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友への手紙
インドの旅から
第19信 サンガムの沐浴
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何という偶然か。
私がアラハバードに着いた翌朝は、ちょうど祭の初日に当たっていた。
ジャムナ川とガンジス川の合流するこの地は、何千年もの昔からヒンズー教徒らにとって最も重要な聖地であった。
何百万とも知れぬ巡礼の群れが、ヒマラヤの森から、デカン高原の奥地から、ケープ・コモリンの椰子の木陰から、星の暦を頼りにこの日に向かって巡礼の杖を進める。
一年に一度の祭り、そして六年に一度廻ってくるこの大祭に、インド人は必ず一度はやってくる。
早朝宿を出て、サンガムと呼ばれる合流点の砂州に向かった。
日の出を期して沐浴すべく、たくさんの人々が、手に手に花と真鍮の手桶を持って川に向かう。
サンガムまで小舟で近づく。外国人観光客のためには別の小舟が用意され、盛んに客引きをやっていたが、私は巡礼の群れにまじって行くことにした。小さな舟に年寄り、女、子供、田舎者、都会っ子、みんなここでは同じ人間。ぎっしりと乗れるだけ乗るともう沈まんばかりだ。
朱墨をとかしたような朝日が河霧の中に差し入ると、累代の王が岸辺に築いた城塞の壁がバラ色に染まる。
どの舟もどの舟も巡礼者の語らいを満載して静かに進む。
サンガムが見えた。
何処までが砂州で、何処から河なのか全然見当がつかない。ぎっしりと集まった舟は互いに舟べりを接するほどで、身動きもならない。人びとの叫び声、船頭の怒鳴る声、子供の泣き声。騒然たる中に、水上警察の拡声器の声が加わる。
川の水が干上がったかと思うほどの人の波。自然のスケールの雄大さといい、そしてまた伝統の持つ重さといい、30万人を動員したカトリックの聖体大会も全く影が薄くなってしまうほどだ。かえって、聖体大会を成功させたものの背後には、無意識のうちにインド人の血の中で騒いでいるサンガムの祭りへの郷愁があったのではないかとさえ思った。
写真を撮るのも忘れて、タダ呆然と眺めていると、船頭が「お前も早く着物を脱いで入れ」という。
さあ困った。不信心者の私にはどうしてもこの汚い河に入る気がしない。しかし、よく見ると同じ船で入らぬものは私だけ。
さっきまでサリーをまとい、白い腰布を巻いて世間話をしていた善男善女は、いつの間にか薄いものに着替えて水の中に入っている。浅瀬に立って朝日を礼拝し、何度も頭まで水の没し、花をまき散らし、水を口に含み、川底の泥をすくって指で歯を磨き、・・・聖なる河にはバイ菌は住まぬものと見える。最後に真鍮の手桶に水をいっぱい汲み取ると、彼らは舟に上がってくる。男も、若い娘たちも巧みに濡れた着物を着換えていく。素晴らしい芸術だと思った。
すっかり清められた彼らは、高く上った陽の下を晴れ晴れとした顔で元来た岸へもどっていった。
彼らはこれから生命の水をシバ神の神殿へ捧げに行くのである。
ヨルダン川のヨハネの洗礼。日本人もみそぎをする。身体を清める時、心も浄められるのであろうか。
川岸のガート(木浴場)
(今回のブログに添付の写真はウイキペディアから借用したものです)
1964年の旅には、勿論カメラを持参していた。しかし、まだフイルムカメラの時代で、そのネガは未整理のまま膨大な数のネガの間に眠っていて、見つけ出すことはできない。中には失われたものもあるだろう。
改めて調べてみると、このサンガムの沐浴は世界最大の祭りで、1億人とも1億3000万人ともいわれる巡礼を集めるのだそうだ。日本の全人口に相当する数が巡礼すると言うのだから半端ではない。
最後の長編小説「深い河」を1993年の発表した遠藤周作は、1990年2月にその小説の下調べのためににインドに旅行、ガンジス川のほとりの町ベナレスを訪れているが、アラハバードまで足を延ばしたと言う記録はない。ベナレスには私もアラハバードのあとに訪れたが、そこまでは直線距離で110キロ、今なら車で2時間余りの距離だろう。
ベナレスを流れるガンジス川の岸辺にもガートと呼ばれる沐浴場が連なっている。
遠藤周作は彼の代表作でもある「沈黙」を1966年に発表して以来、「深い河」に至るまで、一貫してキリスト教と日本人の心との関係について独特の解釈を展開してきたように思う。
私は、遠藤の理解したキリスト教と日本の精神風土との関係性に、ある意味で誘惑的な、しかし、極めて危険な思想が隠れていることを以前から見て取っていた。
しかし、ここにそれを展開したら、長くなりすぎるので、次回のブログで私の考えを述べてみようと思う。乞う、ご期待。