~~~~~~~~~~~
今年も広場で宣教
コロナは下火になったから
~~~~~~~~~~~
今日は怠けて大きいカメラを持ってこなかった。そしたら iPhone もうっかり駐車場の車の中に忘れてきてしまった。だから写真は兄弟たちが撮ったものばかりで心もとない。ちょっと残念!
公園のモニュメントに登って始まるのを待つ子供たち
私たちは聖教皇ヨハネパウロ2世に励まされて、復活祭の後の6週間、日曜ごとに広場に出て直接宣教をする習慣がある。
私は、今年の一回目は他の用で参加できなかった。二回目は雨にたたられて流れた。三度目の正直、東京郊外の公園に行ってやっと参加できた。
10年近く前から使っている横断幕
ギターに合わせてみんなで歌い
子供たちはボンギ(太鼓)をたたいて参加し
司祭のわたしは大したことをしなかったが
みんなで手分けして、ケリグマ(よい知らせ)が告げられ
兄弟の2~3人が信仰告白をし、自分のカトリック入信(回心)の歴史を語り
歌が歌われ 教会の祈り(朝の詩編)が唱えられ
主の祈り、平和のあいさつ(ちゃんとハグハグする)ect.
最後はいつも讃美歌に合わせて、みんなで楽しく輪になって踊る
初めは恥ずかしくてちょっと勇気がいる。しかし、謙遜になり、元気を出してやり通すと、終わるころには達成感があり、信仰が強められたのを感じる。
以前はよく原宿の代々木公園でやったものだが、日本ではいろいろうるさい規制があり、ヨーロッパのように繁華な場所で自由に活動することは出来ない。
過去の広場での宣教の記録は以下のブログをみてください(ブルーのURLをクリックする:
日本版「100の広場に飛び出そう」(原宿の場合)
2015年4月のブログ記事一覧-:〔続〕ウサギの日記 (goo.ne.jp)
日本版 100の広場 (原宿ー2)
2015年5月22日のブログ記事一覧-:〔続〕ウサギの日記 (goo.ne.jp)
私はすでにローマでの「百の100の広場に飛び出そう」について、3編のブログを書いています 本格的な拡声器を使って毎日曜日
道行く人と対話する、毎日曜日聞いて入信する人が毎年いる
興味のある人は下をクリックして覗いてみてください:
http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/0c8f519565b6693d54ac0b6d5d94da6c
http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/5a1506a11996016b66cecc9a052ce5ef
http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/dd5b401c3ec3c8fe7f083eea574a9d27
このブログにわたし(新米信徒)が初めに書いたことは、ある方の書に関わる悪質と思われるコメントについてでした。その頃は、ギリシャ正教会の教えと関わるとは想像もしていませんでした。しかしながら、日本 FEBC の放送で、「光、イイススというお方 ゲオルギ松島雄一(日本正教会大阪ハリストス正教会管轄司祭)<2019 年 4 月 2 日から 9 月 24 日にかけて放送>は時々聴いていました。当時は、不思議な話だな、と感じましたが、一回聞いただけではよくわかりませんでした。今は、CD-R で繰り返し聴くことができるので、いろいろ教えられます。第 13 回目の放送の聖書の引用箇所は、"Mt 4:18-23" ですが、松島司祭は、「ディオグネトスへの手紙」を引用されていました。ディオグネトスは、2 世紀から 3 世紀のしふ(使父?松島司祭のことばです)だそうです。調べると、時課の典礼(教会の祈り)の「毎日の読書 第 3 巻 復活節 カトリック中央協議会 (1991) 」の「復活節第五水曜日、第二朗読 ディオグネトスへの手紙 世の中のキリスト者」の前半の部分であることがわかりました。そのごく一部を引用します。
「・・。彼らはそれぞれの運命に従って、ギリシャの都市や外国の都市に住み、衣服、食べ物、それ以外の生活様式の点でも、その土地の習慣に従っています。しかしながら、常識では信じがたい、驚くべき生活を送っています。母国に住んでいますが、それはあくまでも寄留者としてです。市民としてすべての義務を他の人々とともに果たしていますが、外国人のように、ありとあらゆる辛苦を味わっています。彼らにとっては、どの外国も母国であり、どの母国も外国なのです。・・・」
この読書課の最後は、わたしには大変厳しいことばのように思いますが、希望につながっているようにも感じます。イエス様の「御受難」が「復活」につながっていたように。松島司祭が引用された聖書の箇所はギリシャ正教会の典礼暦に沿っているそうです(一部例外はあるそうですが)。
フランシスカンが師父聖フランシスコと言い習わしているのを知っています。
谷口
私は共同体の いっぱんしんと たちに、教会の祈りを毎日夫婦で一緒に唱えるように勧め、彼らは必死で仕事に出る前に早く起きて頑張っていますが、朝の祈りが精いっぱいで、たまに晩の祈りもできれば神に感謝のギリギリの生活ですが、月に一度ぐらいは一日集ってともに生活を分かち合い、朝の祈りと読書課と福音書朗読を一緒にします。観想修道者のように共同体でみなと一緒に唱える時課の祈りは本当に素晴らしいですね。
「師父」についての返信をありがとうございます。昨日、少し調べると、「聖自治日本正教会
西日本主教 教区」の site の(どこかにあるはずの)「◆第2世紀◆」の 「護教家たちの時代…信仰の弁護」に、「この時代にはまた、教義の基礎固めがはじまり、聖使徒たちの次の世代の指導者(「聖使徒師父」と呼びます)たちによる神学が現れました。」とありました。神父様が仰るとおりでした。ここをよく読んでみようと思います。わたしは、正教会のことはほとんど何も知りませんが、以前、平日に仕事で東京に行ったときに、仕事の前に、「ニコライ堂」に入ったことがあります。正教会の聖堂に入ったことはあのときだけです。カトリック教会と同じ感覚で鞄を持って聖堂に入ろうとすると、注意を受け、受付の方に鞄を与っていただきました。ロウソクを灯して立てました。今、思えば、大変大切なことをしていたのだと思います。また、今は電気を使うことは当たり前で、わたしには、使徒の時代の感覚がないのだと思います。イスラエルでも、安息日には、親族が集まって、電気を用いずに、ロウソクを灯して、ともに食事をして、団欒のときをもっているそうですが、そのことの大切さを比較的最近自覚をしました。ニコライ堂では、わたしから質問をしたと思いますが、「奉神礼」は二時間ぐらい(だったと思います)で、立って礼拝すること(健康上の理由がある人以外)、「聖歌」は無伴奏で唱和(カトリック教会のことばを用いています)すること等を教えていただきました。今、使徒行録を少し見ましたが、5:42 「毎日、神殿で家々で教えを説き、イエズスはキリストであると述べ続けた。」(バルバロ神父様による訳 講談社(1980))、が目にとまりました。神学の難しいことはわかりませんが、このことが根本であるように感じます。
上に正教会の site にあることを引用しましたので、site の検索の仕方を書きます。
「正教基礎講座 インターネット編 1.教会史」と検索すると、
site が表示されます。わたしが見た site は少し異なるようです。
1.教会史 (正教会の歴史)
「トマス・ホプコ神父著
“TheOrthodox Faith vol.3 Bible and Church History”, 1979 O.C.A.、Chuch History
翻訳 日本正教会 西日本主教教区 司祭 ゲオルギイ松島雄一」の、「第2世紀」にありあます。
カトリック教会の出版物を日本語に翻訳される方々とその翻訳書が出版されることに対して感謝しなければいけないと思わされました。当たり前とは思っていませんでしたが、多くの専門家の方々がカトリック教会にいるおかげであることを当然のことのように思っていました。とんでもないことです。
仕事に行く前に、毎日、「教会の祈り」の「朝の祈り」を唱えることは大変なことだと思います。
「信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話 V.メッソーリ 著 𠮷向キエ 訳 ドン・ボスコ社 (1993) 原書 (1984)」の第八章 今日の霊性、の、この"世"から見て異なる者たち、に、「・・・。ある修道者がわたしに語ったのだが、彼の修道院の解体は、ー非常にはっきりとー修道者たちが、典礼によって定められている夜の聖務日課を唱えるために起きていることが、"もう実践できない" と言い出したときに始まった。この明白な、だが、意義深い "犠牲" は、夜更けまでテレビを見ることと取り替えられたのである。・・・」、とあります。
Liturgia Horarum
Feria sexta, 9 Iunius 2023
Feria Sexta Hebd. IX
の Oratio を、間違いはあると思いますが、古語に置き換えてみました。以前に置き換えたときは、イエス様が後ろに隠れているように感じましたが、Verbum (ロゴス)がイエス様のことだから、そのようなことはないであろう、と「理屈」を用いて一応考えました。
おお隠る身様よ、御身、光もつ為手(して)ゆゑ、無明(むみゃう)の闇追はしめ給ふ、御身が恩寵為(な)さるる燃ゆる火を如何な心見らるること消さざらむがため、我らが心に与ふ信仰が徳、幸(さき)ははしめ給へ。Per Dóminum ...
ラテン語の原文は、
"Deus, qui ténebras ignorántiæ Verbi tui luce depéllis,
auge in córdibus nostris virtútem fídei quam dedísti,
ut ignis, quem grátia tua fecit accéndi, nullis tentatiónibus
exstinguátur.
Per Dóminum ... "
ignorántiæ は無明のとしました。無明は仏教のことばです。「教会の祈り」の訳は、「無知の」です。
私が二十歳代の最初の頃、上智の羅哲科でラテン語を学んだのが、日本の神学生たちが真面目にラテン語の習得に励んだ最後の世代です。
ヨーロッパの伝統あるリセオやギムナジウムを猿真似し背伸びしたラテン語教育で、修士課程ではスコラ哲学の試験がラテン語の口頭試験であったことを懐かしく思い出します。
無論、どだい無理な猿真似の茶番試験で、十問ほどのラテン語による試験問題のラテン語による模範解答があらかじめ配られていて、それ全部を丸暗記するのが不可能な場合は、そのうちのいくつかに山を張って、それだけを集中的に暗記していき、あとは運に任せるというやり方です。山が当たればいい成績、外れれば追試みたいなシステムです。
私が、模範解答を参考に暗記はせず、自分の正味のラテン語力を頼りにその場で四苦八苦して回答を即興したら、何を生意気な無謀な傲慢な受験態度だ、なぜ素直に真面目に暗記してこなかったと叱られ、それでも最低点でパスするという反骨精神を持ったのは私だけだったでしょう。
ラテン語語の主任教授はエセイサバレナ先生でした。ロヨラハウスにおられたがもうお亡くなりになったでしょう。
懐かしい限りです。