神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

道白堂

2011-01-04 23:47:08 | 寺院
道白堂(どうはくどう)。
場所:静岡市葵区北沼上。県道201号線(平山草薙停車場線、通称:竜爪街道)を北上、「平山火の見やぐら公園」のところで左折(西へ)して、則沢(そくさわ)方面へ。則沢林道を約2km登る。駐車場なし。
この「道白堂」がある辺りを「道白平」というが、天文(1532~1555年)の頃、道白笑山(どうはくしょうざん)という曹洞宗の僧が修業・説法していた。高徳の道白禅師の名は広く知れ渡り、後に武田勝頼の二十四将の一人である土屋豊前守貞綱(当時、清水港宰領)の招請により「補陀山 楞厳院(ほださん りょうごんいん)」(現・静岡市清水区有泉)の開山となったという。道白禅師には不思議な話が多く、例えば、来客があると、どこからか小法師たちが大勢現れて、客をもてなした。道白禅師は山神や天狗を使役するといわれたというが、この小法師たちはいわゆる式神だったのだろうか。
この道白禅師には、式内社「白澤神社」の鎮座地である「牛妻」の地名の由来となった伝説もある。道白禅師は一頭の黒い牡牛を飼っていたが、この牛は商家を回って買い物の使いをするなど、禅師の用事をして仕えた。夜になると、龍爪山の西麓にある田野という里にある、小萩という女の家の軒下へ行って寝た。ある人が不思議に思って禅師に問うと、禅師は、「この牛は、元は祖益(そえき)という名の将来有望な弟子だった。しかし、ある時、今川館の近くで托鉢していた折り、今川家の奥女中を見染め、恋焦がれて死んでしまった。僧侶の身でありながら女に焦がれ死にしたとあって、死後には畜生道に落ちて、この牛に生まれ変わった。牛となっても師の用を足しているのだが、夜になると田野の実家に戻った小萩の家に通っているのだ。」と語った。その後、道白禅師は陀羅尼を唱えて、この牛を懺悔させた。牛は、大きな石の上に登り、3日後に人間に生まれ変わって仏教徒になる、と人語で誓い、死んだ。村人は、この牛を悼み、田野を改めて「牛妻」と呼ぶようになった、という。
なお、「道白堂」の近くにある「牛見石」というのは、使いに出した牛が戻ってくるのを見るために禅師が上った石であるという説と、牛が悔悟して死んだときに上った石であるという説がある。


写真1:「道白堂」


写真2:堂の傍らの巨岩。案内板には、道白堂の回りには「牛見石」「座禅石」がある、と書いてあるが、どれに当たるのか分からない。


写真3:巨岩に並ぶ大きなイチョウの株。静岡市の天然記念物だったが、平成5年の台風により倒れてしまい、今では株を残すだけになっている。その脇には清水が湧き出している。
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