香取神社(かとりじんじゃ)。通称:捻木香取神社。
場所:茨城県行方市捻木667イ。国道355号線沿い「羽生郵便局」前から南東へ約1.9kmで左折(北東へ)、約1kmで右折(東へ)、約450mで参道入口。駐車場なし。
社伝によれば、延暦24年(805年)の創建。明和2年(1765年)炎上、翌年再建。明治6年造営、同14年、村社に列した。現在の祭神は経津主命。
「常陸国風土記」行方郡の条に記載のある、高向大夫が築いた「枡池」の北の「香取御子之社」については、現・行方市若海の「香取神社」(前項)と当神社のどちらか、とされている。例えば、秋本吉徳全訳注「常陸国風土記」(講談社学術文庫)では「捻木・若海の両地に香取神を祀る社があるという(「大日本地名辞書」)。」、中村啓信監修訳注「風土記 上」(角川ソフィア文庫)では「捻木に香取神社がある。」、柴田弘武著「常陸国風土記を歩く」(崙書房出版)では「玉造町若海の香取神社に比定されている。」としていて、どちらか一方の神社を推す説も、その根拠は特に示していないものが多い。「常陸国風土記」の「鴨野」が現・行方市玉造甲の加茂地区に比定されることについては異論が見られないので、その北にある「香取神社」として、両神社が挙げられているに過ぎないのかもしれない。前項で書いたように、若海「香取神社」は「枡池」の遺称地とされる場所(「市杵島神社」(2023年5月20日記事)参照)の北にはない。しかし、当神社も同様に、方向としては「枡池」の遺称地とされる場所から西、約2.8kmのところにあり、距離的にも「枡池」と結びつけるのは難しいようだ。ということは、①両神社とも「香取御子之社」(の後身)ではないか、②「枡池」の比定地が誤っているか、③「常陸国風土記」の「枡池」からの方向が間違っているのか、④「常陸国風土記」の読み方として「枡池」の北ではなくて、(「枡池」は無視して)「鴨野」の北とするのが正しいのか(原文には「その」という語が無く、単に「北有香取御子之社」としか書かれていない。)等、考えられるが、どれが正解だろうか。
写真1:「香取神社」参道入口、社号標。間口はやや狭いが、奥行きがある。約100mの真っ直ぐな参道。
写真2:鳥居
写真3:拝殿
写真4:本殿
場所:茨城県行方市捻木667イ。国道355号線沿い「羽生郵便局」前から南東へ約1.9kmで左折(北東へ)、約1kmで右折(東へ)、約450mで参道入口。駐車場なし。
社伝によれば、延暦24年(805年)の創建。明和2年(1765年)炎上、翌年再建。明治6年造営、同14年、村社に列した。現在の祭神は経津主命。
「常陸国風土記」行方郡の条に記載のある、高向大夫が築いた「枡池」の北の「香取御子之社」については、現・行方市若海の「香取神社」(前項)と当神社のどちらか、とされている。例えば、秋本吉徳全訳注「常陸国風土記」(講談社学術文庫)では「捻木・若海の両地に香取神を祀る社があるという(「大日本地名辞書」)。」、中村啓信監修訳注「風土記 上」(角川ソフィア文庫)では「捻木に香取神社がある。」、柴田弘武著「常陸国風土記を歩く」(崙書房出版)では「玉造町若海の香取神社に比定されている。」としていて、どちらか一方の神社を推す説も、その根拠は特に示していないものが多い。「常陸国風土記」の「鴨野」が現・行方市玉造甲の加茂地区に比定されることについては異論が見られないので、その北にある「香取神社」として、両神社が挙げられているに過ぎないのかもしれない。前項で書いたように、若海「香取神社」は「枡池」の遺称地とされる場所(「市杵島神社」(2023年5月20日記事)参照)の北にはない。しかし、当神社も同様に、方向としては「枡池」の遺称地とされる場所から西、約2.8kmのところにあり、距離的にも「枡池」と結びつけるのは難しいようだ。ということは、①両神社とも「香取御子之社」(の後身)ではないか、②「枡池」の比定地が誤っているか、③「常陸国風土記」の「枡池」からの方向が間違っているのか、④「常陸国風土記」の読み方として「枡池」の北ではなくて、(「枡池」は無視して)「鴨野」の北とするのが正しいのか(原文には「その」という語が無く、単に「北有香取御子之社」としか書かれていない。)等、考えられるが、どれが正解だろうか。
写真1:「香取神社」参道入口、社号標。間口はやや狭いが、奥行きがある。約100mの真っ直ぐな参道。
写真2:鳥居
写真3:拝殿
写真4:本殿
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