:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 教皇は来て、そして、去って行った 何を残して?

2019-11-27 00:05:00 | ★ 教皇フランシスコ

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教皇は来て、そして、去って行った

何を残して?

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4週間前にローマでフランシスコ教皇に会って話してきたばかりの私は、来日する教皇の姿を遠くからでも一目見たいものだと、東京ドームのミサに共同司式司祭として申し込んであった。

 幸い、入場許可の手紙が届いて、よかったと胸をなでおろした。

申し込んだが、拒まれた司祭たちもいたので心配していた。

* * * * *

以下、ドキュメンタリー風にスライドショーで追ってみよう。

教皇訪日のスローガンは「すべての命を守るため」だった。

 

余裕をもって東京ドームの指定の入り口でセキュリティーチェックを受けた。

案内された席に着いて待つこと1時間余り。

急に場内が騒然としたので振り向くと、すぐ後ろの席にいた、一見ロシア正教などの東方キリスト教会を代表す高位聖職者と思われる衣装の人たちが一つの方向をじっと見上げていた。

私もつられて振り向くと、左右の巨大なスクリーンに、トヨタ製水素燃料車のパパモビレに乗って野球場のグラウンドに入ってきたフランシスコ教皇が映し出されていた。 

最前列に近い私の席からは、総立ちの観衆と打ち振られる小旗の波の陰で、教皇がどこを移動中かはまだ確認できなかった。

 

やがてのことに、アルプススタンドの真下あたりからまっすぐ正面の祭壇に向かって伸びた赤じゅうたんの上を、パパモビレはゆっくりと近づいてきて、ようやく私のズームレンズの射程内に入った。

 

教皇は差し出される赤ん坊を何人も抱き上げて接吻した。ローマでもよく見かける光景だ。

 

その度に、ドームをいっぱいにした群衆からは万雷の拍手と悲鳴に近い歓声が湧き上がった。まるで、ロックのスターに叫びを贈る熱狂的なファン集団のような群衆心理ではないか!

 

やがてのほどに、教皇は中央の壇の上に上がってきた。

 

壇の下、最前部には赤じゅうたんを挟んで、左右3ブロックに分かれた共同司式司祭たちが、みんなお揃いの祭服を身

に纏って座っている姿がスクリーンに映った。

そのスクリーンに映った司祭たちの姿を私はカメラにおさめた。それが上の写真だ。

 

その写真を拡大してみるとスクリーンにカメラのレンズを向けている自分の姿があった。この写真真ん中後方に、ただひとり、白髪頭の私がカメラを構えている両手がはっきりと分かる。

 

聖書の朗読の間杖にすがって立つ教皇は、連日の殺人的過密スケジュールで、疲れ切っているに違いない。

そこには、テレビカメラを意識して、パパモビレの上であふれる笑顔を振りまいていた教皇とは打って変わった、疲れた老人の姿を私は見逃さなかった。 

その疲れ切った老人の姿を残酷にもこの望遠テレビカメラがスクリーンに曝す。

それをアルプススタンドの最後列までぎっしりと埋め尽くした観衆が見つめている。

ここは読売ジャイアンツの本拠地の東京ドーム。

上段最後列までぎっしり人が入り、その下には全く空席が目立たない。

5万人と聞いた。

 

一部英語だったのと、希に片言の日本語の他は、教皇の説教などはすべてはスペイン語だった。

 

スクリーンにはその説教などの内容が日本語の字幕で伝えられる。

 

説教が終わって、ミサは佳境に入る。

 

聖別されたパンとぶどう酒は、キリストのからだと血に聖変化する。

そのパンは5万人の中のカトリック信者たちにバックスタンドまで短時間に整然と配られた。

さすが全てを任された広告代理店「電通」さんの手際の良さだ。彼らはイヴェントのプロなのだ。

 

 やっとミサが終わって、身を引きずるようにして祭壇を降りる教皇。超人的な意志力だ。

 

翌日26日午後、空港に教皇の姿があった。

 

きもののお嬢さんからサヨナラの花束が贈られた。顔には笑みが戻っていた。

 

ホッとして、気が緩んだのか、何でかは分からないが、大笑いする教皇の姿があった。

 

天皇やトランプや阿部さんが、こんなパーフォーマンスを思いつくだろうか。

13億の信徒の頂点に立つフランシスコ教皇は、タラップを操縦する地上スタッフの手を取って労をねぎらった。

 

さらに、機内に入る前に胸に手をやって地上の人々に丁寧に会釈して別れの挨拶を忘れない。

 

その視線の先には見送りの偉い人達は一人もおらず、長時間、最後まで冷たい雨の中を傘もささずに立ち尽くした名もない地上スタッフや整備員たちだった。

 

最後の挨拶を終えると、くるりと背を向けて機内に消えた。

 

特別機にはバチカンの国旗と日の丸が風にはためいていた。

 

牽引車に曳かれて滑走路に向かう特別機は、JALではなくANAだった。

 

お疲れ様フランシスコ。サヨウナラ!

次の教皇訪日は何年先だろう。前回(そして初回でもあった)は38年前の聖教皇ヨハネパウロ2世だった。

その時、40代初めだった私は、ドイツで働いていて参加を逃した。

 

 

教皇は来て、そして、去って行った 何を残して?

この問いに即答するのは難しい。少し時間をかけて考える必要がありそうだ。

私の心に何が残ったか? あなたの心には?

その波紋は今、広がり始めたばかりだ。

 

 (つづく) 

 

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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ホッとしました。 (ピエリナ)
2019-11-27 09:20:05
パパ様の来日中、TVのライブとニュースをずっと見ていました。過密スケジュールでさぞやお疲れではないかと心配していましたので、機上の方となられた時には淋しさと共にほっとしました。(まだ機内で記者からのインタビューあり?)でも、今はもうヴァチカンで多少はごゆっくりなさっておられるでしょうか。現在介護中であり、私自身病気も持っていますので今回はお会い出来ず残念でした(泣)。いつかイタリアに行ってお会い出来たらいいなあと思っています。続きを楽しみにしております。
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Unknown (松岡 詔子)
2019-11-28 14:00:56
私も参加しました。スクリーンで見れた事は感謝です。東京ドームは初めてです。広い大きい。。。
教皇 司教 司祭方のために毎日ささやかですが祈っています。実際にこの目で見たことがまだ信じられない私です。
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