神が宿るところ

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瀧夜盛姫の墓

2021-05-08 23:05:09 | 伝説の地
瀧夜盛姫の墓(たきやもりひめのはか)。別名:尼塚。
場所:茨城県つくば市松塚。茨城県道128号線(土浦大曽根線)沿いのコンビニ「ファミリーマート桜金田店」北側の道路を北東へ約700m、突き当りを右折(南東へ)、130m進んだところ(「東福寺 栄幼稚園」の案内板がある。)で左折(北東へ)、約350mで「作蔵山 東福寺」境内入口(駐車場有り)。「瀧夜盛姫の墓」は、駐車場西端から北西へ約70m進んだところから南西約40mの畑の中にある。
「瀧夜盛姫の墓」は、平将門の娘、五月姫(出家して「如蔵尼」)の墓とされるもので、毎年、地元住民によって卒塔婆が立てられているという。伝承によれば、五月姫は、将門の死後、当地に逃げてきて現・「東福寺」、あるいは「東福寺」の西にあった「西福寺」に入って尼になり、如蔵尼と名乗った。その墓とされる場所には、かつて土饅頭(塚)があり、現在、「東福寺」楼門前に置かれている4枚の石板は、その塚の石棺だったものといわれている。ただし、その大きさ、厚さからして、石棺材ではなく、古墳の石室材であろうとみられている。因みに、当地は桜川の右岸(南岸)にあり、当寺院の南東、約200mのところ(「鹿島神社」付近)に「松塚古墳群」(前方後円墳2基,円墳1基)がある。なお、歌舞伎などでは、五月姫は復讐のため妖術を会得して「瀧夜叉姫」と名乗り、朝廷に逆らうということになっているが、これはあくまでも創作である。そして、「夜叉」はインドの悪鬼を意味することから、当地では、「滝夜盛姫」という名に変えているということである。また、「瀧夜叉姫」又は「如蔵尼」の墓とされるものは、現・福島県会津磐梯町「恵日寺」や現・秋田県田沢湖町などにもある(「姫塚」2016年10月15日記事参照)。

作蔵山 延命院 東福寺(さくぞうさん えんめいいん とうふくじ)。
場所:茨城県つくば市松塚665。
奈良時代の創建とする説もあるが、寺伝によれば、建長4年(1252年)、真言律宗の僧・忍性菩薩が創建したとされる。南北朝時代には小田氏の祈祷寺として栄え、江戸時代には、寺格は中本山常法壇林、十万石の格式があって、常陸・下総に多くの末寺があったという。第29世・明光僧正は、「新四国東福寺桜川八十八ヶ所霊場」として、つくば市北条から南の桜川両岸にある当寺院の末寺・門末を中心に弘法大師霊場を開設した。明治時代の廃仏毀釈のとき、「筑波山 中禅寺」(「筑波山 大御堂」2020年9月26日記事参照)の慧海僧正が当寺院の住職を兼ねていた縁で、現・「筑波山神社」随神門に祀られていた金剛力士像(仁王像)を当寺院に移した。 その際、仁王像は、桜川に筏を組んで運ばれたことから、「流れ仁王」と呼ばれている。現在は真言宗豊山派に属し、本尊は延命地蔵尊。この地蔵菩薩像は、聖徳太子作と伝わる如蔵尼の持念仏で、安産・子育てに御利益があるとして信仰を集めているという。


写真1:「瀧夜盛姫の墓」


写真2:同上。卒塔婆に「如蔵尼」という文字が見える。


写真3:「東福寺」境内入口と寺号標(真言宗豊山派 作蔵山 東福寺」)。入って左に「栄幼稚園」がある。


写真4:同上、楼門(仁王門)。享保17年(1732年)建立。


写真5:同上、楼門前の石板。


写真6:同上、狛犬(吽形)。なかなか味がある姿。


写真7:同上、金剛力士像(阿形)。


写真8:同上、本堂。


写真9:本堂横の弘法大師堂。

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