神が宿るところ

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瑞祥山 菩提樹院 建穂寺(駿河七観音・その2)

2011-01-21 23:46:05 | 寺院
瑞祥山 菩提樹院 建穂寺(ずいしょうざん ぼだいじゅいん たきょうじ)。本尊:千手観音。
場所:廃寺となり、寺院としては現存しない。現在は、式内社「建穂神社」の西、約500mのところ(建穂公民館の隣)に、多くの仏像を集めた観音堂が建てられている。ここも、元は「林冨寺」という廃寺の址で、観音堂は町内会の管理。駐車場なし。
寺伝によれば、天武13年(684年)に道昭法師が開創し、養老7年(723年)に道昭の弟子の行基菩薩が再建したとする。「建穂」というのも、道昭がこの地の山上で観音の霊感を得た際、春なのに稲穂が黄金色に実っているのを奇瑞があったことによるといい、山号の「瑞祥山」もこれに因むという。道昭開創・行基再建というのは伝説に過ぎないだろうが、その後、駿河国における真言宗の学問寺として栄え、「駿河の高野山」と称されたという。ただし、真言宗の前には天台宗であったらしい。当寺の第36世学頭である隆賢が著した当寺の編年史である「建穂寺編年」(享保20年(1735年)成立)によれば、治承4年(1180年)の条に(天台宗特有の)「常行三昧」の行が行われたことが記されている。江戸時代初め以降、明らかに真言宗寺院であったことがわかる記載が多くなるが、いつ真言宗に改宗したかは不明。
ともあれ、江戸時代の資料によれば、参道(現在の2倍の広さがあった。)の両側に18坊の塔頭が建ち並び、現在の式内社「建穂神社」の境内から奥に、本坊である学頭坊など3坊、更に山上に観音堂などがあった。また、参道には桜の木が植えられ、桜の名所でもあったようだ。
当寺の永く、輝かしい歴史の中のエピソードをいくつか列挙すると、
①本尊の千手観音は行基作で、いわゆる「駿河七観音」の1つである(伝説)。
②わが国の禅僧で最初に「国師」の称号を贈られた南浦紹明(大応国師)(1235~1309年)は駿河国安倍郡井宮村の出身で、5歳から15歳まで当寺で修行した。
③当寺や「久能寺」など5ヵ寺が「大般若経」を書写して駿河国分尼寺に奉納していたが(最古の記録は仁治3年(1242年))、文明8年(1476年)には国分尼寺が衰退し、「大般若経」写経は「久能寺」に施入された。このとき、国分尼寺の別名?であった「菩提樹院」の名は当寺に譲られ、学頭坊を「菩提樹院」と呼ぶようになったという。
④当寺は徳川家康に厚遇され、慶長7年(1602年)には480石の朱印状を受けた。この石高は、駿河国で最高であるだけでなく、全国的にもトップ10に入るものだった。
もう1つ特筆すべきなのは、駿河国惣社である静岡浅間神社との関係で、当寺は「久能寺」などとともに社僧を務めただけでなく、同神社の「廿日会祭の稚児舞」(静岡県の無形民俗文化財)は元は当寺に伝えられたものだったことである。徳川家康が特に好んで篤く保護し、楽器や衣装などのほか、当寺からの道や橋(「安西橋」は、元は「稚児橋」と称した。)を寄進したというが、その歴史は古く、戦国時代の公家・山科言継が浅間神社で稚児舞を見物したという記事が「言継卿記」の弘治3年2月の条にある。「廿日会祭」というのは、旧暦2月20日の例大祭に奉納されたからで、現在では「静岡まつり」のなかで披露される。当寺の稚児舞としては、常行堂の本尊である摩多羅神のために舞われたとか、大阪の「四天王寺」に伝わった「天王寺舞楽」の流れを汲むともいう。「四天王寺」は「法隆寺」と並んで聖徳太子が建立した寺院で、「天王寺舞楽」は聖徳太子の重臣・秦河勝の一族が楽人を担ったとされる。とすれば、摩多羅神というのも、太秦の「広隆寺」の牛祭に関連があるのかもしれない。いずれにしても、当寺と式内社「建穂神社」の成り立ちが、秦氏と深く結びついていたことを感じさせる。
さて、こうした歴史のある当寺には、学頭(学問の長)と院主(事務方の長)がいて、どちらが優位なのか争いが起こり、幕府の裁定により学頭優位が確認されたが、紛争により寺の権威の失墜を招き、次第に寺勢は衰えていった。江戸時代末期には1~2坊しか残っていない状況となり、明治初年の神仏分離で寺領を喪失、学問寺であったことが災いして財政基盤を失った。更に、明治3年(1869年)には火災にも遭い、ついに廃寺となった。貴重な仏像は町内会の人々により何とか避難し、現在地の観音堂に移された(現・観音堂は昭和50年建築)。現在は、この観音堂が「駿河三十三観音霊場」の第15番札所となっている。


「静岡見て歩き」さんのHPから(建穂寺)


写真1:「建穂寺」観音堂址。式内社「建穂神社」境内の向かって左の山道を15~20分登る。杉林になってしまっているが、わずかに石垣が残っている。


写真2:現・「建穂寺」(観音堂)


写真3:小堂の中に仁王像があってびっくりする。


写真4:堂内
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