去る4月17日の日曜日から、カトリック教会は聖週間(復活祭の一週間)に入りました。聖木曜日には「最後の晩餐の記念」が、聖金曜日には「主の受難と十字架上の死」が、聖土曜日の復活の徹夜祭には「主の御復活」が荘厳に祝われます。今年は、私はローマから車で南に1時間ちょっと離れたネプチューンと言う町の教会の徹夜祭を一人で仕切ることになりました。それで、呑気にカメラをぶら下げて見物している暇はありません。それで、一昨年タルクイニアというローマの北130キロほどの町で過ごした復活祭の記録を公開します。
「聖金曜日」 の 我がタルクイニア
タルクイニアの主任司祭アルベルトはメキシコ人。彼はローマの神学校で私とほぼ同期だった。
聖金曜日の夜、教会ではローマ典礼に則って、型通り「受難の朗読」と「十字架の礼拝」が執り行われたが、
参会者の数は教会の規模にしては極端に少なかった。
しかも、その多くがキコの共同体で見慣れた顔ぶれだった。なぜか?
タルクイニアには、古くから聖金曜日の夜に十字架上で亡くなったキリストの像を担いで練り歩く行列が盛んに行われてきた。
普遍的なローマ典礼よりも、ローカルなこのフォルクロールの方が人気があるというわけだ。
教会での典礼を三人で済ますと、主任司祭のアルベルトを留守番に残し、
助任司祭で若いコロンビア人のウイリアム神父と早めに旧市街の広場に繰り出した。陽はすでに鐘楼の向こうに沈んでいた。
時間が余ったので、先回りして行列の出発する教会に向かった。入口にはすでに儀仗服の警官が頑張っていた。
聖堂の中には、裁かれるイエスの座像、悲しみの聖母の像、
そして、十字架から降ろされたイエスの亡骸の像が、み輿に乗せて運び出されるのを待っていた。
聖堂の外には、見物の群衆が集まり始めていた。母親に手をひかれてやってきた天使の扮装の少女たちが目立つ。
先頭の天使は背の高いお姉さんで、キリストの十字架の上に付けられた捨て札を捧げ持っている。
《JNRI》 の頭文字は、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」を意味する。
処刑場に向かう十字架の道行の途中、
イエスの血と汗を拭った布にイエスの面影が奇跡的に写ったと伝えられるヴェロニカに扮する少女。
あとで大きな男の子に運ばれることになる十字架には、
イエスを十字架に架けてから降ろすまでに使われたさまざまな小道具が並べられている。
行列が通る道筋には、街のブラスバンドが演奏しながら待っていた。
行列が半分通り過ぎると、最後に来るキリストの亡骸の前あたりで隊列に入り、
その後,行列の中に溶け込んで最後まで断続的に演奏を続けた。
曲は葬送行進曲のように沈鬱なものが多かった。
ほぼ実物大の十字架を担いで行く男たち。
長い縦棒の先をゴロゴロと石畳の上に引きずっていく。
かなり重そうだ。一人で最後までは無理。だから、両脇に交代の男たちが・・・・
小さな天使が運んでいるのは・・・、おや、よく見るとサイコロではないか?
これも聖書に描かれている大切な小道具の一つだ。
イエスを裸にして処刑した兵士たちは、イエスの肌着は4つに裂いて分け合ったが、
上着は高価な一枚布だったので、裂かずにサイコロでくじを引きして、勝った男が一人占めにした、とある。
中世の十字軍の時代から生きのびているエルサレム騎士団も加わった。
そうかと思うと、ブラスバンドのすぐ前に、ギョッ!とするような奇怪な集団が現れた。
一見すると、アメリカの極右暴力秘密結社「KKK」か、と見紛うような出で立ちだ。
どういう理由でかは確かめそびれたが、彼らは30年前にこの行列から姿を消し、
今年、久方ぶりに姿を現したという。中世には、公然と大罪を犯して教会から断罪された者たちが、
償いの為にこの姿でさらし者にされた歴史があるらしい。
その印に、今でも両足は太い鎖でつながれている。
彼らが重い足取りで歩くと、石畳の上にジャラジャラと引きずる大音が響き渡る。
キリストを打った鞭を下げた少女・・・台に寝かされて運ばれていくキリストの顔・・・キリストの座像と悲しみの聖母・・・。
そのみ輿に付き添う十字架は、それぞれ80キロほどの目方があり、
一人の屈強な男が肩から回したベルトで支えているが、時々交代しないと、とても最後まで歩き通すことができない。
野尻湖で隠遁生活を余儀なくされていた頃、長野県上水内郡の氏神様の秋祭りに魅せられて、
沢山の写真を撮って興奮した記憶がある。当時はブログを公開していたから、多くの人が見てくださったと思う。
気が付いたら、同じ軽い興奮状態で盛んにシャッターを切っている自分が、ここにもいた。
同じように私を魅了する祭りとは何なのだろう? 宗教とは一体何なのだろうか?
私が信じるキリスト教。その為に、全てを賭けて入った神父の生活とその裏打ちとなる私の信仰は、
どうやらこれらのお祭り騒ぎとは全く無縁のものであるらしい。
同じキリスト教のヴェールの下にはあるが、それを剥ぎ取ると、
私の信仰とこのタルクイニアのお祭りの距離は、あの長野の神社の祭りとの間の距離と同じぐらい遠いものがあると思った。
(谷口幸紀)