:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ガリラヤの風薫る丘で-4

2011-05-17 17:43:46 | ★ ガリラヤの風薫る丘で

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ガリラヤの風薫る丘で-4 

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前二回のブログで、普段は常識派、どちらかと言えば世俗的な仮面を被っている神父が、とんだ狂信的、原理主義的な本性を暴露してしまった。 実に面目ない!

そこで、バランスを回復するために、少しトーンを変えて、このドームスと言う場所がどういう位置付けにあるのか、クールにもう一度振り返ることにする。


 

 

ガリレア湖に向かう斜面に這うように展開する「ドームス・ガリレア」はれっきとしたカトリックの施設である。それなのに、どこから見ても十字架らしきものが見えない。同じ系列(同じキコ氏の設計)の施設で、イタリアのアドリア海に面したポルトサンジオルジオの丘にある建物には、巨大な十字架が建っているのとは好対照だ。


  

嫌でも目に飛び込んでくる巨大十字架                   向こうの質素な宿泊施設の上にも小さな十字架が

 

それは、この建物がイスラエル国内にあって、ユダヤ人を刺激しないためと言うような単なる消極的な理由からだけのことなのだろうか。

実は、この建物の中にはヘブライ語の文字、旧約聖書の聖句などがあふれ、まるでどこかのユダヤ教の施設かと錯覚するような雰囲気さえ一部に漂っている。

 


その極め付きが図書館だ。図書館の中心を占領するこのモダンな構造。

               

撮影位置が悪くて左右歪んで見えるが、実際はサッカーボールを半分に切ったような半球形

左の奥が白く見えるのは外の壁に窓としてはみ出しているからだ

 


それは、外側にも一部はみ出して全体で半球形をなしている。これは一体何の意味?

 

図書館の明かりとりを兼ねた半球の一部

 

その答えはこれだ。なんだかお判りかな。 

日本に居る日本人でユダヤ教の会堂の中に入った人は少ないかもしれない。私は、ローマのテベレ川の岸辺、昔ユダヤ人ゲットーがあったところにある巨大なユダヤ教の会堂に何度か入ったかことがある。かつて、アラブの過激派の爆破テロがあって、この会堂で多くのユダヤ人児童が犠牲になって以来、イタリアの軍隊によって24時間物々しく警備されているが、その地下にはユダヤ教の様々な祭具や衣服を展示した博物館がある。そこに行くとこれに似たものがたくさん並んでいる。それは、巻物、旧約聖書の巻きもので、ヘブライ語で「トラー」と呼ばれる。

 

モロッコで発見された貴重なトラー


この一巻のトラーがこの図書館の中心の半球形の大空間を占領している。それもそのはず、これは何処にでもあるありふれたトラーではなく、モロッコで発見された4世紀の希少品だという。そもそも、ユダヤ教で旧約聖書の聖典が確定したのは西暦紀元1世紀末のヤムニア会議でのことだそうだから、4世紀のモロッコの写本はその古さから言っても非常に貴重なものだ。ユダヤ人にとっては、のどから手が出るほど欲しいものに違いない。だから、ユダヤ教の信者やラビ(教師)たちが、わざわざバスを連ねてそれを見にこの建物を訪ねてくるのもわかるような気がする。聞き違いでなければ、この10年ほどの間にすでに10数万人が訪れたということだった。

偉大だった前教皇ヨハネ・パウロ2世の人柄のお陰も大きかったが(私のブログの 「ちょっと爽やかなお話」 を参照のこと)近年、ユダヤ教とキリスト教の関係は非常に友好的になっている。

キリスト教の中に伝わるある種の予言めいた伝承によれば、この世の終わりはユダヤ教とキリスト教が和解・融合した時に来ると言われる。キリスト教側からの解釈は、ユダヤ教徒が2000年前に偽メシヤとして十字架にかけたナザレのイエスが、実は彼らが今も待望している本物のメシアその人だったと認めることだと言うが、そこへ向けての遠い道のりの第一歩が、このドームス・ガリレアで始まろうとしているのかもしれない。

確かに、キリストはユダヤ教徒でありユダヤ教の先生とも呼ばれたが、その彼は同じユダヤ人たちの手で十字架に追いやられ、殺された。キリストの弟子たちもユダヤ人によって迫害された。しかし、キリスト教は、ユダヤ人やローマ帝国の迫害を受けながらも、次第に地中海世界に広がり、4世紀にはついに帝国の唯一公認の宗教の座についた。

その間に、ユダヤ人の国は西暦70年にローマ帝国によって滅ぼされ、エルサレムのユダヤ教の神殿は徹底的に破壊され、ユダヤ人は中世ヨーロッパ各地に離散してディアスポラと呼ばれ、キリスト教支配者からはキリスト殺した神殺しの民として差別されゲットーに収容されてきた。

復活祭にはローマの教会において金で買収された貧しいユダヤ人のキリスト教への改宗式が行われるというような忌まわしい習慣が横行したと言う話も聞いたことがある。先のアウシュヴィッツのホロコーストなども、単なるヒットラー個人の狂信的蛮行であっただけでは済まされない、キリスト教的ヨーロッパ人の深層心理に広くあったユダヤ人への差別・憎悪が、優秀民族である彼らに対する劣等感や嫉妬心とともにあったことも否定できないのではないか。

考えて見ると、ユダヤ人と言うのは実に不思議な民族だ。旧約聖書によれば、イスラエルの国はエジプトとバビロニアという二つの大国の間に挟まれた地中海沿いの豊かな回廊に位置する小国で、両者から入れ替わり立ち替わり絶えず蹂躙され、時にはバビロニアに国ごと捕囚になったりしながら、また、過去2000年近くの長きにわたり、祖国を失って世界中に離散しながら、常に、言語、文化、宗教、民族のアイデンティティーを失うことなく、ついにイスラエルの国を元の場所に再建した。その歴史は神秘に満ちている。

それが、日本民族ならどうだろう。大地殻変動で4つの島が太平洋の藻屑として沈んだり、原発事故による核汚染で何処も住めなくなったりして、世界中に散り散りのディアスポラ状態になったりしようものなら、数世代を経ずして、散った先々で同化し、日本語も、文化も、民族のアイデンティティーも、種族としての純潔も、すべて失って溶けて消えてなくなってしまうに違いない。

私がまだ学生だった頃、良く可愛がって下さった元上智大学の学長のヘルマン・ホイヴェルス神父(イエズス会士)は、2000年間国も無く世界をさ迷ったユダヤ人が民族と宗教のアイデンティティーを失わなかったのは、キリスト教が真正な宗教であることを示すためにユダヤ人の神ヤ―ウエが行っている「奇跡」だという意味のことを言われた事を思い出す。ホロコースト等の過酷な運命と併わせ考える時、この年になってなるほどと頷くものがある。(このパラグラフはローマ時間5月18日午前7時03分加筆)

ユダヤ人が再び祖国を建設することも世の終わりに先立つ印の一つなのだそうだが、そこに建てられたドームス・ガリレアは、何か不思議な象徴的建造物のような気がしてならない。


ところで、話はあらぬ方角に展開するのだが、「ガリラヤの風・・・-1」でちょっと触れた、音楽と歌で我々一行を歓迎してくれた奇妙な若者集団のことにもひと言触れておきたい。


ドームスを訪れたわれわれを歌で迎えてくれた若者たち


ドームス・ガリレアはイスラエル政府の例外的な許可のもとに建設された会議場・宿泊施設等を備えた複合建造物だ。政府はこのような建物には建設許可条件として核シェルターを作ることを義務付けている。敵対するパレスチナやアラブ諸国との核戦争を想定しての話だ。

      

      シェルターの中は野戦病院か蚕棚のようにベッドがズラリ       シェルターの唯一の出入り口の鉄の扉。

私は6年ほど前に、当時まだ未完成だったこのドームスに一カ月ほど滞在したと言ったが、その時はたまたま大きな団体の予約がなく、一人で一室を占領することが許された。国際的なスタンダードで5つ星のホテルにランクするほどの広々としたツインの部屋が80あまりあるようだった。毎日の洗面台・トイレの掃除からベッドメーキングに至るまで、5つ星の名に恥じない行き届いたサービスを受けた。ただ一つ違うところは、その仕事に従事しているのが雇われたおばさんたちではなく、全員若い青年たちだというところだった。そして、その彼らが、今回玄関ホールで歌ってくれたのだった。

彼らは、全員無給のボランティアーたちだ。住んでいるのは、だだっ広い窓のない、例の核シェルターの中だ。どういう素姓の若者たちなのか興味が湧いて訊ねると、彼らは、世界にざっと100万人ぐらいいるかと思われる「新求道期間の道」と言うカトリック教会の新しい流れのメンバーの子弟で、若気の至りでぐれたり、薬物中毒になったり、過ちを犯したりの、いわば熱心なカトリック家庭の頭痛の種のブラックシープたちなのだった。親たちによってここに預けられ、パスポートは取り上げられ、お金は持たされず、親元から遠く離れてイスラエルと言う特殊な外国で、車が無ければ何処にも行けないこのガリラヤの丘の上に隔離され、核シェルターの中に集団で寝起きし、修道院か兵舎の中のような規律のもとに、共同生活をし、毎日祈りをし、黙想をし、給仕、皿洗い、ベッドメーキングとホテルマンのような労働に従事して、更生の道を歩んでいるのだった。


      


そんな中から、一念発起して神父になって世界中に宣教に行こうなどと言う奇特な若者も出ないとは限らない。絶えず巡礼や研修・会議のグループが通り過ぎていくこの施設。近くに労働力を求めてもそれらしい村は一つも無い。シェルターはよほどキナ臭くなるまで用のない無駄な空間だ。タダの労働力確保と、問題児の矯正と、スペースの有効利用と・・・、一石2鳥も3鳥も兼ねた実にうまいやり方だと舌を巻いた。


ガリラヤ湖を見下ろすテラスのオブジェ

 

コメント
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