:〔続〕ウサギの日記

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★ 聖週間 今年は特別 復活の徹夜祭 (2014年)

2014-04-22 18:21:36 | ★ 復活祭の聖週間

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聖週間 今年は特別 復活の徹夜祭 (2014)

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カトリックの復活祭ユダヤ教の伝統を引き継いで、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝われる移動祝日だ。

今年はたまたま4月20日の日曜日だった。

それだけなら例年通りではないか、何も特別なことはない。

では何故今年は特別なのか?

それは、私の共同体が20数年の歩みをこの復活祭に終えたからだ。 

では共同体の歩みとはなにか?

それは、一言で言えば、大人がキリスト教の洗礼を受ける前に身に着けるはずだったキリスト教信仰教育が、

子供の信仰教育のレベルにとどまっていることに気付いた者が、初心にかえってもう一度最初からやり直そうという歩みだ。

キリストが福音を説き始めたときから最初の300年余りの間は、その歩みの「道筋」がしっかりと教会に根付いていた。

ところが、迫害の時代が過ぎて、教会が一転してローマ帝国の国教になると、

ユダヤ教の伝統を知らないローマ人、

それまで異教の神々を拝んでいた大衆が、十分な信仰教育も受けず、キリスト教的回心のなんたるかも全く知らず、

異教の神々を拝んできたメンタリティーのまま、キリスト教になだれ込んできた。

異教の偶像を拝む代りに十字架を拝むだけで、中身は全くキリスト教化されないままの信者が圧倒的多数を占めるようになった。

イエス・キリストの教えが異教の神々、八百万の神々のメンタリティーに呑み込まれて変質したという方が正しい。

そして、それがそのまま、中世を経て現代20世紀にまで及んだ、と言えば言い過ぎになるだろうか。

世俗の覇権、帝国の皇帝の守護神、御用宗教であった時代は、キリスト教も羽振りがよかった。

しかし、早くは啓蒙主義、産業革命の時代から、しかし、特に20世紀の世俗化とグローバリゼーションが進む中で、

世俗の権力の宗教的後ろ盾としての教会の地位と役割は音を立てて崩れていった。

明治以来日本の八百万の神は人気が無くなったように、コンスタンチン型のキリスト教も同じ運命をたどった。

人々は宗教を必要としなくなった。敢えて言えば、お金の神様だけで間に合うようになった。

その潮流の前に、キリスト教はなす術を知らず後退に後退を重ねてきた。

そこで始まったのが、1965年に幕を閉じた第二バチカン公会議と言う大宗教改革だった。

これは、紀元313年のコンスタンチン大帝のキリスト教のローマ帝国国教化の動きを180度転換して、

キリスト教を、コンスタンチン以前の本来のキリストの教えに戻そうとする動きとして要約できる。

第二バチカン公会議の提唱者ヨハネス23世以来、6代の教皇が全てこの公会議の路線に忠実にとどまっている。

しかし、教会の中には、公会議以前の「コンスタンチン体制」に郷愁を抱き、それに戻ろうとする動きが

あなどり難い勢力として巻き返しの機会をうかがっている。

教会の中に、保守と革新の大きな戦いがある。

その図式の中で、新求道共同体の流れは、あくまでも公会議の路線に忠実に信仰生活を生きようとする動きと言えるだろう。

私のローマの共同体は、20年以上にわたる長い歩みを終えて、その「道」の過程をこの復活祭の前に終えた。

復活祭の日曜日に先立って、その終了を告げるささやかな式があった。

式の詳細を書く立場にはないが、外から見える印としては、その道を終えたメンバーの名前を聖書に記し

霊的に洗礼の準備が整ったしるしとして白い衣(服)を着る

洗礼をすでに子供の時に受けている者は、もう一度洗礼の水を受けないところが、

プロテスタントの再洗礼派(アナバプティスト)と違う。

 

私の共同体の責任者トニーノが持っているのが金や貴重な石で飾った銀の表紙の聖書

 

共同体の歩みを指導したカテキスタのステファノが、一人一人を呼び出してその名前を聖書の一ページに記す

 

  

高価な装飾を施した聖書  その中の旧約聖書の終わり、新約聖書の始まりの前の白紙のページに記された

共同体のメンバーの名前

私の名前が左の欄の筆頭に書かれている

 

  

そして、一人一人の体格背丈に合わせてあつらえた白い麻布のローブ

私もややだぶだぶで長めのを着て一同と一緒に写真に納まった

100パーセント麻の白い布は、何度も何度も打たれ晒された麻糸が、長い年月の信仰の歩みを象徴している

 

いよいよ復活の徹夜祭の時が来た。19日土曜日の夜10時から、夜中を跨いで復活祭の日曜日の未明まで徹夜祭は続く。

それは、キリストが十字架に付けられ苦しみのうちに死に、葬られ、三日目の日曜日の未明に復活した史実に因むものだ。

私たちにとって、一生に一度の特別な復活の徹夜祭は、世界の教会の母、母教会と言われるラテラノ教会で行われた。

サン・ジョヴァンニ・ラテラノ教会の前の広場には、エジプトから盗んできたオベリスクが立っている。

 

徹夜祭の始まる前に同じ共同体の兄弟姉妹の一部と撮った記念写真

 

徹夜祭は光の祭儀から始まる。大聖堂、バジリカの入り口でかがり火が焚かれ、そこから取った火が

左側の助祭が捧げ持つ復活の大ローソクに移される。

このローソは復活したキリストを象徴する。

(しかし、どこかコンスタンチン時代の異教の拝火の儀式の混入の臭いもする)

 

大ローソクにを先頭に大聖堂に入堂するローマ教区長教皇代理のお馴染みヴァリーニ枢機卿

 

 復活の大ローソクから火を貰って、次々と兄弟のローソクに渡していくと、大聖堂の中はみるみる光に満ちていく。

これは死の支配の闇に沈んで蠢いていた人々の心に、キリストの復活信仰の火が点っていくことを象徴する。

 

私の共同体の仲間たち。実は、この大聖堂の空間の半分を埋めているのは、ローマに数百ある共同体の内、

今年歩みを終えた共同体が一堂に結集しているのだ。

 

ラテン十字の形に建てられた大聖堂の中心の祭壇の前に洗礼盤が用意されている。

キリスト教では、洗礼は伝統的に復活の徹夜祭の中で行われてきた。

それは、ユダヤ教の過ぎ越しの伝統、すなわちエジプトの奴隷状態からイスラエルの民が、

モーゼにに率いられて奇跡的に割れた海の間の乾い底を歩いて渡り、無事約束の地、パレスチナ、

今のイスラエルの土地に過ぎ越した史実を記念して、

キリストが十字架の死を過ぎ越して復活の命に渡り、我々に復活の命を与えてくれたことを記念する。

 

正装したヴァリーニ枢機卿。我々の神学校の食堂でご機嫌でナフキンヲ頭の上でくるくる回していたオジサンと同一人物だ。

 

いよいよ洗礼式が始まる。

 

 

先ず共同体の家族の赤ん坊から。 われ、父と、子と、聖霊の名によって、汝に洗礼を授ける。

 

  

子供たちの洗礼が終ると、大人たちの洗礼になる。この女性、左の写真で枢機卿から洗礼を受けた後、

すがすがしい顔で笑っている。明らかにアジア人だ。でも、直感的に日本人でないと思った。この夜洗礼を受けた大人の、

何と約半数がイタリア人でもないヨーロッパ人でもない、アジア人の若い男女だった。だが、日本人はいないようだ。

これがローマのがトリック教会の現状を如実に語っている。

 

  

主祭壇の脇から覗き込むと、大聖堂の一番奥に椅子が見えた。これがローマの司教、つまり教皇フランシスコの玉座だ。

白大理石に宝石、貴石がふんだんにちりばめられている。コンスタンチン大帝がキリスト教を国教にした時、

最初に記念に建てたのがこのラテラノ教会だ。その意味で、第二バチカン公会議まで、実に1700年にわたって続いた

コンスタンチン体制教会の象徴をなす建物だ。そこで、コンスタンチン体制との決別を決意した人たちが、

その歩みの総仕上げをしている。なんとも不思議な光景だ。

 

 

洗礼が終ると、ヴァリーニ枢機卿はミサを続ける。

 

祭壇の側から大聖堂の後ろを見渡すとこのような光景だった。

私はお化けのきゅう太郎のような出で立ちで、静々と聖堂の中を徘徊し、要所要所で写真を撮るのに余念がなかった。

幸い、イタリアは大らかな国で、私の行動に眉をしかめてとがめだてをするような人はまずいないのだ。 

 

乾杯!

復活の徹夜祭は無事終わった。気が付いたら、みんな木曜の晩から、年寄は金曜の晩から、日曜の未明、徹夜祭が明けるまで

水や牛乳など流動物だけの断食をしてきたはずだ。きちんと守った真面目な正直者は、もうラマダン明けの回教徒以上に

飢餓状態のはずだ。これから、これ以上食べられませんと言うほどまで、時間をかけてたっぷり食事をする。

我々はこんなテーブル3つに分かれて、楽しく食べて飲んだ。

 

 

食事も終わった、外は、夜霧だった。時計は午前3時半を回っていた。

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日本のカトリック教会の現状と、ローマの実情とは、これが同じ宗教かと目を疑いたくなるほど違うのは何故か。

日本のカトリック教会の復活祭の聖週間は、キリストの受難と十字架上の死で終わっているように思われる。

復活祭は、その名の通り、死の後のキリストの復活を祝う祭りだ。

奴隷状態から自由の約束の地に入ったユダヤ教の過ぎ越しの喜びを土台としている。

過ぎ越しも、復活祭も喜びの大爆発の祭りだ。踊りだしたくなる興奮の時間だ。

これこそユダヤ教とキリスト教以外の宗教にはない、最大の特徴だ。

それが日本の教会には決定的に欠落しているように思う。

言葉では「復活祭おめでとうございます」と言う。

カードには「復活のお慶びを申し上げます」と書く。

しかし、何かよそよそしいのは何故か。

観念知識ではなく、信仰体験としての、内からこみあげてくる喜びの大爆発がないのは何故か。

信仰教育の在り方を根本から問うべき時が来ているのだろう。

今や世界中で宗教が凋落している。神々の黄昏だ。

残ったのは死の恐怖お金の神様への奴隷状態だけだ。

日本の火葬場は余りに清潔で死の恐怖を麻痺させるものがある。

死がなんであるかは、私のブログのローマの火葬場の現実を見れば赤裸々に理解できる。

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/m/201310

上のURLをダブルクリックすると飛べます

それはローマの清掃局のごみ処理の一環に過ぎない。

日本の斎場も、ローマの死体焼却工場も、アウシュヴィッツの焼却炉も、原理と目的は全く同じだ。

だが、キリストは復活して死は打ち滅ぼされた。

拝むべきは「お金の神様」ではない。「友のために命を捨てる」ほどの愛の力で自ら復活したキリストの

天の父なる神をこそ崇め、賛美し、愛すべきだ。そして、人を愛すべきだ。

しかし、自分の何かに死ぬところまでいけなければ本当に人を愛することは出来ない。

自分の復活が信じられない人は、死の恐怖の奴隷から解放されることはない。

だから復活を信じられない人を本当には人を愛せない

実に簡単明瞭な三段論法ではないでしょうか?

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15章13節)

と言って、あっぱれイエスは生涯の最後に全人類のためにそれを実践して見せた。だから、

キリストは甦られた!主はまことに甦られた!オメデトウ!アレルヤ!

(おわり)  

P.S. : 後でわかったことだが、実は上の情景と同じ白衣の集団の式が、バチカンの聖ペトロ寺院でもこの復活徹夜祭の夜

同時並行的に教皇フランシスコ自身の司式で行われていたのだった。そして、それも数年前から盛んにおこなわれているという話だ。

さらに、今年初めて、パリのノートルダム寺院でもパリの大司教・枢機卿のもとで同じことが始まったという。

フランスの急速な非キリスト教化、回教圏化の中で、これは確かな希望のともし火とは言えまいか。

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4 コメント

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Unknown (幸子)
2014-04-23 08:08:30
おはようございます。復活祭おめでとうございます。

欧州の復活祭、一度体験してみたく、また、ローマにも行ってみたく。
カトリックは日本人の心情に合っているように思います。
キリシタンの時代のように大きい勢力に、と思いますが、今、日本人って結果の見えないものを愚直に信じきる事をしないで不思議、をうたう宗教にひかれていきますね。
返信する
Unknown (Unknown)
2014-04-23 14:46:09
谷口神父様

お元気で活躍何よりです

私の共同体が20数年の歩みをこの復活祭に終えたからだ

次はどうなるの

桜も終わり 新緑の季節です

Y.
返信する
Y. さんの質問に答えて。 (谷口幸紀)
2014-04-23 18:23:22
Y.兄へ
いつもコメント有り難うございます。
「共同体の道の歩みが終るとどうなるか?」いつもいい点をついてきますね。
洗礼志願期の道を終えると、順当に行けば洗礼を受けて晴れて教会のメンバーになるわけです。
ところが、ヨーロッパの場合、今の大人の世代は、子供の頃に自動的に洗礼を受けているので、洗礼は繰り返しません。ただ、本人の自覚において、また、今回のラテラノ教会の復活の徹夜祭の機会に白衣を着て、公に私は道を終えました、という意思表示をしたわけですから、教会の中では、「一人前の大人の信者と呼ばれるにふさわしい養成の過程を終えた人」と言う目で見られることになるでしょう。もしその人がいい加減な信者生活をして躓きを与えるようなことがあれば、その責任は以前より格段に大きいということでもあります。
また、共同体としてはここで解散することなく、引き続きグループとして、福音宣教活動にまい進するということです。
返信する
おめでとうございます (川津皓(かわつ・ひろ))
2014-04-30 17:08:13
 おめでとうございます。
 半数がアジア人だったとのこと、同じアジア人としてお祝いします。
 また、韓国においてこの8月に催される「アジア・ユース・デイ」にフランシスコ法王がおいでになるとのこと、旅路の安全をお祈りします。
 日本の司教団もバチカンの教皇さま宛てに招待状を公式に送られたとのこと。実現すれば、皆様はさぞかし勇気づけられることだろうと思います。
 私も、何年も前に神言会の神父様から頂いたペトロ・ネメシェギ著『キリスト教とは何か』を再度精読しています。それから、カリタスのシスターから勧められたカトリック通信講座センターの『キリスト教入門』も修了しました!
私は貴ブログの趣旨や焦点が正直なところ解らなかったなかったのですが、ホセ・ヨンパルト著『カトリックとプロテスタント』を念入りに読んで、おぼろげながら分かってきました。
 この共同体の方々には、この先大きな試練や苦難があると思います。私は、私には何もできないと知っています。
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