お待たせ~! 「再現版」:
~~~~~~~~~~~~~~~
ガリラヤの風邪薫る丘で-3
~~~~~~~~~~~~~~~
ペトロ達の大漁の奇跡の浜辺で野外ミサに与った時、私は司式するウイーンのシェーンボルン枢機卿らの中に、キリストの現存、そしてペトロや他の弟子たちの現存を、2000年の時に隔たりを超えて生々しく体験したと言った。
しかし、話はそれだけではなかった。私は、この同じ場所でキリストの声を聞くことにもなるのだった。
野外ミサが行われた半すり鉢型の地形の木陰の傍を、低い生垣に縁取られた小道がガリラヤ湖に向かって緩やかに下りて行く。その生垣越しに、黒い石積の小さな教会が立っている。
いわゆる「ペトロの主位権」の教会
入り口の左右のゴシックアーチ型の窓のところに巣をかけたつがいのツバメが、大きな口を一杯に開けてシリシリと鳴く雛たちにせっせと餌を運んで来て休むことがない。実は、ミサの間中私は-現存するイエス様には申し訳ないが-あたりを忙しく飛び回る燕と、雛と、それからカメラのシャッターチャンスに結構気を散らしていたのであった。母親の腕の中に居る赤ん坊のように、安心感に浸って、気ままにいたずらをする心境であった。
土色の巣のすぐ下に、今まさに飛び立ったツバメの姿がわかりますか?
このシャッターチャンス逃してなるものか!
その教会は、岸辺側からみればこんなたたずまいで、カトリックの教会は「ペトロの首位権の教会」とも呼ぶ。
左側の濃い緑の木陰に、先ほどまでミサをしてい場所がある
私は、大漁の奇跡の湖畔に岸辺を背にして立っている
なぜなら、前回ブログでやや詳しくふれた、ヨハネの福音書の個所、つまり、ペトロが他の兄弟達と漁にでて、一晩何も獲れなかったのに、岸辺の見知らぬ人の言葉に従って網を船の右側に降ろしたら、引き上げられないほどの数の魚が取れたという、大漁の奇跡の話と、その直後、岸辺でその人から朝の食事をもらいながら、その人の中に復活したキリストの現存を信じたという話の続きに、「イエスとペトロの対話」が記されていて、その内容がそう言う表題に相応しかったからである。
関連個所はそれほど長いものではないので、たまには聖書の文字通りの引用も悪くは無いかと思う。
ヨハネによる福音書(21章15-17節)
食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、私の子羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「私の羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。」
実は、この話には枕になる一つのエピソードがある。ヨハネの福音書によれば、イエスは受難と十字架上の死に先立って、「ユダの裏切り」を予言し、「互いに愛しなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」と言う新しい掟を与え、さらに「ペトロの裏切り」をも予告された。
ペトロが、「あなたのためなら命を捨てます。」と言うと、イエスは「私のために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」と言われたのである。
事実、イエスが捕らえられ、尋問を受けた時、ペトロはひそかにその場所の群衆の中に潜り込んでいたが、気付かれて「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と問われると知らないと答えた。少しずつ違う状況で相次いで三度問われて、三度目には誓って知らないと否定した。するとすぐ、鶏が鳴いた。
イエスが三度「お前は私を愛しているか」と問われた時、ペトロはこの事実を思い出して悲しくなったのである。
さらに、このエピソードに先だって、マタイの福音書によると、イエスは「人々は、人の子(自分のこと)を何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは様々に答えたが、「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか。」と尋ね、シモン・ペトロが一同を代表して、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「ヨナの子シモン、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現わしたのは、人間ではなく私の天の父なのだ。私も言っておく。私はこの岩(ペトロ)の上に私の教会を建てる。」(マタイ16章13-18節参照)という下りがある。
実は、これをもってカトリック教会は12使徒の頭、ペトロとその後継者、つまり、ローマ教皇をキリスト教のトップであると主張して譲らないのだが、このエピソードの舞台が、この小さな教会の中の祭壇の前にある岩のところであったと伝えられているのだ。プロテスタントの教会がこの点についてどういう見解を取っておられるのか、統一のとれた公式見解があるのか、など、まだ確かめたことがない。
前置きが長くなっていしまったが、ミサが終わると、キコはここで一つの提案をした。ミサを司式したシェーンボルン枢機卿に、ミサの祭服のままとなりの教会に入り、祭壇の前の岩のところに立って、30人余りの司教達と、100人余りの神父たち一人一人に、イエスがペトロにしたのと同じ質問をする。それに対して、一人ひとりの司教、司祭は、皆ペトロと同じように返事をするというわけだ。
この問答は、一人ずつ丁寧にやると結構時間がかかる。それで、先頭から一列になって教会に入るが、野外の木陰に残った者たちは、キコと仲間たちの奏でる音楽に合わせて歌いながら待つことになった。
こんな場面に相応しい歌をキコは沢山作曲している
私は、相変わらず忙しく飛び回る燕を目で追っていたが、自分の番が近付いて教会の中のひんやりした空気の中に入ると、さすがに真面目に祈る気分が湧いてきた。(それでも、聖堂の中にもツバメの巣があるのに気付くと、中の空間を回転するように飛ぶ親燕を上目づかいに追うのをやめなかった。)
そうこうするうちに、とうとう自分の番になった。
「名前は?」と聞かれると、「ジョン!」と答えた。私は30歳代から外資系の銀行ばかりを渉り歩き、同僚とは常にファーストネームで呼び合ってきた。ドイツの銀行にいた時も、リーマンブラザーズにいた時も、イギリスの銀行にいた時も、国際金融業界の共通用語は英語で、洗礼者ヨハネのクリスチャンネームをもつ私は、一貫して「ジョン」と呼ばれ続けてきたのだった。リーマンの当時の会長、ニクソン大統領の商務長官を務め、後にソニーの社外重役にもなったピーター・ピーターソンも、私を「ジョン」と呼び、私も彼を「ピート」と呼び捨てにしていた。
シェーンボルン枢機卿の前にはペトロの岩
その手前でわれわれ司祭、司教達は問答をする
二人後がいよいよ私の番だった
不意に「ジョン、この人たち以上に私を愛しているか?」と言う声が斜め上から響いてきた。私は思わず「はい、愛しています!」と心から答えた。本来なら、他の司祭達皆と同じように、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、貴方がご存じです」と紋切り型に、正しく聖書の言葉通りに答えるはずで、直前まで私も口の中でそれを復唱して用意していたのだった。
しかし、この瞬間、その問いの声は復活して目の前に立つイエスその人の声として私の心に響いた。そして、私の答えは、神の子、ナザレのイエス・キリストに対する私の心からの答えだった。私は、復活祭の日曜日の後、ガリレア湖のほとりに行って、復活したキリストに逢い、確かに「彼の声」を聴いたのだった。これは理屈の入る余地のない直接体験だった。
私は心がいっぱいになって、目の前のペトロの首位権の岩に接吻すると、足ばやに明るい外に出た。
私の肉体の耳に響いた声は、もしデジタル録音してスタジオに持ち込んで声紋解析をすれば、もちろんオーストリア人の初老の男性、シェーンボルン枢機卿の声と一致しただろう。また、もし私が感極まってそばに駆け寄り、主よ!と叫んでシッカとその足を抱きしめたとても(もちろん少しは冷めている部分があってそんな衝動的な行動に出るはずもなかったのだが)、冷徹な客観的事実は、私が触れるのは、イエスの肉体とは別の人間に固有なDNAで構成された数十億個の細胞の塊である枢機卿の二本の足にすぎないのだが、そんなことはどうでもよかった。(復活の日の朝、墓の近くで園の番人の足を抱いたマグだらのマリアも同感してくれるだろう。)
大事なことはただ一つ、私は2011年4月の昼下がり、ガリレア湖のほとりで復活したキリストに逢い、その声を聞き、そのキリストに自分の言葉で答えた、と言う疑いようのない事実だ。その一生の大切な出来事を誰も私から奪い取ることは出来ないだろう。
私は、キリストを裏切った自分を責めて絶望し、首を吊って果てたユダと、おめおめと生き延びたペトロの裏切りと、どちらの罪がより重かったかなどと論ずるつもりはない。また、私がその二人に勝るとも劣らない大罪人であることを否定しようとも思わない。わたしは、怠け者で、傲慢で、好色で、ウソつきで、貪欲で、嫉妬深い、つまり、悪いことの限りを尽くしてきた救いようのない人間だ。しかし、そんな出来損ないにも、復活した主は現れてくださった。
「キリストはまことに蘇られた!」、と確信をもって告げる私の言葉を遮って、ちょっと待ちなさい、まあここはひとつ落ち着いて・・・と水を差そうとしても、誰も私を正気に戻すことには成功しないだろう。これは、信仰の問題であると同時に、神からの一方的な恵みの問題でもあるのだと私は思う。
福音をのべ伝えるということは、教会から教えられた通り、「知識」として身に付けたことを人に語り、受け渡すだけでは足りない。「生(なま)の信仰の体験」として、恵みとして与えられた「事実」を伝えるのでなければ迫力がない。
わたしは、ガリラヤ湖のほとりで、復活したキリストに出会い、その声も聞いた。だから、「キリストはまことに蘇られた」、と確信をもって証言できるのである。