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創造と進化 ⑤
ビッグバン=やっと本題の入り口へ
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ホイヴェルス師とカバン持ちの私(20才?)
ホイヴェルス師は、神の神秘を人々に配る「司祭」、
神のものについて歌いあげる「詩人」、
形而上学の聖堂を守護する「哲学者」、としての
三つの資質を兼ね備えた幸運な魂だったと思います。
ホイヴェルス師にとっての「神」はもちろんキリスト教の神です。毒盃を仰いで死んだソクラテスは紀元前3世紀に歿しているからキリスト教の神を知るはずはなく、青年藤村操の心にもキリスト教の福音が届いていた気配はありません。そして、その彼も自死の道を選びました。
ニーチェはルター派の裕福な牧師の息子で、その後継ぎとしての期待もあって、大学で神学を学んでいます。彼はキリスト教の「神」を知ったうえで、「神を拒否」し、「神を殺し」、その挙句に心を病んで精神病院に入ることになりました。
「哲学者」、ホイヴェルス師は預言しました。
神を知らずに哲学に深入りすると、死を選ぶことになる。また、神を否定して哲学しようとすると、こころを病むことになる。上の三人はその予言通りの運命を辿りました。
他方では、「神を知る人の哲学的探求は、心楽しい最高の知的遊びだ」とホイヴェルス師は言います。キリスト教的世界観から自由にヒントを得ながら哲学的疑問を解いていくと、実に明快な回答が得られます。
話は飛躍しますが、キコ・アルグエヨというスペイン人は、ヒットラーが計画したユダヤ民族撲滅作戦のアウシュヴィッツ型ホロコーストの犠牲者たちを悼む「罪のない人々の苦しみ」というシンフォニーを作曲しました。
キコとフランシスコ教皇
彼は、その曲を福島の原発事故の犠牲者と被災者に捧げて、2016年に東京のサントリーホールで上演しましたが、コンサートのプログラムに≪神が存在するとして、その神が苦しむ人を助けないなら、そんな神は化け物だ。また、もし助け得ないのなら、神など存在しはしない≫というニーチェの言葉を引用しています。心を病んだ魂の歪んだ論理です。
私など、詩的センスを欠いた凡俗な人間ではありますが、50才にして国際金融業の泥沼から足を洗い、放蕩息子よろしくホイヴェルス師のあとを慕って司祭職への道に立ち返り、ローマで養成を受けて54歳でようやくカトリックの神父になりました。学生時代にホイヴェルス師から「哲学する楽しさ」の手ほどきを受けたものとして、師の魂の自由さにあやかって、「創造と進化」という主題のもとに、「知的遊戯」の楽しさのほんのひとかけらでも味わってみたいものだと思っています。
さて、旧約聖書の創世記の冒頭には、神は宇宙を6日間で創造されたとあります。6日目に創造の頂点として人間を創り、7日目には休息された、とも書かれています。もちろん、この一日は24時間のことではなく、宇宙の誕生から今日までの長い進化の歴史を語るために、現代の科学的進歩をまだ知らなかった人類が用いた一つの表現様式だったでしょう。
スティーヴン・ホーキングのような宇宙物理学者によれば、ビッグバンと共にこの時空の世界は存在を始めました。138億年の時間の歴史もその瞬間に始まったというべきでしょう。
そして、人が現れるまで、宇宙の歴史は神がお一人で導かれました。しかし、神は人類の出現とともに、物質と生命の長い進化をお一人でつかさどることをおやめになりました。海と陸と空をあらゆる種類の生命で満たし、それをそっくりそのまま人類に託して、「7日目に」休息に入られたというのが旧約聖書のメッセージです。では、創造と進化の歴史は本当にそこで止まってしまったのでしょうか?神は人間の出現とともに創造のドラマの舞台から降りて、身を隠されたのでしょうか?
「ホーキング、宇宙を語る」(原題:“A BRIEF HISTORY OF TIME”)と言う本の著者は「宇宙は何処から来たのか? 宇宙はどのように、そしてなぜ始まったのか? 宇宙に終わりはあるだろうか? もし終わるとすれば、どのように?」などの疑問を提起しましたが、彼はそれに答えを与えていません。
これは、物理学者の仕事ではなく、哲学者こそがそれに答えを与えるべきではないでしょうか?
次回はホイヴェルス師が私に語ってくれた
「時計職人のはなし」
というのを取り上げたいと思っています。
乞うご期待!