:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 聖木曜日 洗足式

2012-04-06 23:44:02 | ★ 復活祭の聖週間

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聖木曜日 〔洗足式〕

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写真の黒い薄い手提げの中には、白衣と略式祭服のストール(ストラ)が入っている

銅の洗面器と水差しとその後ろの白いのは大判の手拭い

私の今夜の商売道具はこれだ

 

      

夜の10時ごろ 部屋の壁に沿って共同体の仲間が36~7人 式の始まるのを今や遅しと待っている

 

カントーレのジュゼッペが始まりの歌を先導する

 

一同が唱和すると 歌の半ばで私が入堂し 朗読台の側の十字架に向かって一礼する

 

私が定位置に着くと 今夜の式が始まる

(今日はカメラを兄弟に預けた だから目障りにも私ばっかり目立つ羽目になるが ごめんなさい)

次々と聖書の朗読があって 4番目のヨハネの福音の13章は私自身が朗読した (以下、要約のみ)

 

さて、過越祭の前のことである。

イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

夕食のときであった。
イエスは、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。

「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。
はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。
このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。

はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」


今夜の私は上の聖書の場面のイエスの役を演じる 兄弟たちはイエスの弟子になった気持ちで式に与る


先ず 隣のヴィトの前にひざまづいて 足を洗う その隣のセルジオは靴下を脱いで準備に入る

(後ろ向きでは 何をしているのか見えないので 数人飛ばします)


銅の水差しから人肌に温めたお湯を足にそそぎ 水差しを介助のものに渡すと

私は手で丁寧に彼女の足を洗う


肩にかけていたタオルの端で濡れた足をきれいにに拭き取る


拭き終わると 仕上げにその足の甲にしっかりとキスをする 

頬であろうが足であろうが 他人の肌にキスをするときの感触は同じだ

この一連の動作を40回近く繰り返す 一人平均約1分としても 結構な時間がかかる

初めの15人ぐらいまでは 跪いたままで膝で歩いて移動することができる

そのうち 膝と腰が痛くなる やがて背中も痛くなる

動作が鈍くなり しまいに立ちあがって腰や背中を伸ばして 一息つかないと続けられなくなる

また 二人か三人の足を洗ってキスして 立ち上がる

全員の足に接吻して立ちあがった時には 額に脂汗がにじんでいる

ああ 今年も無事にやり通した と言う安堵感が湧いてくる・・・

ここまでは ヨハネの福音書の記述にほぼ忠実に進んだ

イエスは12使徒の・・・いや 裏切り者のユダがすでに抜けているから11人の足を洗ったが

私はその3倍以上の足に接吻をした

問題はその後


   

見ていると 共同体の兄弟たちが それぞれ自分の左隣りのものの足を洗い始めた 

もちろん接吻で仕上げるところは同じだ

洗われたものが 次は自分の左隣を洗う

こうして みな一人ずつを洗って一回りすると ハイ出来上がり パチ、パチ、パチ!

ちょっと待ったー! 聖書にはなんて書いてあった? もう一度よーく聞いてください

ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。

そうです イエスが模範を示した通り 私たちも互いに足を洗い合わなければならない はずでした

自動的にお隣さんを洗って順送りして それでシャンシャン ではないのです。

実は 聖書を朗読した後 洗足式に入る前に 私は一発強烈な説教をしたのでした 曰く

皆さん 私はこれから主イエスがなさったように 皆さんの足を洗います

その後で皆さんはそれぞれ隣の人の足を洗うでしょう 私はそのやりかたを敢えて変えろとは言いません

しかし 皆さんがやろうとしていることは聖書の記述に忠実ではありません

ユダヤ教 キリスト教の伝統では 足を洗うのは奴隷の仕事でした

それをイエスは私たちに お互いに対してするようにと命じました

「足を洗う」は日本ではやくざが堅気になるときに使う言葉ですが (・・・これはイタリア語の説教では言わなかった)

キリスト教的には 足を洗うとは 敢えて奴隷に身を落とし 相手に対して犯した罪を告白して 許しを願い 和解を求める印です

私はこの一年間 心の中であなたを裁いていました あなたを憎んでいました あなたを軽蔑していました

無視してきました あなたに嘘をついていました 隠し立てしていました 視姦してきました・・・

どうか赦して下さい!

何があったかみんなの前で言葉にしては言わないけれど

黙ってその人の前に進み出て足を洗ってその足に接吻することを通して

何かわだかまるものがあったことを暗示し 赦しを願い 和解を乞う これは厳粛な儀式なのです

夫が妻に 妻が夫に AがBに CがDに だからどうか足を洗わさせて下さい と跪く

それが出来なければ 成熟した大人の信仰を持ったクリスチャンとは言えない!

できないんですねェ なかなかそれが

特定の誰かの前に進み出るのは恐ろしく勇気がいる

それ以上に ある人が自分に向かって進んでくる時の圧迫感・緊張感も半端ではない

それで 無作為に隣の一人を洗ってお茶を濁す なんて人間て駄目なんだろう

新求道共同体というカトリックの特異な集団ではこの40年余りの歴史の中で

少なくとも最初の20年ぐらいの間は 周りのカトリックの多数派から迫害されながら このヨハネの福音の言葉通り

忠実にと言うか 原理主義的に と言うか

とにかく みんなまじめにそれを実行していたものでした

日本の兄弟たちは 今でも大体まじめにやっていると思います

それが 教皇のおひざ元のローマでは 勢力を得て 教会内的にも認知されるようになると

内部からモラルのゆるみが始まったとでもいうか 形骸化が始まったというか・・・

私は この傾向に断固同意しないものであります!

外に出ると 夜中の12時を回っていた

中空に半月より太い月が輝いていた・・・


(おわり)

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2 コメント

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奴隷の仕事 (ジュリアテレジア上田幸子)
2012-04-07 08:04:24
おはようございます。
いい人です、の顔をしながら全く反省のない生活を送っていました。
この時くらいはへりくだりを考えよ、です。
返信する
Unknown (谷口幸紀)
2012-04-16 14:26:30
戴いたコメントに今日気づきました。有り難うございました。
日本中のカトリック信者が、みんなこぞって聖木曜日には人の足を洗えるところまで信仰的に成長してほしいものです。
返信する

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