:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ホイヴェルス師来日100周年記念第46回「師を偲ぶ会」は無事開催されました。

2023-06-13 00:00:01 | 私的なブログ

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ホイヴェルス師来日100周年記念 第46回「師を偲ぶ会」

は無事開催されました。

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 去る6月9日、ホイヴェルス神父さま来日100周年を記念して、第46回「ホイヴェルス師を偲ぶ会」は無事開催されました。

  つゆの雨は午前中に上がり、参加を申し込まれていた40名余りの方のほとんどがご出席になりました。

 6年前に当時までの世話役だった森田明氏から引き継いだ参加者の名簿は200名を超えていましたが、お亡くなりになったり、老人施設に入られたり、健康状態が悪くなったりで、毎年10数名の方が名簿から消えていき、今は140名ほどになっています。

 名簿に沿って案内状をお送りしても、戻ってくる返信ハガキのかなりの部分が、ご高齢やご病気を理由に「出席したいが思うにまかせない、祈りで参加します」のようなお返事でした。

 それもそのはず、名簿の皆様の平均年齢は90歳近くですから、これからますますその傾向は加速されていくのは自然の摂理だと思われます。第50回の「偲ぶ会」がもし有り得るとしたら、名簿に生き残った人の数は50人にも満たないかもしれません。

 

若き日のホイヴェルス神父様

 しかし、幸いその自然減を補完するかのように、ここ数年、生前のホイヴェルス師を知らない世代が、師の遺徳と偉大な足跡の片鱗を知って、師に学び、師に倣って、これからの教会のあるべき姿を摸索するために参加されるようになり、会の存続と発展に希望を与えてくれています。

 年に一度のミサですから、できるだけ心のこもったものにと、毎回工夫をしてきましたが、今年はたまたま参加者の皆さんの中から是非ミサでご聖体のパンだけではなく葡萄酒(キリストのおん血)も拝領したいという声が上がり、さて、参会者の皆さん全員に強制することなく、しかし、希望者の期待を裏切らないようにするにはどうすればいいか、いささか迷うところがありましたが、結果的には参会者の半数以上が極めて自然に一つの杯(カリス)から「お濃茶」(おこいちゃ)の要領でおん血を拝領されて、安堵しました。来年はもう少し大きなカリスを用意いたしましょう。

 平和のあいさつも、日本の教会一般のようにただ消え入るような声で「主の平和」と言って軽く会釈するだけでなく、アメリカ人のようにニコニコ身を乗り出して握手するだけでもなく、両隣の人と優しく温かくハグしあうなど、これも、スムースにことが運びました。

 また、会場の制約でキーボードの持ち込みが出来なかったのですが、ホイヴェルス神父さまの時代に歌い馴れた懐かしいカトリック聖歌集から、ホイヴェルス神父様が愛唱された数曲を選んでアカペラで歌いました。一時、カトリック教会の唯一の正式聖歌のように支配的になっていた典礼聖歌集は、今では若い世代を中心に、もう何か古臭くなじみにくいと敬遠される中、かえってホイヴェルス神父様が朗々と歌われたカトリック聖歌の方が、明るくメロディアスで新鮮な感じがして懐かしく、皆に喜ばれました。文語調の歌詞を口語に改めるだけで、まだまだ歌えるな、と思いました。

 奉献文は第二奉献文を使いましたが、後半の聖変化の部分は、バチカンの聖座に認可され、いま世界中の司祭の間で普及しつつある新しいメロディーで歌いました。

 共同祈願も、一人が盛式の4つの祈願を唱えた後、参会者が自由に共同祈願をするように招き、幾人かが自発的に祈られました。

 ミサに引き続いて、わずか1時間という制約の中で、一人残らず自己紹介や自由な発言で盛り上がり、心が通い会うものとなりました。

 今回も、たまたま同じ電車に乗り合わせた他人の集まりのようによそよそしい孤独なミサにしないためにどうすればいいかを模索し工夫しています。その結果、加した皆さんは、自然に心から溶け込めるとても新鮮なあたたかいミサだったと感想を述べて喜んでおられました。

 先見の明があり、世界の教会の新しい動きに特別敏感だったホイヴェルス神父様は、日本の教会のほとんどの人がその歴史的な重要性にまだ気付いていない中、第二バチカン公会議の動きに鋭く注目されていました。そして、公会議を導いている教皇パウロ六世がインドのムンバイで「国際聖体大会」を開催されることが決まると、おそらく日本からはただ一人、教皇様の形骸に直接触れるためにそれに参加することを決断されました。そして、若い学生たちにも同行するように招かれ、大勢が手を挙げた中で、実際にインド旅行を実行に移したのは結局私一人だけでした。

 1964年と言えば、東京オリンピックが開催された年で、日本の一般人の海外旅行が戦後初めて解禁されたばかりのことでした。当時私は上智の大学院生で25歳。庶民の海外旅行の手段は当然まだ船の時代でした。ちなみに、私は「国際聖体大会」を取材するカトリック新聞の「臨時特派員」の資格で参加したのでした。この貴重な体験が私の視野を広げ、活動を国際的に自由に開放し、今日の自分があるのだとしみじみ思います。

 

インド旅行の頃のホイヴェルス神父様

 もし、ホイヴェルス神父様が今の時代に生きておられたら、イグナチオ教会の空気も師の信仰に貫かれてもっと清らかな魅力的なものであったことでしょう。

 この問題だらけの世の中で師がどのように行動されただろうかを、生前の師のお姿から想像力を逞しくして思い描き、その線に沿って、私より年若い世代の人たちを巻き込みながら、誰でも実行できる具体的な福音宣教の在り方を模索していきたいものだと思います。

 神様がお許しになるなら、来年も同じ6月9日第47回目の「ホイヴェルス師を偲ぶ会」を開きます。その日が近づいたら、またブログで案内をいたしますので、関心のある方はこのブログを思い出して、自由に参加してください。

 

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