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フリージアは母の思い出
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野尻湖国際村 No.113 のキャビンはすっぽりと雪の中。車を置いた道までの
ラッセルも楽ではない。ひどく春が待たれる日々が続く。(2008年2月現在)
昨夜のうちに50センチは積もった。一人立てこもったNLA(国際村)113番のキャビンは一階部分が半分以上雪に埋もれている。
重いテーマの合間に、一休みしようと、軽い気持ちで写真を並べるだけのブログを書いたら、フリージアの花が好評でした。
それで、気を良くして、どんどん花開く窓辺のフリージアの写真をまた貼り付けます。
フリージアの花、それは私の場合、少年時代から「母の花」でした。そのことについて、私は自分の本の中で次のような一文を書いています。
* * * *
( 第1章 「神から遠ざかる」-少年時代-P.50 より )
私は、1939年12月15日に大阪府の警察病院で生まれた。
カラーの静止画像のようにはっきりと覚えている最初の記憶は、ブルーの細首ガラスの花瓶に黄色いフリージアの花が無造作に生けてあって、その前の床にあぐらをかいて座った母が、水彩画でそれを描いていた。その母のあぐらの中にわたしがスポンと納まってなにやらクレヨンで描こうとしている、そういう情景であった。自分のお尻が母の内股に触れている暖かい皮膚感覚の記憶と言ってもいい。3歳ぐらいの時の記憶ではなかったかと思う。その日以来、今日に至るまで、黄色いフリージアの甘い香りは、母の香りである・・・。 ( 「バンカー、そして神父」 -ウオールストリートからバチカンへ- 谷口幸紀著 《亜紀書房》 2200円+税 ) (まだ読んでいらっしゃらない方は、是非ご一読下さい。アマゾンか楽天を通して簡単に手にはいります。)
「バンカー、そして神父」(亜紀書房)→ http://books.rakuten.co.jp/rb/4122150/
無言のふれはいは、大人になっても、信仰形成の上でも影響があると思います。
祝福をお祈りします。
8歳の時に他界した母から、実に多くを受けました。母に、そして神様に感謝しています。