:〔続〕ウサギの日記

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★ 〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-8)

2014-04-02 16:10:59 | ★ 教皇フランシスコ

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〔完全版〕教皇のインタビュー(その-8)

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我々は楽観主義者でなければならないか?

 教皇のこれらの言葉は、今までの彼の幾つかの省察を思い起こさせる。その中で、ベルゴリオ枢機卿だった頃の彼は、神は既にすべての人の間生気に満ちて現存し、一人ひとりと結びついて巷に住んでいる、と書いている。私の考えでは、それは聖イグナチオが霊操の中で書いたこと、すなわち、神は我々の世界の中で《働き、行動している》と言うことを、別の表現で言っているのだと思った。そこで、教皇に《私たちは楽観主義者でなければならないか?何が今日の世界における希望の印か?危機の中にある世界にあって楽観主義者であるためにはどうすればいいか?》と聞いた。

 「わたしは《楽観主義》と言う言葉は好きではない。なぜなら、それは心理学的な態度を言い表わすからだ。私はその代わりに前にも引用したヘブライ人への手紙 の第11章に書かれている 《希望》 と言う言葉を使う方を好む。教父たちは、大いなる困難の中を通りながら、歩み続けた。私たちがローマ人への手紙 の中に読むように、希望は決して裏切られることがない。それに対して、プッチーニのツーランドットの一番目の謎の事を考えて御覧」と教皇は私に求めた。

 とっさに私は、希望を答えとした王女様の謎についての詩句を、少しばかり暗唱していることを思い出した:暗やみに包まれた夜に虹色の亡霊が舞い / 無数の黒い人影の上に / 翼を広げて昇ると / すべての人たちはそれを希求し / すべての人はそれに哀願する / だか亡霊はあけぼのと共に消え失せる / 心の中に再び生まれるために / それは夜毎に甦り / そして日毎に滅びゆく! この詩の言葉は希望の願いを表しているが、ここでは虹色の亡霊として、あけぼのと共に消え失せるものとして描かれている。

 教皇は言葉を続けて、「だけど、キリスト教的な希望は亡霊ではなく、欺くことはない。それは神に対する徳目だから、神の贈り物であって、ただの人間的な楽観主義に矮小化することは出来ない。神は希望を裏切ることはない。ご自分自身を否定することは出来ないからだ。神は約束のすべてなのだ。

 

芸術と創造性

 私は教皇が希望の神秘について話すためにツーランドットの引用をしたことに感動した。そして、教皇フランシスコの芸術と文学に関する造詣についてもっと知りたいと思った。彼が2006年に、偉大な芸術家は人生の悲劇的で痛ましい現実を美しく表現することが出来る、と言ったのを思い出す。そこで、どのような芸術家と作家がお好きですか?それらに共通する何かがおありならば・・・とお聞きした。

 「わたしは互いに相異なる作家をとても愛好している。ドストエフスキーとヘルダーリンをとても愛好している。ヘルダーリンにつては、彼のおばあさんの誕生日に捧げられた、大変美しく、私に霊的に多くの善をもたらした、あの抒情詩のことを思い出したい。その詩の最後は 幼子のときに約束したことを人が保ち続けますように と言う言葉で結ばれている。感動したのは、私が私のローザおばあさんを大変愛していたので、ヘルダーリンが誰をもよそ者とは見做さないこの世の友イエスを生んだマリアと自分のおばあさんを並べて考えていたことにもよる。私は いいなずけ (Promessi Sposi) の本を三度読んだが、それを再読するために今また机の上においている。マンゾーニは私に多くの事を語った。私のおばあさんは私が幼い子供だったとき、この本の最初を暗記するように教えた。《途切れることなく連なる二つの山なみにはさまれて南に向かうあのコモ湖の枝分かれ・・・》。ジェラール・マンレイ・ホプキンスもとても気に入っている。」

 「絵画ではカラバッジョに感嘆する。彼の油絵は私に語りかける。しかし、またシャガールの白い十字架 のある絵も・・・。」

 「音楽ではもちろんモーツァルトが好きだ。ハ長調のミサ曲のあの Et incarnatus est (エト・インカルナートゥス・エスト=そして、受肉された)は無類のもの、神にまで引き上げるものだ!クララ・ハスキルの弾くモーツァルトが好きだ。モーツァルトは私を満たしてくれる。それを考えることは出来ない。それは感じなければならない。ベートーベンを聴くのも好きだが、それはプロメテウス的-反逆的-な意味においてだ。私にとって、よりプロメテウス的な解釈者はフルトヴェングラーだ。そして、バッハの受難曲。私のとても好きなバッハの一節は、マタイ受難曲のペトロの涙のErbarme Dich(主よあわれみ給え)だ。最高だ。次いで、同じように親密と言うわけではないが、違うレベルで、ワーグナーを愛する。聴くのは好きだが、いつもと言うわけではない。フルトヴェングラーが50年にスカラ座で指揮した指輪の四部作(ニーベルングの指輪)が比較的優れている。クナッパーツブッシュが62年に指揮したパルシファルもまたいい。」

 「映画についても話さなければならないだろう。フェリーニ監督のLa strada(道)は多分私が最も愛した映画ではないか。暗に聖フランシスコに関連付けられたこの映画には私と重なるものがある。女優アンナ・マグナニと俳優アルド・ファブリツィの出た映画を、私は10才から12才の間に全部見たと確信する。私が大好きなもう一つの映画はRoma città aperta(開かれた都市ローマ)だ。私の映画文化は先ず第一に私を度々映画に連れて行ってくれた両親に負うところが大きい。」

 「とにかく、一般論として私は悲劇的な芸術家、特により古典的なのが好きだ。セルバンテスがドンキホーテの物語を讃えるために学士カラスコの口に載せた《幼子たちが手にとり、若者たちがそれを読み、大人たちはそれを理解し、年寄りたちがそれを称賛する》という美しい定義がある。私にとって、古典に対する良い定義で有り得る。」

 私は彼のこれらの言及にすっかり心を奪われ、かれの芸術的嗜好の門を通って彼の内面に分け入りたいという望みを抱いている自分がいることに気付いた。それは恐らく長い道のりになることだろう。そこにはイタリアのネオレアリズムからIl pranzo di babette(バベットの午餐)の映画までも含まれるだろう。私の頭には、彼が別の機会に言及した他のマイナーな、またあまり知られていない、あるいはローカルなものも含む著者や作品が浮かんできた。ホセ・エルナンデスJosé Hernández(訳注:アルゼンチンの詩人)のマルチン・フィエロMartín Fierro(訳注:長編叙事詩)から、ニーノ・コスタNino Costaの詩やルイジ・オルセニゴの大脱走 に至るまで。しかし、またヨゼフ・マレーグやホセ・マリア・ぺマンまで。また、ダンテやボルゲスBorges(訳注:アルゼンチンの作家、詩人)は言うに及ばず、Adán Buenosayres(アダン・ブエノス・アイレス=アルゼンチン文学の最高傑作)や El Banquete de Severo Arcángelo(厳しい大天使の晩餐)や Megafón o la guerra(メガホンか戦争か)の著者であるレオポルド・マレシャルまでも。

 特に、まさにボルゲスに至るまで、と言うのも、28歳でサンタフェの無原罪の御宿りカレッジの文学教授をしていたベルゴリオは、個人的に彼を知っていたからだ。ベルゴリオは高等学校の最後の2学年の教鞭を執り、生徒たちに創造的文学を教えた。私は当時の彼と同じ年頃のとき、ローマのマッシモ学院でBomba Carta(紙爆弾)を設立して彼と同じような経験をしていたのでそのことについて話した。そして最後に教皇に彼自身の経験を話してくれるように求めた。

 「それは少しばかりリスクを伴う試みだった-と教皇は答えた-。生徒たちがエル・シッド(El Cid)(訳注:11世紀スペインの国民的英雄ロドリゴ・ディアスのこと)を勉強するように仕向けなければならなかった。しかし子供たちはそれが好きではなかった。彼らはガルシア・ロルカを読みたいと言った。それで、私はエル・シッドを家で勉強したことにして、授業中は彼らのより気に入った著者たちの作品を取り扱うことにした。明らかに若者たちは現代のものではロルカのLa casada infiel(不貞な妻) や、古典ではフェルナンド・ロハスのLa Celestina(ラ・セレスティーナ)のような、より《辛口の》文学作品を好んだ。しかし、最初は彼らの関心を引いたものから読みながら、次第に彼らは文学や詩全般に対する味を覚えて、他の作家の作品へと移っていった。これは私にとって大きな体験だった。私は結局プログラムを達成したが、それは破壊的な手法、つまり、あらかじめ決められたやり方に従わないで、作家たちを読み進むうちに自然に生まれた秩序に従ってであった。このようなやり方が私には合っていた。私は硬直的なプログラムを作ることは好きではなかった。大体どの辺にたどり着くかを知っているだけで十分だった。そして、次に彼らに書かせることにした。最後に、私の生徒たちの書いた二つの物語りをボルゲスに読ませることに決めた。私は彼の秘書を知っていた、と言うのも彼女は私のピアノの先生だったからだ。それらはボルゲスにとても気に入った。そして、かれは一冊の文集に序文を書くことを提案した。」

 「教皇聖下、では一人の人の人生にとって創造性は重要なことだということでしょうか?」と訊ねた。彼は笑って私に答えた。「一人のイエズス会員にとっては極めて重要なことだ!イエズス会員は創造的でなければならない。」

バラ.jpg

(つづく)

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-04-03 14:23:48
教皇聖下

もうそろそろ終わってもいいよ。

J. K.
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Unknown (谷口幸紀)
2014-04-03 14:30:23
はいはい、お伝えしました。
教皇聖下も、もういい加減にしたいそうです。
頑張ればあと一回でも終われそうですが、私の短い感想も入れるとすれば、一回半分の残量です。
もうちょっとのご辛抱を・・・・
返信する
感謝です! (巡礼志願)
2014-04-04 21:23:13
今回もありがとうございます。

「クララ・ハスキルの弾くモーツァルトが好きだ」とかかれています。
私にとっても忘れがたきピアニストなので、独自解釈のどの部分が特に響いたのだろうとう想像しています。

日本でも、その人個人を深堀りする感性が敷衍しますように!
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