鹿島神社(かしまじんじゃ)。
場所:茨城県常陸太田市町春友町406。国道349号線「常福地」交差点から北へ約1.4km、直進「矢祭 里美」方面と「西河内 町屋」方面分岐の道路標識の下の交差点(分岐の手前(1つ南側))を右折(東へ)、約120mのところで左折(北東へ)、直ぐ、左手(北側)に下りていく道があり、その正面。駐車場なし。
創建年代は不明。茨城県常陸太田市には「鹿島神社」が多い(茨城県神社庁のHPでは同市内に12社(「鹿嶋神社」、「鹿島日吉神社」を含む。)もある。)のだが、当神社を参拝したのは、当神社が常陸国式内社「天速玉姫命神社」の論社となっているからである。当神社に関してはデータが少ないのだが、式内社「天速玉姫命神社」の論社とされる根拠は、鎮座地の「春友(はるとも)」という地名が元は「速玉(はやたま)」と呼ばれていたという伝承があるからということらしい。また、「鹿島神社」なので、現在の祭神は武甕槌命であるが、合わせて天速玉姫命も祭神とされており、かつては天速玉姫命のみだったという説もあるとのこと。ただし、これらの論拠にどの程度の信頼性が置けるか不明(検証困難)。
ということで、式内社「天速玉姫命神社」に比定するには論拠が薄弱で、一般には茨城県日立市鎮座の「泉神社」(前項)とするのが定説のようである。当神社の方を推すのは、例えば榎本実著「古社巡礼」(1990年)で、同じく常陸国久慈郡鎮座の式内社「薩都神社」(2019年9月28日記事)との関係を重視する。「日本三代実録」によれば、貞観8年(866年)と同16年(874年)に神階授与の記事があるが、どちらも「薩都神」(「薩都神社」)と「天之白羽神」(「天志良波神社」)と同時昇格となっている。そして、当神社の位置関係として、「薩都神社」から直線距離で北へ約3km、「天志良波神社」から同じく北へ約2.6kmと近い。さらに、「薩都神社」は「御岩山」が神体山であり、磐座あるいは巨岩信仰と思われる祭祀跡があった。一般に、「速玉」というのは泉の象徴とされるが、榎本氏はまず、「速玉」という神名から紀伊国式内社「熊野速玉大社」を連想する。次いで、その元宮ともいわれる摂社「神倉神社」の磐座「ゴトビキ岩」を挙げる。そして、「磐座」繫がりで、天速玉姫命は、「薩都神社」の祭神である立速日男命(タチハヤヒヲ)の后神であると推定する。このように大胆な連想続きなので、それはそれで面白いが、やっぱり根拠は薄弱と言わざるを得ないと思う。榎本氏は、他の式内社の比定についても通説・定説とは違う見解を多く示されており、寧ろ敢えて通説ではない見解を重視する傾向があるように思われる。
写真1:「鹿島神社」正面鳥居と社号標((村社)鹿島神社)。鳥居の扁額は「鹿島大明神」。塚のように、一段高いが、やや狭い敷地に社殿が南面して建っている。背後に「里川」が流れている。
写真2:拝殿
写真3:本殿
場所:茨城県常陸太田市町春友町406。国道349号線「常福地」交差点から北へ約1.4km、直進「矢祭 里美」方面と「西河内 町屋」方面分岐の道路標識の下の交差点(分岐の手前(1つ南側))を右折(東へ)、約120mのところで左折(北東へ)、直ぐ、左手(北側)に下りていく道があり、その正面。駐車場なし。
創建年代は不明。茨城県常陸太田市には「鹿島神社」が多い(茨城県神社庁のHPでは同市内に12社(「鹿嶋神社」、「鹿島日吉神社」を含む。)もある。)のだが、当神社を参拝したのは、当神社が常陸国式内社「天速玉姫命神社」の論社となっているからである。当神社に関してはデータが少ないのだが、式内社「天速玉姫命神社」の論社とされる根拠は、鎮座地の「春友(はるとも)」という地名が元は「速玉(はやたま)」と呼ばれていたという伝承があるからということらしい。また、「鹿島神社」なので、現在の祭神は武甕槌命であるが、合わせて天速玉姫命も祭神とされており、かつては天速玉姫命のみだったという説もあるとのこと。ただし、これらの論拠にどの程度の信頼性が置けるか不明(検証困難)。
ということで、式内社「天速玉姫命神社」に比定するには論拠が薄弱で、一般には茨城県日立市鎮座の「泉神社」(前項)とするのが定説のようである。当神社の方を推すのは、例えば榎本実著「古社巡礼」(1990年)で、同じく常陸国久慈郡鎮座の式内社「薩都神社」(2019年9月28日記事)との関係を重視する。「日本三代実録」によれば、貞観8年(866年)と同16年(874年)に神階授与の記事があるが、どちらも「薩都神」(「薩都神社」)と「天之白羽神」(「天志良波神社」)と同時昇格となっている。そして、当神社の位置関係として、「薩都神社」から直線距離で北へ約3km、「天志良波神社」から同じく北へ約2.6kmと近い。さらに、「薩都神社」は「御岩山」が神体山であり、磐座あるいは巨岩信仰と思われる祭祀跡があった。一般に、「速玉」というのは泉の象徴とされるが、榎本氏はまず、「速玉」という神名から紀伊国式内社「熊野速玉大社」を連想する。次いで、その元宮ともいわれる摂社「神倉神社」の磐座「ゴトビキ岩」を挙げる。そして、「磐座」繫がりで、天速玉姫命は、「薩都神社」の祭神である立速日男命(タチハヤヒヲ)の后神であると推定する。このように大胆な連想続きなので、それはそれで面白いが、やっぱり根拠は薄弱と言わざるを得ないと思う。榎本氏は、他の式内社の比定についても通説・定説とは違う見解を多く示されており、寧ろ敢えて通説ではない見解を重視する傾向があるように思われる。
写真1:「鹿島神社」正面鳥居と社号標((村社)鹿島神社)。鳥居の扁額は「鹿島大明神」。塚のように、一段高いが、やや狭い敷地に社殿が南面して建っている。背後に「里川」が流れている。
写真2:拝殿
写真3:本殿
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