中三次男、学校をドロップアウトしてから早や一年3か月。
卒業後の進路の輪郭が、炙り出されてきたところ。
けれど。
果たして彼は、彼の意思の通りに動けるのか。
全くの未知数。。。
それはもう、この先の道を行く晴れやかな彼を想像して、
いいイメージを描き続けるっきゃないでしょう。
その子の可能性を信じる。。。 わたしはそういう考え。
夫は夫で、「あいつの人生、あいつが決めること。」 と、とっくに腹をくくっている。
「手を離して、信じる」 のと 「放置」 との間のみえない距離って、
一体どのくらいあるのだろう。
近いような、遠いような。。。わたしにはわからない。
なるようになるもんだ~ という、ゆるいスタンスのわたしに
激辛アドバイスをくれるひとが現れた。
彼女は、中三の時に学校に行かなくなった息子の将来の為に
中学卒業後強制的に手元から離し、留学させる道を選んだ。
彼女のくれるアドバイスは、刺さるほど正論。
う~ん。。。そうは言っても、子どもはひとりひとり違うもの。
よって、一番いい方法もひとりひとり違う。。。
強制留学させられた彼には、それを受け容れ自分のものにするチカラがあったのだろうし、
きっとそれが彼にとって一番いい道だったに違いない。
さて。。。 うちの次男坊にとって、本当に一番いい道とは・・・?
本人の意思が一番たいせつ。 と思って歩いてきたけれど。
本人、といっても、たった14歳。 「意思」と「意志」は違う。
幼い「意思」を大人が鵜呑みにしてしまう危うさ。。。
彼女の激辛意見は、わたしに違う角度からの視点を与えてくれた。
確かに、自他ともに認めるアバウト~な わたし。
これでも、現状を、かなり「引き」で見ていたつもりでいたのだけれど、
やはり真っ只中にいる当事者なんだなあ。
進路選択に於いて、わたしの視界は、息子の目線と同一方向だけに
固定されてしまっていたのかもしれない。
≪ 視界を拡げる。 ≫
すべてに共通していること。
何かを選択するときに、一番先に必要となる作業なんだなあ。。。
ほしかった写真集を手に入れた。
映画でも、本でもそうだけれど
観るたび、読むたび、ココロに飛び込んでくる部分が違う・・・ってことあるよね。
写真もそう。
年月を経て観ると
過去にも観ていたはずの一枚が
初めて観たみたいに浮かび上がってココロに届く。
受信するこちら側が少しずつ変化している ってことなんだなあ。
「小島一郎写真集成」
こころが静かに凪いでくる写真集です。
土曜の夜。店を閉めてから電車に揺られて代官山へ向かう。
ともだちに誘われて 小さなライヴハウスへ。
さっきまでのわたしは
時計屋のオカミサンで、三人の子のお母さんで、Yさんちのおヨメさん。
いろんな自分をぐぐいっと脱いだら、
抜けガラはひとまず家に残して
小一時間後には、昔の仕事仲間たちの中にすっぽりと身を置く。
ただのわたし になる時間。
何でもないことみたいだけれど、
「ただのわたし」になる時間って、誰にでも必要なんだと思うんだな。
「わたし」の時間を、自在に別の空間へと運ぶ。
当時の同僚でもあった N氏も参加しているこの夜のライヴ。
昔、武道館を湧かせたこともあるベテランミュージシャンの方々。。。
近年復活ライヴをしているのだそうだ。
中学生の頃、TVから流れていた唄声とほぼ同じ。というより熟されている~。
なんだかこう胸が熱くなるほどROCKな唄声と、めちゃオモロイMC!!
たのしい、おとなのライヴでした~。
出逢えば誰もがすきになる「 おっさん・N氏」はベーシスト。
出逢ったのはもう四半世紀も前だけれど、その頃はもうゲーノージンではなかったから
そういえば、彼が演奏するベースの生の音を聴くのは初めてのことだと気付いたよ。
渋谷に移動して、終電まで笑って喋る昔の面々との時間。
確実に昔とは違うわたしたち。
それぞれみんなの上に流れて積もった時間。
人生イロイロ。いろんなコトを呑み込んで、今の自分たちがある。。。
それでもね、それはそれ。
これはこれ!こうして顔を合わせて大笑い出来るって、シアワセなことだ。
真夜中に家へ戻って
いろんな自分をまた着込む。
それは時にちょっと重たくて煩わしいことだってあるけれど
それはそれで、もうとっくにわたしの一部だからね。
まだあどけない娘の寝顔に、ほっこり和むわたし。
これもわたし。あれもわたし。過去も今もぜんぶがわたし。
時間と空間、自分仕様にカスタマイズ。
居心地のよい仕様はひとりひとり違うのだから、
互いにちょっとワガママでもいいんだよ。
どんなことでもバランスがたいせつです。
6年生の娘が、学校で演奏する曲のメロディーを覚えたいから
パソコンで調べて出して~ と言う。
曲名はなに? と聞くと
「ふーふーどー。とかっていうやつ」 と言う。
ふうふう堂?
わけわからん。そんなん知らんよ~?
あ!?風味堂か?
懐かしいな。何年か前にママラグとのツーマンLIVE行ったなあ。
面白かったのになあ。解散だか休止だかしちゃったんだよね。
でも、合奏に使うかなあ?
え。風味堂じゃない?
よくよく聞いてみると、
「ふう」とか「どう」とか 何度も言うので、わかっちゃったよ!連想ゲーム。
「あ~!!威風堂々でしょ!?」 と言うと、それ!!と合致。
もお。曲名くらいちゃんと覚えておいで。
わたしの脳内では、完全に「ふうふう堂」という
おでん屋かラーメン屋の藍染の暖簾が揺れておりました。
おでん屋がいいな。なかなかいいネーミングだ~。
「ジェイン・オースティンの読書会」
(The Jane Austen Book Club 2007年アメリカ映画)
最初から終わりまでどこをとっても
全部気持ちのいい映画ってなかなかないものだけれど、
これは、ちょうどいい温度で、しかもサラっと肌触りのいい(?)映画。
おとな向けの、深刻過ぎず甘過ぎない良質な映画をお探しの方にお薦め。
ジェイン・オースティンの本を読んでいなくても十分楽しめる映画です。
(きっと、読んでみたくなっちゃうと思うけれど!)
ジェイン・オースティン。
数年前に、恩師・T先生に「高慢と偏見」を薦められて読んだ後、
その世界に魅了され、全6作ジェイン・オースティンの世界に
たっぷりとっぷり浸り込んでしまった。
この映画を観るたびに、「エマ」をまた読もう とか
「ノーサンガー・アビー」をもっと古い翻訳で読み返したいなとか、
頑張って原文で読んでみたい!とか、
オースティン・ワールドにまたまた引き込まれちゃう。
「高慢と偏見」のリジーもすきだけれど
「説き伏せられて」(「説得」)のアンがわたしは一番かな。
いや、どうだろう。時が経ってから読み返したなら、また違って感じるかもしれないな。
読み返したい本がたくさんあるって、シアワセだ。
オースティンの世界を、わたしの人生に運んでくださった T先生にもココロから感謝です~。
ユーミンの「ひこうき雲」が流れてくると、なんだかせつなくなる。
そういう世代なのだ。
高校生の頃、一時期ユーミン漬けになっていた。
恋に恋する女子のココロをくすぐる歌詞とうた。
すきだったんだな~ユーミン。
瞳を閉じて
ベルベット・イースター
雨の街を
翳り行く部屋
埠頭を渡る風
何もきかないで
魔法の鏡
雨のステイション
Corvett 1954
コバルトアワー
すきだった曲を挙げていったらきりがないほどだなあ。
きっかけはやっぱり中学卒業の頃に聴いた「卒業写真」かな。
昔から、なぜかうちにあったアルバム「コバルトアワー」。
80年代に入ってから、このレコードを見つけて
そこから遡って聴くようになったんだなあ。
それぞれの曲に、いろんな風景が重なる。
ユーミンの歌に出てくる場所をデートで訪れる
ってのもちょっとブームだったよね。
そういえば、もう少しおとなになってから、
「海を見ていた午後」の歌の中に出てくるカフェに
連れて行ってくれたヒトがいたなあ。
(ここは、歌と違って騒々しくてちょっと興醒めだったな。)
あんなこと、こんなこと、あったなあ・・・なんて
遠く輪郭も曖昧な昔のコイを思い出して懐かしむなんて・・・ ちょっと婆さんっぽいか。
忘れていたことまで思い出させてくれるほど、
ユーミンの歌は乙女なココロに直結しているってことね。
懐かしい歌の数々、ipodに入れよかな。
ちょっと乙女なココロを取り戻せるかな~。
取り戻してどうしちゃう?
いえいえ、幾つになっても乙女なココロはたいせつです。
はじけた小さな実。月桃っていうんだって。初めてみました。
仄かな仄かないい香り。
近年知り合ったかわいいかわいい帽子作家のMちゃんが店にひょっこり立ち寄ってくれた。
いろんなものが出てくるバッグをごそごそ。
「ゲットウっていうんですよ~」って石垣島からのかおりのおみやげ。
彼女はとてもふしぎな魅力の持ち主。
「実は・・・出身はムーミン谷」って明かされたとしても、
きっと誰もちっとも驚かないだろう。(むしろ納得。)
なんだかココロが無垢な妖精みたいなんだなあ。
誰も持っていない、誰にも似ていない、ってのは
ひっくり返せば、誰よりも強く、
誰よりもしっかりしたものを持っているってことなんだよね。
Mちゃんの真っ直ぐな瞳で見つめられると(しかもなぜかいつも近距離)
みえない「無垢ビ~~ム」を照射されたみたいになって
こちらまでピュアな気持ちになっていくんだなあ、これまたフシギだ。
そして、彼女の創る個性的な帽子は
正に彼女の手からしか生まれいづることのできないアート作品。
いろんな企画にもチャレンジするMちゃん。次の個展もたのしみです。
ここ!ここ!
行ってみたい!って思ってた場所。
ポカリのCMで たけし氏がタップ踊ってるとこ。
ウユニ塩湖って場所なんだって。ボリビアかあ。
今すぐってのは、まあ無理だけれど
死ぬまでに一度、この身を置いてみたいものだなあ。
ここで、陽が昇るのも、青空も、陽が沈むのも 全部観てみたい。
昔勤めていた小さな出版社で
何度か講演をしてくださった作家の先生が
「願望を紙に書いて、毎日目に入る場所に貼り、
ずっと願い続けていれば、願望は必ず実現する」って何度も何度も仰っていたっけな。
何故だか、20数年経ってその先生の線の細いお顔まで思い出したから、
壁にでっかく貼っておこうかな。
「10年以内にウユニ塩湖に立つ!」
効き目 ありそう? そう思い込むことが肝心ですな!