガラクタの多さを正当化しようとしている!?のであった


ハーモニカおじさん~TOOTS THIELEMANS

2009-12-14 | MUSICのこと

ハーモニカの音色がだいすき。
ハーモニカといえば、トゥーツ・シールマンス。
20代の頃に「For My Lady」をともだちに薦められて
聴いてから、このハーモニカおじさん、すっかりお気に入り!

数々の大物アーティストと共演しているけれど、
わたしはソロのほうがすきだな。
しかし、あのセサミストリートのテーマを
作曲したのが彼だというのは驚き!
母国ベルギーでは、記念切手になるほどの
国民的人気アーティストなのだそうだ。

ハーモニカといえば・・・
今の子どもはハーモニカを習わないのよねえ。
持ち運びにも手軽だし、すてきな音色なのにどうしてだろう。
現在は幼稚園から楽器の主流はピアニカってことになっている。
正式名称は「鍵盤ハーモニカ」だ!
三年生でリコーダーを習うまではみんなこのピアニカ。
まさか、関西育ちはハーモニカってことはないよね???

大阪時代、わたしが子どもの頃は、
幼稚園からハーモニカだったから、
卒園前の音楽会で「スケーターズ・ワルツ」を
総ハーモニカで演奏したのを覚えている。
ものすごい速さの息の切れる演奏を、
吸ったり吐いたり一生懸命練習したなあ。
今思えば、園児にはかなり高度な演奏!
お母さん方が感動して涙をぬぐっていたのも頷けるわ。
発表のときの写真、クラスみんながどんぐり眼で必至に吹いていて
そりゃもう我ながらかわいいのだ~。

ハーモニカ、父も気分よく酔っぱらった時に
お祖父さんの形見のハーモニカを持ち出してきて
吹いていたっけなあ。
不思議なもので、日本の曲を吹けばなぜか
「戦後昭和の哀愁の楽器」に早変わりするハーモニカ!

ハーモニカ。ジャズもブルースもロックも、
そして哀愁の日本のメロディでも、
ぴったり人間に寄り添う音がする、魅惑の楽器。
実はちょっぴり習ってみたいのだなあ。。。


大仏さんとりんご

2009-12-13 | essay
小さい子どもって、ときどき唐突に
泣けちゃうくらい可笑しくて可愛いことを言い出す。

そういう一瞬が愛おしくて、いくつかノートに残してある。

鎌倉に大仏さんを見にいった時のこと。
当時2歳の次男、大仏さんの背後に駆け寄るなり、
「りんご~!りんごいっぱいちゅいてる~!」
と大声で大興奮。
指さす先は・・・大仏さんの頭。なるほど!

傍にいた観光客のおばさま方、一同ワハハクスクス。
子どもって、おもしろい着眼点を持ってるなあ。
先入観のあるオトナよりいろんなことを見て考えている。

ずっと前、まだ会社員だった頃、駅の化粧室でとなりの個室から
小さな女の子が母親と話す声が聞こえてきた。
大きな声で、「ママ!シンデレラみたい~」とうっとり。
どうして?という母の問いに、
「だってえ、スカートはいてるんだも~ん」とこれまたうっとり。
言うことがかわいらし過ぎて、涙ぐんじゃうくらい感動~。
きっと普段はいつもジーンズのママが、その日は
よそゆきのスカートをはいていたのだろう。
あのかわいいセリフは忘れられない。。
小さい子どもには、どんなこともブランニュー。
目に映るものすべてが新鮮で驚きに満ちている。

そういう気持ち、オトナもたまには思い出してみなくちゃね


絵本「木はいいなあ」

2009-12-12 | 本 のこと

「木はいいなあ」
そのままズバリ!なタイトルがいいなあ。
木がどんなに素晴らしいか、どんなふうに役立つか、
たいへんわかりやすい文章とシンプルな絵で物語る絵本。

1957年アメリカで賞をとり、1976年に初めて日本で出版されている。
原題もそのままズバリ「A TREE IS NICE」!
ナイスだね~。
シンプルな中にこそ、たいせつなことは詰まっているものなんだ。

この絵本を読むといつも、大きな木のある場所に
今すぐ駈けてゆきたくなるよ。


「ことば」と「感情」

2009-12-11 | essay
うちの子はみんな言葉が遅い方だったけれど
末の娘は特に遅く、三歳で幼稚園に入るまで
ほとんどセンテンスでは喋れないくらいだった。
これが第一子ならば、または心配性のお母さんだったならば
しかるべき機関に発達相談に行っていただろうなあって思う。

三歳児検診でも、保健婦さんも慣れたもので、
「三番目のお子さんには言葉の遅い子が多いのよ。オッ~ホッホ」
てな感じ。上のふたりが競い合うように四六時中喋るし、
親も忙しくてついYES/NOで答えられるような聞き方を
してしまいがちだから、娘はうんかううんと、
首を縦か横に振るだけで済んでしまうのだった。

そんなわけで、ほんのちょびっと気にかかり始めた頃、
喋らない彼女も、ちゃんと物事を深く理解していることが
証明される出来事が起きた。

みんなで「ニモ」のDVDを観ていた時のこと。
ニモが人間に捕まってしまって、お父さんがパニックになる場面で
突然娘が「うえ~んうえ~ん」と泣きじゃくり、テレビをぶちっと消したのだ。
なんとかなだめて続きを観ていたら、今度は水槽で目覚めたニモが
突然不安に襲われる場面でまたもやオイオイ泣きだした。

そうかあ…ムスメよ、何にも喋らないアナタだけれど、
物語の中の悲しい気持ちまでちゃんと酌めるほど成長していたんだね。。。
なんだかほっとするやら感心するやら。

その後も「やさしいライオン」という絵本を読んでやっていたら、
親子が引き離される悲しい場面で、突然オイオイと泣き出したり、
どうやら「別れ」に敏感な様子。(前世でなにかあったのかい???)

ちゃんと感受性も育っているから大丈夫。と
すっかり安心するのんきな親なのであった。
三歳で入園するときも、自分の名前を言うのがやっとこさで、
名字は言えないほどだったっけなあ。
そんな娘ももう2年生、毎日九九を念仏のように唱えている。
お~、九九まで言えるようになってるし!
上出来、上出来!

お勉強はゆっくりでいいから、
ひとの痛みをちゃんとこころの目で見ることのできる、
きれいな心根をもつ女性に育っていってほしいな。

クリスマスシーズンにみる夢

2009-12-10 | essay
子どもの頃、クリスマスが近づくと
一度だけ必ず見る夢があった。

それは、お菓子だけを売っている大きなデパートで
すきなだけお菓子を買ってもらう、という夢。
登場するのは、いつも父と子どもたち三人。
そのデパートがどこにあるのかわからないけれど、
気球に乗っていくこともあれば、車でいくこともあったなあ。
夢なんだけれど!まさに夢のような場所なんだ。
絵本の中のお菓子の家のデパート版みたい。
あまりに毎年見るから、夢なのか本当なのかよくわからなくなる。
買い物かごにすきなだけ食べたいお菓子をつめこむ時の
あのワクワク感!夢とはいえ、実体験みたいに覚えている。
記憶の中の「思い出」と「夢」は、時間が経つほどに、
どちらであろうと同じ自分の一部になってゆく。

いつの頃からか、あの夢を見なくなってしまった。
それがきっとオトナへの一歩を踏み出した頃なんだろうなあ。
再入場不可の、おとぎの国の出口。

今でもクリスマスシーズンになると
あの夢を思い出す。
今度はわたしが連れていく役回りでもいいから
もう一度あの場所へ行きたいなあ


サラ・ヴォーンとガーシュウイン

2009-12-09 | MUSICのこと

女性のジャズヴォーカリストではサラ・ヴォーンが一番すき。
彼女が唄えばどのナンバーも気持ちがいいのだけれど、
今BeerのCMにも使われている「ラヴァーズ・コンチェルト」は
いつ耳にしても、どういうわけかせつなくて涙が出そうになっちゃう。

どうしてかなあ。夕暮れの街の雑踏で懐かしいひとに
肩をたたかれたような、ほっと安堵する気持ち・・・?
どこか郷愁に似た気分を覚える曲なんだな。。。
小さい頃に、母がレコードをかけていたのかも。
あのCMの黄昏色、ぴったり。

彼女が唄うガーシュウインもとてもすてき。
「THE GEORGE GERSHWIN SONG BOOK」というアルバムがとてもいい!
ガーシュウインは、いろんな映画で耳にするたびすきになったのだけれど
「FUNNY FACE」の「He Loves And She Loves」「S'Wonderful」が
特にすきだなあ。
それをサラ・ヴォーンが唄う。極上~♪

「Everybody Loves Somebody」も
パンチあり、深みありですごくすき!

昔、自分の結婚パーティーで、
どうしてもこの曲が使いたかったのだけれど、
サラのバージョンはLPしか持っておらず、
ディーン・マーティンのバージョンのCDを使った。
これはこれで、ゴージャスな感じで、
入場曲にはぴったりだったのだけれどネ!なつかしっ。

サラ・ヴォーン。
なぜか秋と冬がとってもよく似合うシンガーなんだなあ


14歳の微熱

2009-12-08 | essay

中2の長男、反抗期~
彼を見ていると自分の中学時代はどうだったかなと
近頃よく思い返す。
中学時代なんてほんのこの間みたいに思えてしまうんだけれど、もう四半世紀前のことなのね!

中2といえば・・・
ちょっと世の中と対峙し始めた頃。
オトナの矛盾が許せず、正に大人は何もわかってくれないって
思い込む年頃だったなあ。

あの頃友達5人で女の子バンドを作ろうって盛り上がって、
弾けないくせに担当楽器と呼び名だけ決めた。
結局名前だけ呼び合ってバンドの結成には至らなかったのだけれど、なにかと集まっては憂さ晴らしをしていた。

それぞれに家庭に不満や不和がある子ばかり。
あの年代って自分と同じ匂いを敏感に感じ取るフシギな嗅覚を持つようだ。
「アタシらは幸せなお子ちゃまとは違うのよ」
っていうような、ヘンな連帯感があったんだと思う。
当時流行りのツッパリとは路線が違い、
もっと大人びた気分でいたような気がする。
そして集団家出計画が持ち上がり・・・。

最初はわたしもその気になっていたのだけれど
母を悲しませてまで遂行するほどのみんなほど強い動機がないことに気づいてしまい、
一気に目が醒めてしまったわたしは見送る側に。
決行すると決めた子は結局三人。
着々と決行の日が近づいた。
前日には大事にしていた小さなぬいぐるみを
お守りに渡し、元気でと涙の別れ。。。

結末は・・・
友達のひとりが、当日の朝に怖くなって母親に打ち明けてしまい、
母親が学校に通報。その後の学校に対応は素早く、
迅速に動いた教師によって、三人とも池袋のホームで確保されてしまった。

あの時は皆、独特な微熱に
浮かされていたのだと思う。
母親に打ち明けたあの子の行動は当時皆から非難轟々だったけれど、
今思い返せば正しいことだったのだ。
あの時あのまま家出が成功していれば、
最も毛嫌いしていた汚い大人の世界に
自ら身を沈めるしか生きる道はなかっただろう。
14歳の少女の思い描く楽園なんて都会のなかにはないのだから。

確かに大人にはわからない思考回路がこの年頃の子にはある。
大人の理屈は通らない独特の世界観。
あの時の14歳のわたしと、今のわたしが語り合ったとしても
きっと14歳のわたしはプイっとそっぽを向くだろう。

それでもやはり大人には責任というものがあるので、
子どもが大きく道を外れそうになったら、腕を引いてやらなければならない。
だとえ振り払われても疎んじられても、それが大人の役目なのだから。。。

あの時、職員室に呼ばれて事情を聴かれた。
なにも言いたくないというわたしに、
先生は叱らず奇妙なほど優しかった。

その後だんだんあの微熱は消えていった。
クラスが変わり三年生になって、
彼女たちと過ごす時間も自然となくなった。
卒業後の消息もわからないけれど、
こころの痛みを分かち合った中2のあの時のあの時間は
ひとりひとりのこころの成長に必要な薬だったのだろうな。。。
みんなそれぞれにしあわせであってほしい。

おとなになってみないと、なにが解らなかったのかさえ
解らないものなんだね。
今も解らないことはたくさんあるけれど!

たいせつな思春期。たくさんものを想いたくさん悩んで迷って、そして楽しんで、
生きる力を蓄えていってほしいな。
と、オトナとして母として願うばかり。。。

こうしていつの時代も想いは親から子へ、
そしてその子が親になりその子どもへと廻り廻っていくんだなあ。






レトロな包装紙

2009-12-07 | essay
古いものってシンプルな中にも味わいがある。
店でアンティーク時計も扱っているので、夫が市場で
まとめて仕入れた時などに入っているガラクタの中にも
わたしにはお宝なモノがたまにある。

例えば、ボロだけどこんな包み紙!
色合いとか図柄とか、なんともレトロで味わい深い。
日本の製品の1960年代くらいまでの色合いって、
どこか東欧の色合いと似ている。
グレーがかった水色やくすんだピンク、
クリーム色に近いベージュ、青みのある緑などなど。
そういえば、昭和30年代の国産車もそんな色合いだなあ。
サイズも小さいしかわいいのだなあ。
なんとも控え目な、品のある色の時代だ。

東欧の文房具や製品パッケージ、包装紙などの色合いがだいすき。
雑貨屋さんでそういった物に出逢うとわくわくする。
包装紙といえば、子どもの頃「パルナス製菓」の
包み紙のパルナス坊やを切り抜いて大事にとってあったんだけど
あれはさすがにもうどっか行っちゃったなあ~。

ロシアの坊やだったはずだけど、
どっちかっていうと、ちょっとメキシカン坊やな記憶。。。???
「パルナス…パルナス…♪」あの哀愁のCMのメロディは
忘れようにも忘れられないわ。。。


マッターホルンと夜明けの星

2009-12-06 | essay
1994年、秋。列車の旅の途中、
ツェルマットの駅に降り立ったのはもう夕暮れの時間。
どこの駅でもインフォメーションセンターで
手頃な宿を紹介してもらって旅を続けてこれたのだけれど、
オフシーズンの夕暮れとあっては、ちょっとヒヤヒヤ。
しかもこの駅では、インフォメーションボードを見ながら
直通電話で話す方式。
オフシーズンで閉館中のホテルも多く、電話をかけるも、
最初の数軒はもう満室。いやはや~まいったなあ、と思ったら、
何軒目かの電話で、やっと空室をみつけた。HOTEL MALVA 。

泊めていただけるならどんなオンボロ宿でも!って思って向かったら
なんて可愛らしいこじんまりとしたコテージ風のホテル。
のちに振り返っても、5カ国約40日間のチープなチープな
バックパッカーの旅でNo.1の宿だったなあ。
景色、部屋、お湯の出かた、ご主人のお人柄、朝食、金額
どれをとっても申し分なし!なんとも居心地のよい空間だった。

朝、なぜかふと夜明け少し前に目覚めて、窓の外を見ると
おお~!マッターホルンがくっきりと絵ハガキのような
いでたちで見下ろしている!
チェックインした時はもう暗かったから、
窓の外はよく見えなかったのだ。
カーテンを開けて、荘厳な山の圧倒的な美しさにうっとり。
まだ、夜の色が少し薄まっただけの空に、
ひと際明るいひとつの星がマッターホルンの左斜め上で
輝くのをじっと眺めていたら。。。
だんだん空が薄くなるのに合わせて星が位置を変え、
ついに、なんとマッターホルンのてっぺんに
その輝く星が吸い込まれてしまった。
その、スイッとてっぺんに消えるさまが、まるでマジックのよう!
神さまの気まぐれを特別に見てしまったような、
なんだか言葉にできないくらい、フシギな感覚。。。
勝手ながら、祝福を受けたようなしあわせな気持ちになってしまった。

すっかり夜が明けてしまうと、星々は姿を隠し
あたらしい青空に輝く白いマッターホルンが
ちょっとすまして見えた。
忘れないうちにと急いで描いたスケッチと☆。

またいつの日かここを訪れたとしても、
あの同じ光景をみることはないだろう。
だってあれはきっと特別な魔法だったのだから。。。
って、思うことにしている

こころの中にたいせつにしまってある、
忘れられない時間のひとかけら・・・


魅惑的なお店

2009-12-05 | essay
雨の代官山。
すてきなお店は、雨に濡れた小さい立て看板すら絵になる。

kさんおすすめの雑貨屋さん「cholon」で
テキスタイル作家さんの小さな展覧会を観る。
繊細な刺繍やかわいい模様にうっとり。

あちこち小さなお店をみて歩く。
かわいい雑貨屋さんや、北欧のインテリアやさんなどなど。

ふと通りがかった素敵な白い一軒家。
吸い寄せらせるように階段を数段上ってお店に入ると、
わあ~。すてきな布がそこここに。
「cocca」という、日本の布作家さんのオリジナルファブリックと
その作品のお店だった。
生地も作品も素敵だけれど、そのお店の佇まいがなんともいい。
1F2Fともにゆとりのあるギャラリー的な配置がなんとも心地よい。

どこかで以前出逢って惹かれたような気のする、
(でもどこでだか思い出せない!)生地をいただいた。
有田昌史氏という作家さんのデッドストック。
(デッドストックという言葉に弱い…)
2Fに置かれていた木製の角スツール。
なんとうちの台所でぞんざいに扱われているものと
デザインが全く同じ!
嫁に来る前からあり、夫が子どものころのものらしい。
座面の生地ひとつでこうも違うものか。(うちのはビニール張り)
せっかくだから、いただいて帰った生地に張り替えてみよう!

あちこち効率よく雑貨屋さんをのぞいて歩けるのも、
頭脳にMAPが埋め込まれているkさんと一緒だから。
方向音痴のわたしは、ひとりだったらこの半分も見れないネ。

どこの駅でも進行方向どっちに乗れば、
到着駅のどこに出れるかインプットされている!驚異的!
彼女の無駄のない行動に比べて、ぐるぐる迷って歩きまわる私は
人生の貴重な時間をどんだけ無駄にしておることか~!?

どこでもお絵かき

2009-12-04 | essay
娘7歳、お絵かきだいすき。
ヒマがあれば紙切れを出してきて
絵を描いている。

お風呂の曇ったドアにも、
車の窓にも落書き。

海に行ったら砂浜に。
大きな広場では拾った棒を使って大きくお絵かき。

この前も、公園で何やらしゃがみこんでいるなあと思ったら
ベンチの側の砂の上に肖像画を描いていた。

う~ん、なかなか似ておる!
サンド・アートだね!

映画「列車に乗った男」

2009-12-03 | 映画 のこと

「列車に乗った男」2002年フランス映画

世間を渡り歩いてきたハードボイルドな壮年の男と、
一生を古い洋館で過ごす保守的な老紳士が偶然出逢う。
対極に位置するふたりの男が共に過ごすうちに、
自分と真逆の生き方をしてきたお互いの人生の片鱗に触れ、
それぞれの人生のかけらを共有することで、静かな友情が芽生え始める。

しかしそれは、ラストへのほんの数日間の出来事なのだ。。。
ラストシーンはきっとひとそれぞれ受け取り方が違うだろう。
どう受け止めるかは観客次第。と、突き放されるタイプのラスト。
う~ん。。。ムズカシイ。

この映画、映像がとても美しい。
限りなく静寂な海の底のような色。
古い御屋敷の中の枯れた黄金色。漂う過去の時間の香り。
そして、このふたりの壮年男性が静かなやり取りの中で
時折見せる少年のような瞬間がとても素敵なんだ。
このまま、別の道を選ぶことだって出来るのに…。
なんて思って、切なくなる。
映画の中の時間が止まってしまえばいいって思うほど
このふたりの佇まいは魅力的で、リアリティがある。

男の生き様が描かれているのに、女のわたしでさえ
かなり感情移入してしまう映画だった。

それにしても、なぜか近頃人生の秋を生きるひとを描く
映画をよく観てる気がするなあ。
いつの間にか自分もそういう映画を理解できるくらいに
オトナになったってことか???
老年を描いた映画は、観る者の年齢にかかわらず
「時間には限りがある」って当り前なことを改めて気づかせてくれる。
そして、たいせつなのは長さではなく濃さであることもネ!

ちょっと重たいけれど、なんだかとってもこころに響く
いい映画だったなあ。数年後にもう一度観たくなるに違いない


いまどきの小学校の音楽会

2009-12-02 | MUSICのこと

小学校の音楽会が近くのホールを借りて行われた。
子どもの歌声ってどうしてこう泣けちゃうんだろね。
合奏も一生懸命で素晴らしい!
ちっこいのに一生懸命な姿に感動しちゃうんだな。

それにしても、毎年思うんだけれど、
もう童謡とかって学校では教えないのかな?
わたしの小学校時代の音楽会といえば・・・
「まっかな秋」「もみじ」「風も雪もともたちだ」などなど。
どれも子どもらし~い歌だったものだが、
いまの小学生の合唱は、J-POPの唄だったり
聞いたこともない唄ばかりだ。
確かに感動的な歌詞だったり、良い曲には違いないのだけれど、
なんだか、せっかくの小学生時代に小学生らしい歌を
歌わないのは、ちょっともったいない気がしちゃう。

合奏のなかにも、アニメの楽曲やポップスの楽曲が目立つ。
今年はなんとゲームの楽曲まで現れてビックリ!
子ども受けはそりゃあいいとは思うけれど、
もっと伝統的(?)な、音楽会向きの楽曲にも
いい曲はたくさんあると思うんだけどなあ。
「剣の舞」にほっとする。これぞ音楽会よ!
わたしが古いだけ???

しかし、このままだと子ども向けの良い曲が受け継がれずに
童謡も知らない大人になっちゃうよ。
日本に伝わる良い歌や童謡を小学校で教えないで
どこで学ぶの?
流行り曲はテレビに任せて、小学校は小学生らしい曲を
もっとちゃんと伝えていってほしいものだなあ。


「ホルテンさんのはじめての冒険」

2009-12-01 | 映画 のこと

「ホルテンさんのはじめての冒険」
(2007年 ノルウェー映画)を観た。
川越スカラ座で以前観ようと思っていたのに
観そびれてしまった作品。

ホルテンさん、真面目で朴訥な67歳。
真面目に勤め上げた運転士のお仕事。
定年を迎えるその朝に人生で初めて遅刻して、
自分が最後の運転をするはずの列車に乗り遅れてしまう。
そこからどんどん歯車が狂いはじめ、
図らずも非日常の世界に足を踏み入れていく、というお話。

でも、邦題通りに何かスゴイ冒険が起こると思って観ては
肩すかしをくらってしまうのでご注意。
ホルテンさんにとっては冒険かもしれないけれどネ。
物語は、ちょっとづつズレながら
鈍行列車のようにゆっくりと進む。

「人生は手遅ればかりだけれど、
逆に考えれば何だって間に合う」
ホルテンさんが出逢う謎めいた老人のコトバ。。。

老いたのちの人生をどう生きるか。
自分の歩いてきた道を振り返った時、後悔はないか。
そんなことを考えさせられてしまう映画だった。

ラストで、やっと制服を脱いだ普段着のホルテンさん。
向かった先は・・・

最後にようやく、ほっとさせてもらえたよ~。
ホルテンさんみたいなひと、すきだなあ。


メッセージ♪

コメント欄は設けておりません。お便りはこちらからどうぞ♪

ブログ村

にほんブログ村 写真ブログ フォトエッセイへ
にほんブログ村

心象風景写真へ。

人気ブログランキングへ