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バチカン=今年も日本のために宣教師を養成
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昨日、10月29日(土)ローマのバジリカ《ラテラノ教会》で助祭叙階式が行われた。
10人の助祭のうち3人がレデンプトーリス・マーテル神学院に属し、その中のアルフォンソ君(メキシコ人)は、元高松の神学院のメンバーで、来春司祭に叙階されれば、やがて、日本に宣教師として派遣される道が開ける。
ラテラノ教会は4世紀初頭にコンスタンチン大帝によって建立されたローマで一番古いバジリカ様式で、16世紀には今の形に出来上っていた。世界中の教会の母教会と呼ばれ、付属のラテラノ宮殿は長く教皇の住居だった。
聖堂の中央にそびえる天蓋の下に祭壇がある。そして、天蓋の上の部分に聖ペトロと聖パウロの聖遺物が収めれれている。
中央祭壇の後ろには広い内陣がある。内陣の奥にある大理石の白い椅子が「教皇座」で、ここが教皇の正式の教会だ。全世界の教会の頂点に立つのがこのラテラノ教会で、バチカンの聖ペトロ大聖堂よりもある意味で格式が高い。
ローマの司教、教皇の座(カテドラ)があるから司教座聖堂をカテドラルと言ういい方はそこから来る。そして、この椅子の後ろに隠し戸と隠し部屋があり、すぐラテラノ宮殿につながっていて、聖堂内に異変があった時教皇はいち早く難を逃れることが出来るようにできているのだ。
内陣の左側に祭儀の準備室がある。その奥まったところにある小聖堂はこの日は司教たちの更衣室になっていた。日本でキリシタンの迫害が始まった時、カトリックの神父を志して日本を脱出したペトロ・カスイ岐部は、マカオ、ゴアまでは船で、そのあとはインド、ペルシャ、聖地イスラエルを経て単身徒歩で陸路ローマを目指し、大冒険の末ようやくローマにたどり着いた。そして彼はこの部屋で司祭に叙階されたのだった。明かりこそ電気に代わっているが、そのほかの調度装飾は当時のままだと思われる。
ペトロ・カスイ岐部神父は、苦労して鎖国下の日本に潜入し、やがて東北で捕えら、殉教の死を遂げる。今列聖に向けて調査が進んでいる。
私たち司祭はその隣の部屋で祭服に着替える。岐部神父もこの同じ壁画を見たに違いない。
レデンプトーリス・マーテル神学院の同僚の司祭たち
平山司教(92歳)と共に久しぶりに盛装をした。
中央祭壇の前で司式するのは左上の白い帽子をかぶったヴァリーニ枢機卿。教皇代理のローマ司教だ。定刻に叙階式は始まったが、聖堂は満席に人が入っていた。祭服の下に一応カメラを隠していたが、最前列に座る私はさすがに気おくれがして、ほとんど写真が撮れなかった。 式はどんどん進んでいく。
叙階式も無事に終わり、式に参列した司教、司祭は内陣脇の控室に戻ってきた。
司式したヴァリーニ枢機卿と平山司教
右からアンヘル副院長、院長の平山司教、叙階されたばかりの新助祭アルフォンソ君、そして院長秘書の私
式が終わって外に出ると、晩秋の日は早く暮れて、夜のとばりが降りていた。その夜を境に1時間繰り下がる冬時間が始まった。
バチカンは日本の教会の高齢化、司祭の不足を憂慮している。さしあたりこの12月に1人、来年5月に2人、近い将来、日本に派遣される宣教師司祭が新たに誕生することになっている。彼らはしっかり日本語を学び、派遣される準備は既に整っているのだが・・・。
韓国人なのに神父さま?がいてびっくりしました。どうしてなのかわかりませんし皆さんも笑っているのでびっくりです。ぜひ、イタリーから神父様が来て下さったら助かります。早く日本に来て下さいね。