神が宿るところ

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鏡ヶ池(茨城県常陸大宮市)

2019-09-14 23:23:42 | 伝説の地
鏡ヶ池(かがみがいけ)。
場所:茨城県常陸大宮市下岩瀬501(春日神社の住所)。茨城県道61号線(日立笠間線)の久慈川に架かる「栄橋」の南西側の信号機がある交差点を北西へ、約1.5km。県道から少し東に入ったところに「下岩瀬新農村集落センター」があり、その近くに「鏡ヶ池」の案内板が立っている。「春日神社」社殿は「集落センターの南側、「鏡ヶ池」はその東側になる。駐車場は「集落センター」駐車場を利用。
現・茨城県常陸太田市の「長者屋敷跡」(前項)の「万石長者伝説」には続きがある。「万石長者」も、他の長者伝説と同様に、八幡太郎・源義家の軍勢に豪華な饗応をしたために却って警戒を持たせ、滅ぼされたという話であるが、違うのは、長者の幼い娘(朝日姫)が乳母に助けられて脱出し、現・茨城県常陸大宮市下岩瀬の「春日神社」付近に隠れ住んだ、というところである。「長者屋敷跡」からは、間に久慈川を挟むが、南西に直線距離で3km程。伝説によれば、朝日姫が18歳になったとき、万石長者の家を再興しようと、「岩瀬大明神」(現・「春日神社」)に百ヵ日の祈願を行った。その満願の日の朝、池辺の松に秘蔵の「八稜鏡」を掛けて化粧を始めたところ、誤って鏡を池の中に落としてしまった。朝日姫は、慌てて鏡を拾おうとして足を滑らし、池に落ちて溺れ死んだ。数百年経ち、池から妖気が漂うようになり、これが無念の思いを抱いて亡くなった朝日姫の怨霊であろうということになった。そこで、浄土宗「草地山 蓮華院 常福寺」(現・茨城県那珂市)第2世・了誉上人(上岩瀬城主・白石志摩守宗義の遺児という。1341~1420年)が朝日姫の霊を慰めて成仏させた。その後、一匹の亀が「八稜鏡」を背負って池から浮かび上がった。この鏡は「常福寺」に納められ、今も寺宝として保存されている(茨城県指定文化財。鎌倉時代中期頃の作とされる。)。また、当地では、亀を捕まえても、殺さずに「鏡ヶ池」に放つという。折角、生き延びたのに、神に祈って満願の日におぼれ死ぬ、数百年経ってから祟る、というようなところが、いろいろ割り切れない、理解しにくい話だが、色々な伝承が結びついて成立した民話なのだろうと思う。なお、「春日神社」の南西側に中世の館跡が発見されており(「下岩瀬館」)、そこに住んでいた若い女性が「鏡ヶ池」で溺れ死んだような事件があったのかもしれない。
因みに、下岩瀬の「春日神社」(常陸大宮市には同名の神社が4社ある。)は、社伝によれば、大同2年(807年)の創建。「岩瀬大明神」と称され、岩瀬地区の総鎮守であり、佐竹氏の祈願所でもあった。元禄年間(1688~1704年)、水戸藩第2代・徳川光圀の命により「春日神社」と改称したという。現在の祭神は、天照大神、天児屋根命、武甕槌命、経津主名、姫大神。


常陸大宮市観光協会のHPから(朝日姫と鏡ヶ池)

常福寺のHP:寺宝の「八稜鏡」の画像があります。


写真1:「春日神社 累代城主祈願所 霊跡鏡ヶ池」の案内板。「春日神社」よりも「鏡ヶ池」の文字の方が大きい。


写真2:「春日神社」社号標


写真3:同上、鳥居


写真4:同上、拝殿


写真5:同上、本殿


写真6:「鏡ヶ池」


写真7:同上


写真8:同上、ちょうど睡蓮(スイレン)が咲いていた。


写真9:「春日神社」と「鏡ヶ池」の由来を刻した石碑
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