:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ フランシスコ教皇が残したもの(その-1)

2019-11-30 00:01:00 | ★ 教皇フランシスコ

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フランシスコ教皇が残したもの(その-1)

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世の中、全ての出来事は日々新しい話題で容赦なく上書きされ、記憶の過去に流れ去って行く宿命にある。フランシスコ教皇の訪日も例外ではないだろう。

 

 

手元には教皇訪日のニュースがどのように盛り上がり、どのように忘れられていくかを具体的に数値化した一つのデータがあるので、そのことから始めよう。

現在、グーグルでブログを書く人の数は日本に約290万人もいる。驚くべき数字だ。だがその大部分はささやかな発信で、富士山で言えば広い裾野を形成している。では、自分のブログが富士山の何合目ぐらいにいるか。それは、編集画面のランキングタブをクリックすれば分かる。

富士山の頂上近く、白い雪のように輝いているのは、290万人のうちわずかにトップの数千人だけだ。

ところで、教皇訪日の話題がにわかに注目を浴び始めると、普段は5000位あたりを漂っている私のブログが、めきめきとランクを上げはじめた。

11月23日には 突如 2568位 に上昇。

       24日     1747位 (教皇来日当日)

       25日     1603位 (東京ドーム教皇ミサ)

       26日     1309位 (離日の日)

       27日にはついに 811位  まで上った。しかし、

       28日になると 2239位  まで落ち、さらにずるずると5000位ぐらいまで行くだろうか?

27日の811位 は、私としては過去10年間で最高の数字で、もう2度とないかもしれない。

ともあれ、人気タレントや政治家のブログが幅を利かしているトップ5000の中に、無位無官のカトリックの一神父のブログが常態的にいるというのは珍しい現象ではないだろうか。

ここに、この教皇フィーバーが消える前に是非広く注目してほしいものがある。それは、以前にも取り上げた清水教会の保存の問題だ。

詳しいことは下にURLを記した私のブログ、そして、清水教会のある信者さんの泡沫ブログ(失礼!)に記された意見を参照していただきたいが、この問題の要点は以下の通りだ。

取り壊しの危機に瀕しているのは、1092年にユネスコの世界遺産に登録された「長崎と天草のキリシタン関連遺跡」にも匹敵する、清水教会の古く美しい聖堂。

取り壊す理由は、外国人宣教師の手になったこの種の教会建築は、日本の教会にとっては負の遺産であり、抹消されなければならない、という、誤った土着主義のイデオロギーに染まった一部のカトリック聖職者の確信から生まれたものだと言えよう。

フランシスコ教皇の訪日のモットーは、「全てのいのちを守るため」であったが、「いのちが生み出した全ての美しい遺産」を大切に護ることも、その精神に含まれるはずではないか。

フランス人宣教師の手で建てられたこの美しい教会は、静岡市当局から「重要文化遺産」の筆頭として評価されている。また、第2次世界大戦の爆撃と艦砲射撃を奇跡的に免れ、多くの傷病者のシェルターとなったもので、いまは市民と児童の平和教育の場となっている。

教会当局による取り壊しの意向を知った一般市民は、その保存を求めて8000人の署名を集めて、それをローマの福音宣教省長官フィローニ枢機卿に送った。そのフィローニ枢機卿は、今回のフランシスコ教皇に陰のように寄り添い、日本を訪れていた。

清水教会の信者たちは、保存の一助にと1300万円以上の寄付・献金を集めた。しかし、教会当局はその受け取りを拒否した。

建築の専門家は、同教会の耐震補強は相対的に少ない予算でほどこすことが可能であると言う意見書を、詳細な数字と共に論証している。取り壊す必要性などどこにもないはずだ。

そもそも、ことの発端は、古くて使い勝手の悪い司祭館・信徒会館を、取り壊して新築し、快適なものにする話ではなかったのか。なにも、それに乗じて新しい聖堂を建て、さらに古い貴重な歴史遺産である美しい教会を、民意と信者の願いに反して、余計なお金をかけて取り壊さないではいられない必然性がどこにあるのか。

信徒の意見を聴けば反対されるのを知ってか、信徒の総意を聴こうとはせず、「補完性の原理」とかいう聞いたこともない魔訶不思議な理論を持ち出し、「信徒が事柄の是非の判断をする当事者能力を欠いている場合は、聖職者が信徒に代わって事柄に決定を下すことが出来る」という。だが、一体誰が、この信徒の群れは物事の是非を判断する当事者能力を欠いた無能力者集団だ、と言う判断を下す資格と権威を持っているというのだろう。

私の会った信者の有志達は、自主的に教会を運営し、立案し、必要な資金を調達できる社会良識に沿った正しい判断力を持った立派な信仰者だった。

対話を拒み、まるで信徒も市民も行政も無能力者、欠陥人間であるかのように見做して、「補完性の原理」を持ち出して、一部の聖職者の片寄った意思を押し付け、従順の名のもとに屈服することを強要するのは、誤った時代錯誤的やり方ではないか。

市民や信徒と対話し、その意見を入れて、共通善のために正しい着地点を、-たとえ、それが自分たちのイデオロギー的信条にそぐわなくてもー誠実に模索すべき時ではないのか。

フランシスコ教皇の発言は「すべてのいのちを守るため」という一点に立って、微動もしない「ブレない教皇」という印象を残した。安倍首相などは教皇の前ではこう言い、トランプの前ではああ言い、さらに国民に対してはまた別のことを言うなど、全く支離滅裂である。こういう手合いのことを昔から三百代言という。

フィローニ枢機卿は教皇と共に来日する前に、清水教会の状況に関して数通の嘆願の手紙を受けとっているはずだ。日本にいる間にかれは状況を直接見極められただろうか。

司祭館と信徒会館の新築のための資金負担を求められるのは、結局のところ高齢化しますます家計がひっ迫している末端の信徒たちだ。より合理的でより経済的な信徒の負担の少ない計画のために信徒と話し合い、知恵を出し合い、礼拝堂(教会)の新築と現教会の取り壊しのために大金を支出するよりも、歴史的価値のある貴重な美しい教会の耐震保全と改修を行う、より合理的で経済的な案を選択する英知を期待したいものだ。

「全てのいのちを守るために」という観点から、教皇は日本の死刑制度に反対し、核抑止力をISやアルカイダ以上に巨大なテロリズムだと糾弾し、福島の被災者に寄り添って全ての原子力発電に反対された。

日本人は傲慢な人間を非難し、プライドの高い人には一目置く傾向があるが、日本語以外の言語にはこのような言葉の遊びは存在しない。傲慢は悪徳であり、それをプライドが高いと言い換えようがどうしようが、傲慢は傲慢なのだ。

同様に、日本人は、核兵器廃絶に関して教皇に同意しながら、いわゆる原子力平和利用(原発)は容認しようとする。しかし、教皇にとっては、原子力反応炉は自然には存在しないプルトニュームという核兵器の原料生産工場であって、発電はその過程で生まれる副産物の熱を商業利用したもの過ぎないと看破している。日本に50基余りの原発反応炉があるということは、核兵器の必要材料プルトニュームを大量に生産保有する潜在的格兵器大国であることを意味する。だから、核兵器全廃の教皇の明快な提言を賞賛する人は、原発の全廃にも同意するものでなければならない。

「全てのいのちを守るために」、そして「その命が生み出した全ての美しいものを守るために」、清水教会問題に対して、フランシスコ教皇の言葉に沿った正しい解決がもたらされることが望まれる。

フィローニ枢機卿もフランシスコ教皇もどういう印象をもってローマ・バチカンに帰っていっただろうか。清水教会問題に関しても、今後の展開について、私たちは彼らに詳しく報告をする義務を負っている。市民と信者たちの思いを蹂躙した、権力のゴリ押しが行われないように祈りたい。

 

関連のブログ〕 

清水教会問題「決して起こしてはならない悲劇」 (2019年8月10日)

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/49b02af2166415437b07dd3a23195106

 

ブログはじめました。「清水教会聖堂の存亡危機に想う」 (2019年10月11日)

https://blog.goo.ne.jp/obatayukie1936/e/6c2892995dcc97ca217c88fd9ad025e8

 

(つづく)

 

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10 コメント

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Unknown (チコ)
2019-11-30 17:54:47
教皇様をお迎えして50000人規模のミサ、人人、人。
私の席からは豆つぶくらいにしか教皇様は拝見できませんでしたがモニターを通してバッチリ感激しました🙌。
東京ドームで大がかりなミサの準備、電通を通していろいろしたと聞きましたが、御ミサを滞りなくできたのは教会関係者、司祭、神学生、学校関係者などたくさんの方々の御苦労があってのことでしょう。
教皇様のメッセ=ジが私たちひとりひとりの心にいつまでも残り、応えていけますようにお祈りしました。
御ミサを準備して下さった方々に本当に感謝します🙏。
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Unknown (JDhk)
2019-12-06 23:01:21
 十AVE MARIA
清水教会のこと、本当にひどいですね。
清水教会の聖堂を壊したがっている聖職者の方々に今年の流行語大賞『ONE TEAM』の選考理由の言葉
 『ONE TEAMは、世界に広がりつつある排外的な空気に対する明確なカウンターメッセージであるとともに、近い将来、移民を受け入れざるを得ない日本の在り方を示唆するものとなった。それは安倍総理にもしっかりと伝わったと信じたい。』っていうのを読ませたいし聞かせたいです。
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Unknown (Unknown)
2019-12-07 11:25:36
本当にひどい話ですね。
ひと頃の世代に属する日本のカトリック聖職者のあいだで、ハシカのように流行した日本固有のローカルなイデオロギーに、いわゆる「土着化」(インカルチュレーション」lというのがありました。遠藤周作の「沈黙」を聖書のように持ち上げて大事にした一部「進歩派」の人たちです。今もそれを化石のように大事にしている人たちが居ます。
現代日本で宣教活動が成功せず、むしろ教勢が衰えていく惨めな教会の姿の責任を精神的土壌や文化の違いのせいに転嫁しようとする思想です。
フランシスコ・ザビエルの時代の宣教活動も、鎖国が解かれた後に行われた近代の宣教活動も、ヨーロッパから渡来した宣教師たちの活動を日本の精神風土になじまないものとして否定し、キリスト教の教えの本質的な部分を捨てて、そこに日本の伝統的宗教心を取り入れて、日本風キリスト教に改変しなければ日本での宣教はうまくいくはずがない、というイデオロギーです。
日本の古来の宗教的風土と言えば仏教であり儒教であり、なおかつ神道も忘れてはなりません。キリスト教の入れ物に神仏の魂をキリスト教風に入魂するかのような思想です。
そのような考えに立てば、キリシタンの迫害や殉教、転びキリシタン、つまり棄教した外国人神父たち、のことも当然起こるべくして起こった誤った拙い宣教方法の結果であったと歴史を総括し、鎖国後の日本にいち早く入った外国人宣教師の活動も同列の誤りとして捉え、否定し、その遺産を「負の遺産」と呼んで破壊しようとするイデオロギーです。清水教会を一部聖職者は「負の遺産」と断定して、何が何でも取り壊さずにはいられない思いつめた執念が、この小さな教会を抹殺しようとする意志の背後に臭います。
これは、フランシスコ教皇をトップに戴くカトリック教会の中では、事実上の分離教会を形成する危険なイデオロギーだと私は考えます。
教皇を神から立てられた教会の最高の牧者と考える健全な信仰の本能に促された日本の信者たちが、健全な常識に導かれた清水の一般市民が、「ちょっと待ってください」「考え直してください」、貴重な歴史の「正の遺産」である美しい「清水教会」を後世に残すために守ってください、と声を上げるのは、当然のことではないでしょうか。
私たちの歩むべき道の指針は、第2バチカン公会議の精神であって、その精神に馴染まないローカルな一過性のイデオロギーであってはならないと思います。
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Unknown (とし子)
2019-12-12 23:35:37
今の日本は、一般の人々は宗教に関心を持たなくなっていると思います。インターネットのブログなどを読んでも、そう感じます。
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とし子さんへ (谷口幸紀)
2019-12-13 09:30:16
仰る通りです。世俗化はグローバルな現象です。唯一最大の擬似宗教は「お金の神様」崇拝、お金信仰です。
少々経済的に安定しているときは、まじめな宗教はいりません。健康な時に医者が要らないのと同じ、トラブルに巻き込まれない限り弁護士と縁がないのと同じです。
しかし、経済的に、あるいは、健康に不安が生じると、俄かにご利益宗教に飛びつきます。
しかし、相変わらず、まじめな本当の宗教にまでは心が向きません。
キリスト教は、ご利益を一切占いことが特徴ですが、だからこそ闇の中の灯のように、地の塩のように存在するのだと思います。
返信する
神学院について (JDhk)
2019-12-16 19:33:16
十Awe Maria
 新しい福音宣教省長官の就任のニュース(CJC)に

『福音宣教省長官を務めていたフィローニ枢機卿から、『アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院』を東京を本拠地として設立し、福音宣教省の直轄運営とする、と通知を受けていた菊地功東京大司教は、同枢機卿から6月17日付の書簡で、「教皇様ならびに新求道共同体の道の代表と協議の結果、同計画を見直すことを決定した」と通知されている。
 同神学院設立に力を入れていたフィローニ枢機卿の今回の異動で、計画の見直しから、撤回に移る可能性も出てきた。』
 と書いているのですが、たしか神学院設立の計画はは東京からマカオに変更されていましたよね?
 それともまた何か変更がありそうなのでしょうか?
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JDhk さんへ (谷口幸紀)
2019-12-17 12:55:16
JDhk さんへ

フィローニ枢機卿の後任は中国系フィリッピン人のマニラの大司教と聞いています。この人はフランシスコ教皇が枢機卿に抜擢した人で、教皇の 信任があついと思われます。教皇庁立アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院の東京設置に熱心だったのは前任者フィローニ枢機卿で、それをフランシスコ教皇が支持されたのだと思います。しかし、日本の司教団の多くが反対したので(ただし、少なくとも二人は反対しなかった、その二人は大阪の枢機卿と補佐司教だったというのは巷の専らの噂ですが・・・)、教皇はあっさりマカオに移されたと私は聞いています。それは、おそらく教皇自身の決定でしょう。だから、福音宣教省の長官が替わっても、マカオの方針は見直されないのではないでしょうか。
しかし、全ては高いレベルで決まることで、常に私たちの予想を超えたものがあります。フィローニ枢機卿は任期を二年残して更迭されました。その意味あいは・・・?
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Unknown (.S.F.)
2019-12-22 08:39:44
谷口神父様

先日こんなことがありました。静岡の平和資料センターに清水第三中学校の先生から「生徒が修学旅行で広島に行き原爆資料館を見学するにつけ事前に清水でも第二次大戦中爆撃があり市民が戦死あるいは戦火で家を失った人がいるのでその遺跡巡りを生徒のさせたい、ついては清水教会を見学したいのでアレンジしてほしい」と平和資料センターの担当の方からSさんに依頼がありました。担当の方2名が1週間前に下見に来られ
Aさん(信者Sさんの友人)がその方々を神父と教会委員会の人に紹介した(たまたまA
さんを部屋からシャットアウトし、委員会のメンバーと神父がその2名にSさんの悪口を言い、特に神父は「せっかく(取り壊しが)決まっていたのに...私の立場がない。
内輪のことに市民までが口を出すようになった。許せない。」(資料センターの人からのSさんへのメール)と言ったそうです。資料館の方は「部外者(未信者)の我々になぜ45分間もこのようなことを言うのか」全く理解ができないと言っていたようです。又清水の建築士会の主宰で建築の関係者(中には高校生、大学生もいました)が教会を見学来るのを事前に知った神父、教会委員が教会にカギをかけ入れないようにした事もありました。一般の方が「聖堂取り壊しを主張する人たち」にとって迷惑だという事で、ことごとく排除しようとしています。これが清水教会の実態です。

神父様このようなことをどう思われますか。

教会の存廃で共同体が壊れてきているの問題だと思います。

今後ともよろしくお願いします。

S.F.

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Unknown (レオ)
2019-12-23 06:28:02
結局、キリスト教の日本への布教は、失敗だったと思う。
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レオさんへ (谷口幸紀)
2019-12-23 09:29:23
レオさん
失敗だったと決めつけるのは簡単です。
確かに、迫害・鎖国直前の宣教師たちのローマへの報告には、高々25年ぐらいの宣教で、当時いまの四分の一ほどの日本の人口に対して、100万人の改宗者というのもあったとききましたが、それはまあスペイン人の宣教師の大誇張だとして、話半分でも50万人ぐらいのキリシタンが生まれていたかもしれません。それが、400年たったいま50万人にも満たないとすれば、決して成功とは言えません。むしろ、人口比率ではかつてに比べて四分の一に大減少しているからです。
しかし、レオさんがそう決めつけるからには、失敗の原因についてのはっきりした意見が聞きたいものです。
私に言わせれば、その原因は決して単純なものではない、きわめて複雑複合的なものに思われます。
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