:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 友への手紙 インドの旅から 第16信 PART-2

2021-02-06 00:00:01 | ★ インドの旅から

~~~~~~~~~~~~~~~~~

友への手紙

ー インドの旅から ー

第16信 ローマの教皇がやってきた

(PART-2 :2019年・日本)

~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 私は、前回の一文を25歳の学生の時に書いて、カトリックの布教雑誌「聖心の使徒」に載せた。そしていま、81歳になってそれをブログに再録した。

 いろいろな反響があった半面、長すぎて途中までしか読まなかった読者がいたらしい印も見えてきた。読まれなかった後半には私の今の心境が書かれていて、単なる付け足し出はなかった。だから、その後半をしっかり読んでいただくために PART-2 として独立したブログにすることを思いついた。

 

ローマの教皇がやってきた

(PART-2 :2019年・日本)

 

 1964年11月のボンベイにおける教皇ミサに直接重なって思い出されるのが、2019年11月に東京ドームでフランシスコ教皇によって挙式された教皇ミサだ。

 サンタクルス空港から会場への沿道を満たした大群衆の熱狂ぶりと、水素エンジンを搭載したトヨタ製特別車のパパモビレに乗った教皇が東京ドームのフィールドに現れた瞬間に熱狂的な叫びをあげた群衆に、私は直感的に同質の空気を感じ取った。それは、毎週水曜日にローマの聖ペトロ大聖堂前の広場で行われる一般謁見の群衆の姿とはどこか一味違うものだった。

 飛行場から会場への沿道を満たした大群衆は確かに熱狂していた。しかし、彼らの多くはヒンズー教徒だった。東京ドームを満たした人々の多くは金を払ってでもアイドルの顔を見に行くタイプの群衆だったのではなかったか。確かに大熱狂の空気はあったが、そのエネルギーは、武道館や東京ドームで行われる他のアイドルやスターのイベントのような世俗的なお祭りの盛り上がりに共通するものであったように思う。

 半世紀前のインドのボンベイでは、教会の2000年の歴史を通して初めて教皇がヨーロッパの外へ旅した点においても、またカトリックが圧倒的にマイノリティーの異教の地への教皇の旅であったことにおいても画期的だった。

 この度の東京ドームの教皇ミサもカトリック信者が全人口のゼロ点数パーセントの絶対的マイノリティーの国への旅であったことは共通している。しかし、インドの場合は、アジア各国から、そしてヨーロッパからも、数多くのカトリック信者の巡礼が国際聖体大会に向けてボンベイに結集した。その中に信心深いがお転婆のスペインの王女様もいた。だから沿道の群衆とは違って、国際聖体大会の会場を埋めたのは、インド中から集まったカトリック信者に海外からの信者の巡礼を加えて、ほぼ100%カトリック信者の集いになったと思われる。その中に、日本からはホイヴェルス神父様と私の他には一般の巡礼者はほとんどいなかったのではないかと思う。

 それに対し、フランシスコ教皇の東京ドームに近隣のアジア諸国からのカトリック信者の巡礼団が多数参集した気配を私は感じなかった。それだけではない、長い待ち時間があって待ちわびた頃に、ようやくフランシスコ教皇がドームのフィールドにオープンカーに立って姿を現した時のどよめきは当然だが、大きなスクリーンに映し出された教皇が、身を乗り出して人々と握手し、シークレットサービスが抱き取って差し出した赤ん坊に教皇がキスするごとにキャー!キャー!と、歓声とも絶叫とも知れぬ大合唱がドーム全体に響き渡る。

 

東京ドームで赤ん坊にキスするフランシスコ教皇

 まるで、ビートルズやマイケルジャクソンや和製アイドルグループのパーフォーマンスに熱狂するファンのように、我を忘れて陶酔し絶叫する姿は、使徒の頭である聖ペトロの後継者、神の代理人であるローマ教皇を信仰を込めて見守る信仰者の反応にしては、あまりにも浅薄で品がないと思ったのは私だけだろうか。違和感無しには見ていられなかった。

 バチカンの1万人収容のパウロ6世謁見場や、聖ペトロ広場を埋め尽くす10万、20万の巡礼者たちにも、熱い歓喜はあるが、この理性が麻痺したような狂乱はない。私は、聖教皇ヨハネパウロ2世の1981年の日本訪問の時は、ちょうどローマに居て老神学生をやっていたので、現場の雰囲気は想像で推しはかるしかないが、最終日の長崎・殉教者記念ミサ(5万7千人)のイべントには全く違った信仰の雰囲気があったに違いないと信じている。

 

ドームの群衆の中を行く教皇

 東京ドームでは聖歌隊のシスターたちや制服姿の生徒たちが目立ったが、彼らは整然としていてキャー、ワーと騒ぎ立てることはなかった。私の知るカトリック信者たちは、どちらかと言えばよい意味で控えめでクールなタイプが多いように思う。むしろ、隣の人が悪乗りして叫び回ったら眉をひそめてたしなめるような人種だ。信者であると言う自負と慎みが、おのずからオーバーな表現を抑制するのだろう。

 では、あの大騒ぎの熱狂はどこから来たのか。まるでアイドルの演技に興奮して気絶する若い少女のような乗りだった。意味も分からずオウム返しに叫ぶ「ビーバー!パーパ―!(教皇様、万歳!)」の大合唱も、聖ペトロ大聖堂の広場の毎水曜日の大群衆の中から自然に湧きあがるものとは一味違った。信仰の父に対するこみ上げる愛からではなく、クラシックの音楽会で響くブラボー!の叫びや、歌舞伎座で聞くナリコマヤー!の掛け声のように聞こえた。わたしにはそこに、意図的に演出され、誰かに煽られた人為的なものを直感した。

 聞くところによれば、東京ドームの教皇ミサの現場の演出を一手に任されたのは名高い電通だったそうだ。電通は日本の大型イベントを仕切るプロ中のプロだと言うことは誰もが知っている。GO TO キャンペーンにしろ、オリンピックにしろ、裏で深く、深くかかわって、大儲けをしていることは世間の常識だろう。その電通が教皇の東京ドームでのミサを取り仕切ったのであれば、全ての疑問は消える。

 私はこの一文分を書く前に、念のためユーチューブで二時間余りの教皇ミサの全てをあらためて見た。最初の15分30秒ほどは、トヨタ特製の白いオープンカーに乗り、ローマから同行した大勢のシークレットサービスに囲まれて、ドームのフィールドを縫うように蛇行しながら、集まった群衆に笑顔をばらまいた。右に左に身を乗り出して、群衆に触れ、シークレットサービスのリーダーがパパモビレを止めると、警護の一人が抱き取って差し出す赤ん坊に教皇がキスをする。そして、それが大スクリーンに映し出されるたびに、スタンドからはあのキャー!ビーバーパーパ―!キャー!という絶叫の嵐が波のように沸き上がるのだった。私がそれを数えたら、15分ほどの移動中に教皇は少なくとも20人の赤ん坊を抱き取ってキスをした。教皇は群衆の強烈な反響に気をよくしたことだろう。現場では確かにそうだった。

 しかし、ユーチューブでは違っていた。最初の数秒間は会場の興奮したざわめきが聞こえたが、すぐその音源のチャンネルは絞られて、代わりに映像にかぶせて電通が用意したと思われるプロのコーラスによるミサには場違いに乗りのいい軽い音楽がパパモビレの入場ドラマの最期まで流れた。15分間ずっとあの狂乱のるつぼの騒音を聞くのは、現場にいなかった人にはさすがに白けて堪えられないと思ったのだろう。

 いずれにしろ、入道、退堂はカトリックの典礼では、特に司教司式ミサや、ましてや教皇司式では、ミサの構成部分に含まれる。それを典礼音楽に属さない信仰の香りが感じられない軽い乗りの歌でカバーしたことには一抹の違和感が尾を引いた。

 

また赤ん坊にキスする教皇 15分間に20人以上にキスした

 フランシスコ教皇には生来のスター性があるように思う。テレビのカメラを意識しているときは笑顔を絶やさず、ゼスチャーたっぷりに群衆の歓呼に応え、時折トランプのように親指を立てて見せたりもする。しかし、テレビのカメラを意識していない時の彼は、疲れ切った弱々しい老人の顔をしている。

 余談だが、その点、聖教皇ヨハネパウロ2世は違っていた。彼はテレビカメラに一切媚(こび)を売らない。人やカメラに見られていてもいなくても、彼の顔は常に静かな魂の輝きをたたえていた。彼こそ聖人、だからこそ世界1のスーパースターだった。

 

聖教皇ヨハネパウロ2世

 最初の15分の感動と熱狂でこの日の教皇ミサのハイライトは終わった。その後の1時間45分は、一般の会衆にとっては盛り上がりに欠けた退屈極まりない忍従の時間となった。この1時間半こそ、心が熱くなり魂が霊的に満たされたと言う人は、5万人の観衆の中でも特に信仰深いカトリック信者の、しかもそのなかでもほんの一握りの少数者に限られたのではなかったろうか。

 それは無理もない、教皇はミサの間、力無くつぶやくような小声でラテン語で祈っている。説教はスペイン語のテキストの棒読みだった。数名の信徒が朗読台から祈願を唱えたが、タガログ語、ハングル語、ベトナム語などで、意味が分かる日本語は式全体でもほんの付け足しのように見えた。ローマで観る教皇ミサでは、ポーイソプラノの清らかな合唱や、歴史と信仰に磨き抜かれたポリフォニーの聖歌が豊かに花をそえるが、それに比肩できるような芸術的盛り上がりにも乏しかった。日本のお坊さんが多数招かれていたが、祭壇の上で行われる所作の意味はなんのことやらさっぱり分からないまま、1時間45分を我慢されたことだろう。ドームのスタンドを埋め尽くした群衆も、最初の15分の熱狂の後はシンと静まり返っていた。

 フランシスコ教皇の訪日は、実は数年前から噂に出たり消えたりしていた。当時の総理が招待したとかしないとか・・・。教会の消息通に聞いたら、当初、教会当局はかなり腰が引けていたようだ。教皇が来て、その費用を日本のカトリック教会が負担するとしたら数億を下らない。聖職者たちの老後資金を考えたら、手元のお金はなるべく減らしたくない。

 お金もお金だが、それよりももっと深刻な問題は、数万の信徒を動員して恥ずかしくない盛り上がりを演出する自信が教会にはないらしいということだった。1981年の聖教皇ヨハネパウロ2世訪日の頃のカトリック教会にはまだ今よりは活力も実行力もあった。しかし、公表40万人の信者のうち実際に日曜のミサに与かる者はその4分の1とも5分の1とも言われる今日この頃、タダでもウイークデー(月曜日)の昼間に5万人収容の東京ドームを信者で満杯にするのは容易なことではない。かと言って日当を払って動員をかけるほどの資力もない。まして、数億円以上の経費を分担するために一人1万円ずつ持って参加しろと言ったら、果たして何千人の信者がそれに応じられるだろうか。ドームはがら空きで、教皇とマスコミの手まえ大恥をかくのは目に見えていた。

 そこに、この難問を奇跡的に解決する手品師のように現れたのが、日本一のイベントのプロ、「電通」と言う名の錬金術師だった。

 この度のイベントの目玉商品は芸能界のありふれたスターではない。世界の宗教界のトップに立つスーパースター、フランシスコ教皇だ。イベントの成功は最初から保証されているようなもので、電通にとっての興行リスクはゼロに等しい。1億2600万の日本人の中から金を出してでも一目教皇とやらの顔を見ておきたいと言う人間を発掘するのはお手のものだ。広く傘下の全国の旅行代理店を動員して、「ローマ法王に会いに行こう!ツアー参加費3万5千円。先着順○○名様。」とやったら、さて何万人が集まるか。イベントの直前まで売りまくって、席が余ったら、タダ券を待ちわびているカトリック信者の中から抽選で満席になるまで入れてやればいい。必ずドームは満杯になるという仕組みだ。

 旅行代理店を通じて入場券を手に入れた人はさまざまだったろう。抽選で入れる保証のない教会の正式窓口を嫌って、あえて世俗の旅行代理店にお金を払って座席を確保した信者さんたちがいたことも知っている。必要とあらばお金にものを言わせる割り切った考えの信者さんも多かったと思う。

 3万5千円のチケットをプレミアムを払って買った人がいたかどうか知らない。3万円よりも安いツアーがあったと言う話も聞いた。値段と付帯サービスは旅行代理店の裁量に任されていたのだろう。そして、イベントにつきもののフランシスコグッズは、飛ぶように売り切れたそうだ。それにインターネットで高値のプレミアムがついていたという話も耳にした。そこでも電通は抜かりなく儲けたに違いない。

 経費が何億円かかったか正確な数字を知る立場にはない。しかし、リーマンブラザーズにもいたことのある元国際金融マンの勘で言えば、数億円の経費を賄って、なお電通には億単位の利益があったことを疑わない。それに、普通のイベントなら出演者は契約通りガッポリとギャラを手にして行っただろう。しかし、フランシスコは芸能人ではないから、ギャラなど要求するはずがない。その分は丸々電通の追加ボーナスみたいなものだ。きっと笑いが止まらなかったに違いない。私が電通の人間なら、こんな美味しいイベントを競争入札もなしに発注してくれたカトリック教会様に、たっぷりお礼を包むことを忘れなかっただろう。

 だから、東京ドームの教皇イベントは関係者一同、ウイン、ウインの大成功。めでたし、めでたし、と言うことになったはずだ。

 

 しかし、大きな疑問が残った。教皇が東京ドームの熱気からどんな印象を受けてローマにかえったか 知らないが、教皇が去ったあと、私は東京の、また地方の、実に多くの信者さんから、教会から言われた通り事前にネットで申し込んだのに、間際まで待たされた挙句に、抽選漏れで参加できないことを知らされて実にがっかりした、悲しかった、と言う声を聞いたことだ。

 幸い私は同じ方法で申し込んで抽選に当たった。司祭だから、希望通り教皇ミサの共同司式もできた。おまけに教皇の式服に染め抜かれたマークと同じデザインの祭服(ローマ製)まで記念に戴いて帰った。

 しかし、その蔭で信者として正規のルートで申し込んだ者の多くが、抽選に当たらなかったと言う理由で東京ドームから閉め出されてしまった。ローマまで巡礼に行く余裕のない信者たちにとって、キリストの代理人の姿を目の当たりに見る生涯にただ一度のチャンスを奪われてしまったのだ。それは、電通がぼろ儲けをするために信者ではない一般人にも高値で座席をぎりぎりまで売りまくった結果だ。

 イべントの本質は教皇司式のカトリックのミサだった。ミサは、洗礼や告白と並んで教会の7つの秘跡の中でも中心的な儀式だ。以前には毎朝ミサに与かることが勧められ、主日(日曜)のミサは今も信者の義務だ。定められた大祝日にミサに与からないことは罪とされ、懺悔(告白)することが信者に求められている。その代り、ミサが執り行われるところでは、希望する信者は常に無償で与る当然の権利があった。教皇ミサはまさにその典型だ。

 教会の定めた様式に沿って事前にネットで申し込んだ全国の信者の数を教会当局は十分早くから把握していたはずだ。その人数を全員収容できる会場を用意するのは教会の責務だ。本来なら入場を希望した信者全員に優先的にもれなく席を解放するべきではなかったのか。もし座席が余ったらーそして必ず余っただろうーそれを買いたい人がいたら高値で売るのも一概に悪いとは言えないかもしれない。しかし、お金で一般に売られる席と、タダで入場を希望する信者の席の優先順序を逆にしてはいけない。それは秘跡としてのミサの本質からも、秘跡とお金の悪しき関係を断つ意味からも決して許されてはならないことだ。

 しかし、そこで暗躍したのが電通に姿を宿した「お金の神さま」ーマンモンとも呼ぶー の存在だった。そこには偶像(お金)に対する教会の屈服があったのではないか。この不条理を知りながら電通と手を組んだ教会は、「まことの神」、イエス・キリストの天の父なる神様の前でそれをどう説明するのだろう。教皇の司式するミサに与かる当然の資格と権利を不条理にも奪われた信者たちの嘆き、無念の思いは天に届いている。

 ローマに帰ったフランシスコがこのカラクリを知ったら、日本の教会に対する彼の考えは変わるのではないだろうか。

 

グラウンドスタッフをねぎらって日本を去る教皇

 私は最初に、インドの空港から会場までの沿道を埋めた群衆と、東京ドームの群衆との間に同質性を直感したと書いたが、それは前者がほとんどヒンズー教徒でカトリックが少なかったように、ドームでもお金で席を買った人々が多数を占めていたためではなかったかとわたしは思う。

この PART-2 を書いている間にもいろいろご意見を頂きましたので、その一部をここに収録しました。右下の →コメント をクリックしてご覧になってください。

 

 

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★ 友への手紙 インドの旅か... | トップ | ★ 友への手紙 インドの旅か... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (M.G.)
2021-02-06 09:36:39
神父様
ありがとうございます。私もあの日ドームにいて同じようなことを感じていました。正直なところ、教皇を直接見たという以外には何の感動もありませんでした。でも、東京ドームは大成功だったと自画自賛して悦に入ってる人が多い中、天邪鬼(あまのじゃく)に思われるのもいやなんで、聞かれれば「よかったです感動しました!」みたいに答えてました。ですので、こうして神父様が「真実」を語ってくださったのは大変ありがたいことです。
返信する
Unknown (谷口幸紀)
2021-02-06 09:41:43
MGさんのこのコメントは「友への手紙 インドの旅から 第16話 PART-1」に寄せられたコメントを採録したものです。
返信する
Unknown (一読者)
2021-02-06 09:45:00
最新の神父様のブログ拝読させて頂きました。一昨年の教皇様の東京ドームのごミサの件、よくぞあそこまでバッサリと電通を糾弾して下さり痛快です。ごミサ出席がかなわなかった多くの信者の方々は何かもやもやした気分を抱えていらしたと存じます。そのもやもやの原因を神父様がはっきり示してくださった良かったです。
遥か半世紀前のインド、ムンバイでの教皇様の世界聖体のごミサ出席は世界広しと言えども、日本人では神父様只お一方。その神父様がムンバイでのごミサと一昨年の東京ドームでのごミサを対比してお書きになったのは、とても迫力がおありになりました。お若い時代の神父様の貴重なご経験が長い年月を経て今回のブログに結実したのは、ある意味とても有意義と存じます。
(一読者)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

★ インドの旅から」カテゴリの最新記事