:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 友への手紙 インドの旅から 第9信 首どころか胴から 

2020-12-02 00:00:01 | ★ インドの旅から

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友への手紙

ーインドの旅からー

第9信 首どころか胴から

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一つ大切なことを書き飛ばしていました。

それは、私がセイロンのコロンボ港で貨客船ラオス号を下りていたことです。

私はインドへの船旅をセイロンで終えて、その後、セイロンを数日かけて陸路縦断し、フェリーでインド亜大陸に上陸することを当初から計画していました。そして、セイロンでは予想もしなかった多くの出来事がありました。しかし、旅の間にはそれらを逐一書く余裕なく、今回の第9信は、そのセイロン滞在も終わろうとする時に慌ただしく書いたものだったのです。

 

 

列車でタレマンナのインド行きフェリー乗り場へ

 

車内の私のバックパックと広げた地図

 

 

第9信 首どころか胴から

 

一週間も遅れて、今やっとタレマンナという小さな港に着きました。

 明日こそインド!

今夜は警察署長の家に泊まっています。さっき所長さんと一緒にジープで税関のお役人のところへ地酒を一杯飲みに行ってきたので、明日は一番に船に乗れるでしょう。

 さて、今回の思わぬセイロンでの長逗留のそもそもの原因になったのは、インドラ君と言う学生との出会いでした。彼は僕を自分の家に引き留め、彼の車でセイロンの中部高原のヒンズー教や仏教の遺跡を見せてくれた。象や鹿や水牛の群れるジャングルのドライブは確かに楽しいものだった。

 土曜日の夕方は海岸のホテルのダンスパーティーに招いてくれた。彼は午後から車で駆け回って友だちを誘い、陽の沈むころ、めかしこんで出発する。

 テンポの速い音楽の流れる暗い大広間では、あらゆる国籍のハイソサエティーが集まっている。そしてダンスに興じ疲れると、二人ずつそっと抜け出して浜辺へ消えていく。夜中を過ぎてパーティーが刎ねると、興奮まだ冷めやらぬ彼らは飛行場の法を遠回りして帰る。小さなフォルクスワーゲンに若い男女を7人も詰め込んで飛ばしていく様は、ちょっとしたものだ。後ろのシートではハリウッド映画そこのけのシーンが展開していく。

かつての植民地の、熟し切った上流社会に育った希望の無い若者たちの姿がそこにあった。中でもカトリックの将来は暗い。政治的圧迫は日増しに募っていく。しかし、この点には、ぼくは同情しようとは思わなかった。何故なら、この迫害は来るべくして来たものであって、彼らがただノベナの祈り(九日間の御祈祷)を繰り返し、圧迫者を罰し給うように神様にお願いするばかりで、自分たちが不当に手に入れた特権を何一つ手放そうとしない限り、当然加えられるべき歴史の鞭だからだ。

 従って、たとえそれが殉教者を出すほどになったとしても、彼を肯定しうる動機は、不正な圧迫から教会を守ろうとしたことではなく、むしろ、誤りを犯している教会に代わって償いとして自分を差し出したからでなければならないと思う。

 しかし、若い彼らには僕たちの知らない別の悩みもある。

 女の子たちを送り届けてから、インドラ君はこんなことを言った。

 「ぼくたちは愛し合っている。二人ともカトリック信者だ。けれど結婚は許されない。カーストが違うからだ。もし無理に結婚しようとすれば、母上から首をちょん切られてしまう。

 すると、彼の親友のアショカ君がそれを受けて、

 「そうかい。それならばその首を大切に博物館に保存させてもらおうじゃないか。ぼくらなんか、カーストこそ同じだが、彼女は回教、ぼくのうちは仏教で、もし結婚しようものなら、首どころか、ここんところからばっさりサ!」と言って、自分の胴を切る真似をした。

 ぼくはこうしたふざけたような言葉の陰に、彼らの結局は結ばれない、だからこそそれだけに切なくはかない思いと、刹那的に運命に反抗して乱れる非行の悲しい素顔を垣間見た気がした。

 自然な恋愛と結婚がカーストと宗教で引き裂かれて結びつかない残酷な現実の中でみんなもがいているのだ。

 しかし、それにしても分からないのは、仏教徒やヒンズー教徒にならともかく、一神教の神を信じる回教徒やカトリックの中にまで古いカーストシステムが厳然と生きて支配していると言う事実だ。

ぼくは、つくづくそんな不条理な制度のない日本に生まれた幸せを感じさせられた。たとえそこにも目に見えない新しい階層差別、這い上がれない貧しさがあるとしても・・・。

 戦後の日本は、いったんは貧しくてもある意味で確かに自由で平等に見える社会になった。もしかすると、こんなに自由で公平な国は世界中探したって見つからないかもしれない。しかし、それがいつまで続くのだろうか。

 それにしても、日本で教会がこんなにも伸びないのは一体どうしたことだろうか。キリスト教の教えが真理なら、なぜ人々の心を照らして広がって行かないのか。隠されて、少数の人だけのものとして囲われていて、それでいいのだろうか。宣教を妨げているのは何か。日本の教会に巣食っている問題は、どうやら外的なものではなく、内的なもののように思われてならない。

 

 

 私がセイロンでたまたま出会ったインドラ君は上流階級のカトリックの青年だった。彼は僕を家に迎え、友だちを紹介し、パーティーに招き、父親の車で数日かけて中部高原地帯を案内してくれた。

学校では軍事教練があった。私にも軍服を着せて写真を撮ってくれたが、たまたま残ったプリントもすっかり劣化していた。

 

 

       軍事教練風景と       一日兵隊さんになった私

 

友人の仏教徒のアショカ君の両親は、私をバザーに連れて行って、宝石店で「君のお母さんへのプレゼントだ」と言って、見事なスターサファイヤを一個買ってくれたりもした。帰国後、父はその石で指輪を作り母の指にはめた。母はデパートで布を買い込み、サリーに仕立ててお召しくださいと言う礼状を添えてアショカ君の母親に贈ったようだった。

既得権で生きている少数派の富裕層の未来は暗い。特にセイロンのカトリックがそうかもしれない。

50年後、同じような景色をイスラエルでも見た。エルサレムの旧市街にはカトリックとイスラムの地区がある。私はエルサレムの聖書研究所で勉強中のダビド神父と二人で、一日宣教に出たことがある。迷路のようなカトリック居住区に着くと、試しに一軒の家に声をかける。応対に人が出てくると、「ピース・ビー・ウイズ・ユー!」と平和の挨拶をする。意味が通じたと感じると、続ける。「今日私たちはあなたによい知らせを告げる天使として来ました。」云々。

門前払いで拒絶されることがほとんどだが、ひるまず戸口から戸口へと続けていくうちに、物好きにも耳を傾けてくれる人がたまにいる。私たちが自分の体験した回心の歴史を率直に語り、相手の心を掴んだと見たら、聖書をランダムに開いて、出てきたページに指を落とし、指先が差した箇所から半ページぐらいを朗読し、ひらめいた言葉でそのメッセージを読み解き・・・。聖霊がその人の心に沁みると、暗い土壁の内部に招じ入れられる展開となる。お茶が出て、今度はその人が心を開き語りはじめる。予想もしなかった彼の秘められた個人史が展開することもある。心の深い苦しみが溢れ出すことも・・・。

話の最後に、たいていはイスラエルの旧市街のど真ん中で、八方をユダヤ人に囲まれ、まるでアイヌや、アメリカインディアンの居留地のように閉じられた狭いカトリックの世界で、希望もなくただ生き、老いていくだけの生活の息苦しさ、絶望感を聞くことになる。

日長一日、足を棒にして戸口から戸口へと彷徨い歩いて、一人でも心を開く人に出会えて、キリストを告げることが出来たら幸せと言うものだ。

 

 

得体の知れない、目には見えない新型コロナウイルスに囲まれ、目の前に迫る雇い止め、失業、倒産、収入の途絶に人々は怯える。それでもGO TO! の狂乱は止まらず、ワクチンの奇跡に縋って理性を麻痺させて、感染者、重傷者、死者の急増と言う明白な危機的現実に目をつぶる無為無策の政府を無批判に支持する無責任さにどう立ち向かえばいいのか。女性の自殺が急増していると聞いたが、この殺人の元凶は誰か。

裏でニンマリ笑って喜んでいるのは「お金の神様。別の名を、『マンモン』と言う」だ。この神様の信者、その奴隷たちが正しい解決を妨げている。他人ごとではない、それは、実は善人面した私かも知れない。或いはあなたかも・・・。

マンモンの偶像崇拝からわたしたちを救いうる唯一の神、解放者のもとに立ち返らなければならない。この「立ち返り」「回心」の待ったなしの契機として、神様は敢えてコロナの試練を送られた。それなのに、キリスト者は一体何をしているのか?谷口、お前はブログを書くマスターベーションに耽りながら、それ以上は何もしないつもりか。

ご自分の溢れる愛を唯一の素材として、天地万物を無から創造し、人間を創造し、わたしを、あなたを、その溢れる愛で息苦しくなるほど強く抱きしめて下さる神についに降参して、マンモンの神、お金の神への奴隷状態からわが身を解き放つ恵みを祈り求めなければならない。「あなた方は神と富に兼ね仕えることは出来ない」(マタイ6.24)しかし、その解放は人間の力だけでは出来ない。

神様!罪人が―つまり私が―あなたのもとに立ち還りますように。キリストの栄光の十字架に希望を置くことができますように。どうか助けて下さい。

 

 

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