神が宿るところ

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老尾神社(下総国式内社・その4)

2012-05-12 23:24:13 | 神社
老尾神社(おいおじんじゃ)。
場所:千葉県匝瑳市生尾75。匝瑳高校入口の向かい側(東)の狭い道路を入ると、すぐ。駐車場なし。
創建時期は不明。社伝によれば、当神社の祭神である阿佐比古命は経津主神の子であり、経津主神・建御雷神とともに葦原中国を平定するため天下り、後に当地に止まって守護神となったという。「続日本後紀」の承和2年(835年)条に、下総国の人で、陸奥鎮守将軍である物部匝瑳連猪熊に対して、連(むらじ)という姓(かばね)から、より上位の宿彌(すくね)という姓を与えたという記事がある。続けて、昔、物部小事大連が朝命を受けて東国を征伐し、その勲功により、下総国に創設された匝瑳郡を与えられたのだが、この物部小事が物部猪熊の先祖である、と記述されている。また、「先代旧事本紀」によれば、物部小事は宇摩志麻治命(ウマシマジ)の12世の孫となっている。社伝では、この物部小事が阿佐比古命(朝彦命、別名・天苗加命(アマノナエマス))であるということになっている。下総国一宮「香取神宮」は経津主神を祀っているので、同族で下総国東部を広く支配していたことが窺われる。
神社名の「老尾」は、鎮座地の「生尾」と同じ読みの「おいお」で、地名を採ったものと思われている。表記が異なっているのは、「老」という字を忌んで、後に変えたのだろうという。現在の「匝瑳(そうさ)」というのは難読漢字だが、上記にあるように古代からの地名を伝えている。因みに、平安中期に編纂された「和名類聚抄」には、「匝瑳」は「狭布佐(さふさ)」と表記されている。「狭」は美しい、「布佐」は麻を指し(下総国の「総(ふさ)」も同じ。)、美しい麻が生産される地という意味だったらしい。当神社は匝瑳郡の総社・68ヵ村の鎮守として、古来「匝瑳大明神」と呼ばれていたという。


玄松子さんのHPから(老尾神社)


写真1:「老尾神社」入口。社号標には「延喜式内 老尾神社」とあるが、「延喜式内」という文字は随分小さい。


写真2:正面鳥居


写真3:社殿


写真4:社殿背後の大杉。目通り6.8m、樹高約30m。匝瑳市指定天然記念物で、樹齢推定約800年。


写真5:梵字が彫られた石の板碑。匝瑳市指定有形文化財。境内から少し離れた北側にある。
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